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貴く翔べ  作者: 風雷
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第七章「決闘の街」(5)

 デアの話を聴いたユマは、しかしジェヴェを嫌な男だとは思わなかった。彼とは二回しか会っていないが、心に直接に語りかけてくるような爽やかさを感じたからだ。


――また、お会いしましょう。


 別れ際に、ジェヴェはそう言っていた。自分のことをみつけられるならという妙な条件付きだが、人口数千人の街で自らの素性を晦ますのは容易ではない。街にさえいるのならすぐに見つかるだろうとユマは思った。ただ、今のところは彼に用事があるわけではない。

 だが、ユマは恐らく自分がジェヴェを探す羽目になるだろうことを予感した。あれは予言であるとさえ思った。オロ王国に来てから、ユマはいくつかの予言を体験した。その内の一つは自らの口から吐かれたものだったが、言葉はユマの知らぬところで力を持ち、運命はその通りに動いた。未来を言い当てたのではなく、言葉そのものがユマの運命を動かしたと言ってもいい。予言の恐ろしさはそこにある。

 全く心当たりが無いわけではない。ジェヴェが民衆に魔術を教えているとなれば、ティエレンの治安に関わる大事であり、領主としては放置しておくわけにもいかないのである。ただし、ユマ自身それを喫緊の問題としてとらえているわけではない。

 翌朝、またもや頭痛の種になりかねない伺候を追えたユマは、微服に着替えて街へ出た。

 供はリュウを含めて三人である。それほど大きな街でもないから、大人数で歩くとすぐに素性が割れる。


「どちらへ?」


 というクゥの問いに、ユマは「散歩がてら少し街を見て回りたい」と返しただけだった。ティエリア・ザリの名はクゥの前では出し辛い。

 ユマは人目を避けるように宮殿の東側へ向かった。人気のない広場に出た時、真四角に削られた大理石が地面から顔を出しているのが見えた。この世界でのユマは文盲である。だが、そこに誰の名が刻まれているのかは、問わずともわかる。

 薔薇が植えられている。いや、無造作に生えているところを見ると、誰かの手によるものではなく、単に群生しているだけかもしれない。花の色は薄く、地下に眠る者の血生臭い死を微塵も感じさせない。

 陽光のような色をした蝶が舞っている。これから夏の盛りである。


(ここに、来たかった)


 デアに用意させた名も知らぬ花を墓前に供えると、ユマの全身を温度を持たない何かが通り抜けた――そう思った時、急に傍にいたはずのリュウを遠くに感じた。


「先生!」


 アカアに倣ったのか、リュウやホウはユマのことをこう呼ぶ。彼らはユマの下に付いた時に一度、呼び方を変えようとしたようだが、ユマがそれを嫌ったのでこのままになった。

 リュウの声は瞬時に途切れた。同時に、ユマの視界が急激に暗んだ。

 あたりは闇に閉ざされた。



 ユマはこの場所を知っている。いや、ここを場所と呼んでしまっていいのか、ユマは首を傾げたくなるが。

 闇の中に一か所だけ光の射すところがあった。ユマもまた光を浴びている。まるで消灯した劇場で登場人物だけに光があてられるのにも似ていた。

 ユマは正面で光を浴びる青い髪の女に声をかけた。


「ティエリア・ザリだな」


 確信がある。他の誰とも思わなかった。

 よく見ると、女は相変わらず血まみれである。ただし、光を浴びる首から上は不自然なほどに神々しく、神霊の類にも思えた。


「満足か?」


 ユマはいつかと同じ言葉を、眼前の女に投げかけた。


――荊が……


 またもやいつかと同じように、女は呻き始めた。ユマはまだ鎮まらないフェペス家の怨念に歯噛みした。


「俺はお前の姪に出来る限りのことをしてやったつもりだ……」


 途端にユマは自分で自分の顔を殴りたくなった。このような汚らしい弁解をして何になろう。ユマはクゥを救いたい。だが、救えなかったというのが事実である。

 瞬間、女はユマが一生忘れないであろう顔で――嗤った。

 言い知れぬ恐怖が全身を駆け巡ると同時に、ユマは違和感を覚えた。

 目の前のこれは、何なのだろう。

 恐らく、いや確実に、これはユマが闘技場でクゥと死闘を繰り広げる間にまみえた奇異の姿である。ユマはこれが非命に斃れたティエリア・ザリの霊魂だと信じて疑わなかった。無念の内に死んだフェペス家の者の怒りは、ローファン伯がティエレンを手放した程度では消えないだろう。怨念とはそういうものなのだろうか。だとすればそれにあてられた自分はろくな死に方をしないと言える。


