愚王の主義の皺寄せ
少し間が空いてしまったのもあり、今回は一万文字以上です。
今まではこの長さだと二つ以上に分けていたのですが、他の小説を読んでいく内に個人的に一話一話が長い方が良いと感じた為、今回から取り入れてみました。
また時間軸や空間軸が空くような場合、記号を付けることにしました。落ち着いたら過去の話にも反映させていく予定です。
今後も随時変更するかと思いますが、宜しくお願いいたします。
冒険者ギルド内にまだ人がいるとはいえ、昼下がりの今の時間は受注したクエストで出払っている時間帯となり、最も人が少ない。
ルイーナがボードに立ち寄る前からアンドレイ達がカウンター越しにいる男性職員と話をするまで、冒険者が最も多く立ち寄る筈の1番受付に近づく者はいなかった。
冒険者は一般的に、午前中はクエストの受注、それから夕方位まではクエストを行い、夕方以降に達成報告等で冒険者ギルドに戻ってくるという。特に午前中は自分の希望するクエストが他に取られないようにと、ギルドに届いているクエストを貼るボードを更新する時間には冒険者達でごった返す。
今現在ギルド内にいる者の殆どは目ぼしいクエストが無く取り敢えず椅子に座っている者か、時間を気にする必要の無い程競争率の低い高い階級の者。もしくはアンドレイのように短時間で終わらせて来た者か、自身が受注したクエストに追加人員を募集している者となる。
ベティと交代で入った男性職員に取ってきた人員募集の用紙を見せて二言三言やり取りすると、募集したパーティを呼ぶ為ギルド内で待っていて欲しいとのことだった。
本来であれば受付の近くなり分かり易い所で待っている方が良いのだろうが、アンドレイがいる以上見つからないということは無い。適当なスペースで一、二分待っていると、先の男性職員が男二人と女一人をアンドレイ達の所に連れてくる。この三人が、募集を出したパーティのようだ。
三人はアンドレイ達との距離を狭めていくに連れ、表情に驚きの色を浮かべていく。そんなことも露知らず、職務を全うした男性職員は一礼の後受付へと戻っていった。
「……驚いたね…。まさか今絶賛注目中のフォーリナー様からご指名が入るなんて…」
「……マジだな…。ルイーナ様にアミルダ様までいるし。俺達なンかいいコトしたっけ?」
「まあそう言うでないアレックス。フォーリナー殿、ルイーナ様、アミルダ様。此度は我々のクエストに加わって下さり、感謝の念に尽きません」
三人と簡単な挨拶を済ませてから、空いている椅子に腰かける。アンドレイは当然立ったままだった。
最初に声を上げていた赤毛をショートカットにしているやや褐色肌の女性が、このパーティ『五狼』のリーダーで【盗賊】のケリー。シーフというジョブの特性上肩とヘソを出したシャツにカーゴパンツのように太ももにポケットの着いたパンツと軽装で、腰と背中に大きさと形の違うナイフを着けていた。
明るめの茶髪を後ろで結っている優男が【槍術士】のアレックス。ケリーと同じくカーゴパンツのようなパンツにゆったりした七分袖のシャツ。座っている彼の左手には穂以外を紺色で塗られ、「山」の字のように両端の穂が若干短くなっている、アンドレイの身長より少し短い三叉槍を持っている。アメリカではアレックスは「アレクサンダー」等の短縮形になるが、本名がアレックスということだった。
パープルグレーの髪と口髭を持つ壮年が【祈祷師】のサム。紫の紋様が書かれた白装束を着て、腰帯には祈祷の類で使うケイシャという木から取った枝が差してある。年齢の割に階級が低いが、地元の村で自分の仕事を継ぐ者が現れたと同時に友人を介してケリーとアレックスの保護者役を頼まれ、遅咲きの冒険者となったらしい。
男性職員を介して、報酬は募集にあった二人分でもアンドレイ達は問題無いことを含めて、三人で合流する旨は伝えてあった。人数が多いに越したことは無いと、三人はそれに快諾していた。ギルドを介しての同意があった以上、どちらかが報酬の面で異議を唱えればペナルティとなる。
