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二章

 二章


 かの魔法使いたちの街で、精霊の声が聞こえる娘が暗き魔法使いに拐われたようだ。

 ――イリーナが道を歩いていると、そんな噂が耳に飛び込んできた。

「これって、私のことよね?」

 ぼそりと荷の中のルークにだけ聞こえるように小さく呟く。

「その通りだ。――精霊どもを使役して、そういう噂を流させた。このほうがかの街も安全であろう。暗き魔法使いどもも、お主が街から去ったことに気が付くだろうからな」

 ルークは言った。

 なるほど、とイリーナは頷いた。

 ――王都。

 その街路である。

 あの夜、イリーナが気絶したあとにルークは転送の魔法を使ってこの街に来たらしい。

 何かの遺跡らしい場所で目が覚めたイリーナは、それを聞いてややひやりとした――大抵の街には入り口に検問所があるもので、きちんとこの検問所を通過しておかないと、のちに「不法侵入だ」などと見咎められることがある――が、遠見の魔法でこっそりと検問所を覗いてみると、そんな必要はいらないことが分かった。

 王都は、驚くほど大きな街だった。

 行き交う人々があまりにも多いため、検問所では、よほど不審な者しか呼び止めないようだ。

「――それで、目的の物は見つかった?」

 イリーナがルークに尋ねる。

「いや。……よく分からぬ。どうやらこの近くにはないようだが――リナ、次は左へ曲がれ」

「その指示、あてになるの?」

 ここ一週間ほど、ルークの指示に従い、街中をくまなく歩き回っているのだ。

 頭の中に地図を思い浮かべられるくらいだ。

 イリーナはぶつぶつとぼやきつつも、言われた通り、左へ。

 ――ルークとイリーナは、ルークの生前の身体の一部を探していた。

 ドラゴンの鱗や角は、加工すれば強力な武器になる。

 ルークも死ぬ前に角を剣にしてこの地の王に授けたのだという。

「王族の所有物なんて盗めないわよ」

 イリーナが言うと、いいや、と残念そうな声でルークは否定した。

「かの国は亡びたと精霊から聞いた。実際、ここの王はわれの知る血筋の者ではないらしい。……人の子の儚さには嫌気が差す」

 ルークの口調が、なんとも言えない調子だったので、イリーナは黙って剣を探すのに付き合うことにした。

 幸い、この国の外には流れ渡ってはいないらしい。

 商人が剣を鑑別するときには刀身を抜くことになるが、刀身があらわになれば、たとえ千里離れていようとも、その身体の主であるルークには分かるらしい。

 しかし剣が抜かれたのは、かの王が敵を追い払うのに使ったただ一度きりだ。

 ――だから、あるなら、まだこの地のどこかに埋もれているはずなのだ。

「特徴のある剣なら、遠見の魔法を使って探し出せたのに」

 歩きに歩いたイリーナはげっそりとして言う。

 王の剣だというのに飾りもなにも施されていないらしい。

 見た目が分かれば探すのも楽になるだろうと思ったイリーナは、それはどういう剣なのかとルークに聞いてみたのだが、ルークは少しばかり考えると、姿を現して、対魔物用の剣を指したのだ。

 どこにでもあるような黒鞘黒柄の簡素な剣。

 鞘のほうは自由に取り替えることができるようになっているが、しかし剣の抜き身がさらされたのがただの一度だけなのだから、それから変わってはいないはずだ。

 あの剣はわれが実際に近付いてみなければ見分けられぬ、とルークは言った。

「もう、街中は探し尽くしたわよ。あとは城のあたりだけ。……貴族の居住区なんかには私みたいな一介の魔法使いは近付けないわよ」

「ふむ。おかしいな。てっきり遺跡のどこかに隠されて放っておかれているものだとばかり思っていたのだが……」

 街には、ルークの知る王国の建造物が意外と遺されていた。

 城壁は再利用されているようだし、用を成さなくなったものでも、取り壊すほどの気は起きなかったのか、朽ち果てるままに街中で放置されている。

 見張り台跡や庭園跡などが、市場や人々の家々の間に、ちらほらと。

 ――しかし、そのどこにも、剣はなかった。

 鍛冶屋道具屋に無造作に置かれているかもと思ってそちらもあたってみたのだが、やはりルークの角だという剣は見当たらない。

 埒が明かないと思ったイリーナは、魔道具を扱っている店で、ドラゴンの剣について聞いてみたが、そういう剣は、見たことがないと言われた。

「貴族か。そうか、ならば探しやすい」

 ルークははたと気が付いたようにそう言った。

 え、とイリーナが問い返すと、遠見の魔法を使えば良いと言われた。

「あやつらの持つ剣の中で、やけに地味で浮くものがあれば、それがわれの探している剣に違いない」

 なるほど。

「そういうことは早く言ってほしかったわ。この一週間歩き通しで、もう、足が棒みたいだもの。徒労だったじゃない」

 イリーナはやや不機嫌な声を作って言った。

「ここらにはない、とはっきりしたではないか」

 ルークはそう言い返してきた。

 それに、ここにないからといって貴族の誰かが必ずルークの剣を持っている――とは限らない。もしかしたら本当に一度も抜き身が晒されないまま他の地へ流れ渡ってしまっているかもしれない。

 ――そのときにはどうするの? とイリーナが聞くと、ルークは、諦める、と潔く答えた。

 剣を探しているのは、それをたまごに吸収すれば、強大な力が手に入るからだという。

 自分の身体の一部なのだ。

 取り込めば、その分だけ生前の力を取り戻すことになる。

 ルークはドラゴンであるとはいえ、未だにたまごなのだ。

 持っている力は今も、途方もないくらいに強大だが、本来その力はたまごから生まれるために使わなければならない。

 だから、暗き魔法使いに対抗するためには、たまごの「中身以外」の余分な力が必要になるわけで。

「……諦めるとは、言ってくれるじゃない。一週間かけて探してるっていうのに」

「だから、万が一見つからなかったらの話だ。――諦めるしかなかろう? 見つかるように、祈れ。あるいは全力で探せ」

 随分な他力本願。

 しかしルークはこちらに協力してくれているのだし、たまごの外に姿を現すのにも力を使うのだと聞いてからは、まあ仕方がないなと思って半ば諦めている。

「いいわよ見つけてやろうじゃない」

 イリーナは言った。

 そうと決まれば、と宿へ引き返す。

 遠見の魔法を街中で使うわけにはいかないのだ。慣れれば意識の一部を遠くに飛ばしつつ身体も自由に動かせるようになるとルークは言っているが、イリーナにはそんな芸当はとても無理だ。

