「本日のご依頼は村に住む男の子七歳から」
アイベルは神様に協力して村人の願い事をいくつも叶えた。
隣の奥さんが夕飯の献立に悩んでいれば風に乗せてそっとレシピを窓から放り込み、メガネが見つからないと嘆く老人にはさりげなくメガネのありかを教えてあげた。おじいちゃん、メガネは頭の上ですよ。それからダイエットが続かないという乙女の悩みには毎夜毎夜このデブとささやくことでモチベーションを保てるようにしてあげたし、入れ歯が見当たらないとふがふが嘆く老人にはそっと入れ歯のありかを教えてあげた。おじいちゃん、入れ歯は洗浄中ですよ、あとメガネは頭の上だってば。
そして今日もまたアイベルと神様は泉のほとりで向き合っているのだった。
「本日のご依頼は村に住む男の子七歳から」
「ご依頼て」
探偵や便利屋の類じゃあるまいし、というアイベルのつっこみを神様は華麗に無視をする。神様は最近スルースキルを強化したようだった。
「飼っていた犬が逃げてしまいました、はやく帰ってきてくれますように」
「ああ…」
男の子七歳からの依頼内容に、アイベルの口からは思わず同情のため息が出る。七歳の男の子が愛犬を失うというのはどれだけ悲しいことだろう、男の子の心を思うだけで胸が痛むのだった。
「それきっとサイバラさんとこのユウくんですね、犬が逃げて落ち込んでるって聞きました」
アイベルの”協力”とは、こういうことである。
この小さな村では村人全員が顔見知りだと言っても過言ではない。依頼人の特定をして更に詳細な情報を集めて提供するというのがアイベルの”協力”であり役目だった。
「なるほど、どんな犬だ?」
「大人の柴犬です、まあ、その、少し見た目は野性的というか、狼みたいな見た目なんですけどね」
「ほうほう、ならそういう犬を見つければいいんだな」
神様は「よし」と気合いを入れるとさっそく動き出すのだった。
捜索を始めて数時間後、アイベルと神様は村はずれの森の中で犬を見つけた。
見つけたのだが、アイベルと神様はすぐさま犬を保護するというわけでもなく木の陰から犬の様子をこっそりとうかがっているのだった。
なぜなら二人の視線の先には、狼のような見た目を通り越してほぼ狼そのものになってしまっている犬がいるからである。
「逃げ出した数日間で野生化するってどういうことだよ、本能強すぎか」
「もともと野良だったのを飼い慣らしたらしいですからね、長年の野良生活の方が強かったということでしょう」
犬が周囲を警戒するようにうろうろと円を描くように歩き回っているので自然と二人の会話は小声になる。互いの顔をぴたりと寄せないと聞こえないほどに。
「しかし…そうなるとどう捕獲して少年のもとへ帰すべきか、難しいな」
「うーん、ユウくんもサイバラさんもちゃんとフータローのこと可愛がってましたからね、どうにかその記憶を呼び起こせれば自分で家に戻るのかもしれませんねえ」
「フータローっていうのかあの狼…あの犬」
二人がこそこそと相談している間にフータローは周囲の警戒を終えたのか、木の根元に伏せの体勢で座り込んでいた。
「記憶を呼び起こす…か、そのユウくんて少年が呼びかけるのが一番効果的じゃないのか?」
「でも万が一ユウくんに襲い掛かることがあったら危ないですからね、それにそんなことになったらそれこそフータローは一生帰れなくなっちゃいますよ」
「ああ、そうか…やっぱり俺たちでなんとかするしかないな」
二人してうーんと考え込むのだが、答えはなかなか出ない。
「そもそもなんで逃げ出したんだ?満月が近くて興奮でもしたのか?」
「狼じゃないんですから…でもそうですね、逃げ出した原因がわからないとまた繰り返すかもしれませんからね」
神様の一理ある発言にアイベルは納得して、サイバラさんやユウくん、そしてフータローの様子を思い出してみる。サイバラさんは野良犬だったフータローを餌付けして徐々に飼い慣らしていったと聞いている。そしてそのフータローを非常に可愛がったのが孫息子のユウくんである。常々弟が欲しいと言っていたから、きっと弟のような存在だったのだろう。