改めて会ってみても見るからにアサルターとヒーラーの三人に対し、アンドレイは早速気になることを投げかける。
「タンカーはいないのか」
「タンカー…なんだけどねぇ…」
「実は……まあ…なんというか…」
席について最初に向けられた言葉に、三人は少し言い辛そうな顔をしながらルイーナ達を見る。視線を向けられても何のことだと首を傾げる二人を横目で見たが、アンドレイは「何だ?」と改めて問う。
まあ言わないことには話が進まないか、と、ケリーが言葉を溜息と混ぜる。
「亜人だからさ。アタシ達のタンカーともう一人のアサルターはドワーフなんだ」
「亜人?」
意味が分からず眉をひそめるアンドレイとは対照的に、ルイーナとアミルダは「ああ…」と困惑と納得を混ぜた複雑な顔をした。
「亜人っていうのは、私達とは見た目が著しく異なる人型の種族の総称よ。ベルトレイン王国にいるって話したドワーフや、あとエルフも亜人の一つ。それに動物や獣の外見が混ざっている人もそう呼ばれているわ」
要するに通常の人間と異なる特徴があれば亜人と呼ばれるらしい。因みに動物や獣の外見が体の一部だけであれば亜人だが、動物の割合が多ければ獣人と呼ばれ、獣人も亜人の一つという括りとなっている。
「それで、亜人が何の関係があるんだ」
「ああ、まだそこは教えていなかったわね」
「…亜人は…ここに…来られない…」
「何故だ」
端的なアンドレイの問いにルイーナが半ば呆れ気味に返す。
「……陛下のご命令よ」
ケリー達三人と、本来の仲間でもある【盾術士】のタンカー、バッデムと【槌戦士】のアサルター、ドールゲンを含めた五人はファルテノン商業国の北西にあるオルブレノという町を拠点としている。
今回ベルトレイン王国領内の西端にある辺境の村から知人を介してファルテノン商業国にやって来た旅商人が、クライムハイン王国の王都に品物を運ぶことになったと、たまたま酒場で意気投合したケリー達のパーティに護衛を依頼した。強い魔物が出ることの無い道の護衛で金貨十枚の報酬は鋼鉄級にとっては願っても無いことだと、ケリー達は二つ返事で引き受けた。
道中には思った通り魔物もいたが五人は難なく進み、時折機嫌を損ねた天気に足を止められる以外には大幅な遅れも無く、順調に進むかに思えた。
だがいざ王都に入ろうとした所で兵士に道を塞がれ、その原因を聞くとドワーフの二人がいるから通せないという。会う予定の店との約束の時間もあって、「野宿をするよりは」と、止む無く二人は僅かな回復薬を手に直線距離で近いクルトナに引き返し、今でも三人が戻ってくるのを待っているという。
「…陛下…人種差別主義者なのよ…」
「理由はよく知らないけれど、「亜人は自分の視界に入れたくも無い」という理由で立ち入り禁止の命令を出しているのよ。本来は国内全域にその通達が行っている筈なんだけど…」
国内という割に王都の手前まで五人が難なく来られたということは、どうやら命令を出したものの王都までしか広まっていないらしい。つまりは情報の共有が全く出来ていないということである。
アンドレイは謁見の間での愚王、アドルフとのやり取りを思い出す。明らかに説明も言葉も足りないあの愚王ではそれも無理は無いと納得するのに時間はかからなかった。
一緒に来た旅商人もそのことは知らなかったらしく、まだそうした情報を教えてくれるような商人同士の横の繋がりは出来ていないのか、それとも他の商人もその差別による出入り禁止を把握していなかったのか。
いずれにしろ、ここに来て初めて知らされる問題にケリー達は悩まされていた。
「私達がいると言い辛い訳よね…」
「ええ、陛下に仕えているお二方に知られるとまずいと思ったので…申し訳ありません」
座ったままとはいえ頭を下げる三人に、ルイーナ達は気にしないよう頭を上げさせる。本当にあの愚王は余計なことしかしないとアンドレイは小さく舌打ちする。