 来た道を戻り、市場へと続く街路へと入り――。

 ん? とルークが微妙そうな声を上げた。

「なにやら不愉快な気配を感じるな」

 ぴくりと肩を上げる。

「暗き魔法使い?」

「いいや。そういう不愉快ではない。こう……予期せぬ場所で仲の悪い友にばったりと出くわしてしまったような」

 何それ? とイリーナ首を傾げた。

 分からぬ、とルークは答えた。

「たまごに長く籠りすぎていたせいで、勘が鈍ったらしい。不快ではないが、不愉快なのである」

 不快ではないというのなら、とりあえずは危険ではないのだろう。

 イリーナはともかく先を急ぐことにした。

「――おかしいな。ついて来るようだ」

 またルーク。

 右へ曲がれ、と指示。

 市場から続く賑やかな大通りから、脇道へと入る。

「おお、やはり駆けてきた」

「ええっ?」

 呑気に言うルークに、イリーナは思わず荷の中のルークに目をやって声を上げた。

「どうするの? この先は確か人気のない一本道だったんじゃない? また変なのに目を付けられたら嫌なんだけど」

「ふむ。考えていなかった。相手の顔を見たくなったゆえ」

「……あなた、私を守りたいのか危険に陥れたいのか、どっちなの?」

「もちろん、お主のことはわれが守るぞ。たとえ危険に陥ったとしても。……こういうのはどうだ。死んだふりをしてやり過ごすというのは」

「熊でも騙せないわよ!」

「われのことなら騙せるぞ。昔、われに挑んできた剣士に、それで不意打ちを食らったことがある」

 えっへん、と誇らしげに言われた。

 偉ぶることでもないでしょうに、とイリーナは呆れたようにため息をついた。

 ルークは言う。

「まあ、ともかく離れるがよい。そんなところに突っ立っていたら目の前で顔を突き合わせることになるぞ」

「……それは御免だわね」

 イリーナは、駆ける。

「待て!」

 背中に声が投げ掛けられた。

 男の声。

 振り返って立ち止まり、背から杖を取り出して構えた。

 男も止まる。

 若い声だと思ったが、やはりその通り、イリーナよりいくらか年上くらいの、青年だった。

 腰には剣を帯びている。

 身なりはそこらの魔物を狩る流れ者と変わらないが……どうも、毛色が違うような気がする。

 表情。仕草。

 魔物を狩る者にしては、粗暴さ感じられない。

 やけに上品な気がするのだ。

「……私のあとを尾けていたようね。名を名乗りなさい」

 イリーナは男が口を開く前に言った。

 なぜ逃げたのか、などと問われる前に。

 見知らぬ男に尾けられているのだから逃げて当然だ、と。

 男はぐっと言葉に詰まった。

 しかし、それは束の間で、イリーナのことを指差して、言う。

「お前のような小娘に名乗る名などない。――市場で、ドラゴンの角の剣のことを尋ねてきた魔女のことを聞いた。それはお前のことだな?」

 イリーナは眉をひそめる。

 それが何? という顔。

 旅人がドラゴンの身体を使った武器のことを聞くのはそう珍しいことではない。

 そういう逸話のある武器というのは――大抵が偽物であるが――どこにでもあるものだし、そういうものは偽物であっても面白い魔力が秘められていたりするから、別にそれを尋ねてもおかしいことはない。

「魔女が剣を見てはいけないのかしら」

 イリーナは聞く。

 魔力のある剣というのは、武器として使わずとも、魔法使いはその魔力の仕組みを解明したがるから、しかるべきところへ持ち込めば喜んで引き取ってくれるのだ。

「いいや。――しかし、お前はどうも怪しい」

 男は言う。

「こんな街中でなんの魔法を使っているんだ?」

「魔法?」

 イリーナはますます眉をひそめる。

 ……これはさすがに身に覚えがない。

「私、魔法なんて使ってないわ。一体なんのこと?」

「ぶつぶつと呪文を唱えながら歩いているじゃないか」

 ルークとの会話のことだった。

 聞かれていたらしい。

「呪文じゃないわ。悪かったわね、独り言が多くて。残念だけど、私、歩きながら魔法を使えるほど器用じゃないの。――見れば分かるでしょ。多分、私はあなたより年下よ?」

 突出した才能を持つ者や、晩年になってから魔法を学び始めた者を除けば、魔法使いの地位というのはおおむね年を重ねた者ほど高くなる。

 イリーナくらいの年齢の者ならば、大抵は、まだ見習いの身分である。

「しかし――」

 男はなおも言い募る。

「……魔法ではないと言うなら、どうしてそんなに精霊たちを引き連れているんだ?」

「精霊?」

 イリーナが怪訝な表情で問うと、男は「しまった」というように口をつぐんだ。

「なるほど。こやつには精霊どものことが見えているらしいな」

 ルーク。

 返答すれば男に怪しまれると思ったイリーナは、口を閉ざしたまま男のほうを向いていたのだが――。

 ……男はぎょっとしたようにイリーナの背後を見ていた。

 振り向くと、ルークが実体を現している。

 いきなり音もなく現れたのだから驚くのもまあ無理はない。

「そうか。貴様ら、奴らの仲間だな?」

 男が剣の柄に手をかけて言う。

 奴ら?

