第七章「決闘の街」(10)
ユマの消えたティエル邸の混乱は、当然ながらユマ本人の予想を超えていた。
「何者かに拉致されたのではないか?」
血相を変えて戻ってきたリュウの報告を聴いたデアがそう言ったのも無理はない。
チルーク光王の命でユマに服従することになった者達は、己が主人の不幸に頭を抱えたくなったに違いない。何せ、徒手空拳であのシェンビィ公に喧嘩を売った男である。光王に気に入られたからといって、政争とは無縁でいられるはずがない。
捜索に人数が割かれたが、為政者が交代したばかりである都合、市民に悟られるわけにもいかず、それは少数に留まった。
狭い部屋に数人が卓に着いただけの、侘しい緊急会議である。事の重大さを考えれば、この光景がそのままユマの権勢を映していると言えなくもない。
リュウの説明では、すぐ近くを歩いていたはずのユマが突然姿を消したということだった。その他、目撃証言を集めたところ、ローファン系の居住区を最後に足取りが途絶えている。
(またか、あの男は――)
クゥは騒動を呼び込むことを運命付けられたような主を心中で愚痴った。
「夜を徹して探すしかないわね。万一、過激な市民の誘拐なら朝には声明があるかも知れない。あの男を誘拐できる人間がこの街にいるかは疑わしいけど――でも今は探すのよ」
デアやその他の面々はクゥの意見に賛成こそしたものの、彼女が直々に捜索に赴くことだけは頑なに拒んだ。
「今、ティエレンには二つの顔があります。ひとつは領主ティエル子爵であり、もうひとつがフェペスの血胤たるあなたなのです。この事は決して外部に漏らしてはなりません。市民はあざとく、誰も言わぬ宮中の異変を敏感に感じ取ります。今や、この宮殿に主がいないということがあってはならないのです」
デアの言葉は強弁というほどではなかったが、語気の昂ぶりは有無を言わせぬ勢いをクゥに感じさせた。クゥとて気性の荒い女であるから、すぐに反駁の言葉が浮かんできた。だが、ふと我に返った瞬間、それも止んだ。
卓の周囲を見渡しながら、一人の姿が消えていることに気づいた。
「エイミーは何処へ?」
「捜索隊に加わっておりましたが、そういえばまだ帰還してませんね」
クゥの問いにリュウが答えた。
(あの子は気持ち悪い……)
表情にすら出したこともないが、クゥはエイミーという少年に不気味を感じている。普段接している分には、エイミーは血の巡りが悪い子供に過ぎない。だが、クゥは彼の沈黙に不気味を感じる。静かに、ただ黙って周囲に溶け込んでいる。そんな時にエイミーの赤く光る瞳を見た時、そのあまりの静けさに不愉快になるのだ。まるで粛々と行軍する兵士のような、そんな――決して愛らしい少年には見合わぬ静けさである。しかも彼はユマが拾ってきたわけでもなく、信用ならぬガオリ侯の息がかかっている。
(あれはユマを暗殺するための刺客ではないか?)
ガオリ侯がそれを仕向けて得る利益は皆無である。ましてや不利益の方が大きいわけだが、それをわかってはいても、直感がクゥの心に語りかけるのである。
平素のユマを見るに、エイミーを警戒している様子はない。ただ、彼はつぶさにエイミーを観察しているようである。異文明の人であるユマの好奇心はクゥも既に知るところであるが、それにしてはユマとエイミーの間に隔たりのようなものを感じるのは何故だろう。ユマは、エイミーと距離を置きつつ何かを見極めようとしている。エイミーがガオリ侯の寄越した密偵であるというのは周知の事実であろうが、それにしては妙な違和感が残る。
「リュウ、確認しておくけど、ユマ様はあなたが目を放した数秒の間にいなくなったのね?」
「はい」
リュウの怠慢を疑りたくもなるが、他の者達の証言も似たようなものだ。
(攫われたというより、まるで自分から煙のように消えたとしか――)
不気味といえば、ユマほど不気味な男もいない。何しろ彼は満身創痍でありながら、シェンビィ公爵邸から逃げ出して闘技場まで駆けつけたのだ。彼を闘技場に導いたのはシャナアークスだったようだが、彼女が公爵邸に忍び込むはずもない。そんな男が、一介の市民におめおめ拉致されるだろうか。
(待つか……)
ユマという男に妙な信用を感じながら、クゥはデアの言を容れた。長老会議を尊重するユマの方針に従えば、彼女にデアに逆らう権限はないわけであるが――