第七章「決闘の街」(4)
「あちらにあるのは共同墓地ですよ。ティエリア・ザリの墓は宮殿の東にあります」
背後からの声に振り向いたユマの目に、一人の男の姿が入った。
ユマは記憶を辿るまでもなくその男の名を口にした。
「ジェヴェさんでしたか」
「私のような下民にそのようなお気遣いをされると、民に侮られますよ。そこの下僕と同じように呼んでくだされば結構です」
ジェヴェはユマの慇懃を少したしなめながら、近づいてきた。よく見ると中々いい体格をしている。ロイオーセンほどの巨漢ではないが、彼と違って人を圧するような力みはなく、どこか悠然としている。
リュウを含めた護衛たちが指示を請うように見てきたので、
「彼と少し話がしたい。先に戻ってデアに少し遅れると伝えてくれ」
と、リュウに向けて言った。リュウは小走りで駆けて行った。
この男を少し観察してみよう――というのが、ユマが彼と話をしたいと言った理由だった。
「貴方のことはよく存じております。若くして老いてらっしゃる」
「老いているとは?」
「せこいということですよ」
いきなりせこいと言われて不愉快にならないほど、ユマは寛大ではない。
――俺の何処がせこいだって?
腹から熱っぽくせりあがった言葉は、喉元を過ぎたあたりで急激に冷めて消えた。自分がティエレンに封じられた経緯を考えれば、人になじられても仕方がない。無論、事情を知らぬ人が、喜んで子爵位を受けたユマに卑しさを見てとったとすれば、ユマは不服だろうが、ジェヴェの言葉はユマの心の表層ではなく、より深くで落ちた。子爵位を受ける際、ローファン伯やシェンビィ公、さらにはオロ王に対して抱いていた反感を押し殺してまで、ユマは妥協した。
「なるほど、確かにせこい」
「そう仰るところが、せこいのです」
まるで心身から発せられる気が雨粒のように打ち付けてくるようである。それは決して激しくはないだけに、かえって狙いすましたようにユマの心の芯に届いた。
ユマは初対面の時の静かな印象とは裏腹に、ジェヴェの口吻に鋭さを見た。しばらく他愛のない話題で茶を濁していたが、ついに耐え切れずに口に出した。
「君の言葉は刃物のようだ。だが何処か鎖のようでもある」
ジェヴェの眉が上がった。
「いいえ、違います。鎖は人を縛ります。他愛ない一言が、放たれた相手の一生を束縛することすらありえます。ですが、刃はその鎖を断ち、人を解き放つのこともあり得るのです。刃であり、鎖でもある言葉があるとしたら、荊のようなものです。それは呪いに他なりません」
「何が言いたい?」
「貴方はご自分を呪ってらっしゃる。それがせこいと申しているのです」
そう言われた時、ユマは体の何処かが痛むのを感じた。だが、同時におかしくもあった。ユマはジェヴェの言葉が鎖のようだと言った。人の性質を決めつけ、その人の思考を縛り、自らの支配下に置こうと試みる類の巧言である。だが、ジェヴェは違うという。人を縛り付ける鎖から解放する言葉こそ、今自ら発しているものであると。本気で言っているとしたら大した自信家である。あるいは阿呆かとも思った。
ジェヴェは急に話を変えた――というより、いきなり核心を突いた。
「フェペスの娘をどうなさるおつもりですか?」
「どうもしない。この街には未だにフェペス家を敬慕する者が多いと聞く。彼らを裏切るつもりはない」
「では、ティエリア・クゥを娶ると仰るのですね?」
この時初めて、ユマは目の前の男が憎らしくなった。一体誰も、そうではないと言わなければユマという人間をわかってくれないのか。ジェヴェの瞳の澄みにただならぬ知性を感じたユマはあからさまに落胆した。
「クゥは娼婦ではないし、妾にするつもりもない」
「はい、ですから私は正夫人になさるおつもりがあるのか、お訊きしたのです」
ユマは思わず呻きそうになった。
ジェヴェの言うことももっともなのである。フェペスの遺民を慰撫するために、クゥを奴隷の身分から解放して妻とするのは悪手ではない。奴隷と貴族の結婚は難しい。だが、それは貴族の感情に難しさがあるのであって、新参であり、異文明の人であるユマにはその難しさは存在しない。では何故ユマはそれをしないのか。ここに自分の悲しみがあると、ユマは今更ながらにわかりかけたが、すぐに打ち消したくなった。
ユマは自分を責めている。フェペスとローファンの争いの中で塗炭の苦しみを味わったが、その中でも最悪であったのは、自らの過ち――つまりはリンであった。リンが生きている限り、ユマは己を呪い続けるだろうと漠然と感じている。
――リンを救ってやりたい。
本心である。だが、それは不可能に近い。だから己を憎むことしかできない。それをせこいと言われれば、「うるさい」と跳ね除けるしかない。
――貴方が穢した。貴方が呪ったのよ。
シェンビィ公の養女クララヤーナの言葉は、今でもユマという男を苛烈に責めたてている。
「クゥの気持ちが気になりますか? あの娘は貴方のことをどう思っていようが、必ず善しとするでしょう。それに私が観たところ、彼女は貴方に惚れていますよ」
「それは……できない」
ユマがどこか苦しげに言うと、ジェヴェの目が光った。だが、それはすぐ微笑にかき消された。
(話し過ぎたか?)