 イリーナは首を傾げる。

「なんだかよく分からないけど、ややこしいことになったじゃない」

 ひそひそとルークに囁く。

「いいや。こやつの言う『奴ら』とはおそらく暗き魔法使いのことだ。われらがそうでないことはわれら自身が知っていよう?」

 暗き魔法使い、という言葉にイリーナと男がぴくりと肩を上げる。

 男が剣を抜いた。

 ルークは――、魔法を放った。

 ごおっとイリーナの耳横を風が過ぎる。

 男に直撃。

 倒れる。

 一瞬、状況を理解できずに固まり、え、というようにルークのほうを振り返った。

「ちょ、ちょっと、いきなり何をやってるのよ! 死んじゃうじゃないっ」

 ルークの胸ぐらを掴み、ゆさゆさと揺する。

「死にはせん。手加減した。無傷であろう」

「手加減? 無傷? あんな魔法食らったら、胴体に風穴が開いちゃうじゃない」

「大丈夫だ。ほれ、見ろ」

 イリーナがルークの指し示すほうを見ると、男が驚いた顔のまま半身を起こしているところだった。

「やけに不愉快だと思っていたが、どうやらこやつはドラゴンの魔力でできた石を持っているらしい」

 ルークは言った。

 ――ドラゴンの魔力でできた石。

 イリーナは少し首を傾げ、ルークに問う。

「それってつまり、ルークみたいなドラゴンのたまごってこと?」

「いいや。そういうややこしい物ではない。……言葉通りの意味だ。とあるドラゴンが魔力を練って作った石で、魔法を無力化させる効果がある」

 なるほど道理でルークの魔法を食らって無傷でいられるわけだ。

 しかし、とあるドラゴンが作った石、というと――。

 イリーナはちらりとルークに目を向ける。

 その視線に気が付いたルークは、違う違う、と首を振って言った。

「……見この石を作ったのは炎の気を持つドラゴンである。ふむん。あやつとはあまり気が合わなかった」

 不愉快だ、とルークは呟く。

「あやつは人の子におだてられやすく騙されやすい奴だった。騙されているぞ、と忠告しても聞かなかった。石がここにあるのも、あやつがほいほいと人の子のために作ってばらまいたせいだ。……精霊どもから聞いた話では、最近などは、名ばかりの爵位と引き替えに自分の棲み処をも譲ってしまったらしい」

 ため息。

 話を聞く限りでは随分と仲が良さそうに思えるけど。……とは口には出さなかった。

 男が剣を拾って立ち上がり、構える。

「さっきから、自分がドラゴンであるかのような口ぶりだな?」

「その通りである」

 ルークは頷く。

 男は貶したように口の端を上げ、大仰に両手を広げてみせる。

「魔法も効いていないのにか?」

 挑発。

 もう一度撃ってみろ、と言いたいらしい。

 ルークの言葉が本当だとは信じていないようだ。

 発動させた魔法が効かないというのは魔法使いの恥だから、二度目もルークの魔法を防いで、その誇りを打ち砕いてやろうという腹積もりでいるらしい。

「手加減した、と言ったはずだが」

 ルークは首を傾げた。

「……まあ、そこまで言うのならばわが力を示してやるのもやぶさかではない。言いたいことはあるが、それはまた別の機会があれば、忠告しよう」

 ぶつぶつと、詠唱。

 剣を構えてある男が真剣な面持ちでそれを見守る。

 耳慣れない、魔法使いが使う言葉とは違う言葉だが、なぜだかイリーナにはそれが眠りの魔法だということが分かった。

 ――前触れもなく男が倒れた。

「ふん。他愛ない」

 誇らしげにルーク。

 イリーナは――ルークの首根っこを引っ掴んで駆け出した。

「ぐえっ」

 奇声。

 イリーナの手から手応えが消える。

「リナ、われを殺す気か!」

 たまごの中からルークが抗議してきた。

 イリーナは反論する。

「だってルーク、あなた、とんでもないことしてくれたじゃない!」

「今の魔法か? あれは単なる眠りの魔法だ。お主が心配するようなものではないぞ」

「……後ろを見てもそう言える?」

「ん?」

 ひょいっとルークが顔を出す。

「ああ。……すまぬ」

 納得したように頷いて、謝ってきた。

 ――男が倒れる瞬間を、住民に見られていたのだ。

 おそらくルークが一度目の魔法を放ったときから、住民たちも気付いて様子を窺っていたのだろう。

 すでに結構な人数が集まっていた。

 剣を抜いた巡回兵に、あっちだ、とイリーナを指して言っている。

 ――非常にまずい状況だ。

 イリーナにはルークの言う通り男は眠りの魔法にかかっているだけだと分かるが、はたから見れば、ただ単に気絶しているようにしか見えない。

 あるいは死んでいるように。

 ――風の精霊が見えるようになったイリーナには、男のそばに集まっている人々のざわめきがしっかりと聞こえた。

 いわく、「この男、死んでるんじゃないか?」などと。

 どうやら後者の解釈をされたらしい。

 最悪だ。

「リナ。飛ぶぞ」

 ふいにルークは言った。

 え、と思った瞬間、身体がぶわっと風に巻き上げられた。

「――!」

 イリーナは言葉にならない奇声を発したが、それも風に掻き消された。

 そして周りの建物を越し、空が見えたと思うと――。

 ……すとん、と宿の寝台に腰かけていた。

「え、え?」

 わけが分からずイリーナが首を傾げていると、ルークはイリーナの前に姿を現して言った。

「転送の魔法である。われはドラゴンであるゆえ、無駄な詠唱や魔方陣の展開は不要なのだ。どうだ、上手く逃げられたであろう」

 ルークが恐れ入ったか、というように胸を張る。

「……だったらもっと早く助けてくれれば良かったじゃない。なんだかまた厄介事に巻き込まれたような気がするんだけど」

 おそらく男は普通の傭兵ではない。

 言葉遣い然り、立ち振舞い然り。……ましてドラゴンの魔力の籠った石を持っているとあっては。

 イリーナは男の正体を、どこぞの公爵か何かの警護をしている者だろうと考えている。

 貴族の命を狙う者は多いし、そういう者は大抵魔法を使ってくる。

 だから、魔法を無力化させるドラゴンの石はかなり有効だ。

 ドラゴンにまつわる品というのは一般の者が手を出せるような安価な品ではないが――男の身なりはどうも貴族のそれとは違っていたし、貴族と紛うほどの言葉遣いというわけでもなかった。