――あはは……


 女と目が合った。

 これは確かにティエリア・ザリである。勿論ユマは彼女と会ったことはないが、何故か確信している。だが、目の前の女はそれだけではない。

 視界が急激に萎んだ。その中で、嗤う女の背後に何者かの姿を見た時、ユマは眼前のこれが何なのかを理解した。いつか見た冷雨に打たれる夢を思い出した。


「お前は――」


 口に出そうとした刹那、視界が光で満たされた。



 見知らぬ場所にいた。だが、決して幻覚の類ではない。

 何故か息が上がっている。鼓動が激しく、全身の疲労が濃い。まるで長い距離を全力で走った直後のようでもある。

 振り向くと、みすぼらしい宮殿が見えた。ここは確かにティエレンの街である。だが、つい先ほどまでいたティエリア・ザリの墓からかなり離れている。

 ユマは自分の腿に手を当てた。

 熱い。恐らく、いや確実に自分は直前まで走っていた。闇の中にいる間に走っていたとでもいうのだろうか。目隠しをしたような状態でひとりでここまで来れたというのなら、供をしていたリュウたちは何処にいるのだろう。

 ユマが周囲を見渡していると、突然、近くで悲鳴が聞こえた。

 高い声である。次いで男たちの怒号が聞こえた時点で、ユマはこれが何かの諍いであると断定した。日常では決して聞かないような危急の色を含んだ声である。

 一瞬、リュウ達を探した方がいいのではないかと迷った。王都では一人で勝手に行動して、ローファン伯の陰謀に巻き込まれた。あの時のような軽挙を繰り返したくはない。だが、ここはティエレン――ユマ自身がこれから治めることになる領地である。

 ユマは自分の服を見た。微服である。暴漢と思しき者達に名乗っても、とても信じてはもらえないだろう。


(それならそれで、いい)


 二度目の悲鳴が聞こえた時に、ユマは決心し、声のする方へ走った。

 路地裏に入ったところで、女を囲む男達が視界に入った。いや、よく見ると一人の少年が女を庇うように立っている。ここに逃げ込む前に既に打たれたのか、額から血を流している。


――来るなら来やがれ!


 とでも言わんばかりの凄まじい形相であるが、恐怖の色も幾分か混ざっている。意を決したものの、死を覚悟しきれぬ顔である。背後の女は家族か恋人だろうか。女も少年も少し髪が赤い。恐らくローファン系だろう。対して二人を囲む男達はやや青みがかった髪をしているからティエレンの地元民かも知れない。

 男たちは棍棒や短剣を手にしているが、先頭の男だけは徒手である。対して少年は棒きれを持っているに過ぎない。


「畜生ッ!!」


 そう吠えて棒きれを構えた少年に、武器を持った男達が打ちかかろうとしたところ、少年の背後にいた女がしゃしゃり出てきた。

 見覚えがある。そう言えば――とユマが思い出したのは、昨日、宮殿の近くを散歩していたところで目撃した、花を抱えて道を行く男女の姿である。見間違えでなければ、あの時の二人だろう。


「やめな、ヌーク」


 ヌークと呼ばれた少年は構えた棒を手放さない。女の声は少し低い。対して少年は男にしてはどうにも高い。ユマは、棒を持つ手が震える少年――ヌークと、女を見比べて、もしかすると先の悲鳴は少年の方が出したものではないかと思った。女は全く怯える気配をみせず、堂々としている。


「フェペスの腰抜けどもは、一人じゃあ何もできないのかい!? それともこれがアルンのやり方なのかい?」


 女の気迫に傍観していたユマまで気圧されそうになったのだから、鬼気迫っていると言ってもよいのかも知れない。仲間が怯んだのを見かねたのか、徒手の男が前に出た。


――俺がやる。お前たちは下がっていろ。


 とでも言わんばかりである。よほど腕に自信があるようにも見えたが、何も持っていない右手から火が(おこ)った時、ユマは思わず声を上げそうになった。


「なら、これは決闘だ。そういうことでいいな、チタータ?」


 男はそう、女に向かって呼びかけた。闘うのは女を庇って立つヌークという少年のようだが、ユマの見るところ少年の周りの精霊は静かで、魔術を使う気配は全くない。対して火を熾した方の男は紛れもない術士である。


