第七章「決闘の街」(8)
「おや、オロの将棋は初めてか?」
ユマが頷くのを見たルガは、手振りで着席を促すと盤の上に大きな手を乗せて説明を始めた。
「将棋にも色々あるが、これは術士が遊ぶもので、四風将棋という。こうやって盤の上で精霊を操ると――」
ルガの手元がわずかに煌めいた。すると、盤がまるで粘土をこねるようにうねり、曲がった。やがてそれはいくつかの塊を盤上に吐き出した。最初こそ丸まった物体に過ぎなかったそれは、徐々に角と面に加工され、明らかに駒と見えるものに変わった。
「この盤、魔灰か!」
「あ、ああ……そうだが――」
ユマの興奮もさることながら、これくらいのことで何故驚くのか、ルガは不思議だったに違いない。ちなみに魔灰について改めて説明しておくと、これは精霊の死骸と云われる物質をこねたものであり、ユマが闘技場で乗った竜機の素材にもなっている。
好奇心に駆られたユマが、駒のひとつひとつを見ていると、その形の差に気づいた。鏃のように先の尖ったものもあれば、丸いものもある。形状は円柱あるいは円錐に近く、チェスの駒に近い。
「四風将棋には火風、雷風、土風、金風、風風、源風の駒がある。頭が牛の尻尾のようになっているのが火風、三又なのが雷風、四角いのが土風、丸いのが金風、鏃のようなのが風風、馬の蹄のようになっているのが源風だ」
「六種類あるのか? 四風なのに?」
「おいおい、これは魔術の基礎たる四風そのままだぞ」
ルガの口ぶりが本当にユマを案じるようであったのは、それほど魔術において基礎的な知識なのだろう。
「いいよ、ルガ。説明して差し上げなさい」
そう言って、ユマに助け舟を出してくれたのはパソォである。ルガも特にユマの無知を気にするでもなく説明を続けた。
「火風は金風に強く、金風は雷風に強く、雷風は土風に強い。同じ強さであれば攻撃側が強い。つまり、火風は火風以下の駒を取れ、金風は金風以下の駒を取れる。これが四風だ。四風は全て風風と源風に強い。風風は源風にのみ強く、風風と源風を取れる。ここまではわかるな」
「ああ」
「だが、それでは精霊術と同じく、火風が最も強くなってしまい、将棋が成り立たない。実際、四風将棋では火風をどう用いるかが勝利の鍵であり、火攻風守と呼ばれる定石がある」
「それで、風風と源風か」
「そうだ。風風は風精を操る術に相当する。風精は全ての魔術の基礎であり、全ての魔術に転化する可能性を秘めている。つまり、敵陣深く切り込んだ風風は、同じく自駒の金、雷、土などの駒に隣接して、他の駒に化けることができる」
「源風は?」
「源風は人の意思を介する源精を象徴する。この駒だけでは敵の駒を倒すことはできないが、特殊な働きをすることがある」
「要は攻撃用の四風と、補助の風風、源風でゲームをしろということか」
「そういうことだ」
ユマはルガの手持ちの駒を見た。火風が七つ、雷風が四つ、金風と土風が二つずつ、風風が五つ、源風が三つあり、合わせて二十三の駒がある。ユマは違和感がすると同時にそれを口に出した。
「待て、王がいないじゃないか。王のない将棋なんて聞いたことが無い」
「王は、これ――」
ルガが指差したのは、源風の一つだった。よく見ると他の源風と色が違う。他はやや黒っぽいが、その一つだけは少し大きく、鈍く光っている。
「これを主駒といい、まあ王のようなものだ。言い忘れたが、源風の主駒が取られた時は、最も近くにある源風が主駒となる」
「つまり、全ての源風を取らないと勝ち負けが決まらないわけか」
「それを封じる方法もあるが、まあそんなところだ」
「封じる方法?」
少し面倒臭くなったのか、ルガは端折ろうとしたが、ユマとしては全てのルールを飲み込んでおかないと、試合にならない。
「取られた主駒の近くに風風が無い場合、あるいは次に主駒となる源風の近くに風風が無い場合、その時点で敗北が決定する。最も近くの源風が条件を満たさなくとも、他の源風が条件を満たしていれば、その駒が新たに主駒となる。だが、敵陣に近ければ近いほど、すぐに新たな危機に見舞われるため、全ての源風が取りつくされる前に投了になることも多い」
「なるほど。つまり風風で源風を守りつつ、火風を軸に攻めると」
「平たく言えば、それを効率よく行うのが火攻風守だ。初心者はそれでいいだろう」
ルガの言ったことを簡単にまとめるとこうなる。
火風――全ての駒に勝つ。
金風――金風、雷風、土風、風風、源風に勝つ。
雷風――雷風、土風、風風、源風に勝つ。
土風――土風、風風、源風に勝つ。
風風――風風、源風に勝つ。敵陣を深く侵した場合、隣接した自駒の四風に転化できる。
源風――他の駒を取れない。近くに風風があれば主駒になる資格がある。
