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レンタル・マギカ  作者: ひこうき
テーマ:恋愛
6/9

恋愛1:⑤

『魔法の力、お貸しします』


 街中の、それも人通りの多い都会の大通りに、このような看板が立て掛けてあったらどう思うだろうか。

 デカい、とにかくデカい看板だ。装飾物は一切なし。白色の基盤に、どす黒い文字でデカデカと描かれている。

 まず真っ先に思い描くのは、色々アブナイお店だろう。きっと、あれだ。言葉巧みに『魔法のご利益がある壺』を高値で売ってくるお店だ。いや、お貸しするだからレンタルなのだろうか。十一? 十二? いや、ひょっとするともっと悪質な高利貸し?

 とにかく、こういうお店に限らず世には悪質商法を執り行うお店が嫌というほど蔓延っている。誰もが安心・安全に過剰敏感なこのご時世に、街中でこうも堂々と詐欺を謳っているのだから、いっそ清々しく思えてくる。

 まぁ、何にしても。満身創痍の上、精神的にも疲弊を極めていたせいもあって。

 

 僕は自然と、この看板を掲げた建物の中に入ってしまった。


 ほとんど無意識に2階を目指す。階段を上り切りると、すぐに入り口用のドアが見えてくる。

 灰茶色の、何の変哲もないドアには張り紙が。

『冷やかし御免』

 ……一瞬本気で回れ右したくなってしまった。

 ――もういいや、乗りかかった船だ。

 ――ええい、ままよ! 

 僕は思い切ってドアノブを回した。


 ……カギが掛かっていた。


 沈黙。しばらく空いた口がふさがらない。

 ――こ、この詐欺屋さんはヤル気があるのだろうか?

 とうとう僕が詐欺店の行く末を案じてしまう始末である。

 ――帰ろう、帰って寝てしまおう。

 この一件で頭が冷えた。今日一日の自分の愚かしさを痛感した。

 もう、志穂さんのことは忘れてしまおう。そうだ、所詮僕には彼女と話をすることすらままならなかったということだ。

 魔法なんて無い。現実を見よう。

 もう、全部忘れて……。

『ホントにいいのか?』

『キミはそれで後悔しないの?』

 ――え?

 何だろう、これ。頭の中に直接文字が浮かび上がる。

『へぇ、これはまた珍しいお客が来たもんだぜ』

『そうだね、聴覚障害者は初めてかなぁ』

 ――なに、なに……? どういうこと……?

『まぁ、立ち話もなんだ、中に入れよ』

『今、カギを開けるからね』

 次の瞬間、目を疑うような現象が起きた。

 先ほどまで閉まっていたドアが独りでに勢いよく開いたのだ。電気が点けられていないのか、ドアの奥は暗闇に包まれている。

『ほら、んな所に突っ立ってないでさっさと入ってこいよ』

『大丈夫、怖がらないで』

 メチャクチャ怖いです。

 正直今すぐ回れ右して全力逃走を図りたい気分だった。けど僕の意識とは裏腹に、まるで誰かに操られているかの如く体が勝手に動いてしまう。

 一歩、一歩。また一歩。僕の体は機械のような一定のリズムで暗闇の中を進んでいく。

 そして入り口から数歩ほど入り込んだところで。

 ――えっ!?

 突然完全な暗闇に放り出された。背後のドアが閉まり、外部の光が閉ざされたのだ。

 ヤバい、これは本当にヤバい。全身が逃げろと叫んでいる。でもその全身はビクともしない。

 僕はどうなるのだろう、このまま本当に魔法使いなんかが登場してくるのか、もしかすると魔女の実験材料に――?

『今の魔女はんなことしないぜ』

『まぁ、最近は技術も発達してるからね』

 まただ。また頭の中に文字が浮かんでくる。

 突如、視界が開けた。

 暗闇が一瞬にしてかき消されて、室内が昼間かと錯覚してしまうほど明るくなる。

 ――うわっ!?

