世界『エクスィゼリア』について -石橋にて-
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数分前まで自分達がいたS区の路地裏とは似ても似つかない場所だと、アンドレイは改めて感じた。
灰色のビルやアスファルトではなく、緑の草と木々、青い空が一面を覆う。人々の喧騒や空き缶の転がる音ではなく、木の枝が揺れ、葉が擦れ、風の吹く音が聞こえる。埃や異臭が混じった匂いではなく、かすかに感じる草木の香りに、汚れていない空気。
何年も自然に触れていなかったアンドレイは、自分が感じ取れる限りの感覚で今いる場所を感じ取っていた。異世界とはいえ、こういった自然は自分の心を洗い流してくれる、そんな気さえしていた。
「さて、それじゃあ早速で悪いんだけど、王宮に行きましょうか」
「王宮?」
「貴方を連れて私が戻って来たことは、もう国王陛下や他の臣達も分かっている筈だから。つまりは謁見ね」
少し首に触れてからルイーナが言う。今はもう苦しくないとはいえ、首を絞める呪いをかけた物を着けさせる国だ。アンドレイの中には、まだ会っていない国王への猜疑心が根付いていた。
ドアを開けた時にも見えた堀の所にある石橋を渡って門を通れば、クライムハイン王国の王都に入る。そこから更に奥に進んだ所に、この国の城があるという。
「城の近くに出なかったのは、何かあるのか」
S区からドアを通って出てきた所が城の近くで無いことに疑問を抱いたが、ルイーナは自然とその説明に入る。
「ちゃんと理由があるわ。連れてきた人に対しては、自分がこの世界のどの国に連れてこられたか、そこはどんな場所かを見てもらうようにしているの」
歩きながら話しましょうと促され、アンドレイはルイーナに着いていく形で石橋へと向かう。
「かといって国の領地はとても広くてその入り口から行く訳にも行かないから、城に近くて尚且つその国にある町も見ることが出来る、王都の入り口近くに転送されるようにしたのよ。それに、国民に分からせる為でもあるの。「降り立つ者が来た」ってね」
「フォーリナー?」
「降り立つ者…つまり、他の世界からこの世界…エクスィゼリアに連れて来られた人達のことを【降り立つ者】と呼んでいるの」
エクスィゼリア…それがこの世界の名前か。一つ一つ情報を得ながら、気になることを聞き、更に情報として蓄えていく。
「ということは…」
それを聞いたアンドレイに、ある可能性が浮かんできた。「ええ、そう」と、ルイーナは肯定の意味で頷いて答える。
「貴方と同じように連れて来られた人は、今までに何人もいるわ。早いと数年、遅くとも100年位の間を空けて連れて来られる。人数も一人の時もあれば数人の時もある。そしてそれを他の国でも同じように行っているの」
「つまりこの世界には、別の世界の人間が何人もいる訳か」
「そういうことになるわね。フォーリナーに会ったら、多分すぐに分かると思うわ」
会えば分かる。理由も特に言うでもないルイーナの言葉を、アンドレイは頷きで返す。会った時に分かるなら必要でも無い限り今聞く必要でも無いと、優先順位を落とした。
「そうなると必然的にフォーリナー…貴方達の世界の服や通貨も、この世界では目にする機会が少なくない。通貨に関しては高値で買い取る人もいれば、最上級の通貨の更に上の扱いで取り扱う店もある。服に至っては見様見真似で造られたりしてるわ。これだってそう。国では一番本物に近い造りをする店で買った物なの。おかしくないでしょう?」
スカートをたくし上げるように、ルイーナは自分が着ているコートをつまんで少しだけ持ち上げる。アンドレイは初めてルイーナと会った時から目にしていた服を改めて見る。
キャメルカラーの春物のコート、同じく春物になる薄手のホワイトカラーのセーター、ピンクのサーキュラースカートに黒タイツ、コートの色と合わせたショートブーツと、全てアンドレイが元いた世界のそれと同じ物に見える。だが製造過程や技術等はそちらの世界の方が圧倒的に優れている為、手触りや着心地は本物に劣るとルイーナが補足を入れる。
「それでも購入出来るのは、王族や王宮でそれなりに地位のある人や貴族位しか買えない程高価な物なのよ。製造している呉服店が国を跨いで支店を出している世界最大手で、当時の店主が全財産の大半で買い取った、なんて言われているわ」
もしかしたら貴方の服も買い取らせてくれと言われるかも、と少し笑いながらルイーナが言ってから、何かを思い出したようにアンドレイに聞いた。
「…そういえば、貴方さっきナイフで刺されていた筈なのに、全く血が出ていないわよね。どういうことなの?」
アンドレイが五人の男達としていた大立ち回りをしていた時、確かに男達のナイフは刺さっていた…少なくともアンドレイに当たっていたように見えたが、彼の服には血が全くにじんでいない。
「コイツは特注品だ、ある程度の刃や弾丸は通さない」
アンドレイのスーツには、服を製作する過程で通常の繊維の他に防刃、防弾作用のあるケブラー繊維やアラミド繊維が、極めて繊細な比率で使用され編み込まれている。少しでもその比率が狂えば、ナイフや銃弾は簡単に突き破られたり、また只でさえ俊敏とは言えないアンドレイの動きが更に制限されてしまう。知り合いの専門業者に大金を支払い、何度も試行錯誤の末に出来た品だった。
「仕事上必要なんでな。だからこれは売らん」
「買い取り希望の商人がいたら、そう言ってあげて」
話をしていく間で、アンドレイはふと左手を見てみる。少し前にナイフで刺されていた所だが、今では血が出ておらず、傷口も塞がっていた。傷の治りは元々早い方だったが流石に早すぎる。どういうことだと怪訝な顔をしているとルイーナが聞いてきたので、怪訝な顔の原因を伝える。
「…それはたぶん【アビリティ】ね」
「アビリティ?」
回答はあったものの入れ違いで出てきた不明点に、アンドレイの表情は変わらなかった。
「この世界には、貴方達からしたら『魔法』と呼ばれる物が存在する」
魔法という単語に反応し、アンドレイは一瞬ブレスレットに目を向けた。
「それと同じく、『魔法』とは別にあって、そうね…要はその人その人にある『特性』や『特技』と言ったところかしら」
説明の為の時間は元々設けてあるので細かい所はまたその時に話すと、ルイーナはその話を打ち切らせた。王都の入り口にあたる門のある石橋に着いたからだ。