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つむろぐふたごのものがたり  作者: 燈真
第三章 兄と桜と乱の先
34/73

3-7

 パン、と、渇いた音が鳴った。孝己が合わせた手を前へと伸ばし、人差し指と中指の二本だけを立てて交差させる。胸元の〟護り葉〝が淡い光を放つ。

「我は〝つむろぎ〟の血を継ぐ者なり。我我が血に於いてこの世の歪み綻びを繕い紡ぎて正す事を宣す」

 既に聞き慣れた詞が紡がれる。いつもなら左上へと移動する右手の刀印が、しかし今日は交差させたまま、くるりと回って裏返された。

「歪みの時よ今戻れ。

 曲げられし定めのその根元を我らの前に指示せ。

失われし命を、夢を、意思を紡ぎ繕ひて、総て正しき定めとせん

― 解」

 途端、辺りの風景が高速で動き出した。闇に覆われ、赤く染まり、光に照らされ、また闇に覆われ、時に雪雨が降り、その中を、物売りが、子供が、武士が、貴族が、あっという間に後ろ向きに流れていく。屋敷が建ち、壊れ、また別のものが建ち、そうして、ある時ぴたり、と止まった。人々は前へと歩みだし、正常な時の流れを感じさせる。掌から孝己の肩のぬくもりが消えたのは、その時だった。

「孝己!」

 崩れ落ちた彼の肩を抱くと、薄く開けた瞳がこちらに寄こされた。口が小さく動く。い、け。

 孝己を背負って立ち上がり、定家に目をやる。首肯した彼が早足で先行するのを追いかける。任せろ、ここからは、俺でもできることだ。

 都の通りを抜け、素知らぬ顔で大門をくぐると、さらにいくつもの塀が目の前に現れる。白砂利を踏みしめる定家の背中に迷いはなく、肩からだらりと下がる手を視界の隅にとらえながら必死で後に続く。時折すれ違いざまに浴びる視線が痛い気がしたが、気にしてはいられない。

 定家が立ち止ったのは一際大きな建物群から少し離れた、けれど十分に大きいと言える屋敷の前だった。「閑院」とかかった門の前で一言二言役人らしき者に声をかけ、堂々と入るのに従う。屋敷に上がって待つことしばし、孝己の隣で息を潜めるその耳に、衣擦れの音と、そして声が届く。

「顔上げな。先刻帰ったばっかだっつぅのに、どうしたよテイカ」

 深く低い、しかしそのあまりに乱暴な物言いに、緊張と慎重さがどこかに飛んでいった。少しだけ身を乗り出し、ふんぞり返って……否、ゆったりと座っている壮年の男をまじまじと見る。今の定家と同じくらいだろうか、白い着物の前を寛がせ、濃赤の袴の下で片膝を立て、細い目で定家を見据えている。そこから滲み出る気迫たるや、定家の隣でその鋭い視線を受けたら心中汗だくだっただろう。思わず唾を飲み込む。

彼が、後鳥羽院。別の世界で、俺たちが最後に対峙しなければならない男。

しかし、対座する定家の背は揺るがずピンと伸びたまま、どうやら物ともしていないらしい。

「申し訳ありませぬ。一つお聞きし忘れたことがあった故」

「ほう?」

 片眉を上げた院に、単刀直入に切り込んだ。

「我が義弟の処遇は、如何程となったか」

「斬首」

 底冷えのする声音。即答だった。くつくつと喉の奥で笑う声とともに、どろりと、あの空気がこちらまで流れてくる。

「今更なこと聞くんじゃねぇよ。裏切り者は誰だろうと殺す。たとえそれが、テイカの身内だとしても。お前も納得していたはずじゃねぇか」

 覚えているか。その男は静かに笑う。

「俺の祖父は必死に平氏も源氏も手玉に取ってきた。だがな、俺はそんな面倒なことはしたくねぇ。裏切れば、切り捨てる。俺にはそれができると、俺ら皇族を舐めくさっている北条の犬どもに思い知らせてやる。ましてや公経は前々から気にくわねぇと思ってたんだ。優秀なやつだってのは認めるが、実朝が死んでからますます調子に乗っていやがる。お前には悪ぃが、一族郎党皆同罪としなかっただけでもありがてぇと思ってくれや」

 これ以上言うことはない、と立ち上がった院の姿に焦る。隣の孝己はまだぐったりと目を閉じており、とてもじゃないが動けなそうだ。定家。息がつまるような重い空気の中で、唯一見える背中に念じる。定家、どうにか引き留めろ。

「……ならば院は、公経を処刑することで諸侯への心象が悪しくなったとしても止むを得ぬとお考えか」

「是」

 黙考の末に発せられた定家の問いに対し、院は即答だ。はぁ、と息をつく気配がした。知らず、孝己の手を握る。

「仮にそれが、我が院に仕えることを放棄する理由となっても?」


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