 あまりの眩しさにとっさに両目を隠してしまった僕。

 それでも状況を把握しようと、沈もうとする瞼を何とか上げて、明るみになった部屋を見てみる。

 一言で言い表すと、何もない。

 ビルのオフィス1階分を用いた部屋には何もない。椅子も机も本棚も。家具や装飾物はおろか、窓や通気口すらない。ただ壁も床も、全てが真っ白に染まっている。

 そんな白色の世界の中心に、ポツンとコーナーソファだけが一対置かれていて……。

 その灰色のソファに、2人の子供が座っていた。

 

 全身黒尽くめの少年と、白尽くめの少女。


 不思議な子供たちだ。10歳に満たなさそうな彼らを不思議たらしめているのは、何よりその異様な恰好。

 少年の方は真っ黒なトレンチコートを身にまとい、少女の方は真っ白なトレンチコートを身にまとっている。しかしサイズが明らかにおかしい。両者とも小柄な体がコートにすっぽり埋まってしまっている。

『まぁいいから座れよ』

 黒髪の少年の方が、袖を垂らして手招きしている。

 僕は少し遠慮気味に……というか警戒しながら、対になったソファに近づく。

 間近で改めて見ると、本当に変わった子供たちだ。

 男の子の方は、いかにもやんちゃで元気そうな感じ。小麦色の肌然り、吊り目然り、ツンツンに立たせたベリーショートの黒髪もそうだし、ニカッと笑った時に覗いている犬歯なんかもう定番すぎて。

 女の子の方に至っては……日本人ではないのだろうか。色素の薄い肌に、雪のように真っ白な白髪。その綺麗な白髪はツインテール状に結ばれ、ソファにまで垂れ伸びている。

 お人形さんのような小さくて可愛らしい顔つきだ。コチラは男の子とは違って大人しそうな感じ。

 何から何まで好対照なこの二人、唯一の共通点が身にまとう白黒のトレンチコート。

 大人用を無理やり着てみましたと言わんばかりだ。顔は口元まで襟下に埋まり、腕は真ん中あたりから袖を垂らしている。

 ――こうしてみると、何だ。ただの変わった子供だなぁ。

『誰が子供だってぇ?』

 ――ひっ!

 思考を読まれてる!?

『いや、もっと前から気づけよ』

 やれやれ、といった具合に男の子の方がため息をついた。

 隣の女の子が、僕に微笑みかけてくれる。

『お兄ちゃん、何か出すね。コーヒーがいい、それとも紅茶?』

 ――え、えっと、お水で……。

『お水ね、了解』

 ソファから立ち上がる。女の子はソファの間へとコートの裾を引きずりながら歩み寄った。

 そこから先は何をしていたのか分からない、ものの数秒の出来事だったからだ。ただ襟下に隠れた女の子の口がゴニョゴニョ動いたかと思うと、次の瞬間には。

 ――わ、わわっ!?

 コミカルな煙が弾け出て、いきなり宙にテーブルが出現した。続けざまにグラス、最後にボトルが出現する。

 あっという間の出来事だった。先ほどまで何も無かった空間に、今は立派なテーブルと容器が鎮座している。

 さらに驚くべき現象が起こった。

 水の入ったボトルが突如空中に浮くと、独りでにその身を傾かせたのだ。置かれたグラスに水が注がれていく。

 想像を絶する事態に、僕は口を開けて茫然として、

 ――はっ……!?

 気が付くと、僕の目の前にはなみなみとお水の入ったグラスが浮かんでいた。

 女の子はソファに戻っている。相変わらず可愛らしい笑顔を浮かべたまま、『どーぞ』と言わんばかりに手を差し出している。

 僕は唖然としたまま、とりあえず目の前に浮かんでいるグラスが本物かどうか触れてみる。

 ――あ……!

 冷たい感触が返ってきた、本物だ。間違いない。CGとか立体ホログラムとかそんなんじゃない。本当に水入りの冷えたグラスが僕の前に浮かんでいるのだ。

 僕はそれを手にとって、一口。また一口。

 今朝から何も口にしていなかった。喉はカラカラだった。

 僕は掴んだグラスを一気に傾けて水を飲み干す。喉を冷たい水が通り抜けるたびに、思考が落ち着いていく感覚。

 最後の一滴を飲み干した頃には、僕はようやく現実を見つめるだけの冷静さを取り戻した。

 こうなってしまった以上、もう認めるしかない。

 ――これが魔法、そして……

 

 ――彼らが、魔法使い……!


 そう、この2人の子供が魔法使い。魔法使いは実在したのだ……!

『あー、一応言っとくけど、俺たちは魔法使いじゃねぇからな』

ーーそ、そーなの?

『魔法使いですけど、アナタを直接助ける魔法使いではないということです』

ぼ、僕を直接って……どういうことなんだろう。他に魔法使いがいるのだろうか。

『てゆーかよぉ、こうやって念話してる時点で魔法のこと信じるだろ、フツー』

 ――ね、念話?

