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レンタル・マギカ  作者: ひこうき
テーマ:恋愛
2/9

恋愛1:①

 空が蒼い。

 夏休み初日、学校の屋上で大の字に寝転がっている僕は一人、蒼碧の空を見据えながらそう思った。

 時刻はちょうどお昼過ぎだ。夏の日差しが燦々と降り射る屋上の片隅、ちょうど太陽の陰となっている場所で、僕はひんやり涼しい夏風を満喫している。

 秘密の場所、というと少し大げさな気はするけれど、教師と他生徒から見つかりにくい陰の場所と言えば説明にはなるだろうか。

 

 ――まぁ、この時間は、誰もこんな場所に来ないんだけどね。


 理由は単純、今の時間は皆が室内で夏期講習中だから。

 僕が一学期の授業に一度も出なかったことや、こうして夏の講習を当然のようにフケていることには、学校側が認めるだけのきちんとした理由がある。だから、本当のトコロこれはサボりじゃあない。


 僕は、生まれつき両耳が聞こえない。


 病名には興味なし。僕とは違って両親の耳はしっかり機能しているから、少なくとも遺伝的な病気ではないと思う。

 ただ、その病気によって両耳の機能を奪われた僕としては、これまでの人生で『音がある世界』が一体全体何なのかサッパリ分からない。

 これ、絶対的なディスアドバンテージなんです。

 耳が聞こえない。

 生まれつき音というモノを知らない、知ることができない。

 これだけで僕の人生は大きく縮んでしまった。

 カラオケに興じることができないとか、音楽を聴くことができないとか、そんなつまらないことはどうでもいい。生まれつき『音』というモノが何なのか知らない僕にはそんな無用モノの価値なんて分かりっこないし。ぶっちゃけちゃえば、音がない世界がいいと思うことすらある。ご近所中が工事の騒音で寝付けない夜とか。僕はそんな時でも安眠安眠。

 でも、何より辛いのが他人の視線。あのねっとり絡みつくような、かと言ってコチラが視線を返すとすぐ消えちゃう味気ない視線がどうしようもなく辛い。こればかりは『障害者』というレッテルを全身に張り付けている者の定めであると理解して誤魔化そうと努めてるけれど、それでも時々泣きそうなくらいには辛い。

 

 オマケに……いや、オマケれべるの問題じゃないけど……僕は生まれてから他人と『口で』言葉を交わしたことがない。


 声が、出ないのだ。言葉をどうやって話せばいいのか分からない。

 それも仕方のないことだと主治医が言ってくる。僕は音というモノを一度だって聞いたことが無いんだから、言葉を発音しようがない、と。

 適切な練習を積み重ねていけば話せるようになると恰幅のいい主治医は勧めてくるけど、僕はそんな彼の提案を汲んだことはないし、これからだって汲む気はない。

 怖いのだ。人と接するのが。

 小さい頃から他人にさんざん奇異の視線を貰ってきた僕は、もう人と会話するのが怖くて仕方がない。筆記や手話を使った簡単な会話だって、最近じゃ両親以外とした試しがない。世間一般には対人恐怖症と呼ばれている、ある種の精神的病気なのだ。

 

 ――そんな僕が、あのヘッドホン娘とお話しできるワケないじゃないか。


 ヘッドホン娘、とはつい1ヶ月前に僕のクラスに転入してきた宮谷志穂さんのこと。僕とは違って何でもできるすごい人だ。

 転校してきて初めての自己紹介で彼女の笑顔を一目見た瞬間、僕は恋に落ちたのだと確信した。音の無い世界にもこんな揺らめきがあるのかと思うくらい心がざわついて、彼女のその豊かな表情、一挙一動に釘づけになってしまったのを覚えている。

 でも、それだけだ。元々僕は学校での時間の大部分をこうして屋上で過ごしているし、珍しく教室にいるときにも彼女は人だかりの中心に。彼女と接したいかどうかなんて、一切がってん関係無しに僕は蚊帳の外である。

 だから、耳が聞こえず言葉を出せない僕には他人とのコミュニケ―ション全てが恐怖の根源なのであって、こうして好きな子に焦がれるだけで満足して、学校の屋上にて平和な時間を過ごす日々を送ってきた(梅雨の時期は図書館にて読書に耽る)。

 今日という快晴な日も、僕はこうして平穏な時間を送っている。

 学校側は僕に欠点を取らないという条件付きで授業を免除してくれている。幸いにも成績はクラスでも上の方だし、留年することはまずない。まぁ自宅で学習に励まなければいけない分、こうして悠久の時を過ごすのも正当化されて然るべきというものだろう。

