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 少女は足音を殺して歩く。

 明るい廊下はそれでも夜らしく、冷えた空気を孕んでいた。

 そっと角を曲がった。その筈だというのに、人とぶつかりそうになる。慌てて身体をのけぞらせて、少し低いところにある顔に目を向けた。


「あら、アマリリス。こんな夜にどこへ行ってらしたの?」


 その声に息が詰まりそうになる。

 大きく開いた青い目が、こちらを見つめている。義姉だ。いや、正しくはもうすぐ義姉になる人だ。

 息を吸い込めば、ふわりと漂う香水に打ちのめされる。


「庭に、行っておりました」


 息すらもかかりそうな距離だ。

 幸いにして、それは義姉にとっても不自然だと思われることで、足を引いたのは彼女のほうからだった。


「夜に、庭?」


 ことん、と落ちるように首を傾げて、垂れ目がちの瞳がアマリリスを見上げる。

 目がくらみそうだ。焦点を壁の灯りの方にずらした。


「夜の、花も、素敵なんですよ。昼とは違って」


 にこりと笑って、言ってみせたから、義姉も微笑んでみせる。ほころぶように甘く、アマリリスの首を絞める。


「そう、いいことを教えてもらいました。今度試してみましょう」

「虫が、出ますから。おすすめは出来ません」

「あら、私、意外と平気だったりするのよ」


 ああ、きっと。言葉を誤った。


「それでは、おやすみなさいお義姉様。良い夢を」


 逃げ隠れるように自室の扉を閉める。

 走ってもいないのに息が荒い。


「かわいそうに。今日も怯えちゃって」


 アマリリスは顔を上げた。

 窓の側に、瑞々しい緑色の髪をした小さな少年がいた。少年は椅子の上で、ぶらぶらと足を遊ばせている。


「お義姉さんはよっぽど君のことが嫌いなのかい」

「いいえ、それは無いと……思いたいわ」


 数少ない友人の姿に安堵の息を漏らし、へたり込む。

 悪い子だ。いけないことをした。愚かしい間違いを犯そうとしている。誰がアマリリスを許すだろう。許すとしたら、この、妖精の少年に他ならない。

 二人の視線が噛み合う。


「冷たさ、というのは嫉妬からくることが多いらしいね?」


 義姉は冷たくはない。雪を溶かす側の人間だ。

 分かっていないはずがない。妖精パクシーはいじわるだ。


「ふふっ、あは。そうね妬みだわ。私が、お義姉さまを妬んでいるのねきっと」


 アマリリスの兄弟姉妹は、軒並み優秀過ぎるほどに優秀だった。それぞれが一芸に秀でているか、あるいは多芸であり、誰もが幼少期から頭角を現してきた。昔から兄の婚約者であった義姉も、父が見込んだ才媛だったのだ。