『うん、お兄ちゃんは耳が聞こえないみたいだったから。テレパシーって言った方が分かりやすいかな』

 僕が聴力障害者であることを見破った上で、彼らは僕の頭に直接声を流し込んでいる……ってこと?

『驚かせてゴメンね、あーやって表に看板を出してると冷やかしも多くて』 

 ――それはそうだよ、普通誰もあんな看板信じないよ。

『でも時々来るんだよなぁ、これが。にーちゃんみたいな藁にも縋りたいって感じの人がよ』

 ――えっ。

 この子たちは……僕の悩みを知っている……?

『まっ、それよりさっさと本題に入ろうぜ』

『うん、時間もあんまり無いようだし』

 ソファに寝転がっていた少年は起き上がり、僕に向き直る。少女は背筋を伸ばして座りなおす。

 両者は僕をまっすぐ見つめてきて、そして、頭の中で彼ら2人の文字が重なった。

 

『ようこそ、魔法使い派遣会社コマーシムへ』


 ――魔法使い……派遣……会社?


『私どもはお客様のニーズに合わせた、最適な魔法使いを派遣することを仕事にしております』

『どんなご要望でもお申し付けください。必ずお客様をご満足させる魔法使いをご紹介いたします』

『ただし、お客様の問題はお客様自身の手で解決して頂きます。私ども魔法使いはお客様の目的達成のサポートをさせていただくことになります』

『また、当社は魔法に関するトラブル、問題の責任の一切を負いませんのでご了承ください』


 ――えっと……。


 何処ぞの会社説明のような堅苦しい文章が次々に頭の中を流れ去っていった。いくつか常識外れな単語が混ざってたけど。

 要はこの会社の説明をしてくれた……ということでいいのだろうか。

『ってゆーかこの概要説明、ぶっちゃけいらないよな』

『仕方がないよ。一応会社の方針だし。最初くらいは丁寧にやらなきゃ』

 少年の方が姿勢を崩し、ふてぶてしくソファに横になる。少女はピンとして座ったままだ。

『んで、時間が無いから単刀直入に聞くけどよ――』

『にーちゃん、結局《宮谷志穂》ってねーちゃんをどうしたいんだ?』

 

 ――えっ……。


 少女が補足してくれる。

『入り口のドアノブ、あれは人の心を読む魔法具なの。冷やかしか、それとも本当に困っているお客かどうか判断するためのね』

 ――あのドアノブに触れた瞬間に、僕が悩んでいたことはこの子たちにバレたってこと……?

 つまり、もうこの2人は分かっているのだ。僕が志穂さんのことで悩んでいることも。存在するかすら怪しかった魔法の力なんかに縋ろうとしていたことも。

 だからこうして、扉を開いて招き入れた。

『話が早くていいだろ』

『それで、お兄ちゃん――《神谷陽》はどうしたいの?』

 名前まで知られている。魔法ってすごい。

 ――僕は……。

 どうしたいんだろう。

 自分でもよく分からない。

 ただ、もう一度会いたいことだけは確かだ。でも、その先は? 

 僕は結局のところ何がしたいんだ? 会って謝りたいのか、それとも連れ戻したいのか?

 ――1つ、聞かせて貰える?

『何かな?』

 少女の方が答えてくれる。

 ――僕が願いを言えば、魔法の力で何でも叶えてくれるの?

『まさか!』

 寝転がっていた少年が飛び起きた。

『にーちゃん、さっきの話聞いてなかったのか? 俺たちがするのは、にーちゃんみたいなクライアントの目的達成のサポートだ』

『もっと厳密に言うと、私たちが行使する魔法は目的達成のための《手段の手段》に限られるの』

 ――手段の、手段?

