[表]ブラックボア素材調達
冒険者ギルドのあったクライムハイン王国王都から南へと歩みを進めてから20分程の所に、クエストで調達してくる素材を持つブラックボアの生息地がある。赤銅級のクエストということで知られた場所だったのもあり、ルイーナも容易に案内出来た。
この世界に来たばかりの時はまともに見られなかった町の様子を、ちょうど良い機会と歩きながら目にしつつ、そのまま王都を出て生息地へと向かう。
やはり顔や歩き方に生気を感じない人間がそこかしこで見られたが、商店やクエスト帰りの冒険者などには感情がよく分かる表情をしており、全員が頭を低く生きていないのがせめてもの救いだった。
少しばかり南風がうなる昼下がりの時間は、暑すぎず寒すぎないちょうど良い温かさで、吹く風が草同士を擦れさせ、葉を空へ流し、草木の香りを届けてくる。
この世界に来てから大分時間が経つのにもかかわらず、自分に訪れるいつもの空腹が無いことを思い出し、これもアビリティの影響かとアンドレイは腹を軽く触れる。
アビリティの話を思い出し、周りに誰もいないことを確認してから、先程リンダから受けた鑑定結果…自分が持っているアビリティについてルイーナとアミルダに告げた。
話して良いのかと二人から言われたが、今回のクエストだけでなく二人を護衛する依頼を受けている以上、必然的に二人といる期間が長くなる。
隠そうと気を付けていてもいずれ分かってしまう可能性の方が高い為、それなら今のうちに情報の共有を行い二人にアンドレイ自身が出来ることと出来ないことを伝え、明確にした方が今後のリスクが減ると判断した。
本来は四人以上で受けることになっている彼らのクエストも、黄金級の二人がいることで三人での受注が可能となった。戦力的にも問題無かったが、第三者に聞かれることなく込み入った話が出来るのは都合が良かった。
鑑定結果を教えられた二人の宮廷魔導士は、それぞれ異なる表現で同じ感情を示す。
「ランク【女神】の体力回復なんて極めてレアな物なのに…それでやっと一日の食事と同等だなんて…どんな体なのよ、一体」
「…アビリティの…数も…こんなに多いなんて…カースド・アビリティも…そうだけど…初めて聞くわ…攻撃を…受けなきゃ…いけないなんて…」
聞く話によると、アンドレイのアビリティ所持数は本来複数のアビリティを持つフォーリナーの中でも多いらしく、特に複数のランク【女神】となるアビリティを持っているのは極めて稀だという。
同時に、所持数の大半を占めているカースド・アビリティの数がこれほど多い人間は過去に類を見ないらしい。
何より、二人が共通して最も気になっているのが、アンドレイだけが持つアビリティ【ペインバック】だった。
アビリティにはプラス補正となる【グッドアビリティ】とマイナス補正となる【バッドアビリティ】が存在し、バッドアビリティがより多く、より高い質である分、本人にかかっているグッドビリティの性能が高くなるということも二人は知っていた。
そしてバッドアビリティの中にはカースド・アビリティも含まれており、ステータスのマイナス補正等にあたるような、つまりはペナルティが存在しないアビリティとは明らかにレベルが異なる。
そんなカースド・アビリティをアンドレイは合計で十、その内九つがランク【死神】、度合いもリンダ曰く最上の10、つまり即死級である。残り一つもランクが【悪夢】の度合い10と、瀕死になるレベルの物だった。
そこに本人しか持っていない、いわば固有アビリティと言えるアビリティ、敵から受けたダメージを一撃に集約する【ペインバック】。
加えて彼自身の症状…筋肉の成長を抑制する遺伝子の数が少ない『ミオスタチン関連筋肉肥大』と、【妖精】のランクながらSTR強化のアビリティもある。
大量の高質のカースド・アビリティと、異常体質に筋力強化。それらの条件が揃った上で発動される固有アビリティがどれ程の威力を持つのか…。
謁見の間で兵士を吹き飛ばしたのを見て、それでも十分驚愕に値するものだったが、おそらくあれも全く本気では無かっただろう。
あまりにも規格外。牧島アンドレイのアビリティ【ペインバック】は、文字通り二人の想像を絶していた。
20分程歩き、予定通り三人はその正面にブラックボアを視界に捉えた。
少しだけ角度のある坂を下った先の少し離れた所には背の高い木の森があり、その手前の草地に姿かたちは猪に似た獣が、ある程度の間隔を空けて20匹程存在し、それぞれが寝ていたり短い足を動かして歩いていたりしている。
