喰えない男と飲み過ぎた女
明けましておめでとうございます。
ダッシュが長い一本の線で書きたいですが出来ないのでもどかしいです。
あと今回から「城下町」を「王都」に変更します。同時に過去の話に出ていた「城下町」も「王都」に変えていきます。ご了承下さい。
俺達と入れ違いで届いた書簡の存在に、宮廷魔導士二人の体がまたピクリと動く。二人の後ろにいる為顔はどうなっているか分からないが、おそらくあまり良い表情をしていないと予想出来るのは、今ディスプレイの向こうで少し憂いた顔をしている王女を見れば明らかだった。
そんな表情をしながら動けば、また青みがかった銀色の髪が緩やかに後を追い、皮肉なことに彼女の女性らしさを助長させていた。
手紙の内容は、書簡が到着してから一ヶ月以内にファルテノン商業国への侵攻を止めない場合、即座に全ての輸入出の停止及びクライムハイン王国との入出国禁止の措置を行う。要は流通の最たる国でもあるファルテノン商業国との交流を一切断たれるというものだった。
愚王アドルフによって関係を悪化させてしまったファルテノン商業国だが、一部の商人は長い時間をかけて積み上げてきた信用や繋がりというものがあったことで、かろうじて品物の輸入出は行えていた。
だが今回に於いては、強制的に品物と人の出入りを一切禁止される。この国で品を輸入出していた商人にとっては痛いかもしれないが、国同士の問題である以上やむを得ないことだろう。
「一ヶ月か…スムーズに行けば良いけど…少し足止めされたら微妙かもね」
「どれ位かかる」
「王都…商業国の場合は首都と呼んでいるけど、そこへは北端のチェルノから徒歩で五日位ね。それぞれの町で少し休憩を取りつつ進めば何とかなると思うけど、何が起きるか分からないし…」
旅が長引けば疲労は確実に積み重なっていく。そこに一ヶ月という期限で書簡を届けなければならないというプレッシャー。何かしらのトラブルや怪我、病気等にかかってしまうと当然足止めされてしまう。俺と違い、決して能動的に動くタイプでも無いルイーナとアミルダにとっては、体力的には厳しくなるかもしれない。
「書簡を届けて下さいました使いの方にも一応話を通そうと思ったのですが、父が書簡を見るなり怒って追い出してしまって…。こちらでお伝えする前に出て行かれてしまいました」
あの愚王が…。おそらく自分のことを棚に上げて流通が止まることだけを責め立てたのだろう。短い時間での接触でしか無かったが、そう思えるだけの確信がある。それ程あの王は愚かだった。
「その書簡が届くのと同じ時期で俺達が商業国へ向かっているのが不幸中の幸いという訳か…」
出発するのが遅かったり他の二国へと歩みを進めていたなら、おそらく商業国への書簡を届けるのは期限となる一ヶ月に間に合わなかっただろう。加えて俺があの愚王を対立したこと、それ以前に俺がこの世界に来たことも含めて、俺としては不本意ではあったが何ともタイミングが良い。
「……それにしても、急ぎの話があるということが良く分かりましたね。これから話そうとも思っていたのですが、流石アンドレイ様です」
憂いを帯びながらも何とか笑みを作った顔がディスプレイの向こうに見える。笑えないのに無理して笑わなくても良いのだが。
「…何で…分かった…の…?」
「…まあな」
同じく疑問に思っていたであろうアミルダに答えにならない答えを返す。
魔信晶をわざわざ携帯型に加工したことと、【ディメンションボックス】に入れては連絡が来ても把握出来ないという二点が、急ぎの用がある可能性に結び付く要因だった。
単純に今回を含めて定期連絡をさせたいのであれば、ルイーナ達が【ディメンションボックス】を使える以上わざわざ携帯出来るように加工させる必要は無い。王女が直々に依頼し、また同行を許可した程だ。二人の魔法を認識していないというのは少し無理がある。
