私にとっての奏1
奏は高校一年生、私の一つ年下の妹だ。平凡な私に対して、彼女は成績優秀で友達も多く、両親を含めた大人からは「出来の良い子」と評価されている。そんな優秀な妹を、私は妬んだ事はほとんどなく、誇れる妹として見ている。小さい頃から、二人でよく遊んでいたくらい仲が良かった。
彼女は中一の時、いじめられていた私を救ってくれた。いじめがなくなるまでの間、奏だけが私の味方となり、そっとそばにいてくれた。そのおかげで、私は精神的に耐えられた。以来、私を護っているかのように、私の隣にいつも奏が付き添った。登下校の時はもちろん、休日も時間をともにした。
奏と過ごす時間が増えていくにつれ、私は独りでいる時間が辛くなっていった。学校でも、授業の間は、心の片隅に奏がいた。私が高校に上がってからは、それが顕著になっていった。
これではいけないと思った事はある。妹から離れられないなんてシスコンにも程があるだろう。だから私は友達といる時間を楽しもうとしたり、恋愛経験を積もうとした。しかし、どうにもならなかった。友達といても奏からは精神的に離れられなかった。恋愛の方も、時々男子と仲良くなる事はあっても、恋愛感情が芽生える事はなかった。奏以上の存在は幾ら探しても見つからなかった。
一方、奏は学校で何人かの男子に告白された事があるそうだが誰とも付き合っていない。「だってお姉ちゃんといる時間をなくしたくないから」と奏は言い、いつも私にくっついていた。私は奏といるひとときが幸せだった。今に至るまで、姉妹として、互いに求め合い続けている。姉妹以上の愛になっても構わない。私にとって、奏はただ一人の愛すべき人だ。
しかし、奏はある苦しみを抱えている。中一から続く、謎の痛みに苛まれているのだ。最初は、腹や関節に覚えた、少し気になる程度の痛みから始まったそうだ。それが日に日に強くなり、痛みを覚えて数カ月後、ついに学校を欠席した。それからは、堪え難い激痛は断続的に襲いかかり、彼女はその度に早退や欠席を強いられた。鎮痛薬を何錠飲んでも効かない。病院で診察を受けてみたが、結果は「異常なし」。意味のない痛み止めを処方されて、奏は帰宅した。何度病院に行っても結果は変わらず、ついには医者から「本当に病気なのか」と疑われたそうだ。
違う病院で診察を受けても病気は見つからなかった。病院やペインクリニックを何軒巡っても事態は改善されず、奏の鎮痛薬と欠席日数が増えていくばかりだった。
それでも、今から二ヶ月前まで彼女はよく私の高校まで迎えに来てくれた。奏は別の高校に通っているが、料理部の活動にいそしんでいた私を、時間に合わせて独り、校門で待ってくれていた。外が薄暗くても、部室の窓から校門がはっきりと見えた。私とは違う制服を着た、ショートカットの女の子、それが奏だ。「外は寒かったよお姉ちゃん」と不満気に言われながらも、一緒に電車で帰ったものだ。時々、寄り道してお茶を飲みに行ったり、買い物をしたりするのも楽しかった。どこの喫茶店に行こうか喧嘩した事もあったけど、それも良い思い出だ。
健気で良い妹だね、こんな妹が欲しいなあ等と周囲は言い、私達の仲を微笑ましく見守っていた。実際は、妹の癖に、姉に対して上から目線で言うような生意気な妹だが、それが良かったりする。
ある日の夕方、部活帰りに二人でショッピングセンターへ寄り道していた。クリスマスが近づいているためか、どこもかしこも、もみの木をモチーフとした緑や赤のデコレーションと、華やかなイルミネーションで彩られていた。
「この指輪、かわいいよね」
アクセサリーショップで、奏はショーケースの中の指輪に見とれていた。金平糖より一回り小さいくらいの赤い宝石が、直径の小さな銀の輪を彩っていた。ルビーかな、と思ったらラベルにはガーネットと記されていた。
「本当だ。奏に似合いそうだね」
「えへへ。でもお姉ちゃんにもぴったりだと思うなあ。いくらなんだろう?」
奏は指輪にくくりつけられた値札を眺めた。その後、少し苦笑いをした。
「頑張ればお小遣いで買えるかなあ……」
「本当に買うつもりなの?」
「ちょっと考えてるけど、うーん……」
指輪を凝視したまま奏は動かなかった。彼女の口から「クリスマス」や「プレゼント」といった単語が僅かに漏れていた。しばらくして、彼女は私の方を向いた。
「やっぱりいいや。お小遣いでは無理があるかも」
足早に彼女はアクセサリーショップを去ろうとした。
「もう他の店に行くの?」
私は奏に聞いた。
「ううん、もう帰ろう。外が大分暗くなってきたし」
「そうね……ところで奏、痛みの方は大丈夫?」
「うん、今日は全然平気。手を握るくらいなら大丈夫」
妹の動きがぎこちない。これでも彼女にとっては、外出できるだけ、調子が良い方だそうだ。手を握ってもいいと言われても、我慢している気がしてならず、私は手を伸ばすのを躊躇った。奏に触れたい、でも彼女の気持ちを考えなければと、相反する気持ちがせめぎ合っていた。
「お姉ちゃんの手って暖かそうだなあ」
ちらりちらりと私の手に視線を向けながら、彼女は指をもじもじさせる。その瞬間、遠慮の気持ちは一気に小さくなっていった。ああ、これだ。この細くて滑らかな指だ。ひんやりとした手を、私の体温で暖めてあげよう。
奏の手の冷たさが私の温もりで段々と中和されていった。奏はきっと心地良い気分だったろう。
「おかしいよね。いつもはとっても痛いのに、なんでお医者さんは病気を見つけてくれないんだろう?」
雑貨店の前で、奏はぼそっと呟いた。彼女は縋るような瞳で私を見つめていた。
「藪医者だからでしょ、きっと。他の病院に行ったらどう?」
「そうだよね。お医者さんがいけないんだよね、きっと」
彼女はさらりと答え、自分を納得させようとした。
並木道の途中、歩道の左側に広い公園が見えてきた。そこには鬱蒼とした茂みがあり、道からは見えない空間が存在していた。
これから恋人になる人達はここで告白するのだろうか。手を繋ぐだけでは満足できない。もっと感じたい。そこで二人きりになれるだろう。あれこれ考えていたら、奏はいつからか私の手をぎゅっと引っ張っていた。どうやら無意識に公園の方へ向かおうとしていたようだ。
「お姉ちゃん、公園に行くつもり?」
奏は戸惑いながら言った。
「ごめん、奏。ちょっとよそ見をしてた」
「そ、そうなんだ。二人っきりもたまには悪くないけど」
白い息を吐き出し、奏はこう続けた。
「寒いし、早く帰ろうよ」
嫌だ、誰にも知られない場所がここにある。もっと愛し合いたい。一般的な恋人同士がする事を全部、私は奏としたいんだ。
奏に対する欲求は一気に膨れ上がったが、冷たい風に吹き付けられて、静かにしぼんでいった。
私達は女同士、しかも姉妹関係にある。そんな関係が許されないのは承知だ。私は世間一般の常識を越えて、奏を愛している。
だけど、奏が同じ気持ちを抱いているのか分からない。姉妹の壁があるからこそ自信がなかった。想いを伝えた結果、奏が私の事を異常だと感じて避けるようになるかもしれない。そう思うと、今の気持ちを伝えるのが怖い。だから私は、歯痒くも『仲の良い姉』を演じ続ける事にした。