猪との相違点は、本来のそれより二回り大きな体と、その毛並みが黒で染まっていることだった。見た目は獣だが、この世界では「魔物」とされているらしい。
「成程、『黒猪』か。そのままだな」
「良かった。実はたまにここに来てもブラックボアがいないことがあってね。タイミングが悪かった冒険者は王都まで距離も遠くないから、一旦戻って仕切り直しているのよ」
「おそらく本来の生息地は森の中だろう」
「知ってるの?」
「似たようなのが俺のいた世界にもいる」
ブラックボアが見た目通り猪と同じ習性を持つのであれば、その近くには泥浴用の泥田場や、木に体をこすりつけた跡が残っている筈だった。だがアンドレイ達の見える限りでは泥田場は無く、木にも跡は見られない。
また猪は嗅覚が鋭く警戒心が強いと聞く。普段嗅ぎなれない匂いでもある人間が近づいたら逃げてしまうかもしれない。
南風でブラックボアが風上にいることも幸いした。見つけられなかった冒険者が来た日は、おそらく北風だったのだろう。
職業柄色々な知識を持つ必要があったことと、過去に父親が猟師の息子でもある友人から聞いた話だと言って話してくれたことを思い出した。やはり知識を持つことは大事だ。こうした意外な所で役に立つ。
口ぶりからルイーナも本来の生息地は森の中だと知っていたが、生息地を偽るのは理由がある。
森の中でのクエストは赤銅級冒険者には厳しく、森の中が生息地と知ると、誤って森の中に入りかねない。
だがちょっとしたクエストを達成した経験のある冒険初心者が挑むにはブラックボアは都合が良く、日光浴の為か割と高い頻度で森の外で見かけることもあり、そうした理由から冒険者ギルドも配慮として生息地を「森の手前の草原」とクエストの用紙に記載している。
ブラックボアを見つけられなかった冒険者が王都に戻るというのも、「クエストは何事も容易に達成する物では無い」と身で知ってもらう為。匂いでバレた場合もブラックボアの習性を知る良い機会だということだ。
「初心者に少し高いハードルとなれば、おそらく縄張り内に入ったら攻撃される、か…」
自分への確認として呟くと、アンドレイは坂を下り始める。
「ちょっと、正面からいくの?」
「それしか無いだろう、そこで待っていろ」
「行くわよ、パーティなんだから」
「…結構…強引なのね…」
遅れて二人が坂を下る。その頃にはアンドレイは、一番坂に近い位置にいたブラックボアから敵意を向けられていた。
「ブルルルシュゥゥゥ…」
「大きさは原付位か…牙もあるが…全員あるみたいだな、都合が良い」
猪は目に見える牙は雄だけに生えるが、エクスィゼリアに住むブラックボアは性別問わず牙がある。倒せば必ず手に入る素材であることも、初心者向けの内容の一つだった。
「攻撃は避けない、だったか…猪相手にどこまで耐えられるか」
「ブオォォォ!」
短い咆哮の直後、ブラックボアはアンドレイに向けて走り出した。攻撃となる突進。加えて牙もあれば相当なダメージが考えられる。
自分にあるアビリティとブラックボアの威力の程度が分からない為、アンドレイは少し体勢を低く身構える。
「!」
重い衝撃と鋭い牙を正面から受けると、アンドレイは一瞬足を浮かした。同時に転倒しないよう、左手でブラックボアの毛を掴む。
「アンドレイ!」
衝撃も痛みも確かに大きい物だったが、ぶつかった瞬間に一瞬顔に力が入っただけで、アンドレイの表情には苦しさは見られない。それを知る由も無く、ルイーナは正面から突進を受けたアンドレイの名を呼ぶ。
アンドレイには、このレベルの衝撃と痛みは既に経験済みだった。
「…やはり原付程度か…」
程度を口に出して認識すると、浮かしていた両足を同時に勢いよく地面に下した。
「ブフォ!? ブルル…」
足を着けてから間もなく、ブラックボアの突進が止まった。アンドレイが足をつけた場所からは1メートル弱の距離に地面を抉った跡が出来た。跡の位置にズレがあり、左足を少し前にした状態で踏みとどまったのが分かる。
「嘘…止めたの?」
「……それで…ここから…攻撃なのね…」
驚きの声を上げたルイーナがアミルダの台詞に反応し、そうだとアンドレイを凝視した。
ペインバック。その力を知ろうと意識を集中した。
「……どうやら、この光が攻撃可能の合図らしいな」