 決して虚しいなどとは思ったことはない。本当本当。こうして僕だけ地獄の講習に参加しなくて済んで、むしろ優越感に浸れるくらいだ。

 そう、僕一人だけ。

 一人だけ。


 ……一人、だけ。


 ――それの何が悪い。一人で過ごして何が悪い。

 ――友達が何だ、好きな子が何だ。そんなモノに価値なんてあるのか。


 僕はいじけてるのだろうか。

 まさか、そんなハズはない。こんな気分や体験は慣れっこだ。慣れ過ぎてもはや日常だ。

 さて、今日もそんな贅沢な日常を思う存分味わうとしよう。授業という退屈な代物に束縛された連中を憐れみながら。

 心地よい夏の風。吸い込まれそうな快晴の空。


 寝転がった僕を覗き込んでくる、『ヘッドホン』を着けた可愛い女の子。


 ――――ッ!!?


 僕はその場に勢いよく起き上がった。

 何故、どうして。

 

 どうして、『宮谷志穂』さんがココにいる……!?


 混乱した、動揺した、何が起きているのか分からない。

 僕の目の前には……確かに宮谷志穂さんがいる。見る者全員を魅了するその彫刻的にすら思える端整な顔立ちも、きめ細やかな亜麻色のショートヘアにかぶせたごついヘッドホンも、どれをとっても僕の知っている宮谷志穂さんのものだ。間違いない。

 彼女も僕が突然起き上がったことで動揺しているようだった。まるで何かを弁解するかのように、両手を突きだしてワタワタと振っている。

 だって、彼女は下の教室で夏期の講習に参加しているハズなのに。どうしてこんな屋上の、それも人目に付きにくい片隅に来ているのだろうか。

 何か口にしているようだが、残念ながら失聴者である僕にはサッパリなんのことか分からない。

 ドキドキする。メチャクチャ緊張する。何かの偶然だろうが、こんな場所でいきなり想い人に出くわしてしまうなんて。

 ひくっ。

 その事実を認識した瞬間、体の奥の底から何か真っ赤な感情が浮かび上がってくる。それは頭の中枢であっけなく弾けて、脳全体に染み渡っていくかのように。


 ――ダダダダメだダメだ! 怖い怖い怖い!


 転がしていた自分の鞄に僕は飛びついた。まるで何かに憑りつかれたかと自分で思っちゃうくらい取り乱しながら、愛用の電子タブレットを取り出す。

 振り返ると、宮谷さんは僕のことを不思議そうに凝視している。


 ――ひっ!


 怖い怖い怖い! でも何か嬉しいし恥ずかしい!

 自分でも何が何だかワケが分からなくなった。怖いし怖いし、でも嬉し恥ずかしい! あまりに想定外の事態に脳の処理が追いつかなくなったみたい!

 タブレットを開く。いつもお世話になっているアプリを開き、あらかじめ登録してある言葉を画面に表示させる。

 僕はいつも電子タブレットを携行している。そのタブレット付属のアプリには、恐らく僕が最もよく使うであろう会話フレーズ200個があらかじめ登録されてある。街での勧誘やクラスメートからいきなり話しかけられた時に、極度の対人恐怖症の僕が取り乱さなくていいようにだ。

 僕がよくお世話になっているフレーズをタブレットに表示させて、僕は目の前の宮谷さんに示した。


『僕は聴覚障害者です。言葉も話せません。アナタとはお話できません』


 彼女に見せてから気づいた。明らかにオシリにくっついている言葉が余計であると。


 ――ああ!


 ついつい勧誘に捕まったときのために用意していた言葉を表示してしまった!


 ――何をやっているんだ僕は! 彼女が転校してきてから何度お話したいと思っていたことか!

 これではまるで、僕が宮谷さんと話したくないと言っているようなモノじゃないか! いや、対人恐怖症としては話したくはないけど! いや、でもこのチャンスを逃したら!

 さらに動揺する僕。いっそのことこの場から逃げ出したくなったけど、緊張で体が動かない。

 どうするどうする今から弁解するかいやでもそんなフレーズは用意してないしでもこのままだと彼女が――――


 すっと。


 タブレットを握った僕の両手を、宮谷さんの両手が優しく包み込んだ。

 ――あっ、れぇ?