心の中で文句を言いながらも、内容はどうあれクルトナまでのタンカーを頼む理由は分かった。彼らはともかくアンドレイ達にとって特に不都合な理由も無く、問題は愚王の頭の中以外無いと分かれば、すぐに移動したい。
「…引き受けよう」
「本当かい? よかったー。実は何人かに断られてどうしようと思ってたんだよ」
「だな。王が嫌ってる亜人と組んでるパーティに協力したら何かありそうだって言われてな…」
鋼鉄級にしては破格の料金だと言うわりにずっとボードに残っていたのはそういうことか。人の上に立つにはあまりに愚かな存在は、こうしてあらゆる者に害を与えていた。
アンドレイがギルド内を改めて見渡すと、よく見たら冒険者にも職員にも、王都の中や当然兵士にも亜人の姿は見られなかった。何故なのかは分からないが、余程嫌っているというのが分かる。冒険者に関しては、王都に入るのを拒まれた時点で引き返しているか、ケリー達のように亜人だけ他の場所で待たせているのかも知れない。
互いにこの王都を出ることが共通の利益であるのが分かった以上、もうここに長居しても意味は無い。護衛対象の商人は近くに宿を取っていると、三人に案内を頼んだ。
「その前に…」
アンドレイがルイーナの方を向く。
「服の修復が出来る所は無いか」
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兵士達の槍やブラックボアの牙で穴や傷が出来ていたアンドレイのスーツが、皺一つ無い新品同様の状態になっている。スーツの修復を終えたアンドレイはルイーナ、アミルダと共に王都の南側の出入口、自分がこの世界に来てから入って来た門に向かっていた。
防弾、防刃素材が編み込まれているスーツを修復出来る所があるかという懸念は、この世界特有の【アビリティ】によってあまりにもあっけなく片付いてしまった。
手を当て自分の魔力を注ぎ修復を行える者や、服に使用されているのと全く同じ素材を自分の魔力から造りだし融着させる者、別の素材を修復する服と同じ素材に変換させるといった職人が扱えるようなアビリティも存在し、大きな呉服店にはそうしたアビリティを持つ人間が一人はいるという。
修復する服の種類や規模により値段が変わり、特殊繊維を混ぜたフォーリナーの服はそれなりに高額になるのだが、言ってしまえば所詮は服の修復である。高くても銀貨数枚程度の物だった。
王女からの依頼の前金に今しがた達成したクエストの達成報酬と、銀貨は勿論それ以上に価値の高い金貨も手元にあるアンドレイは即時に修復を依頼出来た。
ルイーナが言っていた通り、その何十倍もの値段で買い取らせてほしいという店主の頼みを断り、その足で門へと向かっている。ケリー達三人とは先に商人と合流した後、門で合流することになっている。
クエストの帰りであろう、冒険者ギルドに向かう冒険者を視界の端で捉え、商人と国民の落差を改めて目にしながら門に向かう。三者ともそれぞれの特徴や心境を露骨に表情や動く速さに表れている様子を見て、それぞれが層となった土と水と油が入れられているコップを見ているような気がした。
アンドレイは三人から聞いたクルトナまでの簡単な道のりを頭の中で再度確認する。
道のりは割と平坦で魔物も多くは無いものの、徒歩で二日かかるという距離の為に少なくとも一日は野営になるという。野営の時は交代で見張りをたて、魔物や盗賊に備えるのも聞いた。
元の世界で裏の仕事をしていた期間は決して短くないアンドレイだったが、野宿自体は経験していなかった。
自分の家か依頼人の家か、どの道屋内でしか寝ていたことが無かったので、野営というものに少し新鮮な感覚を覚える。同時に、屋内と違い何処からでも容易に攻められるであろう屋外での対応を思索していた。
考えを巡らせる間に門に着き、先に着いていた三人と合流する。一緒に来ていた商人がアンドレイ達を見て例によって驚いていたが、簡単に挨拶を済ませるとそのまま王都を後にした。