「へっくしょい!」
「わっびっくりした」
考え込んでいる最中に神様のくしゃみでアイベルは思考を中断されてしまった。「悪い悪い」と言いながら悪びれた様子もない神様にアイベルが「まったくもう」と文句を言っていたその瞬間。
「バオッ!」
「どわ!?」
「ぎゃあ!?」
何か大きな弾丸のようなものがアイベルと神様の間に飛び込んでくる。
思わず飛びのいてしりもちをついた二人が見たのは頭を落ち葉に突っ込んでいる不思議な生き物。しかし薄茶色の尻尾を振り回しているそれはよく見ると、今様子をうかがっていたフータローだということに気が付くのだった。
気づいた二人がえっと驚く間もなくフータローは落ち葉からずぼっと顔を抜くと、迷わず神様の方を向いた。神様に向けられたフータローの目は、やはり狼と見まがう鋭さで。
神様の口から「ひっ」とひきつった声が出る。
「ガルルッ!」
「おわああっ!」
休む間もなく再び弾丸のようにフータローの体が神様へ向かう。神様は絶叫しながらも間一髪で体をひねって弾丸を避けるとそのまま流れるような動作で立ちあがった。神様の裸に布を巻きつけただけの恰好では野性化したフータローに立ち向かうにはあまりに無防備すぎる。神様は本能的に逃げることを選択したのだ。
「グルルル!」
「あっ神様!」
電光石火にフータローに背を向けて走り出した神様をフータローも脱兎のごとく駆けだして追いかける。アイベルはとっさに神様を呼ぶと、一人と一匹を追いかけるべく立ち上がり森の中へと駆け出していくのだった。
森の中はアイベルの方が勝手知ったる場所である。
神様とフータローを追いかけるアイベルは先回りして、神様をある場所へ誘導しようとしていた。しかし声を張り上げて神様を呼んでも、逃げることに夢中な神様にはなかなか届かない。ちっと舌打ちをするアイベルは、ある策を講じることにした。
「おい無能!こっちだっつってんだろ!」
「無能言うな!」
アイベルの策は見事な成功を収めた。悪口には敏感な神様の習性を利用したのだ。神様がこちらに進路を変えて真っ直ぐ走ってくるのを見て、しめたとばかりに笑うとアイベルは走り出した。
これはアイベルの講じた策であって、けしてこちらの呼びかけに気が付かない神様にいらついたアイベルが思わず罵声を浴びせたわけではないのである、たぶん。
しばらく走ると視界が開けてくる。それはもう目的地がすぐそこであることをアイベルに教えていた。
うっそうとした森の中から、ぱっと視界の開けたその場所にたどり着くとアイベルは立ち止まり後ろを振り返る。そしてすぐに現れるであろう神様を待ち受けるために構えた。
がさり、と音がした。来る。
「神様!こっ…」
神様が現れた時、アイベルはさっと神様を避けるつもりでいたのである。さっと避けて、背にした崖のすぐ下に流れる川に神様を飛び込ませてフータローをまく、そういうつもりだったのだ。
神様、こっちと呼びかけようとしたのがいけなかったのか。あるいは罵声で神様を誘導したのがいけなかったのかもしれない。
現れた神様はまっすぐ、アイベルの避けた方へと突進してきたのだった。
「ちいいいいいいいいい!?」
まるで猪のように突進してきた神様を避けることが出来なかったアイベルは当然それを受け止めきることも出来ず、叫び声を上げながら神様とともに川へと落ちていくことになるのである。
「何なんですか猪なんですか!?とっさの方向転換が出来る猪とかタチが悪いにもほどがありますよ!」
「うるせー!お前がこっちとか言うからだろ!あとさっきの悪口忘れてねえからな!その仕返しだバカヤロー!」
「やっぱわざとですかコンチクショー!根に持つ神様は嫌われますよ!」
「お前の悪口は度が過ぎてるにもほどがあんだろうが!いいか俺は神様だぞ!少しは敬え!」
「あー自分で神様って言う!そういうのほんっと図々しいんですけど!」