手間暇をかけて携帯型に加工したのは、「そうしなければならない理由がある」から。時間と隔絶された【ディメンションボックス】に入れると連絡が付かないということから、「【ディメンションボックス】に入れた状態にして欲しくない」、つまりは携帯してもらいたい、という意図が考えられる。
携帯してもらいたいのは、王女の側から連絡をする機会が少なからずあるということ。そしておそらくこちらが本命だろう、自分からの連絡に対して即座に反応出来るようにして欲しいということ。
決して少なくない頻度で連絡や確認をする場合、大抵はその時悩みの種になっている事象の進捗具合に敏感になっていることが多い。
目下の問題についての情報が更新され次第、即座に情報の共有を行えるように対応する。つまり、それだけ時間にシビアな問題が出た場合対応出来るように、携帯型に加工した魔信晶が必要だった。
そう考えて念のために確認してみたら予想通りだ。何とも面倒な話だが、依頼を受けた以上最後までやらなければと、また葉巻を吸う。王女も質問の内容から俺がそれを考えていたことを理解していた。
「明日にはここを出て次の町に行く。そうしないと厳しいだろう」
「ええ、そうしましょう」
「…分かったわ…」
「ありがとうございます。急なお話なので恐縮ですが、対応して頂ければ幸いです。……あと、個人的にアンドレイ様にお話がございますので、すみませんが他の方は退出して頂けますか?」
分かりましたとルイーナ達三人は部屋を出て行く。二人がいる以上、流石に今度はジーンも立ち聞きはしないだろう。
静かに閉められたドアから王女に目を移すと、それを合図に王女が口を開く。
「……この度は、父アドルフの非礼。父に代わりお詫びいたします。申し訳ございません」
先の挨拶よりも深く、頭を下げての謝罪だった。謁見の間での愚王の対応についてのものだというのはすぐに分かった。
「本来であれば最初にお伝えすべきことだったのですが、王女という立場上謝罪として頭を下げるということが難しく…個人として、娘として父の非礼を御詫びさせて頂きました」
謝るのにも立場を考えないといけないとは、国の上に立つ人間も大変だな。
俺としては謝らなくても良かったのと、謝るべきなのは王女では無いと思っていたが、おそらくそう言った所で謝罪を止めないだろう。何も言わずに素直に受け取る。
「……アンタも大変だな」
その面倒な立場も、自分が代わりに謝るような親の存在もと、心の中で続けた。
「いえ…」
「アンタはどうしたいんだ?」
「え?」
「アンタ個人としては、どうなれば良いと考えているんだ?」
今は個人的な話で二人だけになっている。だから俺も王女ではなく、年と不相応に深い考えを持つ一人の若い娘に聞いた。このままだとそう遠くない先、あの銀髪が白髪に変わりそうだ。
「…………」
王女という立場ではなく、クラリスという一人の娘として顔を伏せて考える。二十秒程だろうか、暫く俯いていた顔を上げる。
「私は――――――――」
□□□□□
王女との話も終わり、テーブルの上に置かれた魔信晶は既に光を発していない。話が終わったことを部屋の外にいる三人に告げる前に、今一度葉巻を味わう。
一人の娘として発言した王女の言葉を思い出す。鼻で呼吸をしていても、口から否応無しに外へと流れる煙は、次第に薄れ見えなくなるが、決して広いとはいえない室内に香りだけを残す。
結論としては、決して穏やかな話では無かった。話が話なだけに、部屋に聞き耳を立てられていないか、また誰か勘付いていないか確認した程だ。こちらと合流して一緒に行くのが安全とも思ったが、やはり王女という足枷がそれをさせない。どこの世界も古い時代での立場というのはこれほどまでに厄介だった。