――決闘の街。


 王都にいた頃、ユマはティエレンの街についてシャナアークスに問うたことがあった。その問いに対して彼女がたった一言で答えたのが、これだった。ユマは魔術による決闘が行われる瞬間を目撃している。同時に、これからティエレンを統治する難しさに気が遠くなりそうだった。


(勝てるはずがない)


 ひとまず、ユマはヌークと呼ばれる少年を心配した。見るからに荒事が不得意な少年である。暴漢が操る魔術は人を殺すほど強力には見えないが、魔術を用いた決闘で死者が出た前例があるとデアは言っていた。

 そもそも、目の前のこれは何なのか。何故、白昼堂々とこのような暴力が行われているのか。この街に法は無いのか。今までローファン伯はティエレンを放置していたとでもいうのか。

 多くの想念が頭の中で錯綜し始めた頃、女は突然道向こうに立つユマに向かって言い放った。


「おい、そこのひょろいの! あんたはどっちの味方をするんだい?」


 驚いたユマが目をぱちくりさせる間に、少年ヌークはユマの方を向いたままの男に襲い掛かった。


「ぎゃあ!!」


 悲鳴を上げたのは、少年の方だった。暴漢はどうにも喧嘩慣れしているようで、ユマに気を取られたふりをして、実はヌークの方を見ていた。罠にかかったヌークは虚を突いたつもりが虚を突かれ、男の右手から繰り出される火炎を浴びた。

 ほとんど同時に、ユマは眼下に転がる小石を拾った。元より見殺しにするつもりはなく、女と少年の方を助けるつもりだった。なるべく穏便に二人を救いたいと思っていたのだが、突然火の粉をかぶったような形になった以上、覚悟を決めた。


(なるべく、使いたくはないが……)


 オロ王国においては、魔術で人を傷つけると法に触れる。それはユマにもわかっている。今この状況を見ればわかるように、魔術で自らを守らなければならない事態も確かにあるだろう。ユマが気にしているのはそれだけではない。

 シャナアークスと闘った時、彼女の使う火尖の術は凄まじい威力を誇った。だが、同時に破壊の規模に見合わない大量の精霊が浪費されていた。これはどういうことか。学問としての術体系を理解していないユマは、端的にとらえた。つまり、精霊を用いて破壊を行えば、精霊に嫌われるのである。精霊に意思はないと言われているから、これは比喩の域を出ないが、ユマは自ら火尖を使った時にも同じ感想を持った。人が一生の内に使役できる精霊の数は決められている。それを見抜けるのはクララヤーナのような天才を措いては他にいないだろうが、ユマとしてはつまらぬことで魔術を使いたくはない。


「上手く手加減できなくても、恨むなよ」


 ユマは右手に持った小石の大きさを確認すると、狙いが逸れないように下手に投げた。

 緩慢な動作であったから、誰もが投げられた小石を目で追った。それほどゆっくり投げ放たれたそれが、何かが弾けるような音と共に急激に勢いを増した。

 呻き声なのか悲鳴なのか判別のつかぬ声を上げて、魔術を使っていた男が倒れた。小石が鳩尾(みぞおち)に命中したのである。

 もしこの場にクゥがいれば、顔面を蒼白にしてユマを睨んだだろう。彼が行ったのは、クゥの得意とする魔術――弩発の応用である。訓練も無しにあれほど危険な術を使えるとはユマは思っていなかったが、精霊に向かってどのように命令を発すればよいのかは、クゥと直に対戦したことがあるだけに、よくわかっていた。


「走れ!」


 ユマが叫ぶと、チタータと呼ばれた女が、燃える服の火を消そうと錯乱する弟の手を取って飛び出した。武器を持った方の暴漢が一瞬追う気配を見せたが、ユマの手元にまだ小石があるのを見て、諦めた。

 ユマはすぐさまその場を去るつもりだったが、すれ違い間際に女に手をつかまれた。


「アルンに逆らって生きていける奴はいない。匿ってやるからうちに来な!」


 つい先ほど、自分を助けるように仕向けておいて、それはないだろうとユマは苦笑したくなったが、弟を励ましながら奔る女の横顔にはあまりにも迷いが無く、清々しい風が胸の内に吹くのを感じた。

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