 となれば男の正体は、末端にまでほいほいとドラゴンの石を配れるような大貴族の配下にいる者だということになり――。

「……うかつに街を歩いていたら、捕まっちゃうかもしれないじゃない」

 イリーナはため息をついた。

 すまぬ、とルークは謝ってくる。

「先ほども言ったが、相手の顔を見てみたかったゆえ」

「好奇心は猫をも殺す、ってことわざ知らない?」

「猫よりもわが好奇心のほうが大事だ」

「……あなた今、国中の魔法使いを敵に回したわよ」

 イリーナはルークを睨む。

 魔法使いには概して猫好きが多いのだ。

 ルークは肩を竦めた。

「だが実際、あの男はどうも気になる。精霊が見えていて、しかも暗き魔法使いどもと関わりがあるような素振りをしていただろう」

 イリーナは男の言動を思い出す。

 奴らの仲間か、と問われ、剣を向けられた。

「あの人も私みたいに暗き魔法使いに狙われてるってこと?」

「おそらく」

 ルークは頷いた。

 男は魔法使いではないようだったが、イリーナにうっかりと精霊が見えることを漏らすくらいだから、街の者にもそれなりに知れ渡っているのだろう。

 しかも「怪しい」イリーナを尾け回したり、ルークを挑発したりと――どうやら厄介ごとに自ら首を突っ込みたがる性格でもあるらしい。

「暗き魔法使いと面識があって敵対しつつ、なおかつ未だにこの街に留まっているということは、一度はあやつらに狙われて、しかもそれを退けたということだろう」

 ルークはイリーナの眼前にびしっと人差し指を突き出した。

「なにやら気にならぬか?」

 うっとイリーナは詰まる。

 ルークの言うことには一理あるような気がする。

 暗き魔法使いとやり合う術があるならば、ぜひとも知っておきたいところだ。

 一週間探し回っても見つからないルークの身体から作られた剣とやらを求めるよりも、よっぽど楽な気がするし、現実的でもある。

 ぐうの音も出ないイリーナに、「ほれ見ろ。われは正しい」とルークが言う。

 悔しい。

 イリーナは言う。

「で、でも……あの人が私たちにとっても厄介であることには変わりないじゃない? 貴族と関わりがある身分みたいだし――探ろうにも、こっそり近付くことは難しそうでしょう?」

「生身ではその通りだろう。しかしお主は遠見の魔法が使えよう?」

「遠見の魔法は見破られるんじゃないの? あの人、普通じゃないもの」

 意識の欠片を飛ばす遠見の魔法。

 ルークいわく、意識の欠片は光球の形をとり、精霊と同じく普通の者には見えないという。

 しかしイリーナが探ろうとしているあの剣士の男は、精霊が見えているのだ。

「ああ」

 ルークは言う。

「お主は風の精霊しか見えないから分からないだろうが、普通、精霊が見えていればそんな光球の一つや二つが浮かんでいたところで気になるようなものではないぞ。われは昔、十人ほどの魔法使いに同時に監視されていたことがあるぞ」

「それじゃあてにならないじゃない」

 ルークの場合、単なる鈍感で片付けられる気がする。

 イリーナはため息をついた。

「しかしまあ、そもそも遠見の魔法は習得者が少ないため、見てもそれとは分からぬだろう。……なにしろ失敗したら意識を引き戻してやれる者は少ないからな。普通ならばそう簡単には習得できないし、習得しようとも思わぬ」