今の内に信用が出来る者を作っておくこと、行動に移せるだけの準備は済ませるように伝えておいた。相当な外的要因でも無い限りはあの王女は問題無いだろう。一先ずは、こちらが早くファルテノン商業国に着くことが最優先事項となった。
「終わったぞ」
簡単に考えをまとめ、葉巻を消してからドアを開けて部屋を出る。使っていた魔信晶をルイーナに渡すと短い礼だけ返ってくる。やはり王女が個人的な話と言っていたからか、話していた内容を聞いては来なかった。
「それじゃあ酒場に行きましょう。みんな待たせているわ」
クエスト達成の報告をしたケリー達と酒場で報酬を分けることになっている。この町で待っているという酒好きというドワーフである仲間の二人もいるとサムが言っていたので、今頃は全員酒を飲んでいるかもしれない。
ジーンに礼を言い冒険者ギルドを出て酒場へと向かおうとした時、ジーンに呼び止められた。
「あの、アンドレイさん、ちょっと良いですかね」
俺だけに用があるようなので、二人を先に酒場に行かせてから話を聞いた。
「その…さっき執務室で咥えていたやつなんですけど…あれ、何なんです? なんだか結構上品な香りというか…クセになる匂いだったので気になって気になって」
また意外な所で葉巻に興味を持った人間が出て来た。やはり自分の身を使って体験してこそ良さが分かる物だ。
俺は葉巻を見せ、今日この町に護衛をして連れてきた商人が自分の村で作った葉巻を扱っていると話すと、目を輝かせて「買いたいんで是非取り次いで下さい!」と言ってきた。商人に取り次ぐので遅くとも明日には売るように伝えておくと言うと、待ち遠しそうな顔をしていた。
ちょうど二人きりになって都合が良かったので、確認がてら聞いてみた。
「ついでに一つ…いや、二つ良いか」
「はい、どうぞ?」
「やはり、ああしないと入れなかったか」
「……そうですねぇ、聞かれていなかったらどうしようかと思ってました。気付いてくれて助かりましたよ」
王女と話をしている途中で部屋の外で聞き耳を立てていたジーンを部屋に入れた際、この男はわざと俺達に気付かせていた。話の途中で聞こえてきた、木の板に固い何かが当たるような音がそれだった。
俺達が冒険者ギルドに来てから一度も、ジーンは義足が床に着いた時に大きな音を立てていなかった。意識しているからか、それとも自然についた足運びだからか、常に静かな物だった。先端を樹脂で覆っていた杖の方が、音が大きかった位だ。
だが部屋の外に立っていた時、こいつはわざと義足で音が出るように床を踏んだ。何となく人のいる気配はしていたが、その音で確定的になった。
では何故それをしたか、答えは簡単だ。俺達に気付かせる為、言うなれば王女と俺達との話を王女が認めた上で聞くことだった。ギルドマスターという立場もあっただろうが、クルトナに関係している以上自分にも関係してくる。心配しない訳が無かった。
しかしそれだけでは弱い。俺は考えていた可能性が実体となるか幻となるか、それを知る為にもう一歩踏み込む。
「王女が許可したから良い物の、重い罰だったらどうするつもりだったんだ?」
「それは無いと思いますよ。王女様の仰る通り、以前一度だけお会いしましたけどね。さっき見た時より幼さがありましたけど、その時から既に人を思いやる優しさと、如何に自他共に利益となる方法を見出す合理性は持ち合わせておられました」
冒険者ギルドの出入口近くのスペースで、ギルド内と出入口越しに外を見る。クエストの報告で賑わう冒険者達と、少なくない人が道を歩き、酒場に吸い込まれてく様子が見える。