 どういうことだろう。

『ああ、説明めんどくせぇ!』

 少年が黒髪を乱暴に掻く。

『いいか、例えばにーちゃんの望みがマラソンをゴールすることだとするとだな』

 少年は僕に指を突き刺してくる。

『俺たちの仕事はにーちゃんをゴールまで運ぶことじゃない。にーちゃんがゴールまで走るのを助けることだ』

『つまり、こういうことだよお兄ちゃん。ゴールまで、《目標》まで走るのはお兄ちゃん自身。ゴールに到達するための《手段》は走ることで、魔法じゃない。私たちはこの走るという《手段》を助けてあげる』

『《手段の手段》としての魔法だ。体調管理だとか時間管理だとか、とにかく俺たちは『お前が脇目も振らずに《目標》目指して走れる』ようにしてやる。お前がゴールできるだけの舞台を魔法で演出してやる。

 じゃあ、これを踏まえて改めて聞くけどよ――……』

 少年の真摯な眼差しが、僕を射抜く。


『兄ちゃんの望みは何だ。ねーちゃんに会うことか? それだけでいいのか?』

 ――僕は……。

『会って、それだけで満足なの?』

 ――僕は。

 会いたい、もう一度志穂さんに会いたい。

 会って、そして……


 ――伝えたい。僕の口から、志穂さんに。

 ――僕が、ずっと志穂さんに憧れていたことを……!


僕の気持ちを……!


『よし、決まりだ! ホントは色々説明しないといけねーんだけど、にーちゃんの場合は時間ねーし!』


 少年がその場に立ち上がる。右手を突きだすようにしてかざした。

 ――わっ……!

 少年の右腕が淡い光に包まれる。呪文か何かを口にすると、その光が一層輝きを増し、最終的に仰々しい煙を出しながら一冊の本が現れる。

 いわゆる魔道書……か何かだろうか。黒一色のシンプルな薄い本だけど。

 僕は座って傍観している少女に尋ねる。

 ――あの本は……?

『《魔法使いの名簿》だよ』

『言ったろ、俺たちは魔法使いを《派遣》するってな。世界中に散っている魔法使いの中から、にーちゃんに一番合った魔法使いを紹介してやる』

『さて、私は召喚の準備を始めるかな』

 今度は少女も動き出した。彼女の合図一つで目の前に置かれていたテーブルが虚空に消える。

 代わりに、今度は七色に輝く魔法陣が浮かび上がる。ソファから立ち上がった少女は瞳を閉じて、両手を祈るかのようにして、詠唱らしきものを始めた。

 2人の同時作業で事が進行していく。

『よし、今回はコイツだな』

 少年が宙にとある文字を描くと、魔法陣の輝きが一層増していく。

 ――わぁ、綺麗だ……。

 僕はその光景に息を飲んだ。虹色に放たれる光がその鮮やかさを確実に強くしていき、白色に染まった部屋中を満たしていく。

 作業が続き、光がどんどん強くなって、あまりの輝きに目を開けてられなくなった直後。

 ――わっ!

 突如、魔法陣が爆発した。部屋中に煙が広がる。

 光が弱まる。あれだけ輝きを放っていた魔法陣が、まるで力を失くしたかのように萎んでいく。

 そして虹色の光が完全に収束し、もうもうと煙が立ち込める中。

『やれやれ、今日はわたくしですか』

 魔法陣の中央に、一人の長身の男が立っていた。

 黒色のタキシードに、長く伸びたトップハット。細長いステッキを突いて佇むその姿は、まさしくロンドン街にでも出てきそうなジェントルマンだ。

 整った白ヒゲを伸ばしたその初老の男性は、ハットを取って僕に一礼。

『はじめまして、わたくし派遣されて参りました魔法使い、リチャード・J・ワンダースと申します。以後お見知りおきを』

 ――あ、初めまして……。

 僕もつられて頭を下げる。

 リチャードさんと名乗るこの外人男性、とても優しそうなおじいさんだ。

 というか、最初から念話で話しかけてきてくれてる。僕が失聴者であることを知ってたのだろうか。

『召喚に際してクライアントの情報は魔法使い側に全て渡されますからね』

『そういうことです、神谷陽くん。キミの願い、私が全力をもってサポートいたしましょう。

 どうぞ、よろしく』

 リチャードさんは白色の手袋を脱ぐと、僕に右手を差し出してくる。

 ――よ、よろしくお願いします。

 僕は握り返す。

 優しい、大きな手だった。

 ――あれ? リチャードさん、ひょっとして……。

 僕が気になったのは、リチャードさんは先ほどからずっと瞳を閉じていること。優しそうな笑顔なのに、目だけはずっと動かず閉じたまま。

 まるで僕の思考は筒抜けで、リチャードさんはゆっくり肯定するかのように頷いた。

『ええ、わたくし全盲の魔法使いでございます』

 全盲。

 その言葉に、僕の胸は大きく高鳴った。

 リチャードさんも、僕と同じ身体障害者なのか。

『君とは色々お話したいところですが、時間があまりないようですね。

 ではさっそく向かいましょう。志穂さんの飛行機は22:00発でしたね』

 ――は、はい!