「だから神様は聖人君子じゃねえっつってんだろ!神様だって根に持つし悪口を大目に見ると思ってんじゃねえぞ!」
「だからそれは今までの付き合いで察してますってば!」
「だからそれはそれで!」
命からがら川から這いあがったアイベルと神様の第一声はお互いに対する罵詈雑言だった。濡れた体からぽたりぽたりとしずくが垂れるよりも早くくり出された悪口の応酬はしばらく続いたのだが、神様がぎろりと睨むようにアイベルの方へ顔を向けた途端。
「あ」
とだけ漏らすと、神様が口をつぐんだのである。
アイベルが不審に思う顔をすると、神様はさっと目をそらして拳を口元へ当てるとごほんと咳払いをした。それから口元に当てた拳から指を一本立たせると、すい、と薙ぐように動かす。アイベルがその指先を追うように視線を動かすと、信じられないことが起きるのである。
神様が動かす指の先から何かキラキラと光るものが生み出されていく。よく見ると、神様の指が通った後がキラキラと輝いているのだった。その輝きがはためいて見えたなと思うと、神様がそれの両端を掴んでばさりとひるがえし、アイベルの肩にふわりと乗せた。
「え?」
アイベルが驚いたような声を出したのに構わず、神様はアイベルの首元でそれをきゅっと結ぶ。上半身を包み込むように巻かれたそれは、とても軽くて、まるで空気を織ったような布なのだった。
「…まあ、なんだ、そのままじゃ都合悪いだろ」
都合悪いだろ、という言葉でアイベルは神様の行動の意味を悟った。濡れた体を、隠してくれたのだと。それに気が付いた途端に恥ずかしさがこみあげてくる。
「あ、ええと…神様、何もないところから布を生み出すとかそういうこと、できたんですね」
「まあ、神様だからな、これぐらいは」
こみあげた恥ずかしさをごまかすために神様から視線をそらしてそう言ったアイベルは気づいていなかった。アイベルから目をそらしている神様もまた、恥ずかしそうな顔をしていたということに。
「ワウッ!」
「ほぎゃあ!」
「うわ!?」
瞬間、神様の気配がアイベルの目の前から消えた。何が起きたのか、それは消えた神様の行方を目で追うとすぐに判明するのだった。
「ワウワウ!」
「だっ!こ、こらやめろ!神様だぞ、うぷ!や、やめろお!舐めるな!」
「ワフウッ!」
「うぎゃー!」
アイベルの視線の先には、尻尾を振ったフータローに馬乗りになられた状態で河原に寝転ぶ神様の姿があったのである。神様は、やめろ、だの、どけ、だのと必死にフータローを押しのけようとしているのだがフータローは尻尾を振って神様の顔を舐めることをやめない。その様子は、はためにはじゃれつく犬と必死に可愛がる飼い主のようにしか見えないのだった。
そこでアイベルは、はたと気が付く。驚いたことに、先ほどまで狼のようにしか見えなかったフータローが、今はただの飼い犬に見えるのである。これはどういうことであろうか。
「あ」
「おい見てないで助けろ!」
「そういやユウくん、フータローのこと部屋の中で猫可愛がりしてるって言ってたっけ、犬なのに猫かわいがりとはこれいかにってね、ふふっ」
「聞いてんのかてめえ!」
「つまりフータローは運動不足でストレスが溜まったことで本能を抑えきれず、家を飛び出して野生化したってわけですね、たっぷり運動して機嫌が直ったみたいですねえよかった」
「おい冷静に分析してんじゃねえぞこら!」
「わたしさっきの仕打ち忘れてませんからバカヤロー、ぷふふっ」
「てめえ!うぷっ!」
「ワフーン!」
森の奥の河原に、フータローのワオーンという鳴き声と、アイベルのあはははははという笑い声と、そして神様のぎゃあああああ、という叫び声がこだました。
「ていうか神様ってフータローには見えるんですね」
「まあフータローというか、動物には比較的見えやすいな」
「動物には見えるって、神様っていうより妖精かなんかの類みたいじゃないですか」
「妖精と一緒にするな、俺は神様だぞ」
「もしくは妖怪」
「しばくぞ」