これで少なくとも暫くはこの町に戻ってこないだろう。アンドレイはまあ戻りたくもないがな、と心の中で独り言ち、この世界で初めてとなる護衛を行う。
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話に聞いていた通り特に険しい道も無く、魔物に関しては一匹も見ないまま夜を迎え、適当な場所で野営をすることとなった。元いた世界でも護衛の依頼を受けてから比較的穏やかな時間というのは今ほど無かった為、アンドレイ自身が想像していた護衛とは少し違った印象を受けたが、依頼を受けた以上決して最後まで気は抜かない。またいつ何があるかは分からないと、警戒は怠らなかった。
先人の冒険者たちが同じように野営していたのであろう、所々に踏み固められた土とその中央に何かを燃やした跡が残されていた。ある程度の大きさでそれらが残されていた場所に、アンドレイ達も腰を落ち着ける。周りには外敵が身を隠すような物も無く、何か近づいてきたらすぐに対応が出来る。
野営する可能性のある場合は前もって干し肉や固めのパン等、主に乾燥させた日持ちの良い物を持って行くことが多いらしいが、収納と保存に適した空間魔法の【ディメンションボックス】があれば生肉でも生野菜でも問題無く持っていくことが出来る。ある程度階級のある冒険者が集うパーティでは、調理が出来るディメンションボックス持ちをわざわざ雇う場合も多い。
アンドレイがディメンションボックスから解体屋によってすぐ調理に使える状態に解体されたブラックボアの肉を出し、ルイーナが前もって購入しておいたらしい野菜を出すと、ケリー達四人から嬉しい悲鳴が起こる。
ケリー達が持っていた塩を付けて焼かれたブラックボアと、切った野菜を入れルイーナが味付けをしたスープが今夜の食事だった。アンドレイがスープを口にすると、元いた世界にあったコンソメに似た味がした。極一部の富裕層のみではあるが、自分達の来ているような服が出回っていることを考えると、もしかしたら調味料の類も同じなのかもしれない。
冒険者としての経験もあったルイーナにはこうした簡単な料理も問題無いようだったが、ケリー達は国臣が作った料理を「ルイーナ様が作られた料理を食べられるなんて」と、恐る恐る口にしていた。乾燥していない温かい料理が食べられるということもあり、四人は二つの意味で「美味い」と味わっていた。
食事が終わり、各々が一息つき始める。アレックスに至っては早くも船を漕ぎ始め、その度にサムに「まだ見張りの番を決める前に寝るな」と小突かれている。
アンドレイ達三人は今受けている商人護衛が終わった後にどういう動きをするかの相談を始めた。
王都を出て半日近く。順調に進めば翌日の夕方には目的地のクルトナに着く。
最短距離でファルテノン商業国へ行くには、クルトナを更に南下しエネル、そしてミルグという町を通る。エネルの町には町の名前の由来でもあるエネル伯爵が住んでおり、クルトナとミルグの町を含む幾つかの町村はエネル領となっている。ケリー達がクエストを受けたのも、エネルの町だった。
ミルグを越えるとブランドン辺境伯が領地を治めているブランドン領に入る。エネルの町同様領主の名を持つブランドンの町は大きく、また国境に位置する南端の町でもある為、ファルテノン商業国の北端の町、チェルノとを行き来する人間を取り締まる関所が設けられている。そのチェルノから半日程南西に進んだ場所に、ケリー達が拠点としているオルブレノの町がある。
一つの町を移動するのにスムーズに進んでも二、三日はかかる。そこに休憩や国境を越える為の手続きも入り、何かしらのトラブルがあれば更に時間を取られる。元の世界と日時だけでなく曜日や一週間、月の概念も同じだったのでアンドレイとしても計算がしやすかったが、それでも単純に行けば二週間近く。遅ければ三週間かかる。
