第二章「闘士衝冠」(1)
■一章までの主な登場人物
・ユマ
本編の主人公。本名は湯山翔。ある日突然、異世界に飛ばされる。荒野を流浪するも、伯爵の娘アカアに保護される。
・アカア
ローファン伯の娘。王都に帰還する折に、偶然、遭難状態のユマと出会う。好奇心からユマを先生と呼び、旅の一行に加える。
・ヌル
アカアの護衛。奴隷の扱いを巡ってユマと反目する。
・リュウ
アカアが道中に立ち寄った村で、山越えのために買い取った少年奴隷。
負傷した奴隷を見捨てようとしたアカアを強諫したユマに感銘を受ける。
・ホウ
リュウの友人で、馬車に轢かれて負傷した際に置き去りにされそうになるも、ユマによって救われる。
・ローファン伯爵夫人
アカアの母。ユマが所有している自動車に興味を持つ。
・リン
ローファン伯爵夫人がユマにつけた使用人。
夢を見た。
気づけばユマは馬車に乗っていた。黄色い大地の上に打ち込まれた細い石畳の道を、馬車が音を立てて走っている。
速度はそれほど速くない。馬車の横を、数人の下僕が小走りでついてゆく。
「もう少し、速度を上げましょう」
御者台で鞭を振るう少年がそう言った。よく見るとリュウである。
「いや、ゆっくり行こう」
下僕の一人が肩で呼吸しているのを見て、ユマは言った。そこの丘で休息しよう――と、付け加えた。
丘に着くと、古びた小屋があった。いつの間に降り始めたのか、雨を避けるために、ユマは小屋を借りることにした。
小屋の前に、守衛らしき男が立っている。服装から見ると、ただの掃除夫のようでもある。
「雨宿りがしたいのだが……」
リュウがそう言うと、男は小さく会釈をした。銅貨を与えるときに小さく足を引きずっていたので、ユマは「足が悪いのか?」と、声をかけた。
が、彼は言葉を発しなかった。
いぶかったユマは馬車を下りた際に男の顔を見た。
父だった。
(何故、こんなところに……)
そう思うのもつかの間、男はユマの前にひれ伏し、
「最近、息子を亡くしまして……貴族様のご厚情は大変痛み入ります。粗末な小屋ですが、ご自由にお使い下さいませ」
と言った。
ユマは言葉に詰まった。同時に、息子が行方不明になった両親は今頃どうしているのかと思いを馳せたところで、彼は夢を見ている自分に気づいた。
「ああ……」
ため息をついたところで、夢から醒めてゆく物寂しさが全身を駆け巡った。
首を垂れたためか、頭に付けていた冠が落ちた。
主人が落とした冠を這うように拾った下僕がいた。
ユマは醒めつつある夢がまだ続いていることを不思議に感じたが、下僕の顔が自分と全く同じであることに気づくと、心中で小さく呻いた。
「うぅ……」
それが声となって外界に放たれると同時に、ユマは若い女の声を聞いた。
「先生?」
気づけばリンの顔が目の前にあった。ユマが安堵を覚えたということは、今しがた自分が見ていた夢は、悪夢だったのだろう。恐怖を伴う類のそれではなく、喪失感だけが残る夢だった。
「魘されていました」
よほど酷い顔をしていたのだろう。リンはユマの機嫌を伺うように言った。
「親父の夢を見た」
リンに言ってもどうしようもないことだが、ユマは罪悪にも似た感情に耐えられなかったのか、ついこぼしてしまった。
「まあ、御尊父ですか?」
「ああ、まだ足を引きずっていたよ」
ユマは切り捨てるような声で言った。だが口調とは裏腹に、口から出た言葉は他人の同情を誘っているようでもある。寝ぼけながらも、本人はそれに気づいたのか、リンが口を開こうとするのを目で制した。
思わず威圧感のあるユマに接して驚いたリンだったが、学者には偏屈な人間が多いと思っているためか、それとも先生は寝起きが悪い方なのだと解釈したためか、朝食の準備を済ませた頃には先の話題はおくびにも出さなかった。
どうやらこの家での朝食は寝台の前でとるらしい。
洗面器に汲まれた水で顔を洗ったユマは、
「今、何時かな?」
と、訊いた。ただの癖で、他意はない。
「もうすぐ八時です。王都見物は十時からの御予定です」
即答されたユマは彼女がどうやって時刻を知ったのか、興味がわいた。
「時計でもあるのか?」
「はい。ございます」
