護り屋・牧島アンドレイ 02
壁に吹き飛ばされ意識を失っている男を、その仲間の男二人は凝視したまま動かなかった。彼らは今起きた事を自分の頭の中で把握、整理することに意識を向けていた。
身長2メートルくらいの男の手を刺していた仲間が、気付いた時には壁に吹き飛んでいたのだ。若干現実味の薄れる事象は、元々思慮深いとは言い難い彼らには極めて理解に苦しむ物だった。
そしてその身長2メートルくらいの男から視線を向けられていることも、彼らはまだ気づいていない。考えていることは違えど、誰も言葉を発することがないまま時間が過ぎようとしていた。
「ひょーっ! すごいですねぇー、人間ってこんなに飛ぶものなんですねぇ?」
静まり返っていたその路地裏に、また似つかわしくない声が響く。倒れている男以外の三人は、声のする方を向いた。
声の主は、大柄な男の後ろにいた男だった。この暗い路地裏にも関わらずサングラスを着けたままでいた男は、さもわざとらしく、高めのトーンと大きな声、大げさな仕草と表情で、大柄な男の平手打ちで吹き飛んだ様の感想を述べる。右手に持っていたアタッシュケースがサングラスの男の仕草によって激しく揺れ、時々仕返しと言わんばかりに、彼の右腕をその自重によって揺さぶっている。
「いやぁー、今の平手打ちもそうですけど、壁に叩きつけられたのがすンごく痛そうじゃないですかー、そう思いません?」
「…っ!!」
「! ひいぃぃっ!」
先程と変わらないトーンで先程以上に表情を変化させ、倒れた男の仲間二人に話しかけた。それに反応するかのように、頭の中で現状を整理しきれていなかった二人は、大柄な男への恐怖心を爆発的に各々の中に湧き上がらせた。
「…………」
大柄な男は何も言わず、サングラスの男を横目で見ていた。同時に今のわざとらしい言動と行動は、二人の意識をこちらに向けさせ、尚且つ恐怖心を煽る為のものだったと理解した。
こうした後ろ盾や力を持った途端に態度が豹変する人間を、大柄な男は嫌悪していた。
強いに越したことは無い、だが弱いことは決して悪いことではなく、環境、立場によっては仕方のないことでもある。しかし、そんな弱者が力を持った途端に他者を虐げるのは、自分が弱者であった時に自分を虐げていた存在と同等ではないか。その痛みを知る者であれば、他者に同じ痛みを与えるべきではない…。彼の中にはその考えが確立していた。
虎の威を借る狐となっているサングラスの男に、大柄な男は不快感を持ったが、彼が「依頼人」である以上、自分の「仕事」を行うだけである。少なくとも公私を割り切るだけの理性は、大柄な男は持ち合わせていた。
視線をサングラスの男から二人の男へと戻すと、こわばった表情と体の震えという形で自らが感じている「恐怖」というものを表していた。大柄な男は経験上、今回のような恐怖心に満たされた人間の起こす行動は、大体二つに絞られる。
一つはその場所から一秒でも早く逃げること、そしてもう一つは
「…ぁああああ、くそがああああっ!」
自棄になること。
二人の内一人が、足元にあった鉄パイプを手に取り、自分を奮い立たせるように吠えた。逃走も自棄も、結局は現状からの精神の逃避、もとい解放になる。それは人間が生きていく上でとても大事なことでもあると、大柄な男は理解していた。
しかし、今回この男は、行うべき解放の仕方を誤っていた。
「ちっくしょおぉ…がぁっ!」
無理矢理な鼓舞をして助走をつけてから、大柄な男に向かって鉄パイプを振り下ろした。
「…………」
だが大柄な男はそれを見ても避けようとも防ごうともせず、ただ鉄パイプの軌道を見ていた。そして視線を向けられていた鉄パイプは、大柄な男の右肩に衝撃を与え、鉄パイプを持っていた男にも、その衝撃が伝わる。
「!!」
自分の腕に伝わる衝撃から、決して軽くないダメージを与えたはずだと思っていた男に対し、大柄な男は攻撃を受ける前と変わらず、痛そうな顔も見せず、片膝をつくこともなく、鉄パイプを喰らう前と変わらない姿勢のまま、男を見ていた。
(まただ…)
鉄パイプを持っていた男の中に、ふいにその一言が浮かんできた。
(さっきのナイフもそうだった…。コイツは…コイツは、自分が攻撃されるのがわかってるのに、よけることもしない、何かを使って防ぐこともしない…)
大柄な男の左手が、右肩に乗ったままの鉄パイプをゆっくりと掴む。
(コイツは…全部の攻撃をわざとくらったうえでオレたちをつぶしてきてる…!!)
大柄な男の右手が握りこぶしを作り、鉄パイプの男の顔面に狙いを定めた。
(差がありすぎる…オレらとコイツとの…差があり)
鉄パイプの男の考えは、大柄な男による顔面への一撃によって中断され、自分の後ろに吹き飛ばされた。先に倒れた男の時と違い、壁までは距離があった為、そのまま自由落下するように地面に倒れ、転がった。
「あっ…えっ…お、おい…!」
残された一人が、今転がった男と大柄な男を交互に見ていると、大柄な男と目が合ってしまった。
「ひ、ひぃいいいっ!!!」
その瞬間、男は後ろを振り返り駆け足でその場を逃げ去っていった。どうやらあの男は正しい「解放」を選択したようだった。
大柄な男は倒れている二人が暫くは目覚めないだろうと判断すると、少し大きめの息を吐きながら着ているスーツの内ポケットにあるステンレス製のシガーケースを取り出し、その中に入っていた葉巻を咥えた。
専用のマッチで火を着けると葉巻の煙を口の中で転がし、鼻で息を吸いそれに乗る香りを味わってから大きく息を吐いた。口の中で生み出されていた煙と香りが勢いよく外に溢れ出て、空気中に霧散していく。徐々に景色に溶け込み消えていく煙を、大柄な男は目で追っていた。