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epilogue

駅から街道に出た途端、ライ麦の匂いが漂ってくる。

スタスタと歩みを進めると、「修道院」の看板が見えてくる。


「……あら、もうお見えになられたのですか?」


年老いた修道女が出迎える。「まだ子供たちも眠っていますのに」と、苦笑しながら、客を応接室に案内する。

引き出しから取り出した手紙を懐かしそうに撫でながら、修道女……マリアは、客……ソフィに向かい合うよう座った。


「脚本家として、お名前を見ましたよ」

「ええ。友人()の名前を借りなくても、たくさん発表できるようになりました。……それにあの名義は、元々一つの作品のためのものですし」

「魔法が出てくるお話ですか?良いお話でしたよ」

「……私は気に入っていません。だって、時間が経つほど遠くなっていってしまって……彼らが本当に続きをこう書いたのか、ちっとも分からなくなってしまうんですもの」


どこか、少女のような口調で老女は語る。ここまで汽車を乗り継いで疲れたことも、義兄であり後に婚約者にもなった青年の遺品を取りに来たこともしばし忘れて、物思いにふける。

あの少女の日々から、本当に多くのことがあった。……たくさんの出会いと別れがあった。


「……ところで……ジョージ・ハーネスという方は、シスター・マリア。あなたのお知り合いですか?英訳版が出たのを見て、びっくりしてしまって」

「ええ、ルイさんです。シモンさんにもお手伝いいただいたようですが……出版業が軌道に乗って、身の回りも安定しているのだとか」

「それはそれは……ご成長なされたのね」


時代は大きな変革を遂げた。

それゆえに、若かりし日のことは、遠い過去になりつつある。


かつては到底立ち直れないと嘆くほどだったが、案外年老いてもソフィはソフィのままでいられたし、夫となったアルマンもアルマンのままだった。

夫婦とはいえ愛し合うわけでもなかったが、共通の過去を慈しむ相手の存在は、大きな救いだったとも言える


「そう言えば、ここ、ヴォルフスローゼって森が近くにあるのよね?」

「おや……。取材に行かれますか?」

「もちろん!ここで行かなきゃ、脚本家の名が廃りますからね」


意気込むソフィに苦笑し、マリアは朝食の準備に戻っていく。

渡された手紙をコートの内ポケットに仕舞い、ソフィも席を立った。


「……そうだ、帰りにコルネーユの墓参りも行かなくちゃね。……フルール・ド・コルボ(からすの花)……ねぇ。地名になるくらい人気になっちゃって……」


病で若くして死んだ女優は、格好の悲劇の題材だった。

けれど、彼女は笑って逝った。「これであたしも、あんたの物語になれるね」と……。

ソフィだけは、それをよく知っている。……死してなお、コルネーユは理想のヒロインとして、ソフィの物語を支えている。




***




石碑の周りを包むよう薔薇が咲き誇る場所は、いずれ観光名所と呼ばれるだろう。人足が増え整備されれば、おそらく姿も変わっていく。

……今のうちに来れてよかった、と、ソフィは静謐な森林の空気をめいっぱい吸い込んだ。

と、碑の裏側に、不釣り合いな古書が目に入る。無造作に置かれているわけでも、捨てられているようにも思えない。……なぜか、捧げもののようにも見えた。


「……誰かしら、こんなところに……」


シワの目立ち始めた指がタイトルをなぞって、翠の目が見開かれる。


『Les fleurs sont tombées, les oiseaux ont volé』


あの「物語」の原題だと、読めば分かった。

作者名の表記は、

著者がRudi MichalkeとCiel、そしてLevi

編者がLevi ChristとKirk

……とっくに失われたと思ったはずの原本が、そこにあった。


「……もしかして……」


Adios(あばよ)」とセルジュに告げて立ち去った、賢者と名乗る詐欺師を思い出す。……やはり、あの男は油断ならない。生きているのか死んでいるのかすら分からないのに、こうやって人を驚かせてくる。


「……でもね、間違ってるわよ賢者さん。ルディは、ラルフお兄さまの名前じゃないもの」


クスクスと笑いながら、ソフィは元の場所に本を戻す。

ソフィにはもう必要のないものだが、見知らぬ誰かが必要とするかもしれない。……きっと、その時のために眠っているのだろう。


Adios(さようなら)!私は、楽しく生きてるわ」


一陣の風が、薔薇の花弁を、白髪混じりの金髪を撫ぜていく。

まだ飛び続ける背を押すように。……未来への道を指し示すように。

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