 一瞬ホントに思考がぶっ飛んだ。何が起きているのか全く分からないまま、僕はロボットのようなぎこちない動きで面上げる。

 目の前に、優しい表情を浮かべた宮谷さんの顔が。

 その端整な、どことなく可憐さを漂わす顔が言葉なしに伝えてくる。


 落ち着いて、ね。大丈夫だから。


 ――わわ。

 脚から力が抜けていく。情けないことに、僕はその場にへたり込んでしまった。

 胸がまだドキドキする。溶けそうなくらいに体が熱い。特に脳の沸騰具合はヤバい。

 それでも、何だか落ち着いた。

 へたり込んだ状態でも、未だに触れている両手から宮谷さんの優しさが伝わってくるようで、それに緊張がほぐされているかのような。

 僕は――少し名残惜しいけど――両手を宮谷さんの手から解くと、タブレットを流れるように操作して次の文字を表示させた。


『ごめんなさい』


 それを見た宮谷さんは、何が何だか分からない様子でポカンとしていたが――すぐに僕に詰め寄ってきた。

 ――わわ!

 意識とは裏腹に、僕はとっさに逃げようとしてしまう。しかし彼女の華奢な腕が伸び、僕の手首をがっしり握ってきた。そのまま両手で抱えていたタブレットを奪われる。

 ――あっ! 僕のタブレット!

 取り返そうにも、彼女に近づけない。いや、物理的じゃなくて僕の精神的な問題で。緊張で体が震えて、へたり込んだまま動けないのだ。

 宮谷さんは少しの間タブレットを操作して、何かに気付いたのかニッコリ笑顔を浮かべた。

 ――何か、書いてる?

 僕の予想は的中して、宮谷さんは微笑を浮かべたまま画面に指を走らせ、その後僕にその画面を示してきた。

 タブレット上ではお絵かきアプリが開かれており、そこには可愛らしい文字でこう書かれていた。

『何で謝るのかな? 私何かされた?』

 ズイっ、とタブレットを押し返される。

 僕はそれこそ世界記録クラスの素早さで返答……じゃなくて返筆した。

『宮谷さんは何もしてないです。ごめんなさい』

 ――あっ!

 すっ、とタブレットが再び取り上げられた。

 今度の宮谷さんは僅かに不機嫌そうな表情だった。

『だ・か・ら。何で謝ってるのかな? 神谷くん、何も悪いことしてないじゃない』

 お怒りだったのか、宮谷さんの新たに書いた字は少々粗ぶっていた。

 あっ、今更ですけど。僕『神谷陽』っていいます。以後よろしく。

 ――って、じゃなくて!

 宮谷さんが僕の名前を憶えていてくれた。そのことに感激しすぎて気が動転しそうだ。

 ……オーバーに思われるかもしれないけど、マトモに会話のしたことの無い僕にはそれだけ光栄で幸せなことなのです。

 しかしそれを本人に直接伝えるだけの勇気もなく、僕は返されたタブレットにこう書いた。

『驚かせちゃったから』

 事実だ。僕がいきなり起き上がるもんだから、彼女けっこー驚いてたし。

 宮谷さんはその文字の書かれたタブレットの画面を数秒凝視した後、周囲に視線を配る。

 そして誰もいないのを確認した彼女は、タブレットにこう書いた。

『隣座っていい?』

 ダメです。

 座っているというよりはへたり込んでいる僕は、反射的にそう答えそうになった。いや、話せないから実際答えるのは無理だけど。

 でも、でも何でだろう。どうして彼女は僕の隣に……。

『立ってると日差し暑い』

 ……あっ、そういうことか。

 追加で書かれた言葉に、僕は全力で納得してしまった。僕なんかが彼女に気に入られているワケがない。だってこうして言葉を交わしたのって今日が初めてですから。

 しかし……それでも感激だ。こうして言葉を書きあうだけじゃなくて、まさか隣に座れる日が来ようとは。

 気づけば全身が震えていた。怯えているのだ、他人と接することに。

 それでも僕は頑張って震えを抑え、意を決して体を横にズラした。ちょうど一人分が座れるだけの日陰スペースを確保する。

 宮谷さんは、

『ありがと』

 とタブレットに指を走らせてから、ゆっくり僕の隣に座った。

 その際に、彼女のショートヘアが僕の鼻先を掠める。

 ふわっ、と、これまで経験したことのないようないい香りが僕を包んだ。

 ――ああああ

 あああああダメだ! 気がおかしくなりそうだ!

 ただでさえ震えを抑えるのに苦戦しているというのに!