そう言って、リンは窓の外を指差した。
ユマが視線で追った先には、庭に打ち込まれた長い棒があった。
「日時計か。夜や曇りの日はどうするんだ?」
「一時間ごとに精霊台が鐘を鳴らしますし、水時計もございます。昨夜、お食事の席にも……」
「ああ、いいよ。どうやら寝ぼけていたらしい」
異文化であるが故に、奇抜な時計を期待したユマだったが、あてが外れた。後で腕時計と合わせて測ってみたが、ここでの一時間はどうやらユマの知る一時間と変わらないらしく、リンの言うところでは一日が二十四時間、一年が三百六十五と四分の一日であることまで同じらしい。ちなみに、今のオロ王国の季節は初夏である。
(まるで地球と同じだ……)
と、ユマの中でそれ以上に発展しようの無い結論が出た。
朝食が済むと、着替えをさせられた。勿論、昨夜の内に旅装は解いてあり、既にリンの用意した衣服に袖を通しているが、今回はそれに冠が増えた。ちなみに「させられた」というのは、リンによって着せられたという意味だ。ユマが戸惑ったのは言うまでもないが、例によって卑賤な者であると侮られるわけにはいかないユマは、リンのなすがまま、新しい衣服に着替えた。白をベースにした服はシャツに近い形をしていて、生地が少し硬い。動きにくいというわけではなく、外見ほどに厚くない。シャツの上から羽織るベストはアカアと同じ青色で、これがこの家の好む色らしい。ただ、皮製の靴ばかりは底が薄く、ユマは屋内にも関わらず、地面の硬さを改めて思い知る羽目になった。
冠についてだが、環状になっていて、前が幅広で後ろが薄い。頭の上にちょこんと乗せる類のものらしい。左側に銀製の止め具があって、羽がついている。色はやや青い。子供用の帽子を頭にのせているような心地がして、落ち着かない。
ユマは嫌な顔をした。冠が彼の趣味に合わないこともあったが、それ以上に夢に出てきたものと全く同じであったことが彼を不気味がらせた。
「いかがなさいました」
「これをつけないとダメ?」
「五位冠が御気に召しませんか?」
リンがあまりにも意外そうに言うので、ユマはかえって断り辛くなった。五位冠というのは、上から数えて五位という意味だろう。冠にいくつ位があるかわからないが、王侯を一、二位と考えても、悪くない階位に思える。道中、アカアに聞いた高位の爵は、公、侯、伯、子、男の五つはあり、他にも騎士に似たような階位が十はあったようだから、ユマがこれ以上に良い冠を被りたいと言えば、さすがのリンも表情を変えるかもしれない。
だが、
――ゴイカンでいいから、他のは無いかな?
などとは、もう言わなかった。考える途中で煩わしくなったのだ。
ユマは五位冠で満足したが、遠まわしにアカアに訊いたところ、先の五爵は三位冠までをつけ、十士爵と呼ばれる騎士にも似た階級が四位冠であり、五位冠は庶民で裕福な者――豪商などがつけるものらしい。それを知ったユマは伯爵夫人に自分が試されていたと思って憮然となった。だが、遠国から来た者がオロ王国の風習に慣れないのは当然であり、やはり庶民同然の者に冠を与えたところに伯爵夫人――もしくはアカアの好意があったと思い直した。
ユマが五位冠をつけることに関して逡巡したことを、リンがアカアに告げると、彼女は興奮した顔つきで、
「やはり、あの御方は貴族かもしれないわ……」
と、はしゃいだ。彼女は五位冠についてユマが自分に問うたという事実を、
――下賎なものと一緒にされたか。
という矜持として捉えた。それでも上位の冠を与えようとしないのは、ユマを侮っているからではなく、実際に爵位を得なければ四位以上の冠をつける資格が無いからだ。
四人乗りの馬車に乗って、ユマは王都観光に出かけた。同乗するのは、アカアとリンだ。まずはヴォンの街をみてまわることになった。
(嫁入り前の娘に、よく俺をつけたな……)
と、ユマは心中で苦笑いをした。それだけの信用が自分にあるはずもなく、ユマとアカアとの間で過ちが起こるのは、それほどありえないことなのだろう。あの伯爵夫人も想像だにしないに違いない。
馬車の横を走る人影がある。護衛のヌルとその配下だ。ユマはリュウにも王都を見せようと思ったが、ホウが屋敷でひとりきりになることはさぞ辛かろうと思いなおした。