 一度目の発動のとき、意識が彼方へ飛ばされそうになったことを思い出す。

 なるほど確かに危険な魔法だ。

 遠見の魔法に必要な魔力は、発動のときに放出する分だけであるから、長時間遠見を続けていようと魔力が尽きるようなことはない。

 ――しかし、身体のほうは飲まず食わずで生命を維持することはできないわけで。

 一、二週間も意識が戻らなければ、餓死してしまう。

 身震い。

「そ、そんな危ない魔法、ほいほいと使わせないでよ」

「われがついている限り、危険なことなどはない。実際きちんと発動できたではないか。二度目もすんなりと。――言ったであろう、難しいのは最初の発動だけだと」

「それはそうだけど」

「しかも今、まさに、ぜひとも遠見の魔法を使わねばならない場面に出くわしているというのに」

「――――」

 また、ため息。

 イリーナはしぶしぶと遠見の魔法の準備を始める。

 詠唱。

 ――発動。

 三度目の遠見の魔法では、身体のほうの目を開いてみる余裕もあった。

 おそるおそる目を開けると、景色が二つ、重なって見えた。

 前方に小さな光の塊。

 ああ、私だ。とイリーナは思う。

 しかし二つの景色を同時に見ることはどうも難しい。――目眩がしてきたので、イリーナは身体のほうの目を閉じた。

 イリーナはふわっと壁を通り抜け、先ほどの場所へと戻る。

 人だかりは失せ、ルークが眠らせた男もその場にはいなかったが、少ししたところに片手で頭を押さえながらふらふらと歩いている男の姿を見つけた。

 市場の方角でも庶民の家々が立ち並ぶ方角でもない。

 城と、貴族の居住区がある方角。

 やはり、とイリーナは思った。

「――――」

 ふと男は立ち止まる。

 険しい顔で、辺りを見回す。

 あとを尾けているのがばれたのかと一瞬ひやりとするが、男の視線はイリーナの意識の光球には反応せずに素通りし、なお辺りを見回している。

 男は剣の柄に手をかける。

「出て来い、暗き魔法使い」

 鋭い声で言った。

 ――ひゅっと何かが飛んできた。

 男は剣を抜き、刀身で飛んできたそれを弾く。

 氷片。

 魔法で作られたものらしく、針のように鋭く尖っていて、地面に落ちるとかつんと音を立てて転がった。

「なるほど。やはりお前の持つ石は、魔力の密度を上げればこちらの魔法が効かないこともないのだな」

 氷片の放たれた辺りの建物の陰から、ローブの男が出て来て言った。

 暗き魔法使い。

 イリーナはその姿にどきりとする。

 この前イリーナを襲ってきた男に似ているような気もするが、なにぶん一週間も経っているので、記憶は確かではない。

 はらはらしつつ、二人のやりとりを見守る。

「はっ」

 剣を構えている男が鼻で笑う。

「それが分かったところで、どうなると言うんだ? そんな魔法、何度も放てるものではないだろう?」

「そう思うか?」

 ローブの、暗き魔法使いは詠唱する。

 手元に十数の氷片が浮かぶ。

 剣の男はぎょっとして駆け出す。

 間一髪のところで、建物と建物の間に滑り込んだ。

 どかどかと鈍い音。

 ――石でできた建物の角が抉られて砕け散った。

「ハンネス・ラディクロワ。素直にわれわれの下へ来てくれると嬉しいのだがな?」

 暗き魔法使いが男の名を――多分、そうだろう――呼び、言った。

「誰が貴様らなんぞに」

 男――ハンネスは吐き捨てる。

「俺は、かの魔法使いの街の娘とは違うぞ。そう簡単に屈したりはしない」

 イリーナは――、おや? と首を傾げた。

 姓。

 ある貴族に対して一生の忠誠を誓った傭兵には、その貴族の家名を名乗ることを許される場合があるが――。

 ラディクロワという名など、聞いたことがなかった。

 ――イリーナに対する学長の方針で、国内の情勢については一通り習ったから、公爵、侯爵の家名はすべて覚えているのだが、その中にラディクロワの名はなかったはずだ。

 子爵だろうか。

 しかしドラゴンの石を所有しているような子爵ならば、それなりに有名であってもおかしくないのにな、とイリーナは不思議に思う。

 ローブの男はくつくつと笑った。

「――その噂を信じているのならば、お前よりあの小娘のほうが賢いぞ。あの小娘は、噂だけ残して忽然と姿を消したからな。今思い出しても腹が立つ。――あの夜のことは」

 イリーナはどきりとする。

 まさか――。

 獣顔の男のことを思い出す。

 聞き覚えのある声のような気がするとは思ったが、まさか、本当にそうなのか。

 ――おそるおそる、近づく。

 ローブの男にはイリーナの光球の姿は見えないとは分かっていたが、慎重に。

 目深に被ったローブの中の顔を下から覗き込む。

「……!」

 はっと息を飲んだ。

 獣の顔。

 一週間前にイリーナを襲った暗き魔法使いだった。

「リナ――」

 遠くでルークの声。

 置いてきた身体に話しかけているのだ。

「どうした。顔色が悪いぞ」

 心配そうに尋ねてきた。

 強制的にイリーナの意識を引き戻さないのは、何かを察してか。

「ルーク。あの、私を拐いに来た暗き魔法使いが、いるわ」

 小さな声でイリーナは言った。

「やはりか」

 ルークはあっさりとそう言った。

「今そっちへ行く。そこで待て」

 転送の魔法を使うのだろう。

「――ルーク」

 イリーナは言う。

「私も一緒に――連れてきて。私の身体を。多分この人……この剣士の人じゃ、敵わないわ。この獣顔の暗き魔法使いが手を打ってきたみたい。圧されてる」

 そうか、とルークは言った。

 ふわりと身体が浮くような感覚。

 なんだ? と思っていると、風の精霊が来い来いと手招きしてきた。

 ついていくと屋根の上でルークが待っていた。

 イリーナはルークの横に座っている自分の身体に意識を戻す。

 ぱち。

 目を開けた。

 先ほどルークが剣士ハンネスを魔法で眠らせた辺りだった。

 しかし結構高い屋根の上。

 ちらりと下を見てしまったイリーナは、ぶるっと身を震わせた。

「……わざわざ屋根の上に転送しなくてもいいじゃない」

「ふむ。騒ぎのど真ん中に降りたったら気まずいと思ったゆえ」

 ルークは下を見てその二人がいないことを確認し、首を傾げた。

「それで、その若造どもはどこにいる」

「あっちよ」

 イリーナは指し示す。

 なるほど、とルークは頷いた。

「精霊どもが騒いでいるな。随分と派手にやっているらしい」

 すたすたと屋根の上を歩いていく。

 屋根の端まで行くと、軽やかに、跳躍。

 およそ普通の者ならば飛び越えられないような距離をひょいと飛び越えて、ルークは先を行った。

 イリーナにはとてもルークがしているような芸当はできないので、屋根の端まではそろりそろりと這っていき、飛翔の魔法を唱える。

 ふわりと着地。

 ――それをいくつか繰り返して、ルークに追いついた。

「なるほど不利な様子だな」

 ルークは言った。

 獣顔の暗き魔法使いが魔法を繰り出してじりじりと近付いてくるので、ハンネスはひたすら建物の陰に隠れて魔法をやり過ごし、隙を見ては駆けて離れることを繰り返しているようだ。

 しかし、この辺りは入り組んでいて行き止まりも多く、うかつに細い道を進むと追い詰められるのだ。

 イリーナは少し考えて言う。

「ルーク。あの人に転送の魔法を使うことはできない?」

 ハンネスが持つドラゴンの石の力を気にせずに魔法を使うことができるならば、ルークに転送の魔法を組んでもらって逃げるのが手っ取り早いと思うのだ。

 しかし、ルークは首を振る。

「できるが――あまり強い魔法を当てると、あの者が持つ石が砕けてしまう。気に入らぬとはいえわが同胞が残したものゆえ、壊すのは気が引ける」

「それは……その通りね」

 ドラゴンに由来する品はとんでもなく値打ちのあるものなのだ。

 傭兵一人分の命よりも。

 ハンネスが持つ石も、ハンネス自身の所有物ではなく、貴族がハンネスに「貸して」いるものに違いない。

 ハンネスは姓を名乗るくらいなのだから、雇い主であるラディクロワという貴族にも、そこそこ信頼されているのだろうが――それでも、ドラゴンの石を壊したりすれば、きつく処罰されることになるだろう。

