裂ける鉄蛇と立ち入りすぎた領域
一年半以上経っての更新です。
現在いまだPCを直せていないので、一話の文章を再び減らして投稿予定です。
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「あああ…頭いてぇぇぇ…」
「うっさい! こっちの頭にも響く! しゃべんなバカ!」
「お前の声だって響いてんだよ! そっちこそ大きな声でイタタタタ…」
「……二人とも……呑み過ぎ……」
酒場での合流から二日後の日がまだ東から真上に登り切っていない頃、アンドレイ達は次の目的地でもあり、今いるエネル領を治めている領主、レブスト・エネルが居を構えている町、エネルを目指していた。
王女クラリスから伝えられたファルテノン商業国への出入国禁止の期限までに書簡を届けるべく、一刻も早く国を出る必要があった。
期限に少しでも間に合わせる為に翌日には出た方が良かったが、二つの問題が発生していた。
一つ目はアンドレイの服の修復である。
クルトナに向かう道中でのグレイハウンドの襲撃により、アンドレイの服は穴が開き、血が染みついてしまった状態のままだった。流石にこのままではと翌日の朝一に冒険者ギルドに向かい、元々会う予定であったジーンに呉服店の場所を訪ねた。
冒険者ギルドに着いて早々、葉巻が気になって仕方ないと言わんばかりに弾んだ声で出迎えたジーンにトーマスを紹介し、試しに一本吸わせて即決で購入していた。トーマスも予想外の収入に喜びを隠すことも無く笑顔を見せ、更にジーンもそれとなく評判を広めてくれるとのことだった。
目下の悩みの種だった金銭的な問題が無くなり、トーマスも「村が忙しくなるかもしれませんね」と喜びの涙を浮かべながら期待の声を上げていた。
早速一本吸い出したジーンに呉服店の場所を聞いてから店主に修復を依頼したものの、流石に王都よりもアビリティの優れた者はいないようで、どうしても夜までかかってしまうとのことだった。
やむを得ず夜を待ち、服を着替えて翌日、二つ目の問題で足止めを食う事になった。その原因が、道中ずっと頭を押さえながら怒鳴り合っているケリーとアレックスである。
酒場でパーティ全員が合流した際、ものの見事に酒に呑まれた二人は、翌日ベッドから出ることも出来ない状態で終始痛みから唸り声を上げていたという。「保護者という役目ながら、誠に申し訳ない」と、サムが二人に辟易しつつ溜息まじりに謝罪していた。
二人を快復させるのも兼ね、一泊休息を取ってからの出立となり今に至る。
それでもまだ頭が痛いと言いながら怒鳴り合う二人は二日酔いを越えて三日酔いになっていた。サム曰く、これでも昨日よりは良くなったと、また大きくため息をついた。
期限まで急ぐ必要のあるアンドレイ達と、時間も余計な宿代も取られてしまう為これ以上はいられないというサム達の意見から、サムが二人に気休めの回復魔法をかけてどうにか宿を出た。サムもアミルダもベッドで寝ている状態の時に回復魔法をかけなかったのは「身を持って反省させる為」だという。
因みに酒場で絡んできた男達を「楽しく呑めない」理由で石に変えていたアミルダは翌日もいつも通りだった。どうやら酒は翌日には残らないらしい。
急ぐ必要もあったがただ向かうだけではと、自分達の進行に支障を来さない程度に別の依頼を受ける為、ジーンに会った時ついでに「エネルまでの物資輸送」という目ぼしいクエストを受注した。
ケリー達も引き続きトーマスの護衛を行う為、結果彼女達と一緒に同じエネルまで向かうことになった。先述の理由もあるが、アンドレイ達といる方が危険も少ないというのが大きい。
ジーンに見送られクルトナの町を出てからは、幸いにも魔物に遭うことも無く順調に歩みを進めている。クルトナから定期的に冒険者に巡回と魔物の討伐を依頼していると耳にしていた為、その結果魔物との遭遇率が減っているのだろう。
