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「……いやいやいや、冗談だろう」
家の中を一通り捜索して、ついでに布団代わりの衣も片づけて、けれど現実は変わらない。孝己も定家も、履物含めて見事に消えていた。唯一学校の制服だけが二人分残っていて、本の中に置き去りにされていないことに安堵はしたけれど。日はすっかり昇っているということは、つまり。
「置いて行かれたぁ!?」
手伝うつもりで眠りについたのに、起きたら留守番係とは一体どういうことだ。昨夜巻き込んでごめんとか何とか言っていたが、これもその配慮か。なんて余計な配慮だ。〝つむろぎ〟だって、見ればわかるって言っていたが、見せるつもりなんか毛頭なかったってことか。
「……あぁ、もう」
単のまま胡坐をかいて、昨日瞬間着せてもらった深緑の衣を羽織る。すると、やけに重たい感覚と同時にバサバサと何かが落ちた。振り向くと、同じ色の袴と帽子が転がっている。そしてそれに埋もれるように、紙が一枚。取り上げて読むなり、俺は勢いよく紐を取り上げた。着方はわからないが見様見真似だ、それっぽく見えればどうとでもなるだろう。
『留守番が嫌なら、着て追いかけてくるが良い。昼ならまだ多少は、安全であろう 定家』
用意されていた履物に勢いよく足を突っ込んで、そこではたと気づく。
「つーか、追いかけてこいって、どこにいるんだよ二人とも!」
とりあえず大通りに出てみようと走り出したその少し後、何故か俺は、追われる羽目になっていた。
「殿、お待ちください!」
「そこな男、その手を離さぬか!」
「いやよく見ろよ! 俺掴んでいない! 掴んでいるのはこの人!」
「ごめん! すぐ戻るから朱雀門の前で待っていて!」
心底申し訳なさそうにしながら俺の手を掴んで全速力で走るのは、俺より少しだけ年上に見える青年だ。俺や孝己のものよりも格段に素材の良さそうな衣を着ている。何せ十人以上の従者らしき人が『殿』と叫びながら後から追いかけてくるのだ、よほど高位の人間に違いない。だからこそ、わけがわからないのだ。なぜそんな高位のお方が、たまたま小道で鉢合わせた俺を連れて逃げているのだろうか。
何が何やら、のうちに小道をいくつか曲がり、方向感覚がわからなくなった頃にようやく足が止まった。
「……よし、撒けたかな」
俺を引っ張ったまま走り続けたその人は辺りを見回して一つ頷くと、そのままそばにある傾いた表門をくぐっていく。そのためらいもない足運びといい、傾いた表門といい、どこかで見たことのある光景だと思って、気づいた。
「テイカに隠れ家を教えてもらっていて、良かった」
そこは、ついさっき俺が飛び出していったあばら屋だった。
「ほら、おいで」
そしてさっさと縁側に上がった、孝己よりも年上で孝己よりも小柄なその人は、柔らかな笑みを浮かべて手招きをしていた。おそるおそる後に続いて家に上がる。
「ごめんね、気になったものだから」
衝立を取ってきて外の目を隠すように立てた彼は、開口一番にそう言った。
「えーっと、気になる……というのは……」
「うん、その格好。ちょっとあまりにちぐはぐで着崩れしていたから。冠も落ちそうだし、そのまま大通りに出て行こうとしていたでしょう? 捕まるよ?」
……ということは、この人はわざわざ俺の着付けを直すために俺を連れて走ったのか。言われるままに手足を動かして直してもらいながら、俺はただひたすら恐縮していた。穴があったら入りたい。なくても掘って入りたい。いや、入る前に孝己と定家を一発ずつ殴ろう。
「はい、これなら大丈夫」
「申し訳ございませんでした! 俺……じゃなかった、私のせいで走らせてしまって……!」
深々と頭を下げると、大丈夫、とこれまた穏やかな声がかかり、頭を上げさせられる。おそるおそる窺った目は茶目っ気のある笑みを浮かべていた。
「もともと撒こうとしていた時に、たまたま君と出くわしただけ。むしろ巻き込んで走らせて申し訳なかった」
「や、やめてください頭下げないで! 助かったのは俺、いや私!の方ですからそれこそ気になさらず!」
高貴なお方に頭を下げられるのは慣れていないどころか初めてのことで、かえってこちらがうろたえる。気を逸らそうとして咄嗟に振ったのは、先ほどちらりと口にしていた言葉だ。
「それより、この家の主を知っているのですか?」
先ほどこの人はテイカ、と言っていた。間違いでなければそれは、定家のことだ。案の定返ってきたのは肯定。
「うん、テイカは僕の歌の師匠だよ。……もしや、君も彼の弟子なのかい?」
「……はい、まぁ、そんなところです。つい最近、弟子入りしたばかりでして」
そういうことにしておいた方が話を合わせやすいだろう。すると青年の目が輝きを増した。
「そうなんだ! それでは僕の弟弟子になるんだね」
それはそれは嬉しそうにそう言うと、彼は実にさらりとその名を告げた。
「僕は実朝。源実朝だ。君は?」