 僕の隣に座った宮谷さんは、その場で大きな背伸びをしていた。

 その無防備な様子と、ほのかに漂ってくる女の子の優しい匂いに、本当に思考がショートしそうになる。

 僕は何とか自分を保つために、気を紛らわす目的も兼ねてタブレットにこう書いた。

『どうしてここに。夏期講習は』

 タブレットを見た宮谷さんは、可愛らしい困り顔を浮かべながら、僕の書いた文字の下に指を走らせ、

『サボっちゃった♡』

 その文字、特に語尾のハートマークに僕の心臓はさらに鼓動を早める。

『神谷、陽くんだよね。私のクラスメートの。君こそどうして?』

 追加で書かれた文字を読み、僕は一瞬心臓を鷲掴みにされた気分になった。

『居場所がないからです』

 素直に答えた。だって本当のことだもの。夏休みの図書館は人が多いし。

 宮谷さんは少しの間言葉を探していたようで、次の文字がタブレットに書かれるまでには数秒を要した。

『寂しいね』

 『寂しい』。

 控え目な大きさで書かれたその3文字は僕にとっては慣れ親しんだものだった。だからチクリとした痛みはあっても、笑顔で返すことができた。

『寂しいというよりは気楽です』

 文字による、静寂を保った言葉の応酬が始まる。

『ホントにそう? 寂しくない?』

『一人はいいです』

『誰もいない、何もないコンクリートに寝そべって』

『色んな人がいるんです。僕みたいに一人が好きな人間、宮谷さんみたいに友達付き合いが好きな人』

 宮谷さんが困ったように笑う。

『志穂でいいよ』

 タブレットをひっくり返しそうになった。

『何でですか』

 僕のこの返答が肉声によるモノだったら間違いなく『裏返って』いたのだろう。よくマンガとかで、動揺すると声が裏返るっていうし。

 文字という情報媒体に感謝だ。声と違って動揺が明確に現れないから。

 ……書くときの僕の指はメチャクチャ震えてたけど。

『クラスの皆が志穂って呼ぶから』

 ……期待してなかったぞ。僕は絶対に期待してなかったぞ。『僕だけに名前で呼ぶことを許してくれたのかも』なんて神に誓って期待してなかったぞ、うん。

『分かりました、志穂』

『なんかおかしい。敬語なのに呼び捨て』

『これでいいですか志穂さん』

『名前の方を変えちゃう。もっと砕けた文章でいい』

『僕が慣れてないので許してください。ごめんなさい』

 志穂さんは膨れっ面だ。


『すぐに謝らない!』


 ――……。

 画面いっぱいに書かれたその言葉に、僕の気持ちは沈んだ。

 だって、僕のフレーズ200選の中で、『ごめんなさい』が一番多く使われる言葉だから。

『分かりました、気を付けます』

 僕は小さく、本当に小さくタブレットの隅にそう書いた。

 その文字を見た志穂さんが、途端にワタワタと慌てだす。

『ゴメンね、傷つけるつもりは無かったんだって私が謝ってる!?』

 途中から文字が急激に変化した。

 ――アハハ。

 僕は思わず笑みをこぼす。

 笑みをこぼして、そこで固まった。

 ――あれ、いつ以来だろ。

 いつの間にか石のように固まっていた僕の唇が、こうして優しく微笑みを形作れたのはいつ以来なのだろうか。

 不思議な気分だった。こうして憧れの女の子の隣に座って、こうして自然に笑えてしまえている今が何か夢のようで。

『何でも一つだけ聞いていいよ』

 恥ずかしげな笑顔と共に書かれたその言葉に、僕はドキリとした。

『どういうことですか』

『謝らないことを信条としてるんだ。謝罪するくらいなら謝礼しろ。謝ると相手も自分も暗い気分。

 この学校に来てから一度も謝ったこと無かった、お礼を言った回数はもう数えきれない。今日初めて謝っちゃったから……』

 そこで画面全体が埋まってしまい、志穂さんは文字をクリアしてからこう書いた。


『謝ったことは二人だけの秘密(お願い~』


 実際に両手を合わせてお願いしてくる志穂さんに、僕は明らかに動揺してしまった。

 二人だけの……秘密。

 その響きはあまりに現実離れしていて、あまりに心地よくて。

 気が気じゃなかった。本当にこれは現実なのだろうか。

 そしていつの間にか、僕は両頬をつねっていた。

『何やってるの?』

 志穂さんが笑っていた。

 心拍数があがる。その笑顔を見ていたら、動き出した手が止まらない。

『志穂さんと過ごせて夢みたいだったから』

 気が付けば、僕はハッキリとそう書いていた。

 ――あ……ああっ!?

