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カロリナの愚痴

デジレとマリー婚約後




 姉のカロリナの惚気(のろけ)を聞くのがデジレの役目なら、愚痴を聞くのも彼の役目だった。

 

 目の前で、ぐすぐすと鼻をすすりながら、目元を赤くしているカロリナが座っている。出してもらった、大好物のケーキや紅茶に手をつけない。

 デジレは彼女が話し出すのを待ちながら、こっそりとため息をついた。



 つい先ほど。デジレがシトロニエ邸で約束したマリーを待っていると、カロリナがひとり突撃してきたのだ。涙を零しながら名前を呼ばれては、デジレが対応するしかなく、ひとまず応接室に連れて行った。

 嫌な予感しかしなかった。なにせ、カロリナはひとりである。

 結婚後からわりと頻繁に、自由に実家に帰ってきていたカロリナは、それでも行きと帰りは夫のフェルナンか侍女のララが付いてきていた。

 しかも彼女はつい数か月前に、男児を出産していた。フランソワ、と名付けられた息子と夫と、何度も来ていたのは記憶に新しい。

 それが、ひとり。しかも泣いている。マリーが今回ばかりは少し遅れますようにと祈りながら、デジレは姉に対して姿勢を正す。


「姉上、何がありましたか?」


「デジレぇ……ひどいのよ!」


 カロリナは(わめ)きながら、フォークをケーキに突き刺した。まっすぐにケーキからフォークが生える。


「フェルナン様がひどいの!」


 フォークから伝わった更なる力に、ケーキが形を崩して、ついに倒れた。

 ああ、また怒っているなあ、とデジレはどこか他人事のように思った。自分が邸にいてよかったとも感じる。


 デジレがいなければ、カロリナは父や母が対応する。父はカロリナが帰ってくると、それみたことかと大喜びし、やはり実家が良いだろうと彼女に言い募る。大好きな娘をとっていったフェルナンをよく思うはずがなく、今回のようなことを言われようものなら、全力で同意して、フェルナンのことを悪者にする。

 ただ、最近ではその娘馬鹿に、孫馬鹿が付いてきた。まれにカロリナがフランソワを連れて来ずに侍女と帰ると、父は喜ぶもののフランソワはどうしたのか、とやけにうずうずする。今度は孫を連れてふたりでおいで、など言う父の姿は、威厳もなにもなく、デジレがあまり見たいものではなかった。


「フェルナン様、フランソワに構いっぱなしで私の相手をしてくれなくて」


 姉の言い分に、デジレは脱力した。


「姉上も、フランソワの世話をしてくださいよ」


「しているわよ!」


 カロリナが、カップをソーサーに叩きつけて、叫ぶ。

 今回もまた、カロリナがただ気に入らなくて怒っているだけだろうと思っていたが、案の定だった。


 彼女の夫のフェルナンは、義理堅く世話焼きな男性だ。

 フランソワが生まれてから、何度もマリーと侯爵家に顔を出しているが、フェルナンの用事がない時は大抵彼が、自身とそっくりな息子を抱いている。カロリナと話が弾むと、部屋からそのまま連れ出してくれる。