魔物に遭遇すればその分足止めを喰らう。当然遭遇しなければ順調に町へと行ける。アンドレイ達はこれ幸いと歩みを進めていた。
クルトナを出る前から頭を痛めているケリーとアレックスのやり取りは中々途切れず、互いにボヤき怒鳴っては頭を押さえるという流れを繰り返している。
その様子にサムはやれやれと首を振り、トーマスは苦笑いをしつつ二人を見ていた。バッデム、ドールゲンに至っては「あれくらいで頭痛めるなんざ大したこたァねぇなあ」と二人をなじり、それを聞いたケリーが怒ってはまた頭を抱える。
「ほらみんな、いつ敵が来るかも分からないのだから少し静かにね」
ルイーナが優しくたしなめてその場は収まるが、気付いたらまた騒がしさが戻ってくる。何度か繰り返している内に、ルイーナもいつしか諦めの気持ちを持ちながら緩やかに漂い流れる雲に目をやっていた。
一行の賑やかさに反し、周りはとても静かでのどかな物だった。時折吹き抜ける風が草を鳴らし、自らの位置でもうじき昼だと知らせてくる日は暑くもなく肌寒さを感じることも無い。
道から少し離れた所に小川が流れ、そこに兎に似た獣が数匹水を飲んでいる。一匹がアンドレイ達を見たものの、魔物では無かったらしく再び顔を小川につけ喉を潤していた。
「今の所はスムーズに進めてるわね」
「これなら予定より少し早く着くかもしれませんな」
順調に行けば二日後の昼にはエネルに着くことになる。合間となる長閑な時間を味わいながら会話するルイーナとサムに、アミルダはぼそりと呟くように言う。
「……そういうこと……言うと……大体……魔物が来る……のよね……」
小さな声だが聞こえる程度に言っていたのもあり、反応したルイーナが
「やめてよ、そんなこ……」
そんなこと言うの、と返し切る前に、まばらに木々が成っている場所からアンドレイ達に向かってくる影が距離を置いて二つ見えた。
「オイ、何か来てるぞ」
先頭を歩いていたバッデムの言葉に全員が同じ方を向く。近づいてくるそれは次第に明確な形を皆に見せてくる。細長い物体が滑らかに移動し、地面を滑っているようにすら見える。
「……ほら……」
アミルダの眼帯が光り、それに合わせてルイーナは少しばつが悪そうに足元を見た。
細長い胴体をしたそれが物凄勢いで迫ってくるのが分かる。同時に少しずつ、鉄くずを幾重にもぶつかり合わせたような音が聞こえてくる。
「チッ、厄介なのがきた。ありゃジャンクバイパーだ」
「ジャンクバイパー…確か森にいることの多い蛇だったはずだけど…」
「あぁ、だがたまに水分をとりに水辺にくることがある。多分さっきあった小川から戻る途中だったみてぇだな」
舌打ちをしながらドールゲンがウォーハンマーを手にする。
「あいつらからガシャガシャ鉄をぶつけたみてぇな音がすんだろ? 鉄くず蛇の由来だ。それなりにデケェ上に、あんなうるせぇ音が出るくらい鱗が硬くて倒すのも一苦労だ」
フォーリナーであるアンドレイは初めて見るであろうと、確実に自分達の下へとやってきている鈍色の蛇を睨みながらその特徴を告げる。
だがそれを教えられている当人は、普段と変わらずに葉巻に火を点けていた。それを見て「余裕じゃねぇか、いいねぇ」とドールゲンが鼻で笑う。
それに続くように、おまけに毒もあるから面倒くせぇとバッデムがぼやき、背中に背負っていた縦長の盾を両腕につけた。
「二匹が少し離れてやがるから時間差で二匹引き寄せんのはめんどくせぇ。一匹はオレが止めるからもう一匹は任せる」
「……ああ」
煙を吐きながら短く返すアンドレイを横目にすると、バッデムが徐々に近づいてくるジャンクバイパーを改めて見据え、「よっしゃ!」と喝を入れる。
「オラ来やがれヘビヤロウ!」
