6-15
院を部屋の中心に据え、正面に佳乃が立つ。右後ろに孝己、左後ろにおばさんが立ち、三角形が出来上がった。おじさんは俺と一緒に部屋の隅に、定家は院のすぐ後ろに控えている。背筋を伸ばし目を閉じた院は、何枚かの紙を持っていた。どうやら尾張局からの手紙らしい。持っていることで少しでも道標の役割を果たすのならば、と言っていた。
「我は〝つむろぎ〟の血を継ぐ者なり。我我が血に於いてこの世の歪み綻びを繕い紡ぎて正す事を宣す」
佳乃の詞を合図にそれぞれが立てた指先から光の糸が伸びて院を絡め取る。しかし以前別の歌世界で見た彼とは違い、彼は静かにそれを受け入れた。
「失われし道よ現れ示せ」
孝己が述べ、
「失われし時よ戻り刻め」
佳乃が続く。
「失われし人よ目覚め歩め」
交互に詞を唱える双子に、乱れは何一つない。
「失われし情よ想いよ蘇れ」
一呼吸おいて、最後の詞を二人で唱える。
『― 失われし歌を今、口ずさめ』
伸びた光の糸がピン、と張り、孝己が、佳乃が、左手を振り上げる。
おばさんが、す、と左手を横に流した。
定家が顔をあげて、孝己を、それから俺を見て、静かに頷いた。
院の目が、カ、と見開かれる。
パチン、と、おばさんの指が鳴らした鋭い音が響き渡り、
同時に双子の左手が空を切り、糸を断ち切った。
『―了』
途端に巻き起こった激しい気の流れと強烈な光に、目を閉じ畳にしがみついて堪える。バタバタ、バサバサ、ガタガタと、簾や衝立や障子や柱が忙しなく音を立てる。やがてそれに混ざって、声が、聞こえてきた。
おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ
男性の、声だった。
おわりぃぃぃぃぃぃぃぃぃ
おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ
それは院の慟哭だった。
おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ
ていかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ
聞いているこちらがたまらなくなるくらい悲しく寂しく虚しい、慟哭だった。
やがてそれがプツン、と途切れて、光も嵐も収まって、恐る恐る開いた目がとらえたのは、独り静かに立ち尽くす、院の姿だった。院を拘束していた光が頭上に舞い上がり、文字となる。
『人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は』
閉じた眦から一筋涙が滑り出て、頬を伝い、顎から滴り落ちて、着物の隅に落ちる。じわり、と滲んだそれが色を薄める前に、院は膝から崩れ落ちた。
定家は消えていた。
尾張局の姿もなかった。
人を愛おしいとも思う。一方で恨めしいとも思う。本当にままならずどうしようもないこの世の中を思うが故に、様々に物思いをしてしまう我が身にとっては。
院は、部屋の中に、たった独りだった。
ぺたん、と座り込んだ佳乃を、おじさんが抱え上げる。おばさんと孝己が頷きあい、孝己が部屋を飛び出す。
「慧一君はこっち! 早く!」
おばさんの手招きに慌てて応えると、がっしりと腕を掴まれた。反対の手でおじさんの腕を握る。部屋の外で孝己が大声で火急を告げ、急いで戻ってくる。数々の足音が聞こえ始める。佳乃が目を見開いた。
「だめ! やめ」
『閉じよ!』
あっという間に、目の前の景色は、後鳥羽院の姿も、消え去って。
見慣れた司書室の小部屋に、俺たちは帰ってきた。




