5-11
「! 悠妃!」
「はい!」
あの時から、佳乃がいなくなった日から感じていた。俺たちが、俺が一緒にいたせいで、佳乃は女子からの受けなくてもいい攻撃をを受けた。もし俺がもう少しその機微に気づいてやれていたら、きっとトドメは刺されなかった。自分が良いから良いではなく、バランスを上手くとって関われば良かった。孝己は家族だから良い。でも、俺は。
「我は〝つむろぎ〟の血を継ぐ者なり。我我が血に於いてこの世の歪み綻びを繕い紡ぎて正す事を宣す」
すっかり見知った光の糸がこちらに向かって伸びてくるのを、慌てて払おうと手を伸ばす。しかしそれを交わすようにあっという間に全身を絡め取られ締め上げられる。湧き上がったのは、途方もない恐怖と怒りだった。
「失われし道よ現れ示せ」
嫌だ。
「失われし時よ戻り刻め」
佳乃が苦しむ世界に、戻りたくない。
「失われし人よ目覚め歩め」
彼女が涙にくれる世界に正義はない。
「失われし情よ想いよ蘇れ」
首をめぐらせ辛うじて佳乃の姿を視界のすみに捕える。小さく丸まった後姿。それに、いつか見た小さく縮こまって震える姿が重なる。また、あの姿を見なければならないのか。いや、違う。帰った世界に、佳乃はいやしない。彼女が捨てざるを得なかった世界を正しいなどとどうして言えようか。彼女を追いだした世界をどうして肯定できようか。どの面下げて、辛い世界に頼むから戻ってきてくれと言えようか。
「― 失われし歌を今、口ずさめ」
どうしてこの世界で彼女が穏やかに生きることを許してくれない!
「やめろぉぉぉぉぉ!」
頭が痛い。記憶が捻じ曲げられていくような吐き気と不快感。冗談じゃない。せっかく上手くいっていたんだ。佳乃は楽しそうに学校に行って、部活もクラスも満喫していて、俺と孝己と一緒に帰っても何も言われない。やっと新しい一歩を踏み出せたんだ。それなのに、あんな世界に、戻されてたまるか!
「違うだろう!」
不意に怒鳴り声が乱入した。焦点を合わせた先に、この世界の創設者である清原先生がいる。
「よく考えろ! 思い出せ! その日常はもう戻らない! 孝己君がいないだろう!」
……え? 孝己は、たかみは、かえってくるだろう? ちゃんとさだいえをつれてかえってくるんだ。そうしたら、またいっしょに、
「違うでしょう! 孝己君は帰れない! あなたが正されない限り永遠に! それとも!」
かえれない。えいえんに。
「先輩は! 孝己君も藤原定家も両親も全てを犠牲にして、佳乃ちゃんとだけこの先を生きていくつもりなんですか! それじゃあまりに孝己君が可哀相です! 先輩この前言っていたじゃないですか! 双子の兄貴分だから、あの二人がちょっと蹴躓いた時、支えてやれれば良いと思っているって! 兄貴分として、背中を押してやれたらって! なら、ちゃんと正しく双子を守ることが、先輩の役目でしょう! ちゃんと孝己君も、元の世界の佳乃ちゃんも助けてあげて下さい!」
たかみを、よしのを、たすける。ただしく、たすける。
……そんなの、当り前だろう。だって、俺はあいつらの兄貴分なんだから。孝己を連れて帰るのも、弱った佳乃を支えるのも、俺の役目なんだ。
『―了!!』
二人分の叫び声がうっすら耳に届く。
光が目を焼き、脳内を書き換えていく。
二年間の記憶の中から、佳乃が消えていく。
ようやく外に出られるようになった日。
猫に手を出して引っかかれて泣いていた日。
オープンキャンパスに来て目を丸くしていた日。
体育祭を最前列で応援してくれた日。
旅行先の海ではしゃいで靴を流された日。
孝己と一緒に受験勉強を始めた日。
うちの母親と仲良さげにご飯を作った日。
二人揃って風邪を引きながら受験した日。
二人の合格が決まって二家族で盛大にお祝いをした日。
制服を嬉しそうに来て写真を撮ってもらっていた日。
三人並んで手を繋ぎながら学校から帰った日。
『けーいち!』
『たのしい! たかみがいて、パパがいて、けーいちがいて、おばさんとおじさんがいて、がっこーいけて、ぶかつにもはいれて、ゆうちゃんやみんなやせんぱいたちとおはなしできて、すごぉくたのしい!』
佳乃の無邪気な笑顔が、消えていく。
佳乃、ごめん。
俺のせいで、お前は。
佳乃




