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飛び込んだ世界を彩るのは、同じ桜でも八重ではない、四月上旬に咲く桜。満開のそれの下で、俺と孝己は立ち尽くす。定家が目の前のそれを繰り返し読み、心底怪訝そうに尋ねた。
「……来る世界を違えたのではあるまいな?」
「きちんと確認した。あり得ない」
「ならば、この現状こそ主の言うところの『あり得ない』ではないか」
定家の指さすそれ。桜の古木の下に無造作に置かれた、みみず文字が刻まれた大きな石。
「……孝己」
そろり、と弟分に視線をやり、定家に倣って指をさした。失礼だとわかっていても、指さずにいられない。だって、これでは。
「つむろいで歌を詠んでもらわなくちゃいけない歌人が死んでいたら、どうするんだ?」
何度も繰り返し確かめた。定家にも何度も石の文字を読んでもらった。それでも、目の前の事実は変わらない。
入道前太政大臣・藤原公経。九六番の歌人である彼は、この墓石の下で眠っていた。
墓石を睨みつけたまま黙考していた孝己が組んだ腕を解いたのは、それから数分後。大きくため息をついて頭に手をやり、冠を被っていることを思い出したのかしばしさまよい結局首の裏をかく。
「……慧一、式子内親王の時のこと、覚えている?」
定家が渋面をつくったのが視界の隅に入った。当然だ、忘れるわけがない。
「あの時、歪みは内親王だけのものではなかった。彼女の傍にいた若定家の抱える歪みの方がむしろ大きかった。多分、今回もそれだ。誰かの歪みが藤原公経を死に追いやった。それを探してつむろげば、彼は甦る」
「ならば都にて情報を得るとしよう。ついて参れ」
深緑の衣を翻し、定家が早足で歩いていく。その後ろ姿を、孝己が引き止めた。顔だけをこちらに向ける彼に告げる声は、硬い。
「定家、覚悟をしておけ。歪んではいるが……この世界は、あんたの世界の、未来だ」
少しだけ視線を宙に泳がせ、しかし彼は悠然と微笑んだ。
「承知。……公経は我が義弟ぞ。歪みの末に死したとあれば放ってはおけぬ」