 僕は時計を確認してみる。時刻は現在21:05。もう飛行機の出発まで1時間もない。

『搭乗は30分前ですから、実際あと25分ですね』

 そうだった。ゲートポート内に志穂さんが足を踏み入れれば最後、僕にはもう彼女に会うチャンスが無くなる。

 なんとか後25分以内に空港について、彼女を探し出さなければもう二度と会えない。

 ――でも、ここから空港なんて……。

 そうだ、既存の交通手段をいかに組み合わせたところで、恐らく最低でも2時間近くはかかる。どうやったって間に合うハズがない。

 ズキン、と胸が痛んだ。

『ご安心ください』

 早くも諦めかけた僕に、リチャードさんが頼もしい、自信に満ちた笑顔を浮かべてくる。

『必ずわたくしが、彼女の元へアナタをお届けします。そのための魔法ですから』

 軽快にステップを踏み、クルリとステッキを一回転。リチャードさんが2回地面を突くと、途端に異変が現れた。

 リチャードさんと僕を取り囲むようにして魔法陣が展開される。黄金色に輝くその魔法陣は次第に発色を強め――。

『それじゃ、にーちゃん。頑張ってな』

『絶対に諦めちゃダメだよ』

 いつの間にか魔法陣の外、ちょうど僕の隣に2人が来ていた。

 ――ありがとう、えっと……。

 今更ながら、この子たちの名前が分からない。

『俺は、クロって言うんだ』

『私は、シロだよ。お兄ちゃん』

 クロくんに、シロちゃん。

 見た目そのまんまの名前に、僕はクスリと笑みを漏らした。

 ――ありがとう、クロくん、シロちゃん。僕頑張ってくるよ。

 魔法陣の輝きが一層増す。

 視界全てが光に埋もれ、僕は両目をきつく閉じ――


 ――次に目を開けると、眼前には一面の夜景が広がっていた。

 

 綺麗だった。幾多ものビルによって形成される大都市が、漆黒に染まった背景から浮かび上がるように映えている。

 その中で都市を彩る多種多様な光が、夜空に散りばめられた無数の星々を彷彿とさせた。

 で、結局僕は何処にいるかとゆーと。

 ――お空の上です!?

 そう、つい先ほどまでクロくんとシロちゃんの事務所らしき場所にいた僕は、何故か現在1000フィートはあろう上空に身を躍らせていた。

 突き上げるようにして風が当たる。バランスが取れなくなり、次第に天地がつかめなくなる。

 錐揉み状態で流星のごとき勢いで地上に落下する中、僕は視線の先にリチャードさんを見つけた。

 リチャードさんはこの上空で、またもや何か呪文のようなものを唱えているようだった。彼の足もとを中心として空中に魔法陣が描かれている。

 眼前の建物が少しずつ大きくなる。道路を走る車が目視できるようになる。地面や建造物に激突してスクラップになるのは時間の問題だった。

『ご安心ください。これでいいのです』

 ――いや良くないよ!?

 志穂さんに会うはおろか、空港にすら行けずに死。マラソンならスタート間もなく心臓発作を起こすようなものだ。

『だから、これでいいのです』

 突如、視界が何かに遮られた。途端に謎の浮遊感に全身が包まれる。

 ――えっ。

 気づけば、僕は上空で制止していた。

『これから私の愛車で空港に向かいます』

 僕と同じく、空中に浮かんでいるリチャードさんがステッキを突く。それと同時に足元に展開されていた魔法陣から何かが浮き出てきた。

 ――これは……馬車?

