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つむろぐふたごのものがたり  作者: 燈真
第一章 兄とつむろぎと将軍
12/73

1-7

 右の手首を支えるように左手を添えると、〝護り葉〟から光が伸びて糸のように立てた指に幾重にも絡まった。指先から発せられる針のように鋭く透き通った波動が、目を見張る俺と顔を強張らせる実朝殿を包む。その中心で、孝己の声が朗々と響いた。

「我は〝つむろぎ〟の血を継ぐ者なり。我我が血に於いてこの世の歪み綻びを繕い紡ぎて正す事を宣す」

 光の糸が瞬く間に伸びて、逃れる隙も与えず実朝殿に巻きつく。その声に力が篭った。

「失われし道よ現れ示せ。

 失われし時よ戻り刻め。

 失われし人よ目覚め歩め。

 失われし情よ想いよ蘇れ。

 ― 失われし歌を今、口ずさめ」

 その詞を放つと同時に反動をつけて右手を右に引く。実朝殿を取り巻く重苦しい空気が引っ張られる。そのまま引ききるように、見えた。しかし。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 咆哮が響き渡った。澄んだ空気を押しのけようと粘つく空気が伸び上がり、生ぬるい風を生じさせる。その中で、縛られ硬直した身体の全てを開くかのように、実朝殿が叫んでいた。その顔は苦痛に歪んでいる。反対側で孝己が歯を食いしばっているのが見えた。全力を右手に集めているのがわかるが、少しも動いていない。

「やめろぉぉぉ!」

 脳内で何かが起きているらしく、抗うように強く頭を振りながら、将軍が叫ぶ。

「僕は! 僕の願いは! 歪みじゃない! これは、正しい望みだ!」

 全く動かない身体で乗り出すようにして、彼は孝己へと言葉で噛み付く。

「将軍から降りることが何故歪んでいる! 無能の僕がその座に留まることに何の意味がある! この都で! テイカの元で歌を歌いながら過ごすことの、何が歪みだというのだ!」

 しかめられた顔の中で、瞳だけが真っ直ぐに彼を捕らえる存在へと向けられていた。抵抗の意志に満ち見開かれたそれからは涙が湧き出て、次々と頬へ床へと落ちていく。その向かいで同じように落ちていく雫があった。額から流れ落ちる汗を拭うこともせず、険しい顔のまま、彼を追い詰める男は食いしばった歯の間から呻くように応えた。

「あなたに、とっては、そうだろうな。それは、多分、優しい、未来だ。でも!」

 涙に濡れた瞳を受け止める瞳が、鋭く細められる。

「それでも! 俺はそれを歪みと呼ぶ! つむろぐ! じゃないと!」

 その表情は、泣く寸前のようにも、見えた。

「じゃないと! 俺の世界(いま)は、ずっと、ずっと、壊れたままなんだ!」

 心から吐き出された叫びは慟哭のようで、こちらの胸を貫いた。

 孝己、お前、今壊れた世界の上に立っていたのか。

 壊れた世界をたった一人で、繕って紡いで元通りにしようと、こうして。

 変わってしまったと肩を落とした俺は、変わらない彼がいたことに安堵した俺は、なんと温い思考をしていたのだろう、彼はおそらく、

 ― 変わらざるを得なかったのだ。

 望みと望みがぶつかり合い、空気が大きく揺れ動く。その様を呆然と眺めていた俺に、突如鋭い声がぶつけられた。

「慧一!」

 咄嗟に顔をあげる。呼んだ主は必死の形相でこちらを見ていた。おそらくその手が自由だったら、こちらに向けて伸ばされていただろう様子だった。

「慧一! 君ならわかるだろう! 弟弟子の君なら! 僕の夢に耳を傾けてくれた君なら! 僕の望みの正しさが!」

「慧一を巻き込むな将軍! 彼は関係ない!」

 顔を青ざめた孝己が怒鳴り返す。それまで目の前で混ざり争っていた気が、突然こちらへと向きを変えた。取り込もうとする気とそれをさせまいとする気が怒涛のように辺りを取り巻いて荒れ狂う感じがする。……酔いそうになった。

「慧一!」

「聞くな慧一!」

 何か、自分に色々なものが託されている気がして息苦しい。

 誰に何を答えるのが正解なのか。

実朝殿に少しでも情や理解を見せたら、孝己は多分振り切られる。振り切られた後どうなるのかは想像すらつかなかった。では、孝己に従って耳を塞ぎ目を閉じて、一切を知らぬ存ぜぬのまま、ただ終わるのを待つべきなのかと問われれば、心の大部分が否と答える。理由は二つ。一つ、自分はそこで非情になれるタイプではない。そしてもう一つ、孝己に守られるばかりになってしまう自分が許せない。なぜなら俺は頼まれたのだ。双子をよろしくと、言われたのだ。ならば彼の足手まといになるわけにはいかない。それは何としても避けなければならないのだ。

「実朝殿!」

 だから、俺は立った。まだ息は苦しいし頭は痛むが、とにかく立った。

「俺は、俺には、守るものがあるんです! どうしても、守らなきゃいけないものが、あるんです! ここであなたの望みを歪みだと言い切る幼馴染にも!」

 二組の瞳がこちらを正視する。

「実朝殿にはないんですか!? 守りたいもの、将軍としてなら、守れるという何かが!」

「……守りたいもの……」

「そうです! 将軍という立場だからこそ守れるものって、あるでしょう!? そういうの、ないんですか!? もう、本当に、降りても何の未練もないくらい、ないんですか!?」

 ある意味賭けだった。「ない」と言われた時に返す言葉なんて、何も用意していなかった。ただ、あると信じたかったのだ。優しい、優しすぎる将軍である彼が、何一つに対しても愛着をもたない者であるわけがない。

 全てのものが、荒れ狂っていた空気すら、その動きを止めていた。驚くほどの静寂が満ちる。緊張を解かぬまま様子をうかがう孝己の隣で、息を潜めて待つ。

 そして、それはふ、と転がり落ちた。

「……鎌倉の、海」

 ふと揺れた瞳に、懐旧の情が映った。

「父上が、昔よく連れて行ってくれた。兄上と母上と一緒に」

 情の色が濃くなる。必死さに満ちていた声音が変わる。重苦しかった空気が、見る間に収束していく。掴んだ思い出の端を確かめ手繰り寄せるように、言葉が紡がれていく。

「そうだ、京に来る時に見たんだ。その海を。あの日のように海人が小舟を引き綱で引いていた。あまりにものどかで、戦などもうとうの昔に終わってしまったかのようで……」

 そして、手繰り寄せたものを大事に抱え、将軍はゆっくりと瞳を閉じて、

「僕は、あの海からそののどかさを奪いたくない。人の血をあの海に与えたくない」

 涙を一粒、流した。

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