そう吠えてから両腕にセットした盾同士を当てて音を鳴らし、先に迫っているジャンクバイパーの敵視を集めてから構えに入った。
それに応えるように、ジャンクバイパーの軌道が僅かに変わり、バッデムの方を向いて速度を上げる。どうやら【威嚇】を発動させたらしく、そのトリガーとなる台詞や行為は使用者によって異なるらしい。
両腕にセットした縦長の盾は、厚めの木の板を並べて縦方向に山なりに造られており、鋼鉄で「田」の字型の枠が加工されている。それぞれの盾の両腕の外側に位置する縦長の一辺に、金具で互いの盾を引っ掛けるような加工がされている。
バッデムが両腕を顔の前で揃え、ボクシングの「ピーカブー(いないいないばぁ)スタイル」に近い体勢を取ると、両盾の引っ掛ける加工がされた部分が隣り合わせになり、そこに互いの金具をかみ合わせ、一つの大きな盾となった。
山なりの形をしていた盾がかみ合い、真上から見ると線で半円を描いたような形となっている。
盾には最低限敵が視認できるように小さなガラス板をはめた覗き窓を付けていた為、迫ってくるジャンクバイパーの姿を確実に捉えていた。
加えて腰を落とし膝を曲げ重心を下にすることで、盾が地面に着く。これによりバッデムの姿が完全に盾に隠れる。身長の低いドワーフならではの防御体勢だった。
「さて、盾はいいとして……」
サムはそう言いながら横目にケリーとアレックスを見るが、思った通りいまだに小さく唸っていてまともに動くことも期待できない。サムの口から今日何度目かという溜息が出る。
しょうがねぇとドールゲンがハンマーを鳴らした時、台車の後ろから声がした。
「バッデムさん、そのまま敵視をお願い」
赤い髪を揺らし、ゆっくりとルイーナが右手を突き出す。離れていても攻撃が可能な魔法を使えるのは、この場ではルイーナとアミルダだけだった。
「ジャンクバイパーがぶつかって動きが止まった時に狙うから、最初だけ耐えて」
「宮廷魔導士サマの援護か、こりゃ心強いわなぁ!」
宮廷魔導士でもあり黄金級の冒険者でもあるルイーナの援護など、普通に生きていればまず体験することは無い。バッデムの腕にも力が入る。
それからすぐにジャンクバイパーがバッデムを自らの射程内に入れたらしく、一瞬身構えてから一気に飛び掛った。
「シャァアアアアッ!」
鉄くずを同じ場所にいくつも落とした時のような姦しい音を鳴らしながら、ジャンクバイパーがバッデムの盾に激突する。
「ぐっ!」
3メートル程の長さの蛇がぶつかる衝撃は大きく、バッデムから鈍い声が出る。だが衝撃はあれど、重厚な盾はダメージを通すことも無く、小柄ながら筋肉の発達したドワーフの肉体が後ずさることも無かった。
「よっしゃ! 今だ!」
バッデムの言葉を合図に、ジャンクバイパーに向けていたルイーナの右手の先に炎の球体が出来たと思うと、瞬く間に形を変え、槍の穂先のように先端を尖らせた筒の形に変化した。
「【炎槍】」
ルイーナの台詞と共に勢い良く射出された炎の槍は、そのままバッデムの盾に体当たりをして勢いが止まっているジャンクバイパーに向かっていく。回転も加えられているらしく、周囲の空気を巻き込むように、炎の尾羽が螺旋を描いていた。
「! ブジュアァアァアァア!!」
炎の槍はジャンクバイパーの鉄のような鱗を難なく溶かし、その身を貫いた。正面から少し斜めの位置から撃ち込まれたことで、ジャンクバイパーの長い体の中を通り抜け、尾に近い部分をぶち破り、すぐに消えた。
体内の大半を妬かれたジャンクバイパーが断末魔をあげると、力なく倒れ込む。口と炎の槍が出入りした穴からは煙が出ており、肉の焼ける匂いと鉄の溶けた匂いが入り混じり、近くにいたバッデムがしかめ面をした。
「……酷いわぁ……」