「その時にも問題を起こした人がいたんですけど、王女様は一考されてからその人にも周りにも利益となるような行動をさせることで、それを罰としていました。そんな王女様が、今回単純に罰を与えられることは考えられませんでしたね。何より…」
ズレた位置を直した際に照明が反射した眼鏡の奥で、黒い目がこちらを見やる。
「貴方の思っている通り、そんな王女様の味方でいることと、王女様が味方でいて下さるのは、僕にとっても相当心強いものなので、ね」
「……そうか」
どうやら考えていた可能性は実となったようだ。
こいつの目的は、当人の許可の下で王女の味方になること、そして王女が味方になることだった。
王女と俺達の話を盗み聞きし、わざと俺達に気付かせることで王女から罰を受ける。だが優しさと頭の良さを兼ね備えていた王女は、単純な罰ではなく、ジーンにも自分にも利となる罰を考え、その結果として、最優先事項としている問題を解決する為に動いている俺達に協力することを償いとさせた。
実際に協力が必要な状況が生まれるか否かは別として、「王女自身が協力を求める」こと自体が重要となる。協力を求めている以上、王女からしてもジーンのことを蔑ろには出来ない。つまりはその時点でジーンは庇護の対象になる。
これによりジーンは俺達や王女に何かあった場合に備えての所謂「王女側」の人間として協力し、またジーンに何かあった場合でも王女に伝えれば、対応をしてもらうことが可能となる。
目の前にいる義足の男は、一見すると不利と思われるハンデとその若い年齢をしてギルドマスターという地位に就いている自分の能力を、腰の低さと力の抜けるような笑顔で見せつけてくれた。
……まあそれも分かっていたからこそ、王女はジーンに同席を許した訳だが。そうでなければ盗み聞きは許しても同席はさせなかっただろう。
俺達が隣国に進もうとしてもそう都合良くいかない場合も必ず出てくる。城から出ることすら難しい自分では協力しようにも限度がある。ならば外に味方を作れば良い。
外に味方を作るといっても、単純に数を増やせば良い訳では無い。その点では過去に面識があり、その上で味方として十分な立場と力量があり、何より信用が出来るジーンだから協力を頼んだ。ジーンが『王女』という後ろ盾を欲している部分も、それが己の私利私欲の為で無いことも見抜いていたからこそ出来たことだ。
それを示すように、二人の時にジーンに対して後日魔信晶を届ける旨の言伝を頼まれたのでそれを伝えた。相変わらずの笑顔で「分かりました」と返される。携帯型ではない物と言っていたので、お互いに何かあれば連絡をする、という意味合いのようだ。
基本中立を貫く冒険者ギルドへの転送依頼は誰であろうと行えないが、王女という立場と、霊銀符というこの世界で最も価値のある貨幣を渡し、冒険者ギルド本部に連絡をして「国に大きく関わることです」と伝えて漸く、一度だけという条件で頼めたのだという。今後は自分であっても、決して転送依頼は受け付けられないとも言っていた。
「それで、もう一つの質問は何でしょう?」
思っていた通りの答えだったことを確認すると、もう一つ、最初から気になっていたことを投げかける。
「……それは必要なのか?」
ジーンの左手に持っている杖を見ながら言ってやる。ジーンも杖を見てから、笑顔をそのままに「…バレましたか」と一言。
あれだけ静かに義足で歩ける人間に杖はいらない。それ以前に、時折体重のかかり方が不自然な時が見えた。
「やっぱりアンドレイさんは凄いですねぇ、コレに気付いた人なんて今まで殆どいませんでしたよ」
他の人間が分からないように、杖を僅かに上げる。重心が傾くことなく両足にかかっているのが分かる。