『《サンドリヨンのキャリッジ》……まあ俗に有名なカボチャの馬車のモチーフと言ったところでしょうか。12時を過ぎても消えませんが』

 本当にカボチャの馬車だ。子供の頃に見たシンデレラに登場してきた、あの魔法の馬車。

『これくらいの高さなら地上からも発見されませんからね。いきなり驚かせてしまって申し訳ありません。さぁ、お乗りください』

 僕は勧められるがままに、カボチャ型の席に乗り込んだ。

『失礼』

 リチャードさんも僕の隣に腰掛ける。

『それでは出発しますよ、この子は見た目によらずに速いですから――準備はいいですか』

 何の準備か分からなかったけど、とりあえずブンブン頷く僕。

 ニッコリ笑顔を浮かべたリチャードさんは、手袋越しに指を鳴らした。

 僕には聞こえなかったけど、その合図に眼前の2頭の黒馬が震え、馬車がゆっくりと動き出す。

 ――あれ、こんなものか。

 思っていたより全然遅い。リチャードさんがあんなに大げさに聞いてくるものだから、てっきり想像を絶する速度がでるものかと思ってたけど。

 僕は隣に座る魔法使いに視線を送る。

 リチャードさんは目を閉じたまま、穏やかな表情で一言。

『行きますよ』

 次の瞬間、何と表現しようか、とりあえずぶっ飛んだ。

 加速度だけならロケットすら上回るんじゃないかってくらい一気に速度が出た。

 そして僕は全力で後頭部を座席に打ち付けた。

 ――ぎゃああああああ!! 頭がぁああ!

 割れそうだ!

『だから言ったじゃないですか、この子は見た目によらずに速いって』

 ――ここここれは早すぎじゃないですか……!

 外の景色が矢のように後ろに飛んでいく。並の飛行機並の速度はあると思う。

『もちろんこの子たちの力だけではないですけどね、速度補正の魔法も掛けてあります』

 つくづく魔法の力には驚かされっぱなしだ。いまだに夢心地が冷めない。

 ――この速度なら空港なんてすぐですね。

『はい、それはもう後数分もすれば到着いたします』

 ……どう考えても早すぎだと思う。だって普通の交通機関を使ったら2時間以上はかかる場所まで10分足らずで着くって……。

 でも、早ければ早いほどありがたい状況だった。

 一刻も早く空港へ赴いて、志穂さんを探さなければ。

『そうですね、数分後にはアナタには必死に走って貰うでしょうから、今の内にゆっくりお話しでもしましょうか』

 ――えっと……。

『お嫌でなければ、私の全盲について?』

 ――構いません。

 むしろ僕の方から聞きたいくらい。

『そうですね、何からお話しましょうか』

 白ヒゲを伸ばすように撫でたリチャードさんは、まるで遠い昔を思い返すように車室の天井を仰いだ。

『私の全盲は生まれつきでした。私は生まれてから今この瞬間まで、《光がある世界》というものを知りません』

 僕と、僕と一緒だ。僕には《音がある世界》が何なのか分からない。

『自分で言うのも何ですが、それはもう辛い日々を送ってまいりましたよ。イギリスは障害者には優しい国ではありませんからね』

 ――えっと、リチャードさんは何処の生まれなんですか?

『北ウェールズの牧場地帯です、しがない農家の息子ですよ。今もその土地で暮らしてます』

 リチャードさんの言葉が、僕の頭の中を駆け巡っていく。

『それはもう辛い日々でした。目が見えないだけで私の人生は真っ暗でしたよ。他人と関わるのが怖くて、一人小屋で虚無な時間を送ってました。

 不思議なものでですね、ああやって小屋に引き籠って、風が駆け巡る音だとか、虫の鳴き声だとか、川のせせらぎだとか、そういった音に耳を傾けていると時間を忘れられるんです。そうやって私は、人生で一番有意義であるハズの時間を惰性に過ごしてしまいました』

 目が見えないか、耳が聞こえないか。その違いだけで、他は僕と何も変わらない。

 僕はいつだって空を眺めてきた。一人青空に身を委ねていれば、辛い時間を忘れられたから。結局それが逃げでしかないと分かっていても。

 リチャードさんも、そんな孤独な日々を送ってきたのか。

『ところがです』

 リチャードさんは両手を大きく広げた。

『そんな私にも人生の転機がやってきました、いえいえ、それは些細な出会いだったのです。本当に予想だにしない、些細な出会いでした』

 ――出会い、ですか。誰との……? 

『人ではありません』

 リチャードさんは陽気に続ける。

『ある日のお昼過ぎ、春のそよ風が心地いい日でした。私がいつものように小屋の中で揺り椅子に座り込んでいると、突然の来訪者が現れたのです。

 玄関から? いえいえ。

 窓から? それも違います。

 ……そう、彼は『床』からやってきたのです!』

 ――床……からですか。

『そうです、突然の来訪者の正体は一匹のはぐれ《モグラ》でした。何と彼は地面を掘り続けて、固い床の板を突き破って小屋まで登ってきたのです。バカですよね、愚直極まりない。目が見えないのなら地面の中でゆっくり暮らしていればいいものを、こうやって外の世界に飛び出してきてしまった』

 リチャードさんはステッキを撫でながら続けた。

『ところが残念なことに、私の家系はカトリックででしてね、無宗教であるアナタ方日本人は分からないでしょうが、イギリスではモグラは目が見えないことから《神の光に盲目》な異端者として扱われているのです。

 そのモグラは私の母に見つかり、すぐに殺されてしまいました』

 ――っ!