 使用人たちの話を聞くだけでも、忙しいだろうに積極的にフランソワの世話をして、カロリナに自由な時間をとらせているようだ。

 彼が育児においてカロリナに悪いことをするなど、デジレには全く思えない。


 カロリナが、(うつむ)く。纏めている白く煌めく金髪が、すっと色を暗くする。


「フランソワなんて、フェルナン様に抱き上げられるとぴたっと泣き止むのよ。私……」


「姉上」


 うっ、とカロリナが言葉を詰まらせ、口元を手で覆う。

 もしや、姉は母親として悩んでいたのか。デジレは適当に対応しそうだったことを、反省する。


「私だって、フェルナン様に抱き上げられたい!」


 大声でカロリナが叫んだ。

 デジレは、反省したことを後悔した。

 彼が相槌を打つまでもなく、彼女は頬を赤くしてまくし立てる。


「さすが私の子だわ、フェルナン様の良さをよくわかってる! でもフェルナン様はひとりなのよ! 腕は二本しかないのよ!」


「……姉上。義兄上(あにうえ)に直接頼んではどうですか? 義兄上なら、きっとしてくれますよ」


「違うの、頼んでやってもらうんじゃなくて、自然と自発的にやってほしいの! フランソワみたいに!」


「それは、大人では難しいのでは?」


 やってほしいの、とわめくカロリナは、母親になってもカロリナだった。

 デジレは半眼になりながらも、機会があればまた、フェルナンに姉の要望を伝えようと考えた。寂しがっていて自然と抱き上げてほしいそうです、と言えば、彼はまた困った顔をするだろうが、感謝してくるだろう。

 どうみたって大変な姉をもらってくれた義理の兄には、デジレは協力を惜しまない。


 それにそろそろ、この場合なら、やってくるだろう時間だった。

 タイミングよく、来客を告げるチャイムがなったので、デジレは腰を上げた。


「客人が来たようなので、出迎えにいきます」


「悩む姉を放っておくというの!」


「ちょっとの間ですから」


 文句を垂れるカロリナを尻目に、デジレはさっさと廊下を歩いて玄関に向かう。既にベルナールが対応していたが、案の定赤髪に眼鏡を掛けた男性が見え、隣に待ち焦がれたブルネットの少女が立っていた。

 デジレは慌てて、歩みを早める。


「義兄上、マリー!」


「あっ、デジレ様」


 マリーがぺこりと礼をする。居辛いのか、隣にいるフェルナンをちらちらと気にしている。


「あの、丁度……お義兄(にい)様と、一緒になりまして」


「すまない、デジレ。ゆっくり婚約者との時間を過ごすところを、うちのカロリナが邪魔をして」


 フェルナンが、眼鏡を外し眉間をほぐしている。疲れているようだが、眼鏡を掛けて上げた顔は、きりっとしていた。もう、慣れている顔だ。


「いえ、義兄上……いつもいつもすぐに来てくださり、ありがとうございます」


「いやなに、彼女は侯爵家の女主人だからな。彼女より立場の高い者でないと……いや、私しか、彼女を連れ戻せない」


 しっかりと言い切るフェルナンのあまりの格好良さに、デジレは感動する。カロリナに何かあると、夫であるが当主でもあるのに、常に自ら動き解決する姿は、尊敬に値するものだ。

 こんな風になりたい。マリーには家出なんてしてほしくないが。

 そう思いながらデジレがマリーを見れば、彼女もフェルナンに対して感動しているのか、見つめて頰を染めていた。デジレは少しだけむっとする。


「今すぐに姉上を呼んできますので」


「いや、必要ない。もう来ているな」

 

 言われてデジレが振り返れば、カロリナがむすっとして立っていた。フェルナンの方を気にしながら、不機嫌そうに髪をいじっている。


「カロリナ、迎えに来た。家に帰ろう」


「嫌です」


 ぷいと子どものように顔を反らすカロリナだが、フェルナンは全くめげない。


「フランソワには君が必要なんだ」


「フェルナン様がいれば、私は必要ないでしょう」


「私にも、君が必要だ」


 つんつんしていたカロリナが、ぴたりと動きを止めた。ゆっくりフェルナンに顔を戻し、見つめ続ける。

 デジレとマリーは、ひたすら黙ってふたりを見守っていた。

 そうすることしばし、カロリナがフェルナンの方に軽快に歩いて向かっていく。彼のもとまで着くと、くるりとデジレを振り返った。笑顔だった。


侯爵邸(うち)に帰るわ」


 先程とは打って変わって、最高に機嫌が良いにこにこした顔で、カロリナがフェルナンの腕を取った。カロリナには見えないだろうが、フェルナンが心から安堵したように表情を崩す。