「ただですね、これは歩行を支える道具でもあり、僕の武器でもあるんで手放せないんです。クルトナに初めて来て僕を見て喧嘩をふっかけてきた冒険者をみんな返り討ちにしましたから」
人を見かけで判断する冒険者か。おそらく大成しないだろうな。それ位の強さでないとギルドマスターも務まらないのだろう。
「それじゃあ今日はありがとうございました。あ、明日その葉巻の商人さん、お願いしますね」
「ああ」
トーマスを連れてくることを念押しされ、冒険者ギルドを出てそのまま直進した。行く先はケリー達が待っている酒場だ。
大きめのウエスタンドアに対して出入口が少し小さかったので、少しだけ身を屈めて入った。酒に酔い仲間との話に花を咲かせているからか、今までよりもこちらに来る視線が少なかった。
ケリー達三人に本来の仲間二人、それとルイーナにアミルダ、トーマスを足して八人。それなりの大所帯だ。大きなテーブルやある程度スペースの設けられている場所にいるだろう。
そう考えながら酒場を見回すと、入口から右奥にある大きな楕円形のテーブルに見慣れた顔が並んでいるのが見える。
そこに向かって歩いて間もなく、顔を赤くした茶髪の優男がこちらに気付き、三叉槍の代わりにジョッキを持った手を上げて俺を呼んだ。まだ中身が入っているのに強引に手を振るものだから、中のエールが大きく波を打ち、床やテーブルにこぼれる。顔の赤さからも相当出来上がっているのが分かる。
「お疲れ様、一足先に頂いてるわ」
ジョッキではなくグラスでエールを飲んでいるルイーナがグラスを軽く上げる。横では同じくグラスでワインを飲んでいるアミルダがいた。
「ああ~アンドレイさん、お疲れー。ギルドマスターと話が終わったんだー」
レタスのような葉を刺したフォークを持ってケリーが声をかける。アレックス程では無いが出来上がってきているようだ。葉を食べてフォークからジョッキに持ち変えても、反対側の手は隣にいるトーマスの肩に回されていた。
短く返事をして、その隣にいるサムが口を開きかけた時、それを妨げるような大声が響く。
「あぁ? オメェがケリー達が言ってたフォーリナーか! いやぁホントにでっけぇ体してんだなあオイィ!」
小さめの体に顔の半分を埋めんとする白い髭を蓄えた男が俺を見て言う。隣にいた同じく小さな体をした茶色い髭にモヒカン頭の男が、また大声で続ける。
「おお、オメェか! 何でもグレイハウンドに咬まれても平然としてたヤローってのは!! おまけに思いっ切り遠くまでぶっ飛ばしたってんじゃねぇか! 見てみたかったなオイ!」
この二人がケリー達の本来のパーティメンバーでもあるドワーフの二人のようだ。小さく寸胴な体形でありながら、腕や腹の筋肉は発達しているのがよく分かる。
白い髭の方は腰に片手で持つタイプのハンマーを二つ付けていた。おそらくこっちが【槌戦士】のドールゲンらしい。ハンマーの素材が何なのか分からないが、かなり使い込まれているのが伺える。
もう一人、【盾術士】のバッデムと思われるモヒカンのドワーフは、丸みを付けた長方形の木の板を二つ背負っており、それぞれの板が「田」の字型に鋼鉄で加工がされている。
俺がグレイハンドを殴り飛ばした時の話を聞いたのか、挨拶代わりにバッデムがそれを言うと話を聞いて思い出したであろうジョッキを口に付けていたアレックスがエールを噴き出す。ケリーが「汚ネェ!」とアレックスの頭を叩いたが、本人はお構いなしに笑い出す。
「ブフゥッ! ちょ、ちょっと、バッデムさんやめてくれよ!? お、思い出すとまた笑いが…ハハ、ハハハハハ!」
「アレックス…お主は酒が入ると本当に笑い上戸になるな。いつも呑まれておるのに反省の無い奴だ…」
アレックスを呆れた目で見ているサムは自分の手前にあるジョッキを空にしており、今は紅茶のようなものをコップで飲みながら、焼いて焦げ目のついているソーセージに似た物を食べている。あまり酒は飲まないらしい。
