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貴く翔べ  作者: 風雷
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第七章「決闘の街」(7)

 ユマはチタータという女に不思議を感じている。

 彼女はユマの素性についてほとんど何も問わない。恐らくこれが、外部から訪れたならず者達を受け入れてきた街のしきたりのようなものなのだろう。

 とはいえ、この女は明らかに眼前の男について興味津々である。視線がそう語っている。

 弟のヌークは街先の商家に住み込みで働いているらしく、夕暮れと共に帰って行った。彼はユマのことを警戒しながらも、見ず知らずの旅人を姉の家に泊めることに口を挟まなかった。

 勿論、ユマは別れ際にそれを問うた。


「自分で言うのもなんだが、不用心じゃないか?」

「姉貴は人を観る目だけは確かだ。あの人が大丈夫といって悪く転んだ試しはない」


 ヌークがあまりにもきっぱりと言い放つので、ユマは面食らうよりも心配になった。

 ユマがヌークを観察していて思ったのは、この男が根っからの小心者であることだ。彼が自分を引きとめたのは監視のためであると思ったのだが、チタータと二人きりにして平気そうにしているのは意外である。どうみてもこの少年は猜疑心が強く、姉に言われたからといってすぐに首肯するほど穏やかでもなさそうだ。

 ヌークはどこかそわそわしている風だった。彼はしきりに日の傾きを気にしている。


(はぁ、店のことが気になるのか)


 もっと言えば、帰りが遅くなったことで、店の主人に怒鳴られるのを心配しているようでもある。別れた後、駆け足で去ってゆく彼を見て、確信に変わった。


「薄情な餓鬼だ」


 ユマはそう呟いてみたものの、少年の背にこのような言葉を投げつけることの方が薄情だろうと思い直し、あるいはチタータの信頼を得て、なおかつ少年ヌークの猜疑の目を潜り抜けた自分の人格というものを少し考え直してみようかと自惚れてもみた。

 チタータ邸で薄い塩味の粥にも似たものを馳走になった後、ユマの懸念の一つは晴れた。自分が警戒されないことがおかしいという懸念であるから、妙なものである。いや、素性を隠して市民の家に上がり込んでいるのだから、ユマに後ろめたさがあるのも当然ではあった。

 食後、チタータ邸を一人の男が訪ねてきた。チタータは深くフードを被ったその男と数語を交わした後、ユマに外出を促してきた。


「会わせたい人たちがいるの。ついてきてよ」


 恐らくローファン移民を束ねる者達だろう――とユマはたかをくくった。


(こりゃあ、また引っかかったな)


 と、ユマが自嘲したのは、チタータと男について歩く内に、それなりの距離を移動したからである。これなら日暮れとともに宮殿に帰ることは難しくなかった――と軽く後悔した。だが、ユマの心が思いのほか軽いのは、それを上回る好奇心が彼を支配しているからだろう。どれ、これからこの街を治める者として、ティエレンの裏の顔を見てやろう――と。



 道を行きながら宮殿を遠目に望んでみたが、領主の住まいにしてはあまりにも灯りが少なく、商家の灯りに溶け込んでしまう。ユマは時々自分がどの方角へ向かっているのかわからなくなった。

 ユマはチタータに言われて、襤褸(ぼろ)にも似たマントに身を包み、深いフードを被っている。

 路地裏の更に裏を歩くようにして、チタータは仕立屋と思しき家を通り過ぎ、その背後にある小さな酒屋の裏口を叩いた。奥から雄大な体躯を持った男が一人出てきた。驚くべき剛毛で、顔の半分が赤茶けた髭に隠れている。男はチタータと目語した後、ユマの方をちらりと見やった。


「入んな」


 中へと誘われながら、ユマはようやく自分が軽い緊張感の中にあることを意識した。

 一つのランプが頼りない灯りで部屋を照らしている。


(六人……いや、七人か?)


 全員男であるが、一目でローファン系とわかる先の男を除けば、多様な風貌である。中には西方出身と明らかにわかる金髪をした壮年の男もいた。


「俺はルガという。お前さんがユーユかい?」


 金髪の男が口を開いた。どうやら彼がこの場をまとめているらしい。


「そう呼ばれている」


 意味深な答え方になったのは、偽名を使っているという後ろめたさからだろう。だが、ユマの小心な一面がここでは幸いしたようで、男たちは目語した後、何かに感心したように頷いた。


「風と火の術を使うのか?」


 この一言で、ユマは彼らの正体にあたりをつけた。明らかに戦力として自分を見ていることから、彼らはローファン移民の中の武断派であり、アルンの一味と格闘している当事者に違いない。ユマは更に言い切ることができるが、彼らのほとんどはオロ王国の内外で罪を犯してティエレンに逃げ込んだ者達だろう。ユマはチタータやヌークがどうやって身を護っているのか疑問だったが、彼らを用心棒として雇っているのなら納得も行く。


「使う時もある」


 ユマとしては正直に答えたつもりである。だが、男たちがどよめくのを見て、少し不安になった。チタータを暴漢から助ける際に使った術は風術よりも更に上級の空術だが、この世にクゥ・フェペス以外の使い手が存在しない新たな魔術を何故自分が使えるかと問われれば、ユマは正体を隠し通せる自信は無い。だが、これは徒労というよりは、ユマの観測が甘かった。空術自体、風術と火術の混合であるとティエレンでは噂されており――実際にはこれは間違いで、精霊台にクゥが発表した論文があり、そこに通う学生ならば誰でも閲覧できるのだが――つまりは先の問いは、「空術を使えるのか?」と問われたに等しい。

