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つむろぐふたごのものがたり  作者: 燈真
第二章 兄と歌人と忍ぶ恋
18/73

2-3

 後鳥羽院。俺の記憶が正しければ、源三代死去の後自らの手に政権を取り返そうと挙兵し、北条家に返り討ちにされ、皇家にも関わらず島流しの刑に処された人物。その反乱は『承久の乱』として今に伝わっている。壮絶な人生を送った不遇の人間。一つのきっかけで特大の歪みを生んだとしても何もおかしくない。

 もう少し先生と話をしていく、という孝己と後で合流することを約束して、図書室を後にする。今からでも部活に出られる時間ではあるが、何となく気が進まなかった。何せ、色々ありすぎた。身体的な疲れはなくとも精神的な疲れを感じる。どうせなら図書室に残って隅の机で眠って待っていれば良かった、と2階への階段を降りきったところで気づいたが、振り返ってそびえる階段を見て、もう一度こいつを上がろうという気は起きなかった。

 〝つむろぎ〟、百人一首、双子の家の事情、二年前、おじさんとなり代った定家、本の中で出会った実朝殿、孝己の歯を食いしばった苦しげな顔、実朝殿の悲痛な叫び、金色の文字、歌、現実世界の定家、清原先生の話、後鳥羽院……頭の中でぐるぐると忙しなく回って落ち着かない。ふらふらと歩きながら、まいったな、と思った。今日の出来事はあまりに容量が多すぎる。手伝うと決めたのだから、このくらいの情報あっという間に飲み込まないとこの先やっていけない。

 不意に、ベー、と、割れた木の破片が震えたような音が耳を打った。お世辞にも上手いとはいえないその音色で、音階をつっかえつっかえ上がっていく。それをきっかけに周りの音が一気に耳に入ってきてようやく、吹奏楽部の練習場所に来ていたことに気づいた。

「どれみふぁそらしど、できたぁ!」

 教室の中から聞えてきた自慢げな声に足を止める。この舌っ足らずな幼い物言いは、もしかしなくても。

「うん、できたできた。もうちょっと『らららららららら~』ってスムーズにできると良いね」

「はぁい!」

 ひょっこり覗くのと同時に、またたどたどしい音階が始まる。金色のサックスを抱えた佳乃が、顔を真っ赤にして息を吹き込んでいた。途中でピー、という高い音が出て悲鳴を上げてうなだれるも、先輩と思しき女子生徒に促されてもう一度最初から吹きなおす。押さえる指をばたつかせながら、必死になって音の高さを上げていく。確かめるように一音一音、ゆっくりと。

 俺とも孝己とも離れて、一人で何かに取り組む佳乃を何年振りに見るだろう。

 俺が中二、つまり双子が中一の冬にあの本にも関わる事件に巻き込まれた佳乃は、それから約一年、精神科に入院した。事件前後の記憶と十三歳の自分を失った彼女は退院してからも学校に行けず、日中は専らお袋が仕事を休んで面倒を見、夜は俺と孝己がそばにいて、話をしたり勉強を教えたりした。そばにいなければ、守らなければ。それは、幼くなってしまった佳乃と、弱音を欠片も口にしないままその相手をする孝己を前に強く感じたことだ。

 その佳乃が部活に入る、と宣言した時、正直喜びより心配が勝った。彼女の異常な幼さは、この部活では受け入れられるのか。いじめられたり煩わしがられたりしないのか。孝己に同じ部活に入るよう提言したら、「無理」と突っぱねられ、さらにそれを聞いていた当の本人にも頬を膨らませて訴えられた。

『けーいち、かほご!』

「……確かに、過保護だったな」

 再び音階を吹き終わった佳乃が満面の笑みを浮かべ、先輩がその頭を撫でる。それから自分の楽器に指を添わせてみせ、それを佳乃が真剣な顔で真似する。懸念したような嫌な雰囲気はない。彼女の笑顔は曇っていない。初日に仲良くなったゆうちゃんと、この部活の先輩。今の佳乃の周りは、温かい。

 万が一視界に入って集中を切らせてはまずいので、その場からそうっと退却した。廊下を歩きながら「あー!」と叫んで頭を掻く。嬉しいことは嬉しい。安心した。しかし、しかしだ。

「お兄ちゃんは、寂しいぞー」

 さて、佳乃が一人で頑張っている。孝己も一人で戦っている。ならば、兄たる自分はどうするのが最善か。少なくとも、情報量の多さにめげている場合ではないだろう。


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