『複雑な心境でしたよ、人間ではないとはいえ、実に数年ぶりのおバカな来訪者でしたから』

 脳裏を掠めていくリチャードさんの言葉は、何処か悲しい色を帯びていた。

『私にはこのモグラの生き方は衝撃的でしたよ。固まっていた頭で一生懸命考えました。この愚かなモグラの一生はなんだったのかと。盲目のまま走り抜けて、最後は惨めに死んでしまったこのモグラの人生には一体、どれだけの価値があったのかと。

 そして同時に思いました。なら、このモグラとは正反対の生き方をしている私に価値はあるのか。毎日小屋に引き籠って、ただ惰性な日々を送る生活に価値はあるのか、ってね。

 盲目であることに甘えて、ずっと走ることを諦めていた私です。こんな生き方もあるんだって、流石に思い知らされましたよ。例え無惨な結果になったっていい、盲目が何だ、せっかくの人生、走ってみなくちゃ損じゃないか、ってね』

 ニカッ、と真っ白な歯を見せて、陽気な失明者は笑う。

『そんなとき、ニホンという極東の国から一通の手紙が私宛てに届きました。内容は単純です。《魔法使いになりたくはないか》のたった一文』

 ――魔法使い……ですか。

『まさに僥倖でした。ええ、私は決めましたとも。魔法使い、いいじゃないかと。転がる覚悟で走っていくと決めたこれからの人生には、なんとまぁピッタリな仰々しい響きじゃないですか』

 リチャードさんは続ける。

『有り金を全部ひっくるめて日本に渡りましたよ。全盲の男がたった一人で言葉の通じない海外に行くなんて、今から考えてみれば危険を通り越して無謀です。命がいくつあっても足りやぁしない。

 もちろんその旅は困難を極めました。私がその手紙の差出人の、あの二人の子供がいる場所に着くまでには途方もない時間がかかってしまいました』

 ――クロくんと、シロちゃんのことだろう。

『私は彼らに魔法という人外の代物を教わりました。それはもう大変な修行でしたよ。苦痛に苛まされない夜が無かったほどです。魔法習得の段階で命を落としかけたこともありました』

 リチャードさんの大きな手が、僕の頭に乗せられる。

『でもね、私はそれでも走ってきてよかったと思っている。そんな命がけの日々が、人生が、これ以上ないくらいに意味のあるものだと思えたんです。それは今だって同じ』

 僕の髪の毛をグシャグシャに掻いてくる。

『そんな辛い日々があったから、頑張って走ってきたから、こうして君を助けることができる。それはもう、立派な人生だとは思いませんか?』

 ――はい。

 すごい。やっぱり魔法使いはすごい。全盲と言ったら、ろう者である僕よりもずっと大変で辛いはずなのに。それでも前を向いて、未来を見据えて、走り続けることができるなんて。

 車室を引っ張る馬たちが、大きくいなないた。

『さぁ、今度は君の番です』

 リチャードさんが馬車の外を指し示す。そこに広がっていたのは。

 空港だ。志穂さんがいる空港。魔法の馬車は、本当に志穂さんのいる舞台まで僕を連れてきてくれた。

 馬車は空港近くの倉庫の裏手に着陸した。これ以上空港に近づくと誰かに見つかる可能性があるのだろう。

 動きを止めた車室から勢いよく飛び降りる。大地を踏みしめる僕の脚から、力が沸いて出てくる。

 僕は馬車の中へと振り返った。しかしリチャードさんは座席に座ったまま。助けはこれまでだと口外に伝えてくる。

『私が変わるきっかけは偶然でした、いわばちょっとした奇跡のようなものです。

 でも、君は違う。そんな奇跡を待っている必要はありません。アナタから会いに行ってあげてください』

 ――はい! ありがとうございました!

 僕は勢いよく頭を下げた。

 その先にいる全盲の魔法使いは、最後まで陽気な笑顔だった。


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