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つむろぐふたごのものがたり  作者: 燈真
第一章 兄とつむろぎと将軍
13/73

1-8

 その時、彼を絡め取っていた糸から抗う力が抜けた。それに真っ先に気づいた孝己が素早く行動に出る。

ぴくりとも動かなかった右手を勢いよく右へと振り抜く。同時にこちらも人差し指と中指を立てた左手を上に掲げ、真っ直ぐ振り下ろした。

「― 了」

 切れた光の糸は一瞬だけ実朝殿に巻きつくと一際強い光を放ち、彼を解放してふわり、と舞いあがった。形を変えながらその頭上へと浮上し、やがてその動きを止める。

 完成した形は、文字のようだった。崩れた文字が縦書きに五行並んでいる。何が書かれているのか、と目を凝らした時、ぼんやりとした面持ちの実朝殿の口が、ゆっくりと動いた。


『 世の中は 常にもがもな 渚こぐ 海人の小舟の 綱手かなしも 』


 かすかな声で歌われたはずのその歌は、不思議とよく響き渡った。その余韻が消えた頃、光の文字はその形を崩し再び一本の糸に戻ると、宙を舞って孝己の胸元へと吸い込まれるように消えていった。

その端まで消えた時、それまで虚ろだった実朝殿の目に意思の光が戻った。固い表情で見守る俺たちを交互に見やる。それから彼は一つ瞬きをして、いかにも不思議そうに首を傾げた。

「君たちは、誰かな?」

「……は?」

 あまりにも自然な問いかけに、返す言葉を失う。誰、と聞かれた。あの様子はジョークじゃない。純粋に疑問に思っている。おかしい。ついさっきまでの、いやもっと前、彼と出会ってからのやりとりは、一体何だったんだ。全部全部、なかったことにされたのか。

 自分が吐き出そうとしている言葉すらよくわからないまま一歩踏み出そうとした俺の腕を、孝己が掴んだ。そのまま自分が前に出る。先ほどとは一転、空々しいまでの笑みを浮かべて。

「どうされたのですか、実朝様。俺たちは定家様の弟子だと、先ほど申しましたでしょう」

「あぁ、そうだったか。すまない、何だか現を抜かしてしまっていたようだ」

「毎日の政務でお疲れなのでしょう。本日もお忍びで来られたとのことですし」

 そうかもしれないね、と笑う彼からは、ほんの数分前までの決意や苦心や葛藤は何一つうかがえない。まるで、そのようなもの初めからなかった、と言わんばかりに。

「おや、実朝ではないか」

 その時、飄々とした声と共にこの家の主が現れた。姿を認めた将軍が相好を崩す。

「ご無沙汰していました、テイカ。元気そうで何より」

 それから、ふと「あれ?」という表情をした。何かを忘れてしまったことに気づいたが、それが一体何かはわからない。そういった具合で思案顔をする。

「実朝? どうかされたか」

 だがそれも、定家が声をかけたことで霧散した。いいえ、と首を振りかけて、しかし何かを思い付いたように表情を改めると、静かに切りだす。

「そうだテイカ。本日はご相談があって京まで参りました。こちらでお会いできて良かった」

 ほう、と定家が顎を撫でる。一方、俺は思わず孝己の顔を見た。何がどうなっているのかはさっぱりわからないが、これで実朝殿が譲位云々の話を始めたら、こいつはまた先ほどと同じことをするのだろうか。懸念のこもった視線に気づいたのか、孝己がちらり、とこちらを見る。そして、小さく首を振った。どういう意味だろう。

 実朝殿が厳かに切りだしたのは、しかしながらこちらの懸念とは全く異なるものだった。

「テイカ、実は私は、私家集を作りたいと思っています」

 彼はうっすらと口元に笑みを浮かべてこう述べた。

「貿易のこと、政治のこと、どうやらこの先忙しくなりそうな気がするのです。おそらく、悠々と歌を作る間もないくらいに。ですので、この辺りで私の集大成といたそうかと」

「……そうか、本格的に、将軍として、動くか」

「……はい」

 応答した表情は笑みに彩られていたが、それでも仄かな切なさが混ざっていたように思う。

「さしあたっては、テイカに編纂の助言をいただきたいのです」

「……相わかった。まずは自身の歌を今一度並べ分けてみよ。歌の取捨はそれからだ。また、文を送れ」

「承知いたした」

 心底ほっとしたように頷くと、実朝殿はこちらにも目を向けた。固まる俺を見て、おそらく自分の身分を思い出したのだろう、笑みを浮かべて近寄ってきた。

「君はいつ、弟子に?」

「……つ、つい最近です」

 そうか、と応えた彼は俺の手をとると、その瞳を輝かせた。

「それでは僕の弟弟子になるんだね」

 それはそれは嬉しそうにそう言うと、彼は手を握る力を強めた。そのまま、じっくりとしみこませるように語りかけてくる。

「テイカがね、よく口にするんだ。『この世の中に於いて最も自由なのは歌だ』って。思いを尽くし言葉を尽くして歌われたものに、身分も境遇も性別も何もないんだって。だから僕はここでは、ただの君の兄弟子だ。良いかい?」

 どこかで聞いたことのある台詞だと思った。記憶を辿って、すぐ見つけ出す。無性に懐かしく、悲しくなった。そうだ、それを聞いたのは、ほんの少し前のことではないか。

「僕はこれから仕事であまり歌を詠めなくなる。だからどうか君が代りに歌ってくれ。僕の分まで、たくさんのことをテイカから学び、たくさんの素晴らしい歌を作ってくれ」

「……はい」

 それしか、応えられなかった。例え前提が嘘で固められたものだとしても、今この瞬間だけは、託されたものに頷いていたかった。

 では、と短い挨拶を残して、鎌倉幕府三代目将軍は京のあばら屋を後にした。

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