より炎に焼かれる苦しみが長くなる形で最期を遂げたジャンクバイパーの亡骸を見ながら、眠たげに微笑を浮かべているアミルダがぼそりと呟く。眉を八の字にしたルイーナが「あなたには一番言われたくないわ…」と、またぼそりと返す。
「シャァアアアアッッ!」
二人のやり取りが行われている間に、二匹目のジャンクバイパーが勢いを上げ這い迫ってきていた。
「オレぁまだアンタが戦ってるのを見てねぇんだ。見せてくれや」
盾を解除し背中に背負ったバッデムが、シガーケースに葉巻をしまっていたアンドレイを見上げる。
「アイツの毒は全身には回らねぇが、咬まれてある程度の毒を流されるとそっから肉が溶けて崩れ落ちてくんだ。それだけの毒を流し込むのに時間はかかるが、咬む力も強ぇから一回咬まれたらそれで終わりだと思えよ」
ハンマーを握り直すドールゲンからジャンクバイパーの毒の特性を背中で聞くと、アンドレイは一歩前に出てからその蛇を一睨みした。それに応えるように、鉄くずの音はアンドレイに一直線に向かってくる。
「ほぉ、睨むだけで【威嚇】になんのか、珍しいな」
顎髭をいじりながら声を上げるバッデムだったが、すぐにその声に焦りが出る。
「お、オイ。 さっき聞いたろうが、毒持ってんだぞ。なに手ぶらで向かってんだ」
「…………」
バッデムの声に反応もせず、アンドレイは喉を鳴らして向かってくるジャンクバイパーをただ見つめる。他の数人も声には出さずとも焦りを顔に浮かべている。
毒は持っている。だがそれには対処ができる。【ペインバック】のアビリティが使えたのであれば、他のアビリティも使えるのが道理。アンドレイは、ジャンクバイパーの毒に対応できる確信があった。
口の中に僅かにあった葉巻の名残をフッと小さく吐き出して一歩進むのを合図に、ジャンクバイパーがその口を大きく開きながら跳躍する。自らの体から作られる毒液を口から覗く四本の長い牙に滴らせながら、アンドレイの左肩にその牙を根元まで深々と食い込ませる。
左肩に中々の衝撃を受けながらも、アンドレイの足はその時地に付けていた場所から後ろに下がることは無かった。
「おまっ…! 何自分から咬まれに行ってんだ!!」
手ぶらで向かっていくアンドレイに、ドールゲンが白髭を揺らす。「ちょっと待ってな!」と近寄ろうとしているバッデムを、アンドレイは右手で制止した。
ジャンクバイパーは咬みついた獲物を仕留めようと、己が顎に力を入れ、毒を少しずつ確実に流し込む。
左肩に牙が喰い込む痛みと同時に、中から何かがにじみ出るような感覚がする。
グレイハウンドといい、この世界の動物…魔物の牙は元の世界の防刃加工など容易く貫いてしまうことに、アンドレイは内心僅かな驚きを感じた。城で兵士達の槍をその身に受けはしたが、今受けている痛みはその比ではない。
だが痛みを受けることに慣れている護り屋は、その牙や毒に顔を歪ませることも無ければ顔色を変えることも無く、また服の修復によって時間が取られることへの諦観と、今後の対策をどうするかだった。
「……大丈夫なの?」
「ああ」
「……そう」
今までよりも驚きが小さいものの不安を混ぜたような声でルイーナが聞き、アンドレイもそれにいつも通り端的に返す。その一言で理解したと、ルイーナも短く返した。
二人のやり取りに反して、サムやドールゲンは穏やかでない心境を言葉に表している。
「「そう」ですと!? ルイーナ様、このままではアンドレイ殿の体が…!」
「おいおい……早く外さねぇと毒が回って左腕がなくなっちまうぞ……」
毒が回る。アンドレイの狙いはそこにあった。
服の修復と同じ割合で頭の中にあった考え。それはジャンクバイパーの毒と自らのアビリティの相性だった。
ジャンクバイパーの毒は神経毒でも無く、血液の凝固や凝固障害でも無い。一定量の毒でその場所の肉が溶け、崩れ落ちていく。
つまり肉体の欠損へと至る。
