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賢そうな人だ。会った瞬間、そう思った。
孝己が次に選んだ頁は、一番後ろだった。百人一首の百首目。降り立った場所には見覚えがあった。つい先日行ったばかりの、後鳥羽院と対峙したお屋敷だ。そうと知った途端、今までむっつりと黙っていた定家が「院に会いたい」と言い始めて、こっそり様子を見に行ったのが少し前の話。鉢合わせした何人かを定家の顔でやり過ごし、以前謁見した部屋の前まで来て、こっそりどころか堂々と名乗りを上げそうになった定家の口を塞いで「これでまた後鳥羽院が歪みの元だったらどうするつもりだ」と孝己が叱咤し、そのまま言い合いを始めたのが数十秒前。不意に肩を叩かれて飛び上がりそうになった俺がゆっくりと振り向くと、一人の青年が小首を傾げて立っていた。上質な着物をきっちりと着こなしている。
「あなた方は、父上の部屋の前で何をしているのです?しかもそこにいるのは、もしかして定家ではありませんか?」
父上?
「おぉ、ちょうど良いところに来られた。少し院と話がしたくなってな。目通りを願いたい」
「父上は今外出なさっておいでです。……そうだ」
目の奥が光ったような気がした。途方もなく嫌な予感がする。目だけで孝己を見ると、険しい顔で固まっている。どうやら早速出会ってしまったらしい。
「役人でもある定家に、少しお話を伺いたいと思っていたのですよ。そちらはお供の方々です?まあ良いでしょう、一緒にこちらにどうぞ」
後に続きながら、孝己に耳打ちする。
「あの人が〝歪み〟?誰?」
ものすごく苦い顔で彼は教えてくれた。
「順徳院。第百首の作者で後鳥羽院の息子。予想はしていたけれど、手強い」
いつになく嫌そうに顔を顰めている彼の背中を景気づけに叩いてやると、ものすごい顔で睨まれた。なんだよ。
「慧一、今回は絶対に口出ししないで。俺が何を言い始めても、黙ってて。わかった?」
「何だよ急に。力入れすぎたんなら謝るから、怒るなよ」
「確かにイラッとしたけどそんなことで怒らない。俺の邪魔したくないなら黙っててってこと」
何だ、それ。談笑する二人の後に続く背中を、慌てて追いかけた。相変わらず要領を得ないことを言うから、問い詰めようとしたが、横顔があまりに険しかったのでやめた。代わりに前の二人の雰囲気をうかがう。定家と後鳥羽院は主従兼好敵手、といった雰囲気があったが、この二人は仲の良い師弟のようだ。果たして元来の姿なのか、それとも〝歪み〟の影響によるものなのか。
通された一室で向き合うなり、彼は人払いをした。定家の後ろに控えている俺たちをちらりと見たが、幸いにも追い出されることはなかった。
父上と仲が良い定家だから話すのですが、という前置きに、男の肩が小さく震える。
「父上が鎌倉に対して戦を起こそうとしておられるのはご存知ですね?」
思わず孝己の方に顔を向けようとして、留まる。視線だけを向けると、眉を寄せていた。定家のいた時代ではどうだったのだろう。ここで下手な返事をして怪しまれるわけにはいかないのだが……。
「……以前より、何かと不満をこぼしておったからな。驚きはせぬ」
小さく息をこぼして、定家が答えた。知らず入っていた肩の力が抜ける。
「そのお考えを何とか改めていただけるよう、共に説得していただけないでしょうか」
静かな声音だった。
「鎌倉から権力を取り戻したい気持ちはよくよく理解できます。しかし、まだ早い。北条政子殿は非常に聡明な方です。頼朝殿の奥方として武士の扱いを良く心得ておられるし、信頼も厚い。一方、源平の戦に振り回された我々朝廷はまだまだ盤石とは言い難い状況にあります。血気盛んな父上のこと、今まで理解を示して下さっていた実朝殿が自身の手から離れ始め、焦っておいでなのです。今一度、冷静に考え直していただかなければ、鎌倉の思うままになってしまいます。私個人としても、定家の弟子仲間として、実朝殿と戦いたくはない。父上が一目置いておられる定家に、何卒力を貸していただきたいのです」