「ん~? なんだよトーマスゥ、ぜんぜん飲んでないじゃんかぁ。ほら飲めよぉ~」
「い、いえ…僕は…その…」
肩に手を回して絡んでくるケリーから離れるでも手をどけるでもなく、顔を赤くしたトーマスが顔を俯かせて口ごもる。だがトーマスの前にあるジョッキにはまだ並々とエールが残っている。
顔が赤い原因は酒に弱いからか、それとも絡み酒をしてくるケリーか。トーマスの隣にいたサムがケリーを宥めるが、アレックス同様話を聞いている様子が見られない。
腰を落ち着けようにも普通の椅子ではおそらく壊れてしまう。どうしようかと左右を見回していると、視界の中にこちらを見る数人の男が見えた。それらを正面に見据えるのと同じタイミングで、男達が口を開く。
「オイオイ、ありゃフォーリナーじゃねぇか? でもあんなデケェ人間なんていんのかよ」
「ヘッヘッヘッヘッ…いるワケねーだろ? ありゃあれだよ、オークか服着てんだよ」
「ヒャッヒャッヒャッヒャッ! ちげぇねぇ! それかオーガかもなぁ!」
時折分からない単語を出しては下卑た笑いを響かせる。顔の赤さからしても相当酔っているのが分かる。
「おいオーク、テメェみてぇなバケモンが人間サマの憩いの場に来てんじゃねーヨ」
「あとその高く売れそうな服も置いてけよ、それは魔物が着るもんじゃねぇ!」
やはり酒は人の気持ちを大分大きくさせる。呑まれてはいけないという例えが今目の前に出て来た。話の様子から「オーク」というのはどうやら魔物らしい。
この世界に来てから初めてこの手の輩に絡まれて寧ろ新鮮な物に思えたが、元の世界と同じように絡んできた人間は共通して自分と相手との力量が分かっていない、数に物を言わせただけの弱者の群れでしかなかった。
そこに加えて酒が入り、場も弁えない。オークというのがどういう魔物か分からないが、少なくとも絡んできている輩が犬畜生と同等の頭しかしていないというのは分かった。
横で聞いていたルイーナも男達の罵声が聞こえたのか、不機嫌な顔をして立ち上がる。
「アンタが出る必要は無い」
「ご飯もお酒も不味くして飲む習慣は無いのよ」
立ち上がったルイーナの顔を見た男達はルイーナが分かっていないのか、ただ女が出て来たということでニヤけ顔を見せる。
「オホォ…イイ女じゃねぇか…ちょっと酒注いでくれよネーチャンよぉ」
「んなとこにいないでオレ達と飲もうぜぇ? ついでにそのまま宿に一緒に…あ? んだテメェ」
「……聞くに堪えんな」
ルイーナに何かさせるまでも無い。俺は黙って男達に近づいた。それに応えるように一人の男が立ち上がる。
「どけやオークが! さっさとどかねぇとそのきったねぇツラこの剣でかち割って…! っがっ!」
俺は男の頭を左手で掴むとそのまま上に上げる。男の宙に浮いた足をバタつかせるが、それでも床には届かない。
「オイオイオイオイオイイテテテテテ! 何しやがんだよ! オイ離せ!」
人を掴んだだけでは攻撃とはならない。カースド・アビリティの【先制攻撃】は、殴る、蹴るといった明確且つ直接的な攻撃行動が対象になるというのもリンダから聞いていた。今のように人を掴む、邪魔な人や物を押し退ける、放り投げることすら問題無いらしい。
騒がしくしている男達のせいで、他の客もこちらを見てくるようになった。お陰でまた注目の的になってしまった。見れば大男に頭を鷲掴みにされて宙吊りになっている男がそこにいるという、何とも滑稽な図だ。
「この、テメェ!」
掴まれていても物怖じしないのか、或いは何が怖いかも分からない位判断が出来ないのか。男は空いている手で俺を殴り、宙に浮いた足で蹴るが、全く効かない。お陰で攻撃しても問題は無くなったが、そのつもりも無い。