そして彼は、本来であれば悲惨な結果に成りえるようなこの状況を打破できるアビリティを持っていた。
肉体が欠損するような重症を全て痛みへと変換する、不利益から不利益への等価交換。
それを再認識したのと同じ位に、アンドレイの中にあった何かがにじみ出るような感覚が消え、引き換えに鋭利的な痛みが左肩に刺さる。唐突な痛みに一瞬だけ眉を顰めるが、同時に自分の確信が証明されたことを意味していた。
【同等不利益交換】か、成程……。
左腕が無くなることを防いだアビリティの名に頭の中で納得すると、右手をゆっくりと、左肩へともっていく。
「? 何だアリャ、咬まれてもビクともしねぇと思ったら光り出しやがった」
「アビリティ……か?」
いつでも戦えるようハンマーを握っているドールゲンの呟きに、「詳しくは言えないけどね」とルイーナが補足する。こうなったらもう手助けは不要と分かっているからか、炎の槍を出した右手を引き腕を組んでいる。
「となると……この前グレイハウンドを吹き飛ばしたあの…?」
「………ハハッ…! イタタタタ……」
「……アンタ何やってんの…イッッツ……」
「ああ、二人共安静にしてください……」
サムの言葉に反応し小さく悶えているの三日酔い組をトーマスが落ち着かせる。クスクスと小さく笑うアミルダが右目の端でアンドレイを捉える頃、彼の左肩に咬みついていたジャンクバイパーのから激しい鉄の音が聞こえた。
「ジャッ! ジシャァァアアアア!! シャアアガァアアアッッ!!」
左肩から上顎だけ外されたジャンクバイパーが、全身を激しく揺さぶりながら大きく鳴く。ただそれは「鳴く」と言うにはあまりにも荒々しく、異なる獣の叫び声にも聞こえる。
赤い光を帯びたアンドレイの右手はジャンクバイパーの頭を掴み、力もそこそこに牙を食い込ませていた頭を強引に引き上げていた。薬指が右目に深く入り込み、咬みついている鉄の蛇が血涙を流す。
頭の部分も当然ながら鉄の鱗に覆われていたが、その中で右手の指一本一本の当たっている部分があっけなく曲がり、ひしゃげ折れている。並の兵士が扱う剣や槍を通すことの無い鱗の硬さを疑うような光景だった。
「オイオイオイ、何度驚かせんだコイツは? ジャンクバイパーの鱗が指の形に沿って曲がってやがる……」
「見てみろ、掴んだ頭が上がってんじゃねぇか。一度咬みついたら離れねぇってのになんて力だよ…」
上顎が引かれることで下顎の牙が更に体に深く刺さり、毒が流し込まれる。絶えず続く痛みが更にアンドレイの力を上げていく。
フゥと小さく、静かに一息吐くと、ジャンクバイパーを掴む右手にもう少しだけ力を入れてゆっくりと下ろしていく。
すると元々そういう仕組みでもあったかのように、ジャンクバイパーが自身の口角を始まりとして、相変わらず騒々しい鱗を鳴らしながら横に二つに裂け始めた。
「ガガガガガガッガアァァ!」
「……嘘だろ?」
「なんと……あの胴体を裂くとは……」
自分に咬みついていた蛇の鳴き声が段々と単純に喉から音を発しているだけのような物へと変わっていく。その耳障りな音に顔を顰める者もいる中、鷲掴みにしている右手は確実にジャンクバイパーの胴体をゆっくりと確実に裂いていく。
体が裂けていくにつれて強まる血の臭いが、鉄のような鱗を纏ったジャンクバイパー本来の体臭であるようにすら感じる。
ある程度まで裂いてから右手を真横に振り抜くと、それに釣られてジャンクバイパーの体が乱暴に横向きになり、己が体の大半を一気に引き裂かれた。その拍子に内蔵が乱暴に外に出され、裂けた身体にぶら下がる。
勢いよく裂いた途中で息絶えたのか、鳴き声だった音はもう聞こえず、僅かに繋がっていた尾の部分が痙攣を起こし、先程まで仰々しかった鉄の音が随分と大人しい物になっていた。
