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「やりなおし、させてあげてもいいですよ」

 郵便受けに、神様からの手紙がひとつ、入っていた。




「…来たか」



 アイベルがヒビの入ったカブを持って出向いた泉のほとりでは、神様が背を向けて立っていた。アイベルが来たことに気づいてゆっくりとこちらを向いた神様の顔は、いつになく神妙な面持ちである。アイベルは神様の神妙な面持ちというものを一度見たことがある。あるのだが、今目の前に立つ神様がしている神妙な面持ちというのはそれとは神妙の具合が違うようにアイベルの目に映るのだった。

 だからアイベルは、なんか似合わない顔しているなと神様をさげすむ目を出来ないし、ヒビの入ったカブを投げつけることも出来ずにただそんな神様の顔をじっと見つめるしかないのである。

 口火を切ったのは、神様だ。



「お前に回りくどいことを言うつもりはない、単刀直入に言うぞ」



 このぴりりとした空気の中神様の言葉を、回りくどいと理解できないお前には単刀直入に言ってやる、と理解するほどアイベルは空気を読まない人間ではない。息をのんで、神様の言葉を待った。



「俺と、結婚してくれ、って言ったら、お前はどうする?」



 アイベルの口から一番間抜けな「は?」が出た。真っ白になったアイベルの頭に神様の言葉が何度も繰り返される。

 俺と、結婚してくれって言ったらお前どうする?お前どうするってなんだよ。いやそれより俺と、結婚してくれって。結婚、ケッコン、けっこん。



「け、っこん!?」

「ば、ばかデカイ声で言うなよ!恥ずかしいだろ!」



 その恥ずかしい単語を最初に言ったのは神様なのだが、混乱するアイベルはそんなツッコミは出来なかった。結婚って、あの結婚のことだろうか。いや他にどの結婚があるというのだろう。そこまでは理解できたが、アイベルは神様の意図がまったくもって理解できずにいた。まあ、神様が説明しないから当然のことなのだが。



「え、あの、意味わかんないんですけど、突然どうしたんですか」

「いや、その、ワケはまだ言えねーんだよ、いいから返事をよこせ」

「言えないって、ワケもわかんなくて返事できると思ってんですか」

「や、それはわかってっけど、どうしても言えねーんだよ!言ったらずるいだろ!」



 アイベルから顔を背ける神様の耳に、ずるいってなんですか、というアイベルの声が聞こえる。その声が震えていたことに、神様は気が付かない。だからアイベルが大きく振りかぶったことにも気が付かないのだった。



「がっ!?」



 ごす、と鈍い音がした。

 神様がとてつもない衝撃を受けた脇腹を押さえつつアイベルを見ると、何かを投げつけたような格好をしている。それを見て、否、神様はそんなアイベルの姿を見なくても理解していた。アイベルが、手に持っていたカブを神様に投げつけたのだということを。そしてなかなかに質量のあるそのカブが神様の脇腹にクリーンヒットしたのだということを。

 だからこそ神様のアイベルを見た目は、何しやがるてめえという感情に満ち満ちていたのだ。しかし神様のそんな目は、アイベルの顔を見た瞬間大きく見開かれることになるのである。



「…え?」



 思わず間抜けな声を出した神様の目に映ったアイベルは、その頬を赤らめて、目元には涙を湛えていたのだ。それは神様にとって初めて見るアイベルの表情で。予想していなかったそれに、神様の胸がどくんと鳴る。



「何なんですかあ…」



 アイベルの口から、弱弱しい声が出た。



「か、勝手に、理由は聞くなって言って、どっか行っちゃうし、それで戻ってきた途端、結婚って、ほんと何なんですか神様…バカなんですか、ほんと」

「バカ言うな」



 神様が条件反射的にツッコミを入れるのだが、その声もどこかぎこちない。



「バカですよ、神様のバカ、わたし」



 神様がいないとなんか物足りない、そう神父様に告白したアイベルは物足りなさの正体がわからなかった。けれど本当はわかっていたのかもしれない。ただ言葉にすると負けたような気がして、言えなかっただけで。




「わたし、神様がいない間、さ、寂しかったんですから」




 その告白と同時に、アイベルの目からはついに、涙が零れ落ちた。もう負けてもいい、先に結婚だなんて言葉を言ったのは神様なのだから。



「神様なんて、いたって腹立つだけだし、悪口根に持つタイプだし、全然神様的な力ないし、呪いも解けない無能な神様だけど」

「言いたい放題言うじゃねえかよ」

「でも、いないと寂しいんですよお!悔しいけど神様がいなきゃ嫌なんです!それを自覚したところに、神様が結婚してくれとか言うから!ほんと何なんですかバカなんですか!」



 ついに感情を爆発させて泣きわめくアイベルを見ながら神様は、神様も、その頬を赤くしていた。アイベルの言葉は半分以上が悪口だったが、それを大目に見させるほどのことをアイベルは言った。