「あれが精霊台。あれが大学。あれが……」
と、アカアが早口で説明するが、建物を遠望しながらでは理解しにくい。そのうちに彼女のうんちくに飽き、ユマは路上の人々を見下ろした。
頭に布を巻いた人々は、露天商によく見受けられる。ゆったりとした白衣を着て、数人で歩いている若者は学生らしく、精霊台で術を習ったり、大学で学問に励んだりするようだ。他に、金縁の硬そうな衣服で、ぴしりと容姿を正して歩いているのは、貴族のようであり、それ以前に彼らは必ず近侍や馬車と共にあるからわかりやすい。ヴォンの中でも王宮に近い高台に彼らの姿は多く、郊外へと近づくにつれて少なくなっていった。
他の男どもは、基本的に屋敷の使用人の服を崩したような格好をしていて、明らかにそれとは異なる人々は異国人らしい。
女たちはというと、ほとんどは男と変わらず、腰元だけ引き締めた着物のような衣服を着る者が多い。若い女のほとんどがリボンをつけているが、中には明らかに服装と合っていない者もあり、ユマを苦笑させた。しばらくの間、ユマはその色を見て楽しんでいたが、突然、弾ける様な白肌色が目に飛び込んできたので、思わず、ヒュウ――と口笛を鳴らした。
青黒い、深海からとってきたような色をした髪がそこにあった。やや肩にかかる程度の長さで、肌の色が明らかに違う異国人を除けば、長髪の多い王都では不思議な存在に見える。髪は後ろにまとめており、赤いリボンが可愛げに揺れている。
ユマが注目したのは、彼女が武装していることだった。こじんまりとした気持ち程度の肩当をしており、白い上着を圧迫するように、胸甲の止め具が背中にある。左腰には細工の施された細長い剣を下げている。下半身はといえば、生地こそ頑丈そうだが、ショーツ程度しか肌を保護していないため、ユマのような男でも、眩しいような色をした太腿に視線を奪われないはずがない。軍靴のような物々しい靴を履いているが、それが彼女の姿を一層華奢に見せている。
よく見ると、彼女を中心に人だかりが出来ている。まさかあの太腿を見るためだけに男どもが群がっているわけでもなく、中には女子供もいた。
ユマは気になったのか、アカアの観光名所案内が一区切りしたところで問うた。
「あっ、それは闘士です」
と、アカアが言った。
「闘士……ここには闘技場でもあるのか?」
「では、ご案内いたします」
アカアがいたずらに成功した子供が浮かべるような笑みを見せたので、ユマは自分が的外れなことを言ったのかと思ったが、どうやら違ったらしい。
「いけません、お嬢様。お館様から闘技観戦を禁じられていたはずです」
リンが強い口調でそういうので、アカアは癇に障ったらしく、
「先生を案内してさし上げるの。他意はないわ!」
と、いつになく声を張って言った。それでもリンが引き下がらなかったので、後で母に告げ口をされると叶わないと思ったアカアはユマにすがった。
「いや、禁じられているのなら、別にかまわない」
「先生、それは本当でしょうか。王都まで来て闘技を観ずにいることは、はっきり申し上げて、ありえないことです。西国から海を渡って観戦しに来る貴族もおります。大丈夫です。先生を退屈させたりはいたしませんわ。ですから……」
アカアが上目づかいで寄ってくるので、ユマはたじろいだ。それに、先の女戦士が剣をふるう姿を少しだけ観たいと思った。彼女の白い皮膚が真っ赤な血で染め上がる姿を想像したわけではなく、あのみずみずしい肢体が動く様を観てみたいと思った。
「そこまで言うのなら……」
ユマにしては珍しく、自分の熱さを持て余したような鈍い反応をした。
「ほら、ほら!」
アカアがユマにかこつけて闘技観戦に出かけようとしているのは見えすぎているが、たまにはこのお嬢様のご機嫌もとっておかねばなるまい――と、ユマは自分の決断をそう評価した。
(まるで子供のような……)
と、ユマは苦笑したが、アカアは今年で十五歳になる。だが、十八までにはどこかの家へと嫁いで行くだろうから、彼女が子供のように振舞えるのは今年で最後かもしれない。後から知ったが、アカアの傍で頭を抱えているリンは今年で十八歳になる。