ただの一度伺候に来ただけの男に、こうも深く心を抉られるとは思いもしなかったユマは、ジェヴェの前で本心を吐露したことを後悔した。
「また、お会いしましょう。次はもう少し若い貴方と話がしてみたい。まあ、私を見つけられたらですが……」
勝手に声をかけてきて、勝手に去って行った男を、ユマは追わなかった。
ティエル子爵邸に戻ったユマはいつになく寡黙な午後を過ごした後、デアにティエリア・ザリの墓を詣でる意を伝えた。
――なりません。
と、一蹴されるのはわかっていたが、何とか食い下がりたいと思っていただけに、デアの沈鬱な反応は意外だった。
少しの間、デアは心中で何かをしきりに巡らせていたようだが、最後にひねり出すように言った。
「……よろしいでしょう。ですが非公式です」
「断られると思ったのですが――」
ユマは自分の驚きを素直に口にした。するとデアの目に一瞬だけ怨気が宿ったように見えたが、それはすぐに消えた。
「良いとも悪いとも言い切れないのです。ティエリア・ザリに関しては『いなかったもの』として考えるのが最上です。ですがローファン伯ですらそうはなさらなかった」
恐らく、ローファン伯がティエレンを占領した際にティエリア・ザリの墓を造ったことを言っているのだろう。
ユマにはローファン伯の心情を想像することはできるが、真意をくみ取ることはできない。
(心の底からティエリア・ザリを愛していたのだろうか)
もしそうならフェペスの遺民を慰撫するという愛情の示し方もあっただろう。だが、ローファン伯の治世はその逆を行った。ユマから見れば、ローファン伯は「盲のエメラルド」を手に入れるためにティエリア・ザリを奪おうとしたとしか思えない。
だが――である。
ユマの心にしこりとして残っているのは、ローファン伯のクゥへの処遇である。確かにクゥは没落したフェペス家の最後の光とも言える存在だったが、ティエレンの民が何を叫ぼうが黙殺したローファン伯が、民の怒りを恐れて彼女に手をつけないのはおかしい。トグス家出身といわれる伯爵夫人に遠慮したのならば、クゥを情婦にしたいというロイオーセンの願いを叶えてやっても悪くはなかっただろう。それどころか、明らかに好意を抱いてはいないユマという男に下げ渡したことは異常とさえ言える。
「クゥは、肖てますか?」
ユマが出した答えはこれだった。誰に肖ているのかと問えば一人しかいない。
「はい。まるで生き写しのようです」
デアの答えはユマの想像を確信に変えつつあった。クゥ・フェペスに最愛のティエリア・ザリを見たローファン伯が、彼女に慈悲を与えたという想像である。
ふと、事実は自分の想像とは全く逆ではなかったのかと、ユマは思った。
(あるいは、全く肖ていなかった)
ティエリア・ザリに肖ているのなら、クゥを愛せばいい。それを可能とする全ての条件がローファン伯には整っていた。だが、彼はクゥを自分の手が届かないところに遠ざけた。ティエリア・ザリとクゥは、肖ているが故に、肖ていなかったのではないか。肖れば肖るほどに悲しみを増すということが、ローファン伯の心中で起こったのではないか。
だが、ローファン伯のティエリア・ザリへの愛情の深さを今知ったところで、それがティエレンの統治に直接の影響をもたらすことはない。
「同行はおやめになった方がよろしいかと思います」
デアが言うと、全く同じことを考えていたユマは深く頷いた。
「そうしましょう。あともう一つ訊きたいことがあります。ジェヴェとはどういう男ですか?」
ユマが言った途端にデアの表情が厳しく冷めた。ジェヴェに対して良い印象が無いのがありありとわかるほどに――
ジェヴェの家はローファンの血筋である。だが、十年前にローファンから移住した家系ではなく、数代前にティエレンに移り住んだ、いわば移民の中の古参である。ジェヴェとは愛称であり、ジェヴィローズ家といえば、ほんの十年前まではティエレンでも屈指の富豪だった。ただし、貴族ではない。ローファン地方にはかつてヤム家によって滅ぼされたチェビオーセンと呼ばれる蛮族があり、その後裔ではないかという噂もある。