 ――「ドラゴンの品は壊れない」というのが定説だから、なおさら。

「私はこの辺りの造りもだいたい分かってるから、誘導して逃がすことはできるけど……あの人、私を暗き魔法使いの仲間だと思い込んでいたものね。おとなしく従ってくれるとは思えないし」

「……疑いを晴らすことは可能だぞ。あの暗き魔法使いの前に、われらが立ち塞がればいいだけだ。そうすれば、暗き魔法使いはより弱いお主に的を変えるだろうからな」

 身震い。

「嫌よ。あの顔はトラウマなんだから。――他に案はないの?」

「思い浮かばぬ。われらドラゴンは無駄に命を奪わぬようにと決めているが、暗き魔法使いが相手では、魔法の加減ができる自信がないからな」

 ルークの言葉にイリーナは下を向く。

 魔法使いは、「魔法の腕を磨くため」に魔物の命を奪うことが多々あるから。

 もちろんイリーナも。

 ぽん、とルークがイリーナの頭に手を乗せる。

「われとお主を一緒にしてはならぬ。人の子の命が短いことは充分に知っているゆえ、われは魔法使いが己の魔法のために魔物を倒すのを悪いとは思わない」

 ドラゴンは長生きをする生き物であるから、生きるためにはとても多くの生き物を殺すことになる。

 無駄に命を奪わないという決まりはそれに対する戒めのようなものだ、とルークは言った。

「それに、今はこんな議論している場合ではなかろう。――あの若造、どうやら大通りに出て暗き魔法使いを撒こうとしているようだが、この様子だと大通りにたどり着く前に捕まる」

「……たどり着かなくても人に見られたらあのローブの男だって諦めるんじゃないの?」

「見られはせぬ。ここら一帯を魔法で囲っているからな」

「結界?」

「いいや。幻影だ。どうやら一人で結界を張るほどの技量は持っていないようだな」

 結界には様々な種類があるが、おおむね、外部のものを結界の内側に侵入させないことと内部のものを結界の外側に逃さないことが役割である。――その性質のため、結界の維持は楽だが、形成には膨大な魔力と高度な魔法を組む技量が必要となる。

 一方、幻影は蜃気楼のように虚像を作り出して見せる方法で、魔力は食うが、簡単なものならば初歩に毛が生えたレベルだと言っていい。

「結構騒々しい音を立てている気がするけど、見に来ようって人はいないのかしら」

「おそらく壁の幻を作り出しているのだろう。いくら騒音がひどくても、壁に突っ込んでみようと思う者はおるまい?」

「……そうね」

 ということは、どうにかしてハンネスが逃げられるようにしなくてはならないというわけだ。

 イリーナが悩んでいると、ルークは精霊に向かってぶつぶつと何かを話している。

 精霊は「分かった」と頷くとハンネスのほうへ飛んで行った。

「何を話したの?」

「伝言を頼みたい、と。――暗き魔法使いが放っている魔法についてだ」

 ルークはそう言った。

 見ると、精霊はハンネスの耳になにやら囁いている。

 ハンネスはちらりと精霊に目を向け、それから、暗き魔法使いにまた目を戻した。

 幾度目かの氷の雨。

 そこへ。

 ――ハンネスは飛び出していった。

 暗き魔法使いの男はぎょっとしたように肩を上げる。

 イリーナも。

 鋭い氷の杭が、ハンネスに襲いかかり――。

 ……消えた。

 あれ、とイリーナは首を傾げる。

「すべてを避ける必要はない、と教えてやったのだ」

 ルークが言う。

「どうやらあの若造が建物の陰に隠れている間は、あまり魔力を使わずに魔法を組んでいるようだ。数こそ多いが、ドラゴンの石で無力化できる程度のお粗末なものだ」

 なるほど一理ある。

 これほどまでに大規模な幻影を維持しながらだと魔力の消費も半端なものではないはずだから、無駄に精密な魔法を組むよりは見た目を派手にして牽制するほうが賢い。

「でも、こうやって向かい合ったら、ドラゴンの石でも無力化できない魔法に切り替えるでしょう? あんまり意味がないような気がするけど」

 イリーナが尋ねるとルークは答えた。

「対峙しても、実際に脅威のある杭は数本しかないから、気を付ければ避けられる」

「気を付ければって……あれを、どうやって気を付けるのよ」

「魔力の高いものは他のものよりやや太めになっているから、それを注視して上手く受け流せばいいのだ」

「……無茶苦茶ね」

 イリーナは呆れたようにそう言って、下の二人に目を向けた。

 ハンネスはルークの言う通りに暗き魔法使いの攻撃を受け流しているようだった。

 とても真似できるようなものではない。

 言動はともかく剣の腕は認めなければならないようだ。

 肉薄する。

 ローブの暗き魔法使いは、魔法での攻撃を止め、ちっと舌打ちをしてハンネスから距離をとる。

 人離れした動き。

 さすがのハンネスでもその動きは追えないらしく、剣は空を切り、逃した。

 ふっと空気が揺れるような感覚。

 遠くで「うわ、なんだ?」と声が上がった。

 幻影の維持をやめたらしい。

 街の者はいきなり壁が消えて驚いているようだった。

 ぶつぶつとローブの男が詠唱する。

 ヴゥウウン――。

 耳障りな音。

 転送の魔法が展開されて、男の姿が掻き消えた。

 去ったようだ。

 ハンネスはほっと息をついた。

 屋根の上のイリーナも。

 どうしたんだと街の者から聞かれ、ハンネスはなんでもないと手を振って答える。

 ハンネスに耳打ちした精霊は、おおむね事が収束したのを見て取るとふっとハンネスから離れていった。

 上へ。

 それを、ハンネスは目で追い――。

 まずいと思ってイリーナが顔を引っ込めようとしたときには、ハンネスとばっちりと目が合ってしまっていた。

「……! お前ら……っ!」

 ハンネスが駆け出す。

 イリーナはルークの顔を見る。

 やれやれというようにルークは肩を竦めた。

「――やれやれじゃないわよ。逃げないと。転送の魔法はどうしたのよ」

「乗り気がしないゆえ、出せぬ」

 ルークは首を振った。

 ――出せない?