 アマリリスはそんな彼らに比べると、あまりに冴えない娘だった。

 家族にとっては甘やかしたいだけの頭の軽い娘で、学院では有象無象として埋もれる生徒。

 彼らから負の感情を向けられるとすれば、それは嫉妬などというものではなく軽蔑なのだろう。或いは不可解の念。『どうしてこんなこともできないのだろう?』

 いっそそう思ってくれればよかった。

 大事にされた。大事にされている。

 人に褒められる特技なんて、何もありはしないのに。


「ごちそうさま。今日の君の心は、とても美味しかった」


 はっと顔を上げる。

 パクシーは先程と寸分変わらず、笑顔で立っていた。


「ここのところ、同じ味ばかりで退屈させていたでしょう。悪いわね」


 こんな感情、苦いだけだろうに、パクシーはぺろりと飲み込んでしまう。


「文句が言いたくなったら言わせてもらうさ。それにしても、そんなに肩肘張らなくっていいだろうに」

「見てたの?」

「見守っていたんだよ」


 それを知っていれば、もう少し上手く笑えただろうに。

 弱音は感謝で包み隠し、礼を吐き出す。

 でも。


「彼は魔術師さまよ。けして弱みを見せるなど、あってはならない」


 尊大で有能で、都合のいい庇護者であれ。

 そうはなれない、そんな力も能もありはしない。ただ、ほんの少しの間だけ、騙せればいい。

 詩にも刺繍にも音楽にも愛されることはなかった。愛されなくとも愛せると思えたのは魔法だけだった。

 だから、手放すわけにはいかなかった。

 あの男の前では、自分も家族と同じく認められるに足る人間だと、無邪気にそう信じていられたあの頃の鎧を纏っていなければ。

 畏怖に喰われてしまう。


「随分と危険を冒したね。ばれても知らないよ」


 パクシーが労るように囁いた。

 ばれるのは、何、だろうか。

 ふと思いを巡らせる羽目になった自分に気付き、今日一日でどれほどのものを偽ったのかを理解する。

 心の中でそっと失笑して、強がりを取り戻した。

 大丈夫。


「今まで隠してきたわ。これからだって隠し通してみせる」


 アマリリスは端くれにも満たぬ魔女だった。



 ◆



 ひばりの街で、少年は語る。


「ご存知のとおり、これは古くからの教えです。

 貴となく賎となく、魔法使いという種族は人より外にあるものでした。

 魔法という奇跡を人は尊び、畏れ、讃えて参りました。

 けれども彼らを人の外側の住人たらしめるもの、呪いのような祝福がございました。

 魔に魅入られた者は妖精に愛されます。

 彼らの死後は混沌渦巻く妖精の国にあり、人が為に用意された空の楽園へ、迎えられることはありません。

 そういう言い伝えが、強く強く、唱えられていました」



 ◆




 床下をノックする。


「お加減はいかが」


 階段を上がる音に耳を澄ませ、地下室への蓋が開かれるのを待つ。


「おかげさまで」

「耳がいいのね」

「魔術師なんで」


 魔術師の青年は異様に回復が速かった。

 ぼさぼさだった髪も後ろで束ねれば、それなりに見れるものだ。

 随分と顔色も良くなった。アマリリスは彼を、気付かれぬようにまじまじと見つめる。どことなく軽薄そうに映るが、色男と言ってもいいのだろう。

 ぼんやりとそんなことを考える。

 いっそ見目が整っていない方が、都合が良かったのに。愛想笑いを崩さぬまま、魅了避けの御守り(アムレット)を服の上から握りしめた。


「ねえあなた。名前は?」

「秘密、ってのはどうですか」

「私はアマリリス」


 先に名乗られ、青年は苦虫を噛む。

 偽名でも適当に名乗ればいいだけだろうに、何故だか深く溜息を吐いた。


「ラケルタです」


 陰鬱に言い切った。本名、或いはそれに準ずる名を言ったと考えてしまう。アマリリスはつとめて無表情のまま、目を泳がせた。


「家名を明かすのは、勘弁願います」

「聞くつもりもなかったわ」


 小さなテーブルの上に抱えたものを並べていく。

 パンに腸詰、林檎とそれから葡萄の果実水。


「当たり前だけれど料理なんてしないから、こんなものしか出せないわ」

「いえ、十分です」


最後に薬箱をそっと置いた。


「そんなに色々と持ち出して、怪しまれませんか」


 くすねて来てくれたのはパクシーであるし、妖精のいたずらというのは忘れやすいように出来ている。運ぶときだって、周りに人がいないことを確認してもらった。

 理由は伏せて、多少なら問題はないとアマリリスは言うけれど、残念ながら多少では足りない。


「ええ、だから買いに行くわ」


 お使いを頼まれてくれると言っているのだ。


「ありがたいのですが、お嬢さん、その……やりくりってご存知ですか」

「安心なさい。私、あまりお嬢様らしく育てられていないの」


 土いじりを趣味としている時点で、既に特異だ。

 田舎者なのだ、とアマリリスは言うけれど、そういう問題でもないだろう。

 随分と変わり者だ、というのは言うまでもない事実だ。なにせ無縁の家に生まれたにも関わらず、魔術に手を出しているのだから。


「ところで、お嬢さん。幾つで?」

「十五になったわ」


 とっくに言い終えた後で、少し上乗せすればよかったとアマリリスは思い直したけれど、もう遅い。

 きゅっと顔を顰めたいのを耐えて、ちらりとラケルタの表情を伺う。


「驚いた。もっと上かと思ってました」

「あら、ありがとう。大人びていると受け取っていいかしら?」


 世辞だろう。あるいはきっと周りよりも背が高いからだ。そんな感想を笑顔でアマリリスは飲み下した。




 塀の中、硝子の中、檻の中、木々の中、紅百合の柵の中、小さな小屋の床の下。幾重にも壁を重ねた先にある地下室は、息こそ詰まるけれど、不思議と気持ちが落ち着くものだった。