頭を掴んだ手を少しだけ振りかぶってから男達のいる席に投げる。投げた男と席にいた仲間の男達から短い悲鳴が飛んだ直後、男達が囲んでいたテーブルが壊れ、置かれていた酒瓶や食事がぶちまけられる。男達も飛んできた男に当たり、勢いよく倒れた。
「……すまん」
崩れた男達とテーブルを見ながら、様子を見ていた数人の女給仕とカウンターの向こうで次に出すであろう酒の準備をしていたマスターとおぼしき口髭を生やした壮年の男に謝る。
いつものことなのか、給仕達は持っていた酒や食事を待ちわびている者のいるテーブルに持っていき、それ以外は散らばった食事や酒瓶をいそいそと片付けていた。
カウンターの向こうにいたマスターは、「弁償はそいつらにさせる」と一言だけ告げると、ジョッキに注いだエールをトレイの上に置いて給仕に運ばせる。男達から吹っ掛けたのを見ていたので、男達に非があると判断してくれたようだ。
「ぐ……テメェ、なにしてくれんだ…」
「す、すこしばかり…やるからって…この人数相手に…できるのかよオイ…」
投げた男の仲間が数人立ち上がって文句を言う。どうやらまだやるらしい。戦える相手かどうかの判断も出来なくなるのは酒の面倒な所だ。念のためにマスターを一瞥すると目が合い、何も言わずに頷く。弁償は全て男達に持たせるようだ。
もう少し面倒が続きそうだと思ったその時、俺の後ろから艶のある声が聞こえた。聞きなれた声だが、いつもよりも重く、今まで以上に後を引くような甘さが混じった声だった。
「《……汝らを…見やるは……ケツァルグの眼……三つの尾持ちし…その鳥は……眼にいれし…汝らを……生ける石へと……一時ばかり…成し果たす》」
「…ケツァルグって…アミルダまさか…!」
「【生石像】」
その言葉が言い終わると、俺に絡んできた男達は全員、見た目はそのままに一切動かず、何も喋らなくなった。いや、よく見ると男達の肌が少しずつ灰色に変わり、固さを帯びていく。見ている限りではあるが、その質感は石と同じだ。
「ちょっとアミルダ、あんな魔法使っちゃ……アミルダ?」
ルイーナの眼の先にいたアミルダは、表情はいつも通りだったが顔や耳が赤い。右手は男達に向けて突き出され、左手にはワインが入ったグラスを持っている。
グラスの半分位入っていたワインを一気に飲み干すと、「フン」と勢いよく鼻から空気を出して「やってやった」と言わんばかりの顔をした。
「……一時間……位で……戻る……」
アミルダらしくない行動や言動が垣間見え、いつものアミルダよりも幼く感じる。
そう考えているとまた持っていたワイングラスにワインを注ぎ、一気に傾ける。ワインが付き店内の照明で光る唇にワインが注がれ、口の端から一筋零れる。それも気にせずワインを飲み干すと、大きく「フーッ!」と息を吐く。
「……お酒は……楽しく……飲む!」
最後の「飲む」だけ大きな声で言うと、周りの客もそれに釣られて盛り上がった。アミルダのテーブルと足元には既に数本の空になったワインボトルが並んでいる。成程…アミルダは酔うとこうなるのか、今後気を付けよう。
まさかこんな所に宮廷魔導士がいるとも、ましてや酔っぱらっているとも思わない他の客は、そのままルイーナとアミルダの存在に気付くこと無く、盛り上がった酒場で更に賑やかに楽しく語らいながら酒を煽っていた。
俺が座れるような椅子も用意され、漸く腰を落ち着けられる。石になった男達には酒場にいた全員が自業自得だと誰一人気にせず、各々の時間を楽しんでいった。
暫くして元に戻った男達は石になったからか、それともマスターからの弁償の代金が書かれた紙を押し付けられたからか、完全に酔いが醒め、赤かった顔を青くしていた。
矛盾点、質問等あればどうぞ。