 イリーナは眉をひそめる。

 不安に思って、おずおずと尋ねた。

「まさか結構魔力を消耗しちゃってるとか……?」

 たまごのルーク。

 生まれるために使わなければならない力を、ルークはイリーナのために使っている。

 もしや結構危うい状態なのか、とイリーナは心配しているのだが――。

「お主に心配されるほどのものではない」

 ルークはそう言った。

「少し、考え付いたのだ」

「何を」

「あの若造に、われらが敵ではないことを知らしめる方法を」

「本当に? あの人、ルークがドラゴンであることなんて信じてなかったじゃない」

 イリーナが尋ねるとルークはすっとイリーナの後ろを指差した。

 なにかと思うと、精霊が、ルークの指し示しているほうへと飛んで行く。

 しばらくして。

「――誰が三流剣士だ!」

 ハンネスが屋根の上に上がってきて、そう叫んだ。

 イリーナはルークを見る。

 伝言を頼んだのだ、とルークは言った。

 顔を真っ赤にして剣を構えているハンネスの様子から察するに、ルークは罵詈雑言を吹き込んだらしい。

「ルーク、あなた……どうしてそういうややこしいことをするのよ」

 イリーナは呆れたようにルークを見た。

「ややこしいなどと……。われはただ本当のことを言っただけだ」

 ルークは言う。

「少なくとも、われが知る一流の剣士というのは、剣の腕だけでなく頭も切れる者だったのだがな?」

「俺が馬鹿だと言いたいのか?」

「事実だろう」

 すっと指差す。

 精霊が、ルークの元へと戻ってきた。

「お主は暗き魔法使いどもが精霊の声を聞き分ける者を探していることを知っているにも関わらず、われがこうして精霊を使役していることに関してはなんの疑問も抱かないようだからな?」

 ハンネスははっとしたようにルークの顔を見た。

 イリーナやハンネスのことを連れ去ろうとしている暗き魔法使いたちは、精霊と人との合成を試したがっているのだから、精霊を見ることが出来て使役しているルークが仲間ならばわざわざハンネスを捕らえる必要はないはずだ。

 それに、もし暗き魔法使いの仲間になっているとしたら、あの獣顔の男のように、人外な様相を呈しているはずだったが、しかし、どこから見ても、ルークは普通の少年にしか見えない。

