序ー2
「けーいちー!」
甲高い声、舌足らずな物言い。振り返った瞬間飛びついてきたところを咄嗟に受け止めると、そいつはこちらを見上げて満面の笑みを浮かべた。
「けーいちとおんなじガッコー、ひさしぶり!」
「つっても離れていたの一年だけだろ。いきなり飛びついてくるな、佳乃」
周囲からの好奇の視線を避けるように引きはがすと、佳乃の頬が見事に膨れた。さながら、餅のごとく。
「ひさしぶりはひさしぶりなのぉ! けーいちのイジワル!」
イジワル、と言いながらもなお手を伸ばして腕に絡みついてくる幼馴染。ぱっちりとした二重がかまってオーラ全開で自分を見上げてくるのを見てつい子犬を連想してしまい、違う違うと首を振る。校門前でくっついてくるな、ただでさえお前一応父親に似て美形の部類に入るんだ、余計目立つだろうが。言いたいことは五万とあるが、あいにく彼女にはこれ以上の文句は伝わらない自信がある。
ほとほと困り果てて、その後ろから悠々と歩いてきた存在に助けを求めた。
「孝己。お前の姉だろ。ちゃんと捕まえておけよ」
「ムリ。慧一がどうにかして。〝兄〟だろ」
涼しい顔で即答の上〟兄〝を強調されて肩が落ちた。最近その気はあったが、しかし。
「……ますますカワイゲがなくなったな、お前」
「この年の男にカワイゲ求める方がどうかと思う」
……口の減らない……! 同じ二重でもこの弟のはやや鋭い。加えてクールぶったこの態度。姉が子犬ならこいつは猫だ。思わず天を仰いだその時、腕が強くひかれた。
「たかみもきたからか~えろ! けーいち!」
にこにこにこにこ。毒のない笑顔が自分を見上げてくる。その向こうでは、同じ顔ながら気怠げな表情が『早く』と訴えてくる。……そういえば、今日一年生は始業式とHRだけで終わりのはずだ。こんな、部活が終わる時間までいるわけがない。と、いうことは。
「……そだな、帰るか」
苦笑で答えた途端笑い声と共に佳乃が駆け出し、引きずられる形になった俺を孝己が呆れたように眺めていた。
「クラスはどーだった?」
「んーとねぇ、うしろの子がねぇ、ゆうちゃんっていうんだけどねぇ、かわいいの!」
「へぇ、もう仲良くなったのか」
「うん! よしののかみはサラサラねってほめてくれたぁ!」
「そっか、良かったな」
「うん!」
そのほめてもらったこげ茶のストレートが、歩くのに合わせて肩の下で揺れる。最寄りの駅から家までの距離、繋いだ手を勢いよく振って佳乃はご機嫌だ。こちらからしてみれば、同じ制服を着て同じ帰路について同じ学校の話題を出せていることが未だに信じられない。
「……よく、入れたな」
その意味を、向こう側で同じように手を繋いでやっている弟は正しく理解したらしい。心底同意、というように頷くが、その表情は少々複雑だ。曰く。
「国語以外は俺より点数良かった。訳わかんない」
「あー……それは」
「知識だけは高校生でも上位に入るってどういうこと。周囲が泣くよ」
普段が〟これ〝なだけに、一学期考査の結果が早くも恐怖である。一体クラスで何人が再起不能レベルの衝撃を受けることやら。願わくは、「ゆうちゃん」が賢い子であらんことを。
「頭良くて美人って、なかなかに食いつく条件だろ。弟としてそこんとこはどうなの」
茶化し半分の問いかけは、ハ、と笑って捨てられた。
「中身小学生なのに? ありえない」
「そのギャップが良いとか」
「仮にそうだとしても」
鼻で笑ったわりには、被せてきた声音に少しだけ本気が入っている。
「事情が事情だろ。ただかわいいってだけで近寄られるのは迷惑」
ふと、こちらに向けられた目がそうだと言わんばかりに白々しく輝く。
「〟お兄ちゃん〝が面倒見て虫よけになってくれるのが一番楽なんだけど」
「学年違うのに無茶言うな。お前が追い払えば良いだろう」
「は? 何のために慧一と同じ学校に入ったと思ってんの」
「俺だって年頃の男子だ! 誤解は避けたい!」
「大丈夫、誤解されたらまずくなる事態なんて起こりっこないから」
……理不尽だ。
せめてもの抵抗とばかりに睨んでみるが、生意気な〟弟〝は歯牙にもかけずに姉と握った手を振る。その様子を見ていたら、なんだか気が抜けた。生意気には生意気の理由があることを、自分は知っている。
「けーいちもたかみもなんのはなししてるのぉ?」
置いてけぼりを食らった佳乃が不満げに握った手の力を強めてきた。そう、結局のところ、こういうことだ。
「孝己は佳乃が大事すぎてたまらないって話」
だから、俺もあの日に決めたのだ。こうなってしまった佳乃を一緒に守ってやると。
頼むと、言われたから。