表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/13

第二話・泥と血

 異形の巨大な手で殴られた僕は意識朦朧となり、その視界は真っ暗になった。僕の耳には、男達の悲鳴と母の鳴き声と、陰鬱な太鼓の音が鳴り続けた。僕の身体は誰かに抱え上げられ、柔らかい床に横たえられた。かすかな意識の中、涙ににじむ視界の中に、白い布をまとって浅黒い肌をした長い黒髪の少女が見えた。彼女は唇の端に笑みを浮かべ、大きな目で僕を見下ろしていた。どうやら僕は、奴らの神輿みこしの上に寝かされたようだった。母の悲鳴はいつの間にか号泣に変わり、やがて途絶えた。僕を乗せた神輿はゆっくりと持ち上げられ、ゆらゆらと揺れながら、山道を下っていくようだった。


 しばらく経ち、ふと気付くと、僕は一体の異形に抱え上げられ、地面に下ろされていた。僕はよろけて地面に膝をついた。前方を見るとそこはさきほど、僕が母とともに逃げ込もうと考えていた、北の山の麓にある坑道の入り口だった。その入り口を塞ぐ土砂は完全に取り除かれており、そこから松明たいまつをかかげ白い着物を着た数人の男達が現われた。その一人が僕に近づき、ゆっくりとした手つきで僕の着物を剥ぎ取った後、簀巻きにされた父と母の元に導いた。父と母は、その数人の男達によって、坑道の暗い入り口に引かれていった。僕も慌ててその後を追いかけた。背後から笑い声や、話し声が聞こえたけれど、その言葉は僕がそれまで一度たりとも聞いたことのないものだった。


 白い着物の男達のうちの二人が、両親を縛った縄を引き、坑道の奥へ奥へと進んで行った。着物も草履も脱がされてしまった僕達の足が、しめった冷たい地面の水溜りをとらえ、ぴしゃぴしゃという音をたてた。先導する男達の手にした松明の炎が、壁に反射しててらてらと光っていた。坑道には湿気が充満し、結露した水滴が、天井から壁、そして床を濡らしている。前方をうかがうと、土中にうがたれた巨大な穴は、この先をゆるやかに下っているようだった。地面はぬるぬるとしており、時折僕達は、足をすべらせ体勢を崩し、その場に尻餅をついたが、そのまま前方に滑り落ちてしまうほどのなめらかな斜面ではなかった。下り坂はその途中で、左右に掘られた横穴と交差した。その暗い横穴の奥は開けた空間になっており、奥の壁に設置されてゆらぐ松明の火が見えた。山吹色のその光りが、周囲をぼんやりと照らし出していた。


 横穴をいくつか過ぎたとき、縄を持つ男達はその右の横穴に向かった。父と母と僕も、緩やかな下り坂からその横道に向かった。その奥にもやはり、壁に松明が設置された空間があった。そこは正方形の部屋で、その四辺のそれぞれに太い丸太を組んで作られた格子状の扉を持つ、三つから四つの牢屋らしきものがあった。男達は父と母の縄を解き、二人を右手の壁の端の牢屋に押し込んだ。僕の後ろにいたもう一人の男が、僕の髪をわしづかみにし、その牢屋の入り口まで引っぱった後、僕の背中を蹴飛ばした。一畳ほどのその檻の床には、大量の水が溜まっており、僕はその冷たい水に頭から突っ込んだ。両親が慌てて、僕を水から引き起こした。


 二寸ほどの太さの丸太で組まれた頑丈そうな檻が閉じられ、巨大な南京錠ががちゃりという音を立てた。白い着物の男達は、時折こちらを振り返りつつ、部屋から出て行った。僕達三人は、ぼんやりとした闇の中に寄り添い、途方にくれた。全身冷たい水に漬かったために、僕の全身はがたがたと震えだした。そんな僕を、しゃがみこんだ母が後ろから、しっかりと抱きしめた。その母の身体はとても温かく思えた。


 男達が去った後、母が口を開き、山の上で何があったのか、そしてあの男達は一体何者なのかと父に尋ねた。父は水の中に座り込み、顔を苦しげに歪めながらかすれた声で言った。


「わからない。あの太鼓の音に気付いて、俺は山道を上り寺に着いた。その時にはもう寺は滅茶苦茶にされていて、多くの者が殺された後だった。和尚様が寺から引きずり出され、首を刎ねらた。俺は助けようとしたけど、あの怪物どもに打ちのめされ、縛り上げられた。なぜあの時あいつ等が俺を殺さなかったのかわからないが、いっそ俺も殺された方が良かったと思えるかもしれないな」


 父は、暗い牢の中を見回し、小さく笑った。


「かつて俺が築いたこの巨大な坑道が、今や俺の身を閉じ込めるための檻となるとは思いもしなかった。人生とは因果なものだ」


 それきり父は黙り込んだ。父の目が松明の火を吸い込んだように、ぎらっと光った。


 僕も黙り込んだ。僕が知っている父なら、丸太で作られた扉をその腕力で破壊し、襲い来る怪物どもを壁に投げつけて、僕と母をこの暗い牢獄から救い出すだろう。あの怪物どもの力は、父の手に負えぬほどのものかもしれないが、それでも父なら何とかしてくれるはずだと、僕は期待した。だがそれを口に出すのは憚られるほどの、重い沈黙がそこにはあった。ひょっとしたら父は、僕達に何か隠しているのかもしれないと、その時ふと思った。僕達三人は、丸太で作られた檻に身を寄せ、松明に照らされた薄暗い部屋の中の様子を呆然と眺めて過ごした。


 その静寂を破ったのは、部屋の入り口の方から聞こえてきたざわめきだった。僕達を救うために誰かがこの坑道に押し入り、僕達を探しているのかと、淡い期待を持ったが、そうではなかった。人間のものとは思えない叫び声が穴の中で反響し、その直後に部屋に入ってきたのは、両腕を無くし、そこから細い血をぴゅうぴゅうと噴出させた一人の男だった。男は身体を奇妙にくねらせながら、救いを求めるような表情で部屋の中を見回し、やがて檻の中の僕達を発見し、その場にがくりと膝をついた。その背後に一匹の異形と、白服の男達が姿を現した。


 異形はその両手に、人間の腕を一本づつぶらさげていた。その根元からは、ぼとぼとと血がしたたり落ちていた。言うまでもなくその腕の持ち主は、この濡れた泥に囲まれた暗い部屋の中央で、顔を地面につっぷしてぴくぴくと震えている裸の男であろう。彼は時折頭をあげて僕達の方を見据えたが、その顔面に宿る苦悶の表情が、苦痛からくるものなのか、それともそれ以外の要因から来るものなのか僕にはわからなかった。彼はしばらく足をくねらせ、じたばたと僕達の閉じ込められた檻に向かって匍匐前進ほふくぜんしんを試みていたようだが、やがてひときわ大きな痙攣を起こしたあと、ぴくりとも動かなくなった。きっと彼は死んだのだろう、と僕は冷静に思った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