 ルガは口の中で紡ぎだす言葉を溜めているように、軽く唸った後、太い声で言った。


「お前さんの素性をあえて問うことはしない。だからというわけではないが、俺たちに手を貸して欲しい」

「アルンとかいう連中と戦えというのなら、断る」


 即答したものの、ユマは自分が今巻き込まれそうになっている争いを無用なものだと斬り捨てることができないでいた。とはいえ、ティエレン子爵ユマ・チルーク・ティエルという肩書は、闘争以外の解決手段を必ず持つはずであると強く思った。

 男たちが急に殺気立った。だが、ユマは恐怖しない。自分がクゥやシャナアークスを上回る戦士であるからなのか。いや、そうではない。彼は自分の安堵の源が何であるのか、よくわかっていた。

 チタータである。ルガという男が彼らの頭目のようだが、この男がチタータに向ける動作の全てに敬意がこもっている。ユマにはその理由が何であるのか想像しかできないが、自分がチタータに対して感じるのと同じものを男たちが感じているのであれば、この場の返答が何であれ、チタータの存在が全ての諍いを封じるだろうという確信にも似た何かがあった。いわば、チタータはこの狭い空間での王に等しい。


「ユーユよ、そうではないのだ」


 と、ルガは食い下がる。


「アルンは途方もない愚か者だ。あの男はティエレンの地を踏む全ての異邦人を憎悪する。アルンにとって(くに)とはここティエレンのことであり、王国ではない。そんな狭い世界しか持たない男が、魔術を武器に無辜の民を傷つける。俺たちはいずれも何処かの邦で己が罪から逃げて来た者だ。それをティエレンの民は受け入れてくれた。彼らが殺され、この街から追放されるを見るのは忍びない。忍びない上に、薄情だ。だから俺たちは矢面に立って戦うのだ。お前さんもティエレンで己が罪を漱ぎたいのなら、アルンと戦うがいい」


 話の途中で、ユマの眉間に皺が寄った。ルガが口を閉じて瞳を覗き込んできた時には、ユマの表情は明らかに不愉快なそれに変わっていた。


「ルガさんだったか。悪いが、あなたが恩讐で動く人には、とてもじゃないが見えない」


 ユマがそう言うや否や、ルガが「へっ!」と鼻で笑った。周囲の何人かも、釣られて微笑したように見えた。


「今のティエレンは主が代わったばかりで、その賢愚も明らかになっていない。もし彼が賢明であれば、悪逆非道を行っているというアルンを必ず追放するだろう。無用な争いは避けて、一度領主に直訴してみるといい」


 ユマの言葉に最も敏感に反応したのは、恐らくチタータだった。だが、彼女はこの場で発言する権限が無いのか、あるいはあってもそのつもりがないだけなのか、押し黙っている。


「シェンビィ公から派遣された使者も同じようなことを言っていたが、何も変わらなかった。我々からも一人代表して新領主に伺候したが、政治のわからぬ若造にしか見えない」


 ルガが返すと、ほとんどの者達が頷いた。ユマは自分の容姿を知っている者が一人いると聞いて、冷や汗をかいた。フードはまだかぶったままだが、素顔を改められるとひと波乱あり得る。とはいえ、ここまで来た以上、「その時は、その時だ」という程度の覚悟はできている。

 ユマはふと、部屋の隅から静かに自分を見つめる影に気づいた。


「私はその男の力量を知らずに仲間に加えるのには反対だ。ここはひとつ、腕試しをしてはどうかね?」


 顎の細い男である。少しだけジェヴェに似ていると思ったが、彼よりも陰にこもったような暗さがある。


「荒事は勘弁願いたい」

「心配無用、喧嘩ではない」


 男がそう言うと、ルガはわずかに首を傾げたが、すぐに諒解したように立ち、奥の壁に立てかけてあった板を持ち出した。

 ルガがそれをどっかとテーブルの上に置くと、軽く埃が舞いあがった。


「おや、将棋か?」


 ユマが懐かしそうに声を上げたのは、四角い板の上に規則正しい直線が描かれ、多くのマスに区切られていたからだ。辺の中心近くに大きな円が描かれているのを除けば、これは確かにユマが知る将棋盤に近かった。

 椅子に座ったルガは一度、先程の男を振り返った。


「パソォ、お前がやるか?」

「いや、ルガ。君が適任だ」


 パソォという不思議な名の男は、ルガに対して答えながらもずっとユマに視線を合わせていた。ユマもまたこの男を観ていた。この部屋に入った時、わずかに違和感がした。最初はこの場の空気に圧されたのかと思ったが、ルガは決して威圧的ではなく、ユマとしては話し相手に恵まれたようにも思えた。だが、パソォという男の存在に気づいた時、この男のまとう精霊そのものが不穏な気を帯びていることに、ユマは気づいた。


(並みの術士ではない)


 これが、ひとまずのユマの感想だった。手練れというよりは、異質であるといった方が、彼の感覚に近い。


「俺と手合せしてもらえるかね、ユーユ? なに、勝ったからってお前さんを脅したりはしない。将棋でも打って、互いを知ろうじゃないか」


 まるでユマの機嫌をとるような言葉の後、ルガが将棋盤に触れると、盤全体が淡く光った。


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