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貴く翔べ  作者: 風雷
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第七章「決闘の街」(15)

 扉を開けて家に入ると、チタータがランプに火を灯していた。


「すぐ消すから、さっさと横になりなよ」

「横になると言っても、チタータ。ベッドがひとつしか無いじゃないか? ヌークのベッドは何処だ?」


 狭い家だ。いかな客人とて寝台の数を見間違えるはずもない。


「何言ってんの? あいつは住込みだよ」

「あっ、そうか――いや、そうかじゃねぇ!」


 ユマは、どうにもチタータのような女には振り回されることしかできないらしい自分を笑いたくなった。


「不用心にもほどがあるぞ」

「大丈夫、そんな甲斐性がある奴ならルガに勝ってるわ」

「無茶苦茶なことを言う」


 既に――ひょっとしてこの女は自分を誘っているのではないか――などという自惚れがユマの脳内を満たしつつあった。

 ユマはテーブルの方を見た。背もたれの無い椅子が三つあるばかりだ。


「そこで寝る? そんなに器用なの? それとも床でゴキブリや鼠と一緒に寝る?」

「ううっ……」


 降参だ――とでも言うように、ユマは両手を上げた。


「甲斐性が無くてよろしい」


 真意を測りかねる言葉にユマが微妙に傷つきつつ寝台に腰かけると、チタータはランプの灯りを消した。上着を脱いでいるのか、もぞもぞと布擦る音が聞こえた。

 闇の中で座ったままでいると、堅いベッドが一瞬弾んだ。


「オヤスミ」


 今夜はこれ以上何も喋らないとでもいうように、チタータはそれだけを短く言った。

 ユマは、本当に人が好いのはこの女ではないか――と暗がりの中で密かに笑った。


(だが、この女には――)


 そう思ったところで、舌がちくりと痛み、心地よい笑みは歯噛みに変わった。


(クゥよ、クゥ。お前に惚れておけばよかった)


 直後に、「バカか、俺は――」などとひとりごちると、ユマは堅いベッドに横たわった。

 生暖かい息が鼻にかかった時、今更ながら床で寝れば良かったと後悔した。



 ユマを送り届けたパソォは、物騒と言われるティエレンの夜道をひとり、まるで無防備に歩いていた。

 途中まで先程の酒屋を目指していたようだが、にわかに道を変えると、ローファン系居住区をぐるりと一周するように歩き始めた。

 やがて市壁の前まで来ると、立ち止まり、闇に向かって呟いた。


「ジェヴェだろう? お話はここでよろしいかな?」


 パソォが市壁の前に積まれた木材の上に腰かけると、暗がりから一人の男が現れた。


「こんなところで私の名を呼ぶな」

「心配無用、誰も聞いていない」

「ガオリの呪術でそれがわかるのか?」

「まあ、当たらずとも遠からずだ」


 男――ジェヴェは、それでも月光の下に出てこようとはしない。パソォはかまわないのか、話を続ける。


「あなたから私に会いに来るとは珍しい」

「パソォ、君から私に会いに来たことなど一度も無かっただろう?」

「はは、言われてみるとそうか。あなたがいつも何処に身を隠しているのか、私は不思議で仕方がない。まあそれは措いて、今夜はどんな要件かね?」

「とぼけないでくれよ。金を渡しに行ったら不在だというから、どれ約束をすっぽかした男の顔でも見てやろうと思ってね」

「以前は留守でもわざわざ会いに来なかっただろう? つまり別件があるのだね」

「ああ……」


 闇の中の影がゆらりと揺れた一瞬、ジェヴェの顔に月光がかかる。


「君は暢気に夜道を出歩いているが、今この街にとんでもないのが紛れ込んでいる。一波乱あるだろうから、すぐにでも身を隠した方がいい」

「ほう、ほう。それは私の身を案じてくれているのかな?」

「いや、我が身の安全のためだ」

「相変わらず、面白い人だ」


 パソォはまだ闇を凝視している。彼にとってもジェヴェは謎の多い男である。

 ふと、何か思い当たったのか、パソォが話を続ける。


「それはアルンのことかね? それとも、私がつい先ほどまで連れ歩いていた男のことかね?」


 これに対するジェヴェの沈黙は、答えるつもりが無いということだろう。理由はわからない。だが、パソォはジェヴェを信用ならない男だとは思わない。


「パソォよ。ひとつだけ、君がガオリの術士であるという見込みから問いたい」

「かまわんよ」

「後者の男――先ほどまで君と一緒にいた男だ。あの男は精霊結晶を持っているのではないか?」

「君ともあろう者が自分の目を信じないのかね?」

「私は精霊結晶を見た事がない。あるいは君ならばと思ったまでだよ」

「ふむ……」


 闇の中のジェヴェが何故このような突拍子もないことを訊くのか。パソォには心当たりがあった。先程出会ったばかりのユーユという男の正体について、ジェヴェは知っているのではないか。そして恐らく、それは自分の予想と一致するものだろう――と。


「ジェヴェよ。君ほどの男が、そんな間違いを犯すものかね」

「どういうことだ?」

「精霊結晶は――人がただそれと呼ぶ紛い物を除けばだが――到底一個の人間に裁量できる代物ではないのだよ。ましてや『めしいのエメラルド』は神知の結晶だ。神の御心を測り知る者がこの世にいないように、あれを感じ取れる者などいるはずもない」


 ジェヴェはパソォの次の言葉を待つ。触れもしていない「盲のエメラルド」についてパソォが口にしたことをどう思っているのだろうか。

 ふと、この男は本当にジェヴェなのだろうか――という疑問がパソォの脳裏をよぎったが、そもそも本物かどうか判別できるほど、この男のことを知らない事実が明らかになるだけだった。


「つまりだ。私が答えられるのは、『あの男は「盲のエメラルド」を持っているか?』という問いには『わからない』であり、『あの男が持っているのは「盲のエメラルド」か?」という問いには『違う』ということだけだ」


 意味あり気な答えに、ジェヴェの眉が上がる。


「違うのなら、何か?」

「呪いだよ、ジェヴェ。徴術ちょうじゅつの奥義さ。何故あんなものを体内に取り込んでいるのか、しかもそれでいて生きていられるのか、私は不思議でならないがね」

「呪い? 誰の?」

「誰に呪われているか――など、徴術においてはあまり意味の無いことだ。だが、あえて答えるならば、自分自身とでも言うしかない。それがたとえ外から来たものであってもね」


 ジェヴェは月光を嫌うように――あるいは更に闇の中に溶けるように引き下がった。まるでパソォの言葉に後じさりするように――


「ジェヴェよ、何を企んでいる?」


 もはや闇の中にいるのかどうかすらわからないジェヴェに向かって、パソォは言った。


「……今は言えない」

「今は? ははは……永遠にだろう?」


 沈黙。同時に、わずかに空気が震えた。それがジェヴェの警戒を意味するのか、パソォにはわからない。


「あなたの、先程の問い――もしかしてだが、あなたの企みは潰えようとしているのではないか?」

「これ以上は無用だ、パソォ。金を払った分、仕事はしてもらう」

「それは勿論だ」


 二人の声以外は何も聞こえない。こんなに静かだというのに何という騒がしい夜だろう――と、パソォは妙な星でも落ちていないか、夜空を仰ぎ見た。



 翌朝、ローファン系居住区の片隅に数名の男が虫の息で打ち捨てられているのが発見された。

 男の中の一人の名をルガと言った。



七章「決闘の街」了

八章「アルンを殺せ」へ続く


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