ジャンクバイパーの頭を掴んだまま右手を下ろし、アンドレイがゆっくりと息を一つ吐き出す。体にまとっていた光は気づいた時には自然と消えていた。
顔の上半分と下顎、そして胴体の大半を二つに裂かれたジャンクバイパーの未だかつて無い絶命の仕方に、他の面々はその光景を目にしつつも理解が追い付かずにいた。
その様子に、頭を押さえていた二人ですら言葉を発してしまう。
「……ジャンクバイパーって……裂けるモンなの? 体…」
「……少なくともそんな作りにゃなってねぇハズだぞ、あんな硬ぇ鱗を裂くなんざできる訳ねぇ」
「それに間違いなく毒受けてるよな……何ともないのかよアレ……」
「……ともかく……牙を抜いて……治療……」
「……いらん」
近づいたアミルダを御してから、乱暴に左肩に残っていたジャンクバイパーの下顎を引き剥がす。一つに戻ろうとするかのように、既に地面に放っていた顔の上半分の近くに落ちる。
鱗同士がぶつかる鉄の音の中に、裂けて露になった生物本来の肉が地面に落ちる水音が混じる。
自分は無機物では無く生き物だった。死んでからある意味分かりきったことをその身で伝えたジャンクバイパーを視界から外したサムが、アンドレイに近づく。
「ふがいない二人を見せてしまったお詫びという事で、治療だけでもさせて頂けませんかな」
再び断ろうとしていたアンドレイに「お話ししたいこともありますので」と少し重い声で遮った。
他のメンバーにジャンクバイパーの解体を任せている間、サムはアンドレイの傷に回復魔法をかけていた。
「アンドレイ殿」
回復魔法の淡い緑色の光のように、小さな声でサムがアンドレイを呼ぶ。
アンドレイはその言葉でサムを見るが、他のメンバーはジャンクバイパーの鱗を懸命に剥いでいる。ただでさえ静かとは縁遠いメンバーが、死んでも未だに鉄の重なる音を出し続ける蛇の解体作業をしている。サムの声が聞こえることはほぼ無いと言って良い。
聞かれていないであろう事が背中で分かると、魔法をかけている光に目をやったままサムが話を続ける。
「貴方のアビリティは……敵から攻撃を受けないと発動しない物になりますな?」
「…………」
「それにおそらくですが……貴方は敵の攻撃を受けないと攻撃できない、そうした「呪い」が……」
かかっているのではないですか? と言い切る前に、サムは言葉を止めた。
何故かと言われると言葉につまるが、何となく、ただ何となくだが、「空気が重くなった」。
時間としてはほんの二、三秒してから、目線を回復魔法の光からアンドレイの顔に向けることで、その「何となく」で自分の口を抑止したことが正しかったのだと、見開かれた己の眼と総毛立つ体で理解した。
アンドレイからの返答はなく、口を開けてすらいなかった。サムに向けている目も、いつもしている目と変わらない。
だが歳をとり老い始めた体と心でありながらも、彼はそれを本能で察した。或いは人として生きてきた星霜が長い故に得た、一種の悟りに似たものかもしれない。
これ以上話してはいけない、と。
そして、その紫髪の壮年が覚えた感覚は奇しくも的を得ていた。
アンドレイが生きてきた裏の世界では、自分の情報が漏れるというのは命取りになる。そしてこの世界においてはアビリティが、そのものの「価値」と知られる事の「リスク」を備えていると理解していた。
それを意味するかのように、この世界アビリティは例外を除き、極力他者へ伝える事は良しとしないという暗黙の了解がある。
長い時間を共にする必要のあるルイーナらは別として、一時の旅路で横に並び歩く関係に過ぎない人間に知られるのは良しとしない。
それ故に警戒心を持ち、感情を顔に乗せる事なく話を聞いていたし、実際端から見ればアンドレイの様子に変化は感じられず、反応を隠すのは完璧といえた。
皮肉にも上手く隠し過ぎていたが為に、かえってサムに危機感を覚えさせる原因となってしまった。