「……先ほどの伝言も、お前か」

「いかにも」

 暗き魔法使いの使う魔法についての伝言のことだ。

 ハンネスはしばし迷い、眉をひそめ、剣を鞘に収めた。

「感謝する」

 疑ったことに対する謝罪はなかったが、ルークに助けてもらったことについては、はっきりと礼を口にした。

 ルークは頷いた。

「機会があれば、お主に、うかつに精霊が見えるとは口にするなと忠告するつもりであったが――心配するほどのものではなかったか。剣の腕は立つようだな」

 先ほどルークが言っていた、ハンネスに言いたいこととはこのことだったらしい。

 精霊が見えることを公言すれば、暗き魔法使いに目を付けられるから。

「お前も暗き魔法使いに狙われている口か?」

「いいや。狙われているのはわれではない」

 ルークはそう言いながらイリーナに目を向ける。

 ハンネスはイリーナを見た。

 お前か、と。

 イリーナは頷く。

「ええ。……それは、私のことよ。私だってあんな化け物魔法使いなんかに、簡単に屈したりはしないもの」

「お前が、例の」

 ハンネスは少し驚いた表情を浮かべた。

 ルークが精霊に流させた噂のことだ。

「てっきりもっとこう、知的な娘なのかと思っていたんだが」

 失礼な、とイリーナは口を尖らせる。

「ハンネス、あなた、人を見かけで判断するのはよくないわよ」

 イリーナの言葉にハンネスはぎょっとしたような顔をする。

 どうしてその名を知っているんだ、という顔。

 もちろん、暗き魔法使いとの会話を聞いていただけのことなのだが。

 ハンネスが表情を強張らせてこちらを見てきたが、イリーナはふいと素知らぬ顔をしておいた。

「ほう。その名をここで聞けるとはな」

 ルークが意外そうな声でそう言った。

 知っているのかと尋ねると、いいや、と首を振った。

「ただ、われが死ぬ前に剣を授けた王も、ハンネスという名だった」

 ぴくりとハンネスが片眉を上げる。

「死ぬ前?」

 そうだ。ハンネスはドラゴンが転生する生き物だということを知らないのだった。

「言ったであろう。われはドラゴンであると」

 ルークは胸を張って、答えになっていないような答えを返した。

 ハンネスは、怪訝な顔。

 しかし、ルークに助けられたこともあってか、深くは聞いて来なかった。

「……ドラゴンの角の剣を探している、と言ったな」

 ハンネスがイリーナに尋ねてくる。

「ええ」

 訝しげに思いながら頷く。

 どうもハンネスはこの件に関してこだわりがあるらしい。

 なんだろうと思っていると、ハンネスは自分の剣を抜いて、言った。

「俺の剣も、ドラゴンの角でできている。お前たちが探している剣はこれか」

 今度はイリーナが、ハンネスの言葉に呆気にとられた。

 はっと我に返ってルークに目を向ける。

 ルークは――しかし疑わしげな目でその剣をじっと見つめ、首を振った。

「その剣がわが身体を用いて作られた剣ならば、われはとうにその存在に気付いていたはずだが」

 刀身があらわになれば、その身体の主であるルークにはすぐに分かるはずだ。

 しかし、イリーナが見ているだけでもハンネスはすでに幾度も剣を抜いているのだ。本当にそれがルークの剣であるならば、一目見れば分かったはずだ。

「それにわれが作った剣はもっと細造りの剣だし、そもそもそのような装飾は施さなかった」

 ルークはハンネスが持つ剣の刀身を指して言った。

 確かに、その刀身には薄っすらと紋様が描かれている。

 イリーナにはその紋様が何かの魔法の呪文であることが分かったが、その魔法の効果までは分からなかった。

 どうやら、発動してからは半永久的に効果が持続する類いの魔法であるようだが――。

 ハンネスが持っているドラゴンの石の力でほとんど無力化されているらしいので、あまり強い魔法でもないのか、とイリーナは解釈する。

「……作った? 装飾?」

 ルークの言葉の意味が分からないらしく、ハンネスは首を傾げる。

 自分よりも年下のくせに何を言っているのだ、と思っているのだろう。

 それにルークはどう見ても鍛冶職人には見えない。

 ドラゴンの品は普通の鍛冶で鍛えられるわけではないにしても。

「……まあ、違うならばいい。この剣は渡すわけにはいかないからな」

 ハンネスはそう言って剣を収めた。

 ルークは言う。

「われにはその剣はドラゴンの剣だとは思えないが……」

「失敬な。この剣は俺の家に先祖代々伝えられてきた家宝だ。偽物であるはずがない」

「眉唾である」

「なんだとっ?」

 睨み合いになった。

 イリーナはため息をつく。

 結局、ルークが死ぬ前にどこぞの王に授けたという剣は見つかっていないし、暗き魔法使いに対抗する術もない。――ハンネスは剣の腕をもってして暗き魔法使いを退けているわけだが、イリーナは剣など握ったこともないのだし。

「他に心当たりはないの?」

 気休めに、訊いてみた。

「ドラゴンに由来する品のことか?」

「そう」

 イリーナの言葉にハンネスは少し首を傾げ、なにやら思わしげにしばらく考え込んでから、頷いた。

「ああ。心当たりならある。――俺はこの辺りの遺跡には詳しいからな。売り物にもならないし実用にも堪えないと言われる奇妙な剣が一本、捨て置かれているのを見たことがある」

 眉唾である。

 ルークはまたそう言った。

 一週間も探し回ったというのに――実際に歩き回ったのはイリーナだが――ハンネスの言う遺跡など見落としたはずがないと言いたいのだろう。

 確かにルークの言い分には一理あるが、――しかしイリーナは、それを無視。

「案内してくれるのかしら?」

「ああ」

 ハンネスは頷いた。

「しかし、日は改めたい。――俺にも都合がある」

 こちらから訪ねよう、とハンネスは言った。

 イリーナは首を傾げる。

「訪ねよう、ってあなた、私が泊まっている宿なんて知らないでしょう」

「ああ、そうだな。――どこだ?」

「お馬鹿。年頃の娘が一人で泊まっている宿を訪ねようなんて、野暮よ」

「えっ、そ――」

 ひやり、とハンネスは冷や汗を浮かべ、慌てたようにわたわたと両手を大きく振りながら、「そんなつもりは」と弁解した。

 落ち着いたところで、えへんと咳払い。

「……では三日後にこの場所で」

 ハンネスは言った。

 昼の鐘が鳴る頃にここへ来る、と。

「それでいいか?」

「ええ」

 分かった、とイリーナも頷いた。

 ふうっとハンネスがため息をついて、イリーナを上目遣いに見つめる。

「……しかし、野暮ですまないが、そちらの名前を聞いてもいいか? そっちは俺の名を知っているというのに、俺はお前たちの名前を知らないんだ」

 そういえばそうだ。

 イリーナはしばし迷う。

 うかつに名を知られるのは、あまり歓迎しないのだが――。

 真剣な眼差しでこちらを見ているハンネスを見て。

「……私はイリーナ・ティウン。魔女のたまご」

 名乗った。

「ドラゴンのルークである」

 ルークも。

 イリーナとルークの言葉にハンネスは首を傾げる。

「ティウン……。精霊の声が聞こえるのにか? それに、そっちは魔法使いですらないのか」

 どうやらルークのドラゴン発言については徹底的に無視することに決めたようだ。

 まだ信じていないのかとルークも顔をしかめたが、こちらも説得を諦めたようで、開きかけた口を閉じて黙り込む。

 イリーナは言う。

「あら、あなただって魔法は使えないみたいじゃない」

「俺の家系は剣一筋なんだ。魔法なんて軟派な技は使わん」

「軟派ですって?」

 ドラゴンの角――ただしルークいわく眉唾物だそうだが――でできているという剣と、魔法を無力化させるドラゴンの魔力が籠められた石を持ち、精霊の声を聞き分けることができる――しかもイリーナと違って先天的な才能である――ハンネスが何を言うのかと、イリーナは眉をひそめた。

「あ……。いや、つまり魔法なんて、ま、魔力がなければ強くはなれないだろう?」

 ハンネスは言う。

「一部の者だけが簡単に理不尽なくらい強くなれるようなものは軟派以外に表現のしようがないというか……」

「あなたの言い分だと、私から見ればあなたが剣士をやっていることこそ軟派だってことになるわね。男に生まれたら、大抵は無条件で女よりも強くなれるもの」

 論破。

「いや……その、つまり……。すまん、失言だった」

 ため息。

 なんとなく言いたいことは分かるので、許してやることにした。

 どうやら公平性を重んじる性格らしい。

 筋金入りの傭兵一族なのか、とイリーナは思う。

 剣のことはあまりよく分からないイリーナだが、確かにハンネスの剣捌きは他の傭兵とは違って洗練されている気がする。

 ハンネスは言う。

「……うん、そうか。イリーナに、ルークだな。あい分かった」

 三日後に会おう、とハンネスはもう一度言った。

「ええ、三日後に」

 イリーナも頷いた。

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