マリーとカロリナ①
デジレとマリー婚約後
扉を後ろ手で閉めて、カロリナがにっこり笑った。部屋に押し込まれたマリーも、なんとか笑顔を返した。
ノワゼット侯爵家のとある一室。ここには今、マリーとカロリナだけだった。
マリーがデジレに連れられ、シトロニエ邸に婚約の挨拶に行った時、カロリナはいなかった。当時、もう子どもが産まれそうだからという理由だった。それは仕方ないとマリーは納得していたのだが、代わりに、産まれたらすぐに会いに来てと端的に書いてある手紙が送られてきていた。
その後、デジレ伝いにカロリナが無事に男児を出産したと聞き、マリーは祝いの言葉を彼に預けたが、さすがに出産後の彼女をすぐに訪ねることはよくないだろうと考えた。しばらく時間を置いて、祝いの品を携え、デジレとともにノワゼット侯爵家を訪ねたのは、今日のこと。
遅い、と柳眉を逆立て、大声で叫んで迎えてくれたのはカロリナだった。
誰の目から見てもとても憤慨している彼女は、早速デジレに目を付けると彼を怒りはじめた。早く来いと言ったのに、マリーを独り占めするのか、姉をないがしろにするとはと、どんどん内容はエスカレートしていき、マリーと侯爵が二人掛かりでなだめることになった。
結局なんとかデジレとカロリナを引き剥がし、距離を置くためマリーがカロリナと別室に移動することになった。侯爵が、心から申し訳ないという顔を見せ、マリーは曖昧に笑いながら頷きをひとつ彼に返した。
そして、今に至る。
「やっと会えたわね、マリー!」
いつかと同じく、カロリナがマリーに抱きついた。マリーは慌てて、足に力を入れて倒れないよう耐える。
デジレに怒っていた時とはうってかわって、カロリナは大変機嫌が良い。怒りの内容を聞いていたところ、子供を見せたいというよりもすぐにマリーに会って話をしたかったらしく、思い通りになって嬉しいのだろう。
カロリナが、頬ずりしてくる。ふわふわする感触に、マリーは戸惑った。
「あ、あの、カロリナ様」
「違うでしょう、マリー。お義姉様!」
「えっ、はい。お、お義姉様……」
まだ婚約段階なのに、と思っても、カロリナをまた不機嫌にさせるわけにはいかない。少し前の怒られているデジレを思い出しながら、マリーは必死だった。
カロリナはさらに嬉しそうに笑って、ようやくマリーを解放した。近い距離で見るデジレと同じ優れた容姿は、気を抜くと見惚れてしまいそうだ。
「私、妹がほしかったの」
うっとりと話すこの綺麗な人が、義姉。
マリーも姉がいたらと思っていたが、実際カロリナを目の前にすると思っていたイメージと何かが違って、なかなか現実として受け入れがたい。
そもそも義姉ができるとしたらジョゼフが結婚する相手だと思っていた。こんな世界の違いそうな美女が姉など、考えたことがなかった。
それにしても、とマリーはじっとカロリナを窺う。
シトロニエ家の人々は、マリーを諸手を挙げて大歓迎してくれる。こんなに、特徴もない平凡な小娘なのに、文句ひとつも言わない。むしろ感謝されるし、気のせいでなければ気に入られている。
デジレが女性と関わらなかったことが原因としてあるかもしれないが、カロリナもはじめて会ったときから、なぜかマリーを気に入ってくれた。歓迎されるのは嬉しいことだが、理由がよくわからず、マリーは未だ不安だ。
「あの……お義姉様、お聞きしたいことがあるのですが」
「ええ、なに? 私の義妹!」
お義姉様呼びの効果は絶大で、カロリナがエメラルドの瞳を輝かせてマリーにぐっと近付く。反射的に逃げそうになる身体を、マリーはなんとか抑えた。
「え、ええと……どうして、はじめてお会いしたときから、気に入ってもらえたのか知りたいんです」
「あら、そんなの。だって、どうみたって、デジレをたぶらかすような子にみえなかったもの」
たぶらかす?
急に聞き馴染みのない言葉が出てきて、マリーは思わず首を傾げた。そんな彼女を見て、カロリナが声を立てて笑う。
「ほら、そんな子じゃないでしょう? デジレはあんなのだから、意地の悪い女性に捕まったらどうしようと心配していたの。それが全く違ったのだから、もう一目惚れね」
「えっ、でも。あのときのわたしは、たしかにデジレ様を陥れようという気持ちはありませんでしたが……その、嫌っていましたよ」
言いづらくて、視線が落ち、語尾が小声になる。
カロリナにはじめて会った時、マリーはデジレを不審に思っていた。キスされたことからはじまり、散々勝手に話を進められて、怒っていた。ただ、周りの彼の評価を聞くにつれ、自分はおかしいのかと少し思ってきていた時期だった。
それでも、デジレを嫌っていたのは確かだ。
急に申し訳なくなって、マリーは胸が苦しくなる。あれほどデジレは良い子だからと言ってくれ、気に入ってくれたカロリナに、あなたの弟を嫌いでしたというのは辛い。
「ああ、たしかに嫌いって感じだったわね。それがどうかしたの?」
カロリナがさらりと言う。
「だって……弟を嫌っている相手を気に入るって、おかしくありませんか?」
「そう? 別に私が嫌われているわけじゃないもの。それに、マリーはデジレを嫌いだったけど、好きになったのでしょう? 私も旦那様が嫌いだったし、嫌いだったからってなにも問題ないわ!」
「侯爵様が嫌いだったんですか!」
「ええ! 嫌いだった!」
満面の笑みに、元気な声でカロリナが答えた。マリーは驚いて目を見開く。
マリーから見た侯爵は、初対面から助けてくれるほど優しく、格好良く、しっかりしていた。会うたびにカロリナを心から大切にしているのをひしひしと感じるが、落ち着きがあって紳士的だ。デジレに見習ってほしいところがあるほど、素敵な男性である。
「そんな……あんなに良い方なのに、いったいどこを嫌いになったんですか?」
「噂に惑わされて、ちゃんと見ていなかったのよ」
ふっとカロリナが目を伏せる。白金に輝く長い睫毛が、マリーの目にはっきりと映る。
あ、とマリーは小さく呟く。良い人だと言われたのに、ちゃんとデジレを見ずに嫌っていたのは、マリーも同じだった。
「女性を弄んでいるひとだって思い込んで、いざ会ってみたらそんなところ全くない誠実なひとだったの。女性と縁がないほどのひとだったのに、もう、とにかく私に優しくて……」
「わかります! わたしも、いきなりキスしてきて同盟とか言い出すようなわけのわからないひとだって思ってたんですけど、付き合っていくにつれ、ひたすらまっすぐで真面目で、自分よりもわたしのことを大切にしてくれる、優しいひとだなって思いました」
「あら、姉を前によく惚気るわね」
「……お、お義姉様から惚気てきたんですよ!」
にやにやされて、マリーは恥ずかしくなる。しかし同時に、嬉しさも覚える。
思えば、恋について一緒に話すような人が周りにいなかった。ルージュは大抵恋愛小説の話になり、マリーローズは婚約してもまだ恋ではなさそうだ。
こうやって目の前に、同じ嫌いから好きになって結婚した例があり、その経緯の話に同意できるというのは、とても楽しい。