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貴く翔べ  作者: 風雷
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第八章「アルンを殺せ」(1)

■七章までの主な登場人物

・ユマ

 本編の主人公。突然、異世界に迷い込むも、ローファン伯爵の娘アカアによって保護される。女闘士クゥとの闘技試合に勝利し、光王によってフェペス家の故地ティエレンにユマ・チルーク・ティエル子爵として封じられる。


・キダ

 ユマの悪友。ユマと同じく、オロ王国に飛ばされ、フェペス家の奴隷にされる。現在行方不明。


・クゥ・フェペス

 闘花とあだ名される女闘士。闘技試合にてユマに敗れ、奴隷の身分に落ちる。


・ローファン伯

 ヤム家の当主でアカアの父。近年、勢力を拡張しているガオリ侯に接近している。


・シェンビィ公

 三大貴族の一、シェンビィ公爵家の当主でフェペス家のかたを持ち、ガオリ侯と対立する。


・ガオリ侯

 シェンビィ公と対立する新興貴族。ローファン伯と交誼がある。


・エイミー

 白髪赤眼の美少年で新興貴族のガオリ侯に仕える。不思議な言動が多い。ガオリ侯に命じられてユマを監視する。


・リュウ、ホウ

 ローファン伯爵家の奴隷でユマに下げ渡された。ユマに目をかけられている。


・デア

 ティエレン長老会議の長。ユマを補佐する。


・ジェヴェ

 没落したジェヴィローズ家の長子。ティエレン子爵となったユマに接近する。


・チタータ、ヌーク

 ローファン系移民の姉弟。身分を隠したユマに命を助けられる。


・ルガ

 傭兵崩れの移民。ローファン系移民の用心棒。ユマを勧誘する。


・パソォ

 ガオリ地方出身のティエレン移民。ジェヴェと面識がある。


・アルン

 ティエレンにてフェペス家復興をとなえる。

「ユマよ、ユマ。何処へ行く?」


 ユマは呼ぶ声に振り返ろうとしたが、首が引きつったように動かないことに気づいた。


(また、夢だ……)


 周囲がよく見えない。暗くはない。真っ白な雪原に立ったように何もない空間に、ユマは立っていた。

 眩しい光が天から降り注ぐ。


(暑い……)


 そう感じた途端に、足元が急に冷えた。

 冷たく不愉快な感触が、足首に絡みつき、徐々にユマの四肢を束縛してゆく。

 誰かの声が聞こえた。何かを話しているが、ユマはそれを理解できない。だが、心底その声の主を憐れだと思った。

 耐え切れずにその者の名を呼ぼうとした時、光は止んだ。


「もう、夢はいい。悪夢はやめてくれ……」


 心底思った。この、夢なのか幻覚なのかわからない現象に巻き込まれた後は、ろくなことが起こらない。


――そうこれは悪夢。我々は孺子じゅしの内に、甘い夢は孺子の外にある。例えばほら……


 何処からか女の声。聞き覚えがある。そう、いつも頭の中でユマに話しかけてきた声だ。

 ふっ――と、全身が軽くなった。ユマは吸い寄せられるように後ろを振り向いた。だが、誰もいない。


「ここよ、ここ」


 胸元に暖かい息がかかる。自分のすぐ目の前に、その者はいた。

 少女――いや、女なのか。小柄で、ユマが知る中ではクララヤーナに近い背丈である。白銀色の髪は到底人のものとは思えず、その上、人間離れした美貌である。薄着――というよりは、布きれを一枚羽織っただけの格好である。

 思わず触れてしまいたくなるような、己の中から無尽蔵に愛情が湧き出てくるような、不思議な表情をしている。笑ってもなく、泣いてもいない。とはいえ無表情とは言い難い。

 この者を形容する全ての言葉がユマの中にはない。

 だが、ユマにとっての驚きは、この者を見知っていることだった。どこかで会ったことがあると思うだけで、それが誰なのか全く心当たりがない。

 いや、心当たりならば大いにある。この者はどこかアカアに似ているし、クゥやリン、シャナークスやクララヤーナ、あるいは出会ったばかりのチタータや、一度会ったきりの占い師ポヌティフにさえ似ていた。そしてそれらの全ての美貌を越えていた。