話を聞きながら、アンドレイはシガーケースを手に取り葉巻を口にする。葉巻は今口にした分を含めて二本持ってきているが、口にしている葉巻は本来の長さから半分以上短くなっている。
葉巻によって美味いと感じる部分は異なるが、アンドレイが吸っている葉巻はその部分が火を点けた側から三分の二にあたる。つまりはもうじき美味い部分が燃え尽きてしまう。
どうした物かと、同じく残り少ないシガーマッチを取り出したアンドレイに商人のトーマスが反応する。まだ少年の面影が消えない目が輝きを帯びてアンドレイを見つめる。
「あの、それってもしかして葉巻じゃないんですか?」
残りの本数が片手で余る程しか無いシガーマッチに火を点けた後の言葉に間が悪いと思いながらも、アンドレイは返す。
「…知っているのか」
短い反応をしてすぐに葉巻に火を点ける。
「知っているも何も、僕が今扱ってるのが…」
トーマスの言葉が終わる前に、少し離れた所から遠吠えが一つ聞こえる。それを機に重なるようにして、幾つもの遠吠えが辺りに響いた。
「来やがったね! この遠吠えはグレイハウンドか!」
「彼奴等は一匹ではそれ程強くないのですが、決まって群れを成して襲って来る。ほれ、アレックス、目を覚ますがよい」
飛び起きたアレックス含めた三人はすぐに臨戦態勢に入る。ルイーナとアミルダも立ち上がり、既に震えて荷車に隠れるトーマスの近くに移動した。
葉巻に火が点き、一度香りと味を楽しんでから、葉巻を手に持って立ち上がる。それと同時に、遠くから狼にも似た灰色の毛を持つ犬が六匹、吠えながらアンドレイ達に向かって走ってくるのが見える。大きさはドーベルマンの成犬に近い。成程、冒険者でもない人間が群れで襲われたらひとたまりも無い。
「…俺が引き付ける。その間に何匹か仕留めろ」
「頼んだよフォーリナー。タンカーのアンタが敵意を集めてくれないとこっちがヤバイんでね」
「あれ? そういえばアンドレイさん。武器とか防具はどうしたんです? あ、ディメンションボックスに入れてんのか」
意識を完全に引き上げたアレックスが三叉槍の石突を地面にトンと置いてから質問した。
「無い」
「え?」
「ハァ? アンタタンカーだろう!? 武器どころか防具も無いのにどうやって盾になるっていうんだい!?」
「まさかその体で敵意を集めながら攻撃を避ける気ではないでしょうな? そういう稀有なタンカーもいると聞きますが、あの数のグレイハウンドにそれは些か…」
「避けもしない。ただ受けるだけだ。攻撃をな」
さも当たり前のように言いながら葉巻を再び加えるアンドレイに、ケリー達は半ば混乱して怒気を上げる。
「何言ってんだい! そんなこと出来るわけないだろう!! グレイハウンド六匹なんだよ!? それだけの数を相手してただ受けるなんて出来るわけが…」
「…アンドレイ殿、もしやと思うがその数多の傷はそうやって出来たものでは?」
「……それが俺の戦い方だ。回復もいらん。良いから黙って見ていろ」
アンドレイは口から煙を溢れさせながら、六人から少しだけ距離を置く。十分な距離が取れたことを確認すると、グレイハウンドの群れを睨みつける。【沈黙威嚇】のアビリティによって、六人の方向に向かっていた群れは速度をそのままに、アンドレイへと方向転換した。
「! アビリティかい?」
「よし、グレイハウンドが全部アンドレイさんに向かった。ケリー、後ろからかましてやろう!」
アレックスはすぐさまアンドレイのいる方へ走り出したが、ケリーはまだアンドレイのやり方に少し懸念を抱いていた。シーフらしからぬ足取りの重さが垣間見えたが、今悩んでも仕方ないとアレックスの後を追う。
ルイーナとアミルダは今いる位置からグレイハウンドの群れに向けて手をかざした。ルイーナの手の先に炎の球体が生まれたかと思うと、球体はかなりの速さでケリー達を追い抜き、群れの一番後ろにいた一匹を火だるまにした。声にならない声を上げながら足をバタつかせていたが、間もなくその動きが弱くなり、動かなくなった。サムの口から見事と短い称賛が出る。