ジェヴィローズ家の当主の名をワゥランティア・ジェヴィローズという。今年で三十三歳になる。彼が、ユマの会ったジェヴェである。
先代ジェヴィローズはフェペス・ローファン抗争の折にフェペス家を強く支援し、フェペス子爵の謀殺後も反乱に加担した。反乱を鎮圧したローファン伯はたとえローファンに縁があるとしても自分に刃向った者には容赦しなかった。先代ジェヴィローズは処刑され、一家の財産は全て没収された。
それまで何不自由なく暮らしていたジェヴェは、一朝にして物乞い同然にまで没落したのである。
ローファン伯の治世下では名ばかりとなった長老会議の議長デアは、若い頃ジェヴィローズ家の世話になったこともあり、残されたジェヴェの家族を憐れみ、微力ながらも支援した。
だが、ジェヴェはデアの厚意を足蹴にした。
デアが貸し与えた家から飛び出したジェヴェは、街の若者たちとつるんで、無きに等しい財産を食らいつくした。先代ジェヴィローズも確かに若い頃は放蕩するところがあったが、愛する家族を傷つけることは決してしない男だった。だが、ジェヴェは違う。良心をどこかに置き忘れたかのように、母や妹の生活費をくすねては浪費する。デアはジェヴェの母に塩を乞われたことがある。
ついに耐えかねたデアは、ジェヴェの放逐を考え始めた。出来ればジェヴィローズ家を復興させてやりたいが、ジェヴェは家長として立てないだろう。
――清貧の中で身をすすげるか?
自問するも、ジェヴェという男からは変革の兆しすら見て取れない。まだ若いとはいえ、齢三十に至ろうかという男を教戒するのは至難の業である。そうして躊躇しているうちに、ジェヴェがデアの前に現れた。
「精霊台に行くよ」
そう言って、風のようにティエレンから去って行ったのが五年前のことである。デアはジェヴェに魔術の素養があるとは知らなかったが、学問が彼の精神を鍛えなおすことを祈った。
だが、ジェヴェという男はここでもデアを失望させた。あろうことか、たったの一年でティエレンに帰って来たのである。本人が理由を語らぬから真相はわからないが、学内での成績は特に悪くなかったのに何故か突然辞めたという。学友に恵まれなかったのかと思い、人をやって調べたが、誰かと争ったり、あるいは貴族の子弟などに虐げられたりした形跡も無かった。
――この男を矯正するのは、無理だ。
デアはジェヴェという男を見限った。その証拠に、ジェヴェの家族を借家から自邸に移した。ジェヴェもさすがにデアの家まで金の無心をしに来ることは無かった。
それからしばらくせずに、嫌な噂が街に流れた。ジェヴェが庶民に魔術を教えているという。魔術を扱うには天賦の才能が要るから、それはかなりの難事ではないかと思えるが、実際に魔術を使って決闘を行った若者が死に至るという事件があり、デアの肝を大いに冷やした。オロ王国は魔術の文明である。文明があるとは、法があるということであり、闘技場などの例外を除けば、魔術を暴力に用いた者は厳罰に処される。オロ王国において、魔術を習得する手段は正式には精霊台や貴族が独占していて、魔術を用いて罪を犯した者がいた場合、勿論多少の事情を加味するものの、その者に魔術を教授した者が連座させられる制度がある。当然、ジェヴェはローファン伯から派遣された行政官に目をつけられた。
以後、ジェヴェは全く顔を見せない。いや、消息がつかめないと言った方がいいだろう。今ではどこに居を構えているかすらわからない。噂では既に妻帯しているらしいが、家族に連絡の一つもよこさない。
それが先日突然、新たなティエレンの領主の伺候に姿を現した。
デアは当然、この男の首根っこをつかまえてやりたいところだったが、伺候を終えた途端に煙のように消えてしまった。
「あの男には用心なさることです。心を開けばつけこまれます」
デアはそう締めくくった。




