侮蔑ニモマケズ
神様との衝撃的な出会いからひと月が経ち、アイベルと神様はときたま顔を合わせては世間話をするような仲になっていた。その際には必ず、アイベルはカブをひとつ持っていくのだ。神様にお供えするための、規格外の傷がついたカブを。
「ところで、神様ってほんとに願い事とか叶えてくれるんですか?」
いつものように泉のほとりで、今年は豊作になりそうだ、取引の人が増えると宿屋も儲かる、などの世間話をしている中でアイベルは神様にそんな疑問を投げかけた。
アイベルが一応お供え物を持ってくるのは、泉に住む女神に毎日お供え物を続けると願いをかなえてくれる、いつか教会のお兄ちゃんに聞いたそんな話がアイベルの心の隅に巣食っているからである。たとえそれが規格外の傷がついたカブであってもだ。
疑問を受けた神様はあぐらをかいたまま、ああーと声をもらす。
「まあ結論から言っちまうと、叶えることはできないな」
「詐欺だ!」
「詐欺言うな!」
神様の口から出た衝撃の事実にアイベルは思わず神様を指差して叫ぶ。
「ちくしょー願い事も叶えらんないならお供え物返せ!」
「お前がお供えしたもんっつったら規格外の傷がついたカブじゃねーか!本気で叶えてもらいたいんなら金塊ぐらい沈めて見せろバカヤロー!」
「金塊!物欲の塊か!神様なのに!」
「神様だってなあ聖人君子じゃねーんだよ!」
「それは今までの付き合いでなんとなく察してましたけど!」
「それはそれで!」
お互いにひとしきりあふれ出る文句を言い終えたのか、二人の間には、ぜえはあという呼吸の音だけが流れる。口火を切ったのは、神様だ。
「だいたい、神様がなんでもかんでも願いを叶えられたら世の中めちゃくちゃだろーがよ」
「そりゃ、まあそうですけど」
神様の口から出たもっともな言葉に、アイベルは苦々しい表情をしながらも納得せざるをえない。だいたい神様が本当に願いを叶えられるのならこの泉はもっと立派になっているだろうし、この村だって女神の村として千客万来のはずだ。ちっ使えない神様だな。
「おい使えない神様だなと言いたげな目で見るな」
「わかってんじゃないですか」
「うるせー!」
相変わらずのぞんざいな扱いに神様が吠えるが、やはり相変わらずのアイベルはびくともしない。そんなアイベルの様子にため息をついた神様は、攻め方を変えることにした。神様だって頭を使うのだ。
「何だよ、お前の神にすがってまで叶えたい願いって」
「えっ」
思いがけない反応に、神様は思わずアイベルと同じ顔をしてしまう。驚いたような、不意を打たれた顔を。アイベルはそれから戸惑ったように視線をさまよわせる。
「そ、そんなの…」
アイベルのそんな様子に、からかってやろう、という神様の気持ちはみるみるしぼんでいく。
「そんなの、願いも叶えらんない神様には関係ないでしょ!」
アイベルは立ちあがってそう叫ぶと神様に背を向けて、脱兎のごとく走り出した。あれ、初めて会ったときもこんなことがあった気がする、と一瞬考えた神様は初動が遅れる。神様が引き留めようと伸ばした手は、空しく宙を掴んだのだった。
ああ、変にムキになっちゃったなあ、とアイベルは自分の部屋で後悔していた。
もっとうまくかわせばよかったのだ。もっと適当に、こう、世界征服とか世界平和とか、あと一攫千金とか、ああそれから玉の輿とかそういう願いだと言えばよかったのだ。なのにわざわざわかりやすく動揺するから、ああ、変に思われているだろうなあ。神様と顔、合わせづらいなあ。
そう思ってアイベルは神様の泉に行くことをやめて、一週間が経とうとしていた。
アイベルは今、村の商店が並ぶ通りを買い物かご片手に歩いている。
一週間の間アイベルは外に出る気にもなれず宿屋の中でばかり仕事をしていたが、それに気付いた母親がアイベルにおつかいを申し渡したのだ。おつかい内容は宿の夕飯に出す新鮮な川魚ということで魚屋で見繕っていると、アイベルの背中に声がかけられる。
「アイベルちゃん、こんにちは」
「あ、神父様」
アイベルに声をかけたのは、泉のほとりの教会に住む神父様だった。疑うことを知らない顔をしたこの青年こそ、アイベルに泉に住む女神のことを教えた教会のお兄ちゃんその人である。数年前に先代が急逝してこの青年が新たな神父様となったのだった。
そんな神父様と、アイベルは神様の泉へ通うようになってから以前よりも親しくなりこうして顔を合わせると会話を交わす仲になったのだ。神様と世間話をしている、ということもアイベルは神父様には打ち明けた。神様を感じる力の皆無な神父様は笑って「神様の話し相手になってくれてありがとう」と言ったのだった。
人畜無害が人の形をしたようなその青年はにこりと笑いかける。