アミルダの手には黒と紫の靄がかかり、手を軽く下すと別の一匹が何かに押し潰されるように横に潰れる。こちらの一匹は声の代わりに水気を帯びた鈍い破裂音を出し、自らの血で染まった毛の元の色で漸くグレイハウンドだと分かる程その原型を無くしていた。
「うへぇ…エグいなぁ…」
「そんなことより、四匹がフォーリナーに喰い付くよ! 早くしないと!」
ケリー達が攻撃出来る間合いになるまで近づくより先に、残り四匹のグレイハウンドの内二匹はアンドレイの足元にその牙を衝きたてた。
「フォーリナー! 大丈夫かい!?」
「……何か平然としてる気がするんだけど…」
二人の不安をよそに、当のアンドレイは一瞬眉を動かしたものの、右手をポケットに入れたまま葉巻を咥え、咬みついた二匹を見下ろしていた。
その直後にもう二匹のグレイハウンドが跳び、一匹は右腕に、もう一匹は首に飛びかかった。葉巻に添えていた左手を前に出し、首に咬みつこうとした一匹に左腕を咬ませる。
防御力の補正は無く自身のステータスのみの為、確実に痛みはある。だが体力の大幅な補正の影響で、それが致命傷にもならず、顔を大きく歪めるような物でも無かった。
左腕に咬みついたグレイハウンドの牙が特殊繊維を織り交ぜたスーツの袖に穴を開け、腕に確かな痛覚を与える。ブラックボアといい、どうやらこの世界の魔物の牙は元いた世界の刃物より強いらしい。
「…オイオイマジかよ、あれだけ喰らって何ともないって…」
「それに一歩も動いてないよ。何て体してんだい全く…ある程度ガタイの良い奴だって一気に襲われたら後ろに重心を持ってかれて何歩か下がっちまうっていうのに」
大型犬並みの大きさを持つグレイハウンドが走ってきたスピードを殺さず飛び掛かっても、アンドレイの足はそこから生えていたかのように全く動くことは無かった。グレイハウンドは四匹とも今咬みついた獲物を喰い千切らんと顎に力を入れているが、全く肉を喰い千切る様子が見られない。
「…一匹はこちらでやる。三匹任せて良いか」
咬みつかれている左腕を全く下げることなく、左手で葉巻をつまんで口から離し、狙いやすくするように左腕を横に伸ばす。そのまま何事も無いように聞いてくるアンドレイに、ケリー達は一瞬何のことかと反応が遅れた。
「…あ、ああ。アタシが二匹やる! アレックス、一匹頼んだよ!」
「あいよ。…なんちゅー筋肉してんだか。一匹でも結構重いんだぞアレ…って、何か光ってね?」
四匹分の攻撃を受け、アンドレイが体に赤い光を纏う。【ペインバック】によって受けた痛みが攻撃に加算された合図だった。だがブラックボアの突進を受けた時よりもその光は弱い。
「…成程、光の強弱がそのまま威力に比例する、か…」
「何だか知らないけど、動かないどくれよ!」
ケリーが腰に着けていた二本のナイフを取り出し、アンドレイの右腕と右足に咬みついていた二匹をそれぞれのナイフで切りつける。確実に致命傷を与えたようで、二匹はアンドレイから口を離し、甲高い鳴き声を上げ、血を流しながら地面に横たわった。
「狙いやすくしてくれてアンガトさん! ホラよ!」
アレックスの三叉槍が左腕にぶら下がっている一匹の首元を捉える。三叉槍の先はグレイハウンドの喉元まで貫通し、力無く地面に落ちる。
「…さて…」
左腕から重しが無くなり、再び葉巻を咥えたアンドレイは未だ自分の左足に咬みついている残りの一匹を見下ろす。他の五匹が死んだのを知ってか知らずか、その咬む力を弱める様子は無い。
「試しにブラックボアの時と同じ位でいくか…」
軽く右手を振り手首をほぐすと、ブラックボアの時同様軽く拳を握る。上半身を下方向に向けてフックを打つ要領で右腕を振り、顔を横にして足に咬みついているグレイハウンドの下顎から殴りつけた。
グレイハウンドに拳が当たってから上半身を起こし、ショートアッパーのように拳を上へと持っていく。すると殴られたグレイハウンドは、まるで投石器で射出されたかのように斜め上へと飛んでいった。