 ここが彼女の秘密の工房だった。

 この地下室の存在を知っていたのはおそらく亡き母だけだろう。作らせたのも母だ。この部屋を見つけたときに片付けさせた侍女も、既に嫁いで辞めてしまったから、今知っているのはアマリリスの一人になる。


「なんで最初からここに運ばなかったんです?」

「だって、目が覚めたら地下なんて。いやでしょう?」


 ごもっともだ、とラケルタは思う。自分の境遇からして地下というのは悪いほうに自然である。


「心遣いありがとうございます。でも、リスクには見合わないんじゃないです?」


 それでも地上に寝かせるというのは悪手だったろう。

 アマリリスは澄まし顔に少しばかりの影を落とす。


「一応、結界……みたいなものは出来ているつもりだったのだけど」


 アマリリスが何を言っているのかは、一拍遅れて理解した。少しばかり異様な紅百合の列だろう。


「駄目駄目ですね。ちょっとした理由がなければ入らない、ぐらいは潜在意識に関与出来ますが、あまりにも拙い」

「本職はやっぱり手厳しいわね」

「お嬢さんだって一応は魔術師の端くれなんでしょう? 今までどこで習っていたんですか」


 その答えは全てここだ。

 ここは母の地下室だった。母の日記帳があった。どこから手に入れたのか、高そうな実験器具が揃っていた。何に使うのか分からない薬品の瓶がずらりと棚に並べられていた。表紙が外れそうなほどに古い、一冊の魔術書があった。

 アマリリスの母は魔女だった。

 アマリリスのやっていることは、声も知らぬ母の真似事だった。


「はははは、これはすごい。独学ってわけですか」


 だとしたら、彼女は相当な逸材ということだ。


「いやあ、お嬢さん。力任せにも程がありますね。こんな古い本で学んだ魔法で、俺を運んで来たんでしょう?」

「いえ、私は運んでいないわ」


 他に自分のことを知っている人間がいる、その事実にラケルタは顔をしかめる。もっと早く確かめるべきだった。

 しかしアマリリスが続けた言葉は、彼の予想を飛び越えて行った。


「妖精に頼んだの」


 咄嗟にアマリリスの肩を掴んだ。彼女の身体がびくりと跳ねる。


「妖精、お嬢さんはまだ、妖精と話が出来る」

「え、ええ」


 魔術師は妖精と契約を結ぶことで、本来人の身には降ろされることのない魔術を手にする。正確には、その資格を得る。

 しかし契約結んだ人間は、その後けして妖精と言葉を交わすことはない。


「はは」


 アマリリスは魔女ではない。

 それもそうだ、とラケルタは思う。曲がりなりにも良家の娘だ。契約などしているはずがない。あれほどに目を引く妖精の刻印など、身に刻めるわけがない。

 物心ついたときから魔術師だった彼が、今まで思い当たらなかったのも無理はなかった。

 胸がすく思いだった。

 彼女にはまだ、選択肢が残されている。


「何がおかしいの」


 そういう彼女は少しむくれていた。本人は涼しい顔をしているつもりなのだろう。生憎ラケルタの、表情に対する目盛りは細かいのだ。

 不意に年相応に見えたのがまたおかしくて、笑いそうになる。


「失礼。なんでも、ないんです」


 やることは決まった。


「ではお嬢さん。始めましょうか」

「ええ、宜しくお願いします」


 傷の具合が落ち着くまで、そう日は掛かるまい。それまでに、せめて自分が彼女のためにできることは──。

 魔術師はほくそ笑む。


「まず始めに、この本に書いてあったことは全て忘れて下さい」


 アマリリスは青ざめた。

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