「ここ数日、泉に来てなかったよね、忙しかった?」
「あ、えーと、そういうわけじゃないんだけど」
神父様にそう聞かれてアイベルはわかりやすく動揺する。神様を感じる力は皆無である神父様はそのかわり、人の心には敏感だった。
「もしかして、神様と顔を合わせるのが気まずい?」
「えっ」
神父様のさりげない言葉にわかりやすく動揺したアイベルが、核心をつかれて動揺を隠せるはずがなかった。そんなアイベルに神父様は優しく微笑む。
「僕は、神様の姿も見えないし声も聞こえないけれど、きっと、神様は寂しがっているんじゃないかなあ、今のアイベルちゃんと同じように、ね」
言われた言葉に、アイベルは衝撃のあまり声も出なかった。
神父様が本当にアイベルの瞳に寂しさを見出したのかはわからない。しかし神父様にそう言われてアイベルがどきとしたことは事実だった。顔を合わせるのは気まずい、と自分から神様を避けておきながら、寂しいと感じているのだろうか。いや、違う。いや、でも。
ひどく混乱してしまったアイベルは川魚を買うことを忘れたままふらふらと家へ戻ってしまい、母親に言われてもう一度川魚を買いに行くはめになったのだった。
その翌日、郵便受けにアイベル宛の手紙がひとつ、入っていた。
送り主の名前は無いがアイベルはそれが神様からの手紙だと思ったのだった。開いてみれば、少しクセのある字で”話がある”と書いてあるだけ。それだけかよ、と思うのと同時に、神様らしいな、と思ったところでアイベルははたと気が付いた。
神様らしいってなんだ、まるでわたしとあいつがいたく親しい仲のようではないか、と。なんだか腹が立ったのでアイベルはその場で手紙を少しだけ破いてやった。
腹は立ったが話があると言われては一応無視はできないだろう、とアイベルはその日に神様の泉へと赴いた。手にはやはり、傷のついたカブを持って。
しかしたどり着いた泉のほとりには、すでに神様が泉から出て待っているのだった。
腕を組んで仁王立ちで待ち受けている神様はいつになく神妙な面持ちである。アイベルが来たことに気が付くと、落ち着いた様子で「来たか」と言う。そして真面目な顔が似合わないなと言いたげな目で見るアイベルに構わずに、語り始めるのだった。
「…あれから考えたんだ、俺は、このままでいいんだろうかと」
真剣な表情の神様に対してアイベルはなんか語り始めたなあという顔をしている。数日前は顔を合わせるのが気まずいだとかで悩んでいたはずなのだが、なぜか神様の顔を見た途端に気が抜けてしまったのだった。アイベルの口からはいつも通りの「はあ」という相槌が飛び出る。
「神様とはいえまだ未熟な俺は姉さんたちのように願いをかなえる力は無い、しかしそれに甘えて俺を熱心に頼ってきてくれる人たちをただ見守っているだけでいいのだろうか」
「まあ熱心に頼ってる人なんてこの村にはいないですけどね」
「もっと積極的に、今の俺が出来ることをしていくべきなんじゃないか」
「聞いてねえな」
「思えば姉さんたちは自分の姿が人々に見えないことを利用して積極的に行動していた」
神様は「はあ…」と苦々しい顔をするアイベルの顔を見ているのか見ていないのか、気にせずに淡々と語り続ける。
「西に豊作を願うものがあれば行ってその苗に水をやり」
「そういえば雨も降ってないのに畑が濡れてる怪奇現象がありましたね」
「東に病気の快癒を願うものがあれば行って看病してやり」
「そういえば未だ犯人不明の住宅侵入事件が」
「そういう神に俺はなりたい」
どこかで聞いたようなやけにリズム感の良い言葉で締めくくった神様は、やりきった、という表情だった。そしてアイベルはやはりそんな神様を渋い表情で見ている。なんだか面倒なことを言いだしたなあ、と言わんばかりの表情だ。
しかし神様のたわごとは尚も続く。
「だからお前、協力しろよ」
「は?」
突然の命令にアイベルは思い切り顔をしかめて渾身の「は?」をくり出した。しかし神様へのダメージは少ない。神様はいく度もアイベルの「は?」をくらううちに耐性がついたのだった。
「俺一人じゃできない、お前の協力が必要なんだ」
「え?」
己の耳に聞こえた思いがけない言葉に、アイベルは思わず間抜けな声を出して神様をじっと見つめてしまう。同じようにこちらをじっと見る神様は稀に見せる真剣な表情をしていて。
言われた言葉がアイベルの頭の中で繰り返される。
お前の協力が必要なんだ。お前の、協力が必要なんだ。
お前が、必要なんだ。
「…ま、まあ、そこまで言うんでしたら、その、協力しても、いいですけど、ええ、はい」
照れたように視線をそらして頭をかくアイベルは、おだてられることに弱かった。
端的に言えば、ちょろかったのである。