第七章「決闘の街」(11)
宮殿から主な者が出払い一時間ほど経った頃だろうか。外がにわかに騒がしくなった。
(おのぼりさんが見つかったかな?)
クゥは宮殿の二階の一室から、窓の外を眺めた。ユマが帰って来たにしてはどうにも騒々しい。
右手で触れた石壁が冷たい。そんなことが気になってしまうほど――胸騒ぎすらしない自分に不思議を感じた。
闇の中で見づらいが、炬火の灯りを頼りに見ると宮殿の外で何者かが取り押さえられたようである。
衛兵の一人が階段を駆け上る音が聞こえる。デアとユマが出払ってはいても、奴隷以外の者はこの宮殿にいる。だが、デアが念を押した通り、今現在この宮殿――ティエル子爵邸の主はクゥ・フェペスである。
何か異様な事態の中にいるという予感はない。むしろ何も起きないはずであるという思いが強い。何故かはわからない。恐らく、ユマ・ティエル子爵は明日にでもなれば何事もなかったかのように宮殿に戻ってくるだろう。「いやあ、スマン」とでも言いながら。
扉を叩く音に「入れ」とだけ答えた後、クゥは腰元の剣を確かめようとして、それはとうの昔に取り上げられていたことに気づいた。
――武門の名折れだ。
そう憤るには、クゥ・フェペスの心は一連の事件で傷つき過ぎた。かといって、全てを投げ出してしまえるほどには、今の状況は絶望から遠い所にあった。主であるユマは――これはクゥ自身断言できるが、悪人ではない。ただ、悪を行わないほど賢明ではない。それは愚かであるか。あるいはそうだろう。ただ、言動の一々がクゥの癇に障ることの多いユマだが、ひとつだけ美点がある。そしてそれは同時に、破滅的な程にユマ自身を蝕んでいるようにも見える。人は、自らの美の中で破滅するものである。
「あの人は、己の弱さを知っている。知りながらそれを呪っている。少年なら本当に可愛らしいのに。ええ、少年なら――」
「は?」
入室した衛兵の一人が首を傾げている。誰に向かって放たれた言葉なのか、理解しかねたのだろう。
「で、何があったの?」
クゥは取り繕うこともせずに報告を促した。
「ホウが宮殿の周りをうろついている妙な男を発見しました。尋問した所、言動が怪しく、さらに荷馬車には大量の金品が積まれておりました」
「ただの商人じゃないの?」
「この時間に一人で金品を移送するのは、この街では自殺行為です」
「それもそうね。でもそれだけなら捕まえることはないでしょう。どこの店の人?」
「名乗らないのです。その上――」
「その上?」
ここで、衛兵は一度息を呑んだ。報告するかどうか迷ったようである。
「ティエリア・クゥに会わせろ――と」
今度はクゥが首を傾げる番であった。夜中に突然来訪を受ける心当たりはない。いや、この街の二代前の支配者がフェペス家であった以上、フェペス家を慕う者なのだろうとあたりをつけることはできるが、それにしてもよりにもよってユマが行方不明になった当日というのは不気味である。
「会おう」
即決した。その者は恐らくユマの件とは関係が無いと断定するような、早い決断であった。
雅味の欠片も無い宮門――軍門と呼ぶべきかも知れない――を潜ると、炬火の灯りが一か所に集まっていた。その下で、一人の男が数人の衛兵に取り囲まれていた。中には不審者を発見したというホウの姿もあった。
「私がクゥ・フェペスだ。あなたは誰か?」
クゥは見も知らぬ男にいきなり名乗った。
「初めまして、ティエリア・クゥ。私はワゥランティア・ジェヴィローズと申します。ジェヴェとお呼び下さい」
癖っ毛の目立つ赤茶の長髪が印象的な男である。見るからにローファン系で長身で肩幅が広い。ただ顔つきは穏やかで、ローファン男に抱きがちな屈強な印象とは程遠い。
「名乗ったではないか」
クゥはついてきた衛兵に向かって言った。衛兵は「わけがわからぬ」とでも言いたそうである。
「名乗らなければ、あなたは剣で脅したでしょう。いえ、今は帯剣を許されておいででない。子爵は賢い。その方がよろしい」
わかった風な口を利く男だ――と、クゥは眉を顰めた。
「ジェヴィローズとは聞かぬ名だ。ローファンからの移民か?」
「はは、そのようなものです。ティエリア・クゥ」
「私のことをティエリアと呼ぶな」
「なるほど、三美公女の一人クララヤーナ様ならともかく、あなたはティエリア・ザリほど美しくはない。とはいえ、あなたはティエリアであるべきです。あなたのためにも、この街のためにも――」
「不愉快な男だ。話はそれだけか?」
クゥは自分で言っているほど不愉快ではない。ジェヴェもそれを見越したように表情に余裕を見せている。
「これは、私からあなたへの贈り物です。ティエリア・クゥ」
そう言って、ジェヴェは既に衛兵によって馬車から下ろされていた大きな木箱を指差した。こじ開けられた蓋の隙間から金塊や宝石が見えている。
「ティエル子爵に取り入るつもりか?」
「いいえ、あの方に取り入る必要は私にはございません。繰り返しますが、これはあなたへの贈り物なのです」
「奴隷一人に随分な好待遇だな」
「奴隷? 誰もあなたのことをそう思ってはいないでしょう? ティエル子爵も、ティエレン市民も、そこの衛兵達も」
「つまらんことを言うなよ。主が知れば激怒するだろう」
クゥとしては、これは否定しておかねばならない。我ながら悲しくなるが。
「ふふ、とにかくこれはお受け取り下さい。ティエル子爵が必要とするなら――恐らくそうなるでしょうが、彼に渡せばよいのです。それまではあなたのものです」
「賄賂ではないか。受け取れない」
「はい、賄賂です。ですがお受け取り下さい――と申したいところですが、今は退きましょう」
衛兵が一斉にクゥの方を見た。明らかに指図を仰いでいる。
「間抜けな男だが、法を犯したわけではない。解放してやれ」
解放されたジェヴェは一人で大きな荷を馬車に積み込まねばならなかった。
物陰から一人の少年が出てきて、ジェヴェに走り寄った。
「ジェヴェ!」
「ヌークか。今まで隠れていたのか? なるほど賢いな。わたしは少し寄り道したらこれだ」
苦笑するジェヴェに対して、ヌークの顔からは微かに怒気が滲んでいる。
「冷や汗をかきました。余所のお金を勝手に子爵に納めようとするんだもの。ローファン伯の頃なら確実に受け取ってましたよ」
「クゥでなければ奪われていたな。それにしても子爵まで留守とはねぇ……」
「えっ、そうなのですか?」
「そうだよ。名乗らずとも私が来れば会いに来る。あの人はそういう人だ」
ジェヴェの声は夜の静けさ故かよく響いたが、ヌーク以外の誰の耳に聞こえるものでもなかった。