第六話 穴の中
僕はぬるぬるとした泥に、手足をしっかりと突きたてながら、地上とつながっているはずの上を目指した。ときおり僕は進みを止めてお志乃ちゃんを待った。やがて僕は、うっすらとオレンジ色の灯りが漏れている辺りにたどり着いた。壁を確認すると、そこには小さな穴が開いていた。崩れ落ちたようにも見えないため、最初から開けられている穴のようだ。もしかしたら、換気が目的なのかもしれない。上から降りてきた冷たい空気は、その穴を通して牢屋に取り込まれ、壁の松明の炎をゆらしているようだった。穴の向うから、低いうめき声が聞こえてきた。
僕は音を立てないように注意をしながら、その小さな穴から中の様子を観察した。そこは僕たちが閉じ込められていた牢と同じく、底に水のたまった暗くて狭い空間だった。その水の中で、数人の泥に汚れた裸の男女が抱き合って、もつれ合っていた。僕は嫌な予感を覚えて、その中に母の姿を探したけど、どうやら女性は母ではないようだった。
お志乃ちゃんが、先をうながすように僕の脹脛をそっと叩いたけど、僕は穴の向うで行われている行為に注意を奪われ、目を離すことが出来なかった。するとお志乃ちゃんは、両手で僕の身体をつかみ、僕の上を昇り始めた。穴の高さは子供二人分でちょうどというくらいに狭く、お志乃ちゃんはぬるぬると身体をすべらせながら昇ってくる。やがて僕の頭の後ろに、お志乃ちゃんのはあはあという息づかいが聞こえた。お志乃ちゃんは僕の耳に口を近づけ、囁いた。
「どうしたの? 何か見える?」
僕は小さな穴から目を離し、お志乃ちゃんに場所を譲った。彼女は泥の壁に顔を押し付け穴の向うを見下ろした。泥に濡れ、オレンジ色に照らされた顔に、美しい瞳がキラキラと光った。つややかな赤い唇はなまめかしく開かれ、「すごい」、と小さく呟いた。白い歯が下唇をかみしめ、小さな舌がその間で動いた。
やがてお志乃ちゃんは壁から目を離して、僕の背中に身体をくっつけ、両手でゆっくりと、僕の身体を撫で回した。驚きと快感に、僕は思わず声をあげそうになって、あわてて口をつぐんだ。お志乃ちゃんの手のぬるぬるとした愛撫から逃れようとしたけど、狭い穴に二人重なった状態では、とても無理だった。お志乃ちゃんの唇が僕の耳に押し当てられ、かすれたような声が僕の耳に吐きかけられた。
「私もね、されたの。白い着物の男達に」
お志乃ちゃんは絶望から自暴自棄になっているのだと僕は思った。でもそれだけじゃなく、穴の向うの情景に興奮しているようにも思えた。危機的状況では、子孫繁栄のために人の性欲は高まるというけれど、それだったのかもしれない、壁の向こうの喘ぎ声が強くなると、お志乃ちゃんの息も荒くなり、その手の動きも速まった。壁の向こうで悲鳴のような長い声が響き、闇が静寂に包まれると、僕の耳にはお志乃ちゃんの乾いた深呼吸だけが聞こえた。息を整えたお志乃ちゃんが小声でささやいた。
「そろそろ、いこう?」
僕は小さく頷くと、両手をしっかりと泥に食い込ませ、お志乃ちゃんと泥との間からぬるぬると抜け出した。穴の上方を見ると、かすかなオレンジの妖しい光が、3か所ほど見えた。僕とお志乃ちゃんは、次の光に向かって進み始めた。