アンドレイの体全体から、薄い赤い光が発せられているのを見る。おそらくダメージを受けて光り、ダメージの具合によって光が強くなるのだろう。
兵士から槍で刺された時は今よりダメージが少なかった為、アビリティも知らない時で尚更分かりづらかったのか、光らしいものを見た覚えが無かったのを思い出し、直感的にそう予測した。
右手で握り拳を作り、体制をそのままに右手を振り上げた。
「試させてもらおうか」
静かに一言。そして右手を振り下ろした。
「ブヴグッ!!」
額に拳を振り下ろされると、醜く短い悲鳴を上げたブラックボアは自分の頭で少しだけ地面を突き刺すように突っ伏し、絶命した。
生きていた名残のように、手足が一瞬ビクンと跳ね、そして動きが止まる。近くにあった草はブラックボアが地面に倒れた衝撃から生まれた風で激しく責められていた。
「……素手で…一撃?」
ルイーナは相変わらず驚いた顔をしていた。あまりの様子に、気のせいか、地面が揺れたような感覚を覚えた。
「…ふーん…」
アミルダは「やるじゃない」と言わんばかりの笑みを浮かべる。
自分を覆っていた光が消えた自分の右手と息絶えたブラックボアを見て、アンドレイは「成程」と感覚を僅かにつかんだ。
そこからは早かった。
一頭目が倒れたことに反応した他のブラックボアが、アンドレイに向かってその体をぶつけんと走り出した。
アンドレイが悠々と歩きながら迎え撃ち、同じように正面から受け、足で地面を抉りながらブラックボアを止め、ゆっくりと右手を上げて下し、悲鳴を上げて自らの顔を地面に突き刺すブラックボアを作る。
一匹目を倒してから5分と経たないうちに、既に必要な分のブラックボアの素材が手に入る状態となっていた。
「経験を積んだ冒険者が斧や槌を使っても、一撃で倒せるかは半々位なのに…」
本来ブラックボアは一撃で倒せる物ではない。剣や槍を使って体に少しずつダメージを与え、動きが鈍くなった所に急所となる箇所を一気に攻める。
青銅級以上の力のある冒険者であれば、その経験から斧や槌を使って脳天を一撃で仕留めることもあるが、ただでさえ喰らったら大きなダメージを受けるブラックボアの突進を正面から受けられる訳も無く、すれ違いざまに一撃、または足を止めて動けなくなった所に一撃、というのが一般的な攻略方法だった。
だが、武器も持てず避けることも出来ない男は、その攻略方法を凌ぐ速さと確実さでブラックボアを仕留めていった。
十頭程度を倒すと、残りのブラックボアは危険と判断して森の中へと走り去っていった。残されたのは、地面に頭を埋めたブラックボア、それぞれその両脇に出来た二つの地面を抉った跡、それらを作った牧島アンドレイだけだった。
「…ねえ…回収…しないと…」
「あ! そ、そうね。すっかり忘れていたわ」
離れた所にいた二人はブラックボアの所に近づくと、「【ディメンションボックス】」と言い、直後に表れた中心が黒く、紫色の靄のようなもので枠が出来た円盤のような物をブラックボアに近づけると、まるで吸い込まれるかのようにブラックボアがその円盤の中へと入っていく。
直接持っていくことは難しい為、こうした空間魔法は本当に役立つと、ルイーナがまたブラックボアを収納していく。
空間魔法を持っている人間は多くない為、大体のパーティには解体出来る人間がいるか、解体出来る人間を募集することが多い。たまに肉も調達の内容に含まれる場合は、荷車や荷馬車等を用意しなければならない。
リンダから自分も【ディメンションボックス】が使えると言われたのを思い出し、ちょうど良いとやり方を教えてもらうことにした。
「なあ、その魔法なんだが…」
シガーケースに手を伸ばしながら話を切り出した直後、森の方から悲鳴と咆哮が響いた。
「え?」
「…なに…かしら…」
段々と自分達に近づいてくる悲鳴と足音に、三人は森を見る。
「だっ! 誰かいませんかー!」
「たすけてぇぇ!」
「も…もう…むぅーりぃー…」
「ダメだよモリック! あと少しで森を出るから…! もう後ろに来てる!」
視線の先には、四人の男女が走る姿と、その後ろを追うように走っている、アンドレイ達が見た物よりも更に大きなブラックボアの姿が見えた。
「…………」
これから起きるであろうことを予想したアンドレイは、自分の額の眉を寄せながらシガーケースをポケットに戻した。
サブタイトルに付いている[表]の理由はいずれ分かります。