 だが、ただ一人、この者に全く似ていないのに最も似ている人がいた。それは――


「お前はもしかして、お――」


 喋り終わる前に、その者は人差し指をユマの唇に当てて、何事かを囁いた。

 そして微かに――笑った。

 この世の全てを慈しみ包み込むような、暖かい笑みであった。



「あら、お目覚め?」


 にわかに目を開けたユマの顔をチタータが覗きこんだ。

 ユマはゆっくりと身を起こすと、まるでここが現実であるか確かめるかのように、二度三度深く瞬きした。


「ほら、顔を洗ってきな。朝食にしよう」


 ユマは言われる通りに外へ出て、井戸から水を汲み上げた。重い。井戸の水汲みとはこれほど辛い仕事だったかと感心しながら、汲んだ水を掬い、顔を洗った。顔を濡らすと冷たいが、口に含むとぬるい水である。それで眠気を覚ました後、再びチタータの元へ戻る。

 こねた小麦を塩水で茹でただけの寂しい朝食をほおばりながら、ぽつりとユマが呟いた。


「悪い知らせがありそうだ」


 匙に向いていたチタータの視線が止まり、一瞬だけ躊躇うように空中を泳いだ後で、ユマに向けられた。


「そんな顔をしていたかしら?」

「いや、そんなことはない」

「どういうこと?」


 言われたユマの方が首を傾げた。だがすぐに自分の不安が的中していることに気づき、思わずため息が漏れた。


「夢見が悪かった」


 チタータの唇がぷっと弾けて笑う様を想像したユマだったが、チタータの反応はあまりにも静かだった。


「そう、勘がいいのね」


 そう言っただけで、チタータは匙でスープを掬った。心なしか、先よりも急いでいるようである。ユマも心得たように急いで朝食を平らげた。


「さ、急いで。ここも危ないかもしれない」


 理由は道すがら話すとでも言わんばかりに、チタータはすぐさまユマに出立を促した。



「昨晩、私たちが家に帰った直後ね。ルガ達が敵に襲われたの」

「その情報は誰が?」

「ヌークよ。落ち着きがない子だから相当に煩かったけど、どこかの寝坊助さんは起きなかったわね」

「敵って?」

「アルンよ、多分」


 チタータは相当に用心して道を選んだ。裏道の多い区画であるから、狭い街とはいえ、ユマ一人では迷っていただろう。

 やがて開けた路地に出た。ユマが躊躇ったのは、あまりにも堂々たる往来であったからだ。ただし人通りは極めて少ない。

 チタータは恐らく念入りに、一つの建物の裏口へ向かった。

 毛むくじゃらの大男が出てきた昨晩とは違い、応対に現れたのは三十路ほどの女だった。女はチタータと目語すると無言で二人を中へと誘った。


(工場だ)


 ユマは一目でここが何をする場所であるのか理解した。広い室内は常に蒸れていて、巨大なかまどに湯が沸かされている。その中に浮いている白い塊が蚕のまゆであるのは自明だった。

 奥では十人ほどの女たちが茹で上げて干した蚕の繭から生糸を繰り出していた。


「安心して、彼女たちは信用できるわ」


 チタータが言うのを聞いたユマの口の端が歪んだ。だがそれはすぐに渇いた微笑にかき消された。


(どうでもいいことだ)


 今、宮殿はどうなっているだろうか――と、ユマはチタータが予想した懸念とは全く離れたことを考えた。

 労働に勤しむ女たちの合間を縫って、チタータとユマは建物の奥の一室に至った。そこにはいくつか寝台が置かれていて、その内の一つに包帯で顔を覆われたルガが伏せていた。


「酷い目に遭ったな」


 ユマが声をかけるも、返事はない。


(おいおい……そんなに重症なのか?)


 問うようにチタータの方を見たが、彼女は水に浸した布を絞ると、汗ばんだルガの顔を丁寧に拭き始めた。


「生きているだけマシよ」


 恐らくユマは初めて、チタータの怒気に触れた。

 何故だろう。心の底から震えた。

 だがユマはそれを嘆かなかった。いくつかの修羅場を乗り越えた自分自身の心の揺れを、情けないとも思わなかった。


「ユーユ」


 ルガの奥の寝台から別の声が聞こえた。よく見ると昨晩ルガとともにいた男の一人だ。


――昨夜、何があった?


 と、ユマが問う前に、男は語り始めた。


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