 相変わらずの変わりっぷりに、デジレは呆れるしかない。


「どうぞ……帰ってください」


「ええ。フランソワが待っているし」


「義兄上ばかりに任せないで、姉上もちゃんと母親をしてくださいよ」


「あら、失礼ね」


 機嫌が良い彼女は、前に言った時ほどは怒らない。むしろ嬉しそうに声を上げて笑い、フェルナンを見上げて、デジレに向き直る。


「だって、フェルナン様がフランソワを抱いてるのを見るの、とても好きなの。私の大好きな旦那様が、私たちの大好きな息子を抱えているのよ? こんな大好きが凝縮した、幸せな光景ないわ」


 自慢気に胸を張るカロリナが、デジレにはきらきらしているように見えた。顔が、生き生きとしている。心から、言葉が出でいる。思わず、デジレの口から感嘆の息がもれる。

 姉はもとから綺麗だが、結婚してからより一層美しくなったとは思っていた。しかし、その上限はないらしい。


「フランソワは、フェルナン様と私の息子なのよ。こんなに愛しい存在もないでしょう?」


 にっこり自然と笑顔を振りまくカロリナに、フェルナンが何かを呟く。くすぐったそうに声を上げて、彼女はよりフェルナンに身体を寄せた。


「じゃあね、デジレ、マリー。またいつでもうちに来てね」


「邪魔をした。こちらはいつでも歓迎する」


 そう言えば、カロリナはフェルナンを引っ張るようにして外に出る。させるがままに従うフェルナンは、最後にデジレたちの方へ顔を向け、頭だけで軽く礼をした。

 ぱたんと扉が閉まる。カロリナの笑い声が、デジレには聞こえた気がした。


「相変わらず台風のようなひとだ……」


 毎度いつもの展開だが、デジレは巻き込まれると一気に疲れが身体を襲う。ただ後味は、全く悪くない。


「義兄上は、年々姉上の扱いが上手くなっているなあ」


 なんだかんだで結局は、フェルナンがカロリナを納得するかたちで連れ帰っている。どんどんフェルナンが恥ずかしい言葉を平然と言うようになっている気がするが、気にならないのは聞いているデジレも慣れてきたのかもしれない。


「ずっと、お互い大好きなご夫婦ですよね」


 マリーが扉を見ながら、デジレの傍へ歩いてくる。興奮しているのか、頰がほんのり赤い。


「いつも会う度に、お好きなんだなあって思うんです。ほら、今日だってお義兄(にい)様、お義姉(ねえ)様が自分の方に来た時、とても嬉しそうに微笑んでいましたよね」


 気付かなかった。

 早口気味に話すマリーは、夢見るようにどこか浮かれている。


「素敵で、幸せなご夫婦ですよね……。いいなあ」


「あんな夫婦が理想?」


「そうですね……。ほら、物語の最後のずっと幸せに暮らしましたって、ちょっとけんかしながらもまた幸せそうに戻る、ああいうのかなあってずっと思って……」


 ふと青い目をデジレに向けたマリーは、瞬間ぽっと赤くなって顔を下げた。目の前に婚約者がいると思い出したのか、その可愛らしい姿に、デジレの口元がほころぶ。


「姉上たちと同じようにはならないよ。私たちは彼女たちとは違う」


「そ、そうですよね」


「姉上たちより、素敵で幸せな夫婦をふたりで目指そう」


 えっ、と目を丸くして、しかし嬉しそうに瞳を揺らすマリーに、デジレは湧き上がる感情が堪らなくなる。


 別に格好つけたつもりはない。

 カロリナには、惚気に痴話喧嘩と散々一方的に見せつけられている。ついこの間までは姉が幸せで良いことだと思っていたが、マリーという婚約者ができてからは違う。

 彼らに負けられないと思う。マリーがカロリナのように奔放になってほしいわけではないが、幸せそうにしていると、惚気ていたと、デジレが人伝で聞けるほどになってほしい。他の夫婦が良いなんてマリーに思わせないほど、満足のいく幸せで包みこみたい。

 そうなれば、デジレだってもれなく幸せだ。今でさえも、いくらでも惚気られるくらいなのだから。


「じゃあ、少し時間が押したけれど、部屋に行こうか」


「はい」


 よし、と心の中で気合を入れて、デジレはマリーの手を取った。



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