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雨時々デジレ①

デジレとマリー婚約後

 



 外は、暴風に吹かれて、雨が激しくうねっている。まだ朝なのに、曇天で夜と見紛うほど暗い。

 窓を叩きつける激しい音を聞きながら、マリーは緊張しつつ目の前の項垂(うなだ)れる青年を見つめ続けた。

 ずぶ濡れで、タオルをかけられていてもぽたぽたと髪から雫を垂らす彼、デジレは、ソファーに掛けたまま口を開かなかった。




 今日は天気が悪いが予定がなくてよかったと安心していたマリーは、邸でのんびりとしていた。久し振りに恋愛小説でも読もうかとしていたところ、リディから慌てた声で呼ばれたのは今朝早くだった。

 デジレ様が、という声に驚いて玄関まで走っていくと、全身がずぶ濡れのデジレがぼうっと立っていた。さらに驚愕して、リディと一緒にデジレにタオルを掛けて、なんとか部屋まで連れて行った。


 真面目なデジレが、マリーに何も言わずに邸に来るなんて、なにかあったに違いない。しかも雨の中、邸に入らず玄関の前でずっと立っていたようだった。

 なによりも、唇の色が悪く、わなないている。マリーとは全く目を合わせようとしない。邸に慌てて招き入れてから、彼は一言も発しない。

 何かに恐怖しているようなその姿はマリーが初めて見るデジレの姿で、マリーはなにがあったのか心配で、気が気でなかった。


「……なにがあったんですか?」


 先程から何度聞いても返事がこない質問を、それでも根気よく尋ねる。

 やはり、デジレは反応せずに項垂れたままだった。


 なにがあったのだろうと、マリーは見えない不安に包まれる。

 マリーからすれば、デジレとの関係は悪いところはなかった。デジレが会いたいという時はほぼ必ず会っていた。話もおかしなことは話していない。キスだって拒否していない。

 先日会ったデジレは、いつも通りだったはずだ。


「デジレ様……」


 デジレの落ち込んでいる様を見るのは嫌だ。マリーは泣きそうになる。

 そこで、デジレがようやく反応した。のろのろと、顔を上げる。


「マ、リー」


「デジレ様!」


 はしたないと考えていられず、マリーはデジレに抱きついた。

 雨に濡れた匂いが漂う。いつものシトラスの香りは流されてしまったようで、しない。

 デジレの身体が冷え切っていて、ますます抱きしめる腕に力を入れる。マリーはなんとかしなければと、必死だった。


「どうしたんですか。こんなのになるまで、一体なにがあったんですか。デジレ様が悩むことだったら、わたしも一緒に悩みます。一緒に考えますから」


 少し涙声が混じる。デジレが未だに少しも動かなくても、マリーは諦めず寄り添った。

 ようやく、マリーの背中に大きな手がぎこちなく触れる。


「……ごめん、心配させて。駄目な男だな」


 耳元で呟かれた言葉は、少しだけいつものデジレに戻ってはいたが、弱々しい。マリーは首を大きく横に振った。


「心配なんていいんです! 一番辛いのは、わたしがデジレ様の力になれないことです。だから、なにがあったか、教えてください」


「うん。……ありがとう」


 背中に回された腕に力が入り、強く抱きしめられると、体を離された。

 対面したデジレの瞳は明るくなっていたが、真剣味を帯びている。マリーも覚悟を決めて、背筋を伸ばした。


「実は、昨夜に悪夢を見たんだ」


「悪夢?」


「そう。マリーの態度が、最初の頃に戻る悪夢」


「えっ」


 マリーは絶句した。デジレはまた、俯く。


「……さ、最初の頃って」


「人前でキスしてしまった後の頃。つんつんしていて、私のことをシトロニエ様と呼んでいた頃だ」


「あ、あー……」


 デジレの強引さと意味不明さに、露骨に嫌っていた頃のことだ。今となっては記憶から消し去りたいものだった。

 顔を隠したくなりながらも、マリーはデジレの続きを待つ。


「起床して、夢だとは気付いていたけれど、もしかして、と思うと居ても立っても居られなかった。ただ邸の前までくると、急に怖くなったんだ。本当に、マリーが以前のような態度に戻っていたら。シトロニエなんて呼ばれようものなら、俺は……」


 デジレの拳が白くなるほど握られており、マリーは慌ててそれを手で包んだ。ちらりと、彼が彼女に目をやる。


「また、マリーに好かれるなんて、不可能だ。両想いで婚約者になれたことだって、奇跡的なことだと思うのに。もう一度、奇跡を起こすなんて、できない」


 かすかに窺えるデジレの唇はわなないていて、力ない言葉がそこから漏れる。身体も、何かに怯えるように震えていた。

 マリーは、彼の手から、自分の手を離した。ゆっくり、くちびるを動かす。


「奇跡、ってなんですか」


 デジレとは違い、強い語調でマリーが言う。彼が目を見開く様子を、マリーはじっと、真剣な目で見つめた。


「両思いで、婚約者になれたこと? それは、デジレ様がわたしを好きになったことですか。わたしが、デジレ様を好きになったことですか」


「え、それはマリーが、私を好きになってくれたことで」


 驚きながらも、当然のようにそうのたまうデジレを、マリーは唇を噛んで見据えた。


「わたしが、デジレ様を好きになったことが奇跡? だったら、今からわたしがデジレ様を嫌いになっても、あなたは奇跡だって言うんですか」


「嫌だ! そんな奇跡おこってほしくない!」


「奇跡ってそういうものじゃないですか! 理由なんてない、いつおこるかわからない、いきなりの偶然のものですよね」


 身を乗り出し、慌てが顔にありありと浮かぶデジレ。そんな彼に、マリーは腹が立った。

 立ち上がって、デジレに浴びせるように叫ぶ。


「わたしがデジレ様を好きな気持ちを、デジレ様が奇跡なんて言うんですか! わたしが、感じてきた想いを。奇跡なんかじゃないです! デジレ様が、わたしを好きにさせたんですよ!」


 精一杯叫んだせいか、じんわりと涙が浮かぶ。

 デジレといる時は穏やかにいようとしていた。最初の頃のように嫌いという態度はださないよう、怒らないよう努めていた。

 ただ、今回のデジレの言い方は、マリーには許せなかった。

 デジレが見るからにますます焦っている。


「ご、ごめん! 俺の失言だった! 忘れてほしい!」


「奇跡なんかじゃ、ないんですよ……」


「うん、わかった、奇跡じゃない! マリーが好きになってくれたのは、奇跡じゃない。奇跡じゃない……」


 デジレの語尾が消えていく。


「え、それなら理由があるってことか? 一体、マリーは俺の何を好きになってくれたんだ?」


 大真面目に、純粋なエメラルドの瞳を向けて、デジレはマリーに問いかけた。



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