「今更だが、それぞれの駒はどう動くんだ?」
「まずは練習代わりに一戦しようか。その方が早い」
ユマはルガが促すままに盤上に両手を置いた――が、何も起こらない。ルガが首を傾げ、ユマもまた同じようにする。他の者も不思議そうにこの光景を見ている。
「風術の要領で精霊を集めてみて下さい」
パソォがそう言うも、ユマは風術を直接使ったことはない。シャナアークスや闘士トーラ、あるいはクゥなどが闘技場で魔術を放つ際に精霊がどう動いていたのかを思い出してみた。
ルガが言った「魔術の基礎たる四風」とは火術、金術、雷術、土術を指す。風術は全ての魔術の基礎であり、風精を他の性質を持つ精霊に転化させることでより上位の魔術を操ることができる。
あれこれ考えているうちに、将棋盤が淡い光を放ち始めた。初めて竜機を動かした時の感覚に近い――とユマは思った。
さて、これからこの異邦人にひとつ四風将棋という遊びを教えてやろう――と、盤を見下ろしていたルガはあっけに取られたようにユマの駒を見ていた。
「こりゃあ、凄い」
ルガの後ろで卓上を見ていたひとりが言った。
「……火風が少ないな」
どうやらこれでもかなり言葉を選んだようであることは、ルガが少し唸るような素振りを見せたことからユマには容易く想像できた。正確には「四風が少ない」と言うべきだからである。
ユマの駒と、ルガの駒を比べれば一目瞭然である。
火風七、雷風四、金風二、土風二、風風五、源風三のルガに対して、ユマは火風、雷風、金風がそれぞれ二、土風が一、風風十、源風六である。ルガには攻撃用の駒である四風が十五あるにも関わらず、ユマのそれはわずか七しかない。風風は他の四風に転化することがあるから、それを加えると二十対十七になる。これでも不利だ。
■ルガの持ち駒
火火火火火火火
雷雷雷雷
金金
土土
風風風風風
源源源
■ユマの持ち駒
火火
雷雷
金金
土
風風風風風風風風風風
源源源源源源
「何か、間違えたかな?」
ユマは苦笑しつつ、ルガではなくパソォの方を見た。彼の方がルガよりも適切な助言をくれそうだからだ。
「四風将棋の持ち駒は術士の性質によってかなり変わってきます。ルガは火術が得意ですから、火風が多いのです。四風の学を修めていない術士でも、これは変わりません。何故なら術の得意不得意は生まれながらに決まっており、四風の偏りに従って人は術を学ぶからです。優れた風術士が四風将棋を打つと風風の駒を多く得ることがありますが、ここまで偏ったものは初めて見ました」
どうやら自らの属性が原因であると知ってユマはひとまず安心した。やり方を間違ったわけではなさそうである。だが、ルガは困ったように沈黙している。
ユマが説明の続きを促すように目を合わすと、ルガは興を殺がれたように手を振った。
「源五では話にならん」
源五というのは、源風が五であるということだろう。ユマの源風は六つあるから、これは何かの例えであるということがわかる。源風は主駒たる資格を持つ特殊な駒だが、他の駒を取ることは出来ず、それが五つ以上あった場合、駒の比率から明らかな不利になるから勝負にならないということだろう。
四風将棋は四風を全て取られたら事実上の詰みであるから、一局も打っていないユマでさえ大きな不利があることはよく理解できる。
「では、ハンデを付けましょう。ルガは主駒の交代を一度きりに制限すればどうでしょうか?」
見かねたのか、パソォが提案する。
「一死か。いいだろう。それでやろうか。その前に練習だったな。まずは俺が先行で始めるが、この一試合はお前さんが勝つように誘導するからよく見ておくように――」
やる気を取り戻したルガが説明を再開しようとすると、思いもよらぬところから横やりが入った。
「男らしくないじゃあないか。ユーユ、あんた赤ん坊みたいに扱われて悔しくないのかい?」
背後からの声はチタータでだった。
不服そうな顔をしているのかと思ってユマが振り向くと、女は微笑を浮かべていた。ユマとしては赤子同然なのだから、ルガにハンデを負わせるのは当然だろうと思っていたが、チタータはそれをなじった。
――ホントに人が好い男だよ!
とでも言いたそうだ。
(可愛い女だなぁ)
ユマの感想は実に間の抜けたものだったが、それこそ人の好さでチタータの野次を聞き流した。「さあ、この女は放っておいて、始めようか」とルガに目語しようとしたところ、眼前の男はユマと正反対の反応を示していた。
ルガは、むっとしたように眉を潜め、チタータに向けて言った。
「口出し無用!」
そう言って、ルガは自分の駒の中から火風を選びつかむと、無造作に一マス進めた。心なしか、先程「そうではないのだ」とユマに弁解した時と、表情も声色も似ていた。
金色の髪が少し揺れた。