 我に帰り、慌てて文字をクリアしようとする。

 ひょい、とタブレットを志穂さんに取り上げられてしまう。

 悪戯な笑みを浮かべた彼女を前に、またしても僕は無力になってしまって。

 志穂さんは、少し照れ気味にこう書いた。

『嬉しい。ありがとう』

 本当にポジティブで素敵な人だった。僕みたいな奴に、こんなこと言われて『ありがとう』て言えるなんて。

『お話戻そ。二人だけの秘密にしてくれるなら、何でも一つだけ聞いていい。お代♡』

 ようやく帰ってきたタブレットに、僕は震えながらこう書いた。

『何でもって』

 我ながらバカな問いだと思う。これではまるで僕が聞きたいことがマズイことだと言ってるようなものじゃないか。

『何でもオッケー。誕生日でも好きな異性のタイプでもスリーサイズでも』

 最後ので吹き出しそうになった。

 ――……。

 正直聞きたいことは山ほどある。できることなら質問攻めにしたいくらい。

 でも質問は一つだけ。だから僕は、一番気にかかっていたことを聞くしかなかった。


『音って何ですか』


 志穂さんの表情が、明らかに固まった。

 僕は慌ててタブレットに書き足す。

『ごめ、気に障りましたか』

 志穂さんはタブレットにゆっくりと指を走らせる。

『どうして私にその質問をする?』

『いつもヘッドホンをしてるので』

 志穂さんの着けている大きなオーバーヘッドホンを指さす。

『これ?』

 志穂さんはヘッドホンを取った。そして愛おしそうに胸に抱えて、僕に照れたような笑いを浮かべてくる。

 僕はその滑らかな動作と表情に、これ以上ないくらいに見入ってしまう。何しろ彼女が学校でヘッドホンを外したのを、僕はこれまで一度だって見たことがないからだ。

 いや、僕だけじゃない。クラス中、いやひょっとしたら全校生徒の一人として、彼女の素の顔を見たことがないのではないか。

 つまり、僕がこの学校で始めて彼女の素顔を見た。

 その事実を前に完全に固まってしまった僕は、彼女が新たにタブレットに文字を書き足しているのを見つけてようやく我に帰った。

『私はいつも音楽を聴いてるだけ』

 僕はさらに質問を詰める。

『何の音楽ですか』

 志穂さんはヘッドホンを被り直し、そしてこう書いた。

『私の好きなある曲』

 俺は堪らず聞いた。

『ずっとそれを流してるんですか』

 志穂さんは笑顔で頷く。

『たった一曲だけですか』

 また笑顔で頷いた。

『飽きたりしないんですか』

 志穂さんは首を横に振る。

『飽きない。この曲が無いと生きていけないから、この音が無いとダメ』

『音ですか』

『質問に答えるね』

 志穂さんは少しだけ悩んでから、こう書いて答えてくれた。

『音は、私を動かしてくれる魔法の力』

 そのたった15文字に、まるで志穂さんの全てが詰まっているようで。

 僕は茫然とタブレットを眺めながら、ただ何かしらの反応を示さなければならないという感覚に囚われ、何度か機械的に頷き返すしかなかった。

 さらに志穂さんは何かをタブレットに書き連ねる、僕に手渡してくる。

『私、もう行く』

 志穂さんは笑顔を浮かべたまま立ち上がった。

 ――あっ。

 僕は思わず手を伸ばし、

 ――はっ……!

 そこで自分のした行為が急に恥ずかしくなり、オズオズと手を引っ込めた。

ーー僕は何をしようとしたのだろう、志穂さんに行って欲しくないあまり彼女の手を掴もうなんて。

 そんな僕の行動はつゆ知らず、志穂さんは軽快に屋上の入り口へと駆けていき――ドアノブに手を掛けたところで一度振り返った。軽く手を振ってくれる。

 ――あ、あはは……。

 あまりに不慣れな状況に、僕はひきつった笑みしか浮かべられなかったが、何とか手を振りかえすことに成功。

 この僕のぎこちない動きでも満足してくれたのか、ニッコリ笑顔を浮かべた志穂さんは翻ると、そのまま校内へと姿を消す。

 ――ホントに……あの志穂さんと話しちゃった。

 一人取り残された僕は、夢心地が冷めないままタブレットをもう一度眺めてみる。

 中央から離れ、画面の右下にこう書かれていた。

『二人の秘密、また明日♡』

 目を何度擦っても、その文字はしっかり残っていた。

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