断末魔のような鳴き声を上げながら飛んでいき、暫くすると小さくなったグレイハウンドが地面に鈍い音を立てて落ち、暫く転がって動かなくなった。3、40メートル位かと、殴った右手を開いては閉じるを繰り返しながら、アンドレイは飛んでいった大体の距離を目測する。
「な…………」
「……なん……と…」
「…飛んで…いった…」
「……飛ぶものなのね、グレイハウンドって…」
「…あれが…出来るのは…多分…彼だけ…」
驚きに口を開けて呆然としているケリー、サム、トーマスに対し、遠くで見ていたルイーナとアミルダはまた一つ新たな知識を得たかのような反応をしていた。
「…プッ」
余りにも突飛な状況と、最後まで鳴きながら小さくなっていくグレイハウンドに、アレックスは大分間を置いてから噴き出した。
「アハハハハ! 何なんですかアンドレイさん! おっおもっ…思いっ切り飛んできましたよ? キャ、キャンキャン言いながら…すんごく遠くに…ハハハハ!」
三叉槍で体を支えながら腹を抱えて笑い出すアレックスに釣られて、ケリーも顔が緩む。
「フフ…確かにね…。あんなに…フフハハハ…あんなに飛ぶんだね、グレイハウンドってっハハハハ…」
完全に破顔している二人に対し、サムは顎に手を当てて考えを口にする。
「…流石はフォーリナー殿、と言えば良いのか…。それにしてもグレイハウンドに一斉に咬みつかれても平然としているのは何とも…」
「ああ…まあ、彼、メガロブラックボアの突進も正面から受け止める位ですから…」
「…突進…止めたものね…」
顔の半分が髭で覆われているサムの目が見開いてルイーナに向けられる。
「メガロブラックボアですと!?」
「え、ええ…」
驚いたルイーナにサムがハッとした顔になり、失礼いたしましたと謝罪する。
「にわかには信じられませんが、お二人が仰るのであれば真実なのでしょう。それが本当ならば今のも納得がいきます。青銅級の冒険者が受けるクエストの対象でもあるメガロブラックボアの突進を受けてそれを止められるのであれば、グレイハウンドの攻撃を受けても怯むことはまず無いでしょうな…」
髭を弄り落ち着いて意見を言うサムには、そのまま一撃で倒したことは伝えないでおこう。二人は目でそれを話した。
「これは素材になるのか?」
グレイハウンドを含む魔物の知識は皆無だったアンドレイは、魔物は倒したら極力素材にするという意識を持つようにしていた。
質問を受け、我を取り戻しナイフの血を拭っていたケリーが答える。
「ああ、コイツは革と牙だね。ただ割と出ている魔物だから安いし、肉は固くて喰えやしないよ」
背中に差していた小さい方のナイフを使って手近な一匹の革を剥いでいく。解体が出来るらしく、その手際は慣れた物だった。
「肉だけになったらすぐ焼いた方がいいんですよ。そうしないと蛆虫やハエがわんさと沸いてくるし、死肉や腐肉を食う魔物も寄ってくるんで」
アレックスは槍の穂についた血を拭いながら「あ」と声を上げる。どうやら火種になる物が無いらしい。
「…あの、アンドレイさんスイマセン…」
申し訳なさそうに頭を掻いてからアンドレイに耳打ちする。話を聞いてからアンドレイはルイーナを呼び、グレイハウンドを倒した時のように死骸を燃やしてくれと頼む。ルイーナも了承し、ケリーが素材を剥いだ物から順々に燃やしていく。
その様子を見てアレックスが再び「スイマセン」と小さく謝る。国臣に死骸の後始末は確かに一介の冒険者には頼めないことだった。
アレックスの謝罪に頷いて答えると、夜の地を静かに照らす月を何となく見上げる。
「…またスーツの修復が必要だな」
左手に持った葉巻の灰が落ち、美味く味わえる部分が燃え尽きると火が役目を終えたように消えて行く。
先の長い旅で残り一本となってしまった葉巻に、アンドレイはこれまでに無い程に、月を見ながら嘆息した。