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つむろぐふたごのものがたり  作者: 燈真
第三章 兄と桜と乱の先
31/73

3-4

「我はいつまでこの世におらねばならぬのだ。歌一つ思うがままに詠めぬなど、歌人として死ねと命じられたも同じなのだぞ」

「今定家を戻すわけにはいかない。わかってんだろ。まだ定家を狙った者の正体だって掴めていないんだから」

 案の定、少し離れた場所で立ったまま、二人は言い争っていた。一日一首を目標とし、今日までに取り戻した歌の数は十を少し越えたくらい。入学式から孝己だけで取り戻した分も合わせれば約五分の一のページが埋まったことになる。特に後半に集中してつむろいでいるのは、件の歌から近ければ近いだけ後鳥羽院の力を削げるからか。その名が脳内に浮かんだ瞬間憂鬱になった。どうやら孝己は、この一連の出来事の黒幕が後鳥羽院だと、定家に伝えていないらしいのだ。でなければ、あんな誇らしげな態度をとるわけがない。孝己は、定家が主と定めた男の敵だ。そもそもの話、定家は自分がどの歌からこの世界にやってきたのかすら知らされていないのではないか。

「孝己、定家、そのくらいでそろそろ戻れ。佳乃が待ってるぞ」

 呼びかけると不機嫌極まりない目が二対揃ってこちらを睨みつけた。……勘弁してくれ。

「慧一が悪いの、わかってるよね? 何で定家に歌なんか詠ませたんだ」

「待て、今のは聞き捨てならん。歌なんかとぬかしたか小僧」

「口挟まないでくれる? 今慧一を責めてるんだけど」

「目前で歌を蔑ろにする言葉を吐かれて黙っていられる歌人など歌人ではないわ」

「だから今の問題はそこじゃないだろ!? 面倒くさいな!」

「なんだと?」

「だいたいあんたが本領発揮したせいで佳乃に影響が及んだんだろ」

「我は歌詠みに手を抜くなどという三流の心構えなど持ち合わせておらぬ!」

 もう本当に面倒くさいこの擬似親子。責められたと思った瞬間放置された。それにしても。佳乃に影響が及んだと孝己は言った。彼は一体どの情報をどこまで定家と共有しているのだろうか。俺に言っていないことはどのくらいあるのか。そして、この状況下で、俺はどこで声を掛ければ良いものか。

 八重桜の花びらがこちらまで風に流れてくる。暖かな日差しの下漂うそれは、ソメイヨシノよりも色が濃いせいか余り儚さを感じさせない。形の良い一片を捕まえて、まじまじと見つめた。そういえば、昔桜の花びらを笛にしていたっけか。破けないように慎重に両端を摘み、張った状態で口元へと持っていく。唇に当てて勢い良く息を吹きかけると、ビィィィ、と少しだけ濁った高い音が辺りに響いた。おぉ、鳴った。懐かしい。もう一回、と息を吸い込んだその時、視線を感じた。顔を上げるとそこには呆気にとられた男が二人。

「……何やってんの」

 腹の奥から出たと思われるほどの深い深いため息をついた孝己がジト目でこちらを見る。隣では定家が興味深そうな顔でこちらの口元に注目していた。少し悩んだ末に片手を花びらから外して挙げる。そう、果たすべきは当初の目的。

「えーっと、終わったんなら戻らないか。佳乃が待ってる」

「承知」

 後ほどその仕組みを教えろ、と肩を叩いた定家が先に戻っていく。その後をしぶしぶついて行こうとした孝己を引き止めた。以降地雷を踏まないために、また彼から情報を引き出すために、確認事項は二つ。

「定家には、お前の目的をどういうふうに説明してあるんだ」

「定家のいる世界に発生した歪みに、俺の家族が巻き込まれた。定家が襲われたのもそのせい。だから俺の家族を助けるため、定家が自分の世界に帰るために歪みを正すのを手伝って欲しい」

「その歪みの源は伝えていないんだな」

「伝えたら強引にでも帰ろうとするだろ」

「了解。もう一つ。― 定家と佳乃は、顔見知りなのか」

 特に驚かれはしなかった。やっぱり気づいたか、と口の端だけで笑って、彼は頷いた。

「あの日佳乃は定家がいる世界に行ったんだ。目的はわからないけれど。定家から聞いた話だと、ある日いきなり宮中に現れたらしい。定家とは『てーか』って呼ぶくらいには交流があった。で、ある日定家が院の元に行こうとしたら刺客が現れて、気づけばこちらの世界にいた、と」

 脈絡があるようなないような、曖昧な話だ。

「佳乃は何のためにその世界に行ったんだ? 〝つむろぐ〟ためか?」

「……そこがわからない。俺は既に歪んだ状態のあの本しか知らないから」

 聞けば定家自身は刺客の正体も、襲われる心当たりすらないらしい。やはり、失われた佳乃の記憶が鍵か。でも。

「孝己。俺さっき少しだけ、元の佳乃に戻らなくても良いんじゃないかと思った。……怒るか」

 隣に並んだまま、わざと視線を外して尋ねた。静かに息を呑む気配がしたのを、目の前で舞う花びらを睨んだまま感じ取る。

「……怒るわけ、ないだろ」

 やがて耳に届いたその声は、いつか聞いたのと同じくらい、ひどく弱弱しいものだった。

 このまま、佳乃の記憶に触れないまま、全てが円満に片付いたらどんなにか良いだろう。定家の世界の歪みを正して、本を元通りにして、双子の両親を無事に助け出して、皆が笑って暮らせる日々に戻れたら、どんなにか。

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