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つむろぐふたごのものがたり  作者: 燈真
第三章 兄と桜と乱の先
37/73

3-10

 やはり入口で警備をしていた武士をどうにかかわし、無言のまま歩みを進める。池のほとりにある邸宅の前で止まった。満開の桜の下、初老に差し掛かった男が頭上を眩しそうに見上げている。隣から小さな声が公経、と呟き、あれが、と改めて目を向けた、その時。

「公経」

 桜の木の向こう側から現れた男に、そしてその声に、隣からも、自分の喉からも、ひゅ、と短く息が漏れた。冠の下から見える髪は白みを帯び、顔にはいくつものしわが刻まれているけれど、確かにその男は、隣に立ち尽くしている男と同じ顔をしていた。

「良い歌が、できたか」

「これほどまでに美しい桜を見て何も浮かばぬほど腑抜けではないわ」

 からからと笑う彼は、先程まで墓の下で眠っていたとは到底思えない。孝己が回復するまでこの世界を脱することはできないので、そのまま何となく二人の話を盗み聞いている内に、それは訪れた。

「テイカ殿は存じておるか。院が、新古今集の編纂をされておられるそうだ」

「あぁ、そのようだな」

 声に一気に苦味とため息が混ざったのを聞き取って、咄嗟に定家の袖を引いた。しかし、彼はぴくりともせずにその場に立ち続けている。強引にでもその場から離れるべきか、しかし。ためらいの間に、決定打は放たれてしまった。

「隠岐におられながら歌に携わる御姿に感動はせぬのか」

「冗談を」

 その声は憤慨に満ちていた。

「新古今は我らが編纂したものが至上。それを勝手に未完のものとするとは何たる侮辱ぞ。仮に世に出回ることとなろうと、ただの我儘の塊を我は決して認めぬ」

「相変わらず、手厳しい」

 公経の笑い声が俺たちの頭の上を水を含んだような重さで明後日の方向に流れ去っていく。袖を掴んだまま、蒼白の定家の顔を見ながら、予想通りの結末にしかし何も言えずにいる。降り続く桜の花びらがこちらにも流れ来て、定家の肩にもそっと乗る。笛を教えるという約束がぼんやりと蘇る。なんだか、もうずっと昔にした約束のように思えた。やがて二人が立ち去り、孝己が目覚めるまで、定家は指一本動かさずにそこにいた。


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