「……申し訳ない。私の勘違いのようですな」
顔を再び傷口に向けながら、サムは自らの意見を否定した。危険を察知した以上、それ以外の言葉は悪手であると判断した結果だった。
「……構わん」
これ以上は踏み込まない、遠回しにそれを伝えてきたサムに対して漸くアンドレイが口を開く。サム自身、静かに発せられた声にこれ程安堵するとは思ってもいなかった。
「勘違いしてしまったお詫びに、私のアビリティも一つ、お伝えしましょう」
唐突な言葉に、目の前にいる壮年を見る目に少し変化が出た。
サムとしては踏み込んではいけない領域に踏み入った事による詫びと、自分の中にある罪悪感を少しでも和らげる為のものであったが、まさかアビリティを自ら伝えるとは思いもしなかった。
その自らの非を受け入れたからか、アンドレイの変化にサムは気付かなかった。
「私のアビリティは【妄者を照らす灯】といい、偽りを述べる者を「黒く」照らす事ができます。その黒い灯は私にしか見えません。そして……」
回復魔法の緑の光が消え、入れ替わりに黒い膜を持った球体のようなものが現れる。
「【妄者を照らす分火】。私の意思で、他者に数回だけ同じ能力を使わせる事ができます。この球体を貴方の中に入れれば、貴方は2回、他者の嘘に対して黒い灯が見えるようになります。そして貴方が見た灯は、貴方にしか見えないようになっています」
黒い膜の球体はまだアンドレイの体には触れていない。
「もし攻撃されたと判断したなら、私を攻撃して頂いて構いませぬ。不用意に相手の領域に立ち入ってしまった、年寄りの償いと思って頂ければよろしい」
アンドレイの目には、目の前の壮年の目には悲観の念が感じられた。それだけ見ると言っている事に偽りはないように見える。だがそれだけでは判断材料には至らない。
数瞬の後、アンドレイの左手がサムの右肩をゆっくりと掴んだ。攻撃の意思も痛みもなかったが、筋力の衰えるを感じる壮年を押さえるには十分すぎる力だった。
サムの目が掴まれて皺のよった服を映したが、直ぐに球体に戻す。もしこれがアンドレイへの攻撃だった場合、逆にアンドレイが攻撃をする時に自分が逃げられないようにする物だとすぐに分かった。
同時に自分の右肩にかかった力が肯定の意と判断し、その力を加えてくる目の前の男の顔を見てから、再び球体を見て、それをアンドレイの中に入れていく。
特に抵抗もなく、すんなりと球体が入る。アンドレイには何かが入ってくるような感覚はあるが、攻撃性のある物ではなく、赤い光も体から発しない。
球体が全て入り切った後に、サムが大きく息を吐く。
「このアビリティを使う事を意識しつつ相手に質問をすると、その答えが偽りの場合に相手の周りに黒い灯が現れます。また、あまりにも相手の意思が強い場合、こちらが問うたか否か関わらず同じ事が起きます」
相手が使える回数も設定でき、敢えて試しの1回分多く渡したとサム
は言う。
「今から私が嘘をつくので、どうなったかを見て頂きたい。…………「私は女である」」
あからさまな嘘を述べてから少ししてから、アンドレイの眉がピクリと動く。
「……何だ、これは」
表情とその言葉に、サムもアンドレイが黒い灯を見たと認識した。
「それが、私のアビリティです。あと1回分、ここぞという時にお使い下さい」
使用期限はない為、いつ使っても問題ないと次いで話す。
「悪いな」
サムの肩を掴んでいた左手を話しながら礼と謝罪の意味を込めて短く伝える。サムもいえいえと返した頃に、離れていた他のメンバーから解体が終わったと声がかかった。
「では、そろそろ行きますかな」
回復魔法をかけ直す必要もないと判断し、サムはアンドレイに頭を下げる。
「……ああ」
予定外な事は起きつつも、一同は次の町、エネルへと再び歩みを進めた。