 神様がいないと、寂しい。神様がいないと、嫌だ。子どものように泣きじゃくるこいつは、意味を分かって言っているのだろうか。そしてそれはつまり、そういうことだと、理解していいのだろうか。

 神様は、少しずつアイベルの方へと歩み寄っていた。「バカ言うな」と神様の言う声がアイベルのすぐ近くで聞こえて、アイベルが少しだけ顔をあげた。



「…俺だって、お前の事、はじめはとんでもない奴だと思ったよ」



 ぽつりとつぶやかれたそれは、神様の告白。



「神様たる俺をまったく敬おうとしないし、あげく無能呼ばわりにバカ呼ばわり、いつか天罰の力を得たら一番に天罰を落としてやろうと思ってた」

「そんなこと思ってたんですか」



 びっくりですよ、と己の涙を拭うアイベルからツッコミが入るが、神様はそれを気にする余裕は無いようで無視して話を続けた。



「でも、そのうちお前といるのが、楽しいってことに気づいた、俺だってお前がいなきゃ寂しいしお前がいなきゃ、なんか、嫌だ」



 アイベルの口からは思わず「なんかやだって…」と神様の言葉を反復する声が出る。



「…そういうこと、一番最初に、言ってくださいよ」

「あ?あ、ああ…言われてみりゃ、そうだな」

「やりなおし、させてあげてもいいですよ」

「この期に及んでも上から言うか」



 そう言って神様が見たアイベルが照れくさそうな顔をしていたから、神様は呆れたようなため息はつかなかった。



「…アイベル」

「え」


 神様がいざ覚悟を決めてアイベルの名前を呼ぶと、アイベルはその頬を赤くしたまま驚いた顔をする。その反応に覚悟がそがれた、とばかりに神様が少し睨めばアイベルは不服を訴えるように顔をゆがめた。



「こんな時に名前呼ぶのは、ずるいです」



 とアイベルが赤い顔で訴える。わりと余裕のない神様は「いや…そういう反応も、ずるいだろ」という心の声を隠しきれなかったが、すぐに咳払いをひとつすると「続けるぞ」と言う。



「俺は、お前がいないと寂しい、お前が…好きだ」



 思いがけない直球な言葉に、アイベルは一瞬息を止めた。

 やりなおしをさせてあげてもいい、とは言ったがまさかそんなアドリブをかましてくるとは思わなかったのだ。しかも神様のくせにアイベルの胸をどきとさせる、だいぶ絶妙なアドリブ。



「ずっと、お前の傍にいたい、だから…だから俺と、結婚してくれ」



 神様のプロポーズは、更に加えたアドリブを添えて。

 アイベルは、神様の顔をじっと見つめて聞いていた。初めて見るような神様の真剣な表情に見とれていたわけではなかった。―それも少しはあったかもしれないが―アイベルは神様のかましたアドリブに対する仕返しを考えていたのだ。しかしどきどきと音を鳴らす心臓がそれをジャマするから、アイベルはうまい仕返しの言葉が浮かばないのだった。



「わたし、わたしだって」



 だから結局アイベルの口から出た言葉はアドリブではなくて、でも台本でもない、ただ今自分の思うことを告げる言葉。



「神様の傍に、いたいですよ」



 それは、言った本人ですら驚くほど直球な言葉だった。

 言ってから、自分の言ったことを再認識してアイベルは恥ずかしさに包まれるがもう遅い。アイベルの言葉はしっかりと神様の耳に入って、神様までも恥ずかしくさせる。アイベルは神様の顔がぼっと赤くなったのが分かったが、それを気にする余裕も、からかう余裕もなかった。

 なにせこれから言おうとしていることはもっと恥ずかしいことなのだ。



「だから、わたし、か、神様と、結婚…する」



 真っ赤な顔で言い切った直後、アイベルの目の前がふっと暗くなる。アイベルの体を、神様がぎゅうと抱きしめたからだった。神様の鼓動がアイベルの額に伝わって響いてくる。



「ちょ、ちょっと、苦しいんですけど」

「…や、うん」



 アイベルの訴えに神様はそれだけ答えて、少しの間アイベルをぎゅうと抱きしめたままでいた。アイベルもそれ以上何も言うことはしないで、ただ神様の心臓の音と、それから自分のそれに耳を澄ませることにするのだった。

 やがて神様がゆっくりとアイベルから体をはなすと、それに気づいたアイベルは顔を上に向けて神様の顔をじっと見る。神様の緑色の瞳がいつになく澄んで見えて、それから目がはなせないでいるとゆっくりとそれが近づいてくるのがわかったから、アイベルはそっと目を閉じた。



 そうして神様とアイベルは、泉のほとりで、一足早い誓いのキスを交わすのだった。










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