第七章「決闘の街」(1)
■六章までの主な登場人物
・ユマ
本編の主人公。突然、異世界に迷い込むも、ローファン伯爵の娘アカアによって保護される。女闘士クゥとの闘技試合に勝利し、光王によってフェペス家の故地ティエレンにユマ・チルーク・ティエル子爵として封じられる。
・キダ
ユマの悪友。ユマと同じく、オロ王国に飛ばされ、フェペス家の奴隷にされる。現在行方不明。
・クゥ・フェペス
闘花とあだ名される女闘士。闘技試合にてユマに敗れ、奴隷の身分に落ちる。
・ローファン伯
ヤム家の当主でアカアの父。近年、勢力を拡張しているガオリ侯に接近している。
・シェンビィ公
三大貴族の一、シェンビィ公爵家の当主でフェペス家のかたを持ち、ガオリ侯と対立する。
・ガオリ侯
シェンビィ公と対立する新興貴族。ローファン伯と交誼がある。
・エイミー
白髪赤眼の美少年で新興貴族のガオリ侯に仕える。不思議な言動が多い。
・リュウ、ホウ
ローファン伯爵家の奴隷。ユマに目をかけられる。
・光王
オロ王国を統べる少年王。
「まるで要塞だな」
分裂期のオロ王国の首都だっただけあって、丘の上に位置するティエレンの街は、南北と西の三方を険しい崖に遮られ、残った東から勾配の激しい斜面を登ってようやくたどり着くという嶮隘の地にあった。北を除いた三方が開けた王都リヴォンに比べると、内乱当時にここを本拠とした光王の並ならぬ決意がうかがえる。
ユマと同道する人数は十名である。その中で彼と旧知の仲なのは、ローファン伯から譲り受けたクゥ、リュウ、ホウの三人がいた。勿論、ユマの乗る馬車の御者はホウである。リュウには、ユマがシャナアークスから授かったオルベルの宝剣を常に手に持ちユマに侍るという仕事が与えられた。平たく言えば護衛である。クゥは引き続きユマの世話役なのだが、ユマには、他の下僕達と比べても段違いに教養のある彼女をただの召使にするつもりは、毛頭なかった。ティエレンの民を安撫するためにも、それは賢明な方策とはいえないからだ。
他にもティエレンの領主となったユマを補佐するために、光王から贈られた奴隷達が続く。彼らの中にはアカアがかつて言った様な知識を武器とする秘書奴隷や料理人も含まれる。
彼らに紛れるように、もう一人、ユマの顔見知りがいた。
月夜に見れば白金かと見紛う美しい銀髪と、妖しい赤光を帯びた瞳が印象的な少年、エイミーである。
ガオリ侯の家人であり、光王の侍従でもある彼が、ティエレンに同行する理由には、ユマ自身も見当がつかなかったらしく、意思疎通は苦手でも正直者ではあるこの少年に聞いてみた。
「エイミーはね。お目付け役なの……」
少年が瞬きをする度に、長い睫毛が赤い瞳を覆い隠し、少女のような可愛らしさを感じさせる。
(おいおい、堂々とスパイですか……)
内実を聞いてみると、全くその通りで、ユマの行跡を細々とガオリ侯に報告するのが彼の仕事らしい。何か問題が起こればすぐにガオリ侯が支援に乗り出せるように――というのが表向きの理由らしいが、どうみてもユマに手綱をつけるためだろう。ガオリ侯の立場になって考えてみれば、ユマがティエレンの統治に失敗すると、フェペス・ローファン抗争終結の立役者であるガオリ侯と、何よりユマをティエレン子爵に任命した光王の名誉に傷がつく。
――ティエレンに着いても、勝手な真似はしないように。
エイミーがお目付けになった時点で、この程度の想像が出来ないユマではない。とはいえ、人選には謎が残る。
無位無官の湯山翔からチルーク・ティエル子爵となって光王宮からローファン伯爵邸に戻ったユマだったが、不思議なことに、ローファン伯の嫡子ロイオーセンとの諍いは、まるでなかったかの様に忘れ去られていた。ロイオーセンはユマが帰る少し前に王都を後にして自領へと発ったらしい。故にユマは、彼に同道したらしいヌルとも会っていない。
ユマが王都を離れるにあたって、唯一反対したのはアカアだった。退屈な御嬢様生活の中で、ユマが語る異文明――正確には異世界だが――の話は、彼女の知識欲を満たすのに十分だったからだ。
「何、その内また聞かせてやるさ……」
と、軽口を叩いたユマを、アカアは恨めしげに睨んだ。
「年頃の女の子とは、そう簡単に会えませんのよ」
不思議なことを言う――と首を傾げたユマだったが、十五歳とも言えば、いつ嫁に出されてもおかしくない年頃であるから、ユマがティエレンにいる間に、どこかの貴族の家に嫁ぐようなことがあれば、再開はただの口約束でしかなくなる。いや、普通に考えれば、ユマは領主として死ぬまでティエレンに落ち着くのだから、当然ともいえる。責任ある立場につけば、相応の自由が犠牲となるのは、何もオロ王国だけの話ではないだろう。
ユマの子爵位獲得を最も喜んだのは、シャナアークスだった。数少ない別れの挨拶を交わす相手でもあるから、ユマは真っ先にオルベル邸に出かけるつもりだったのだが、彼女のほうからローファン伯爵邸の門を叩いた。
「オルベル家一同、心よりお祝い申し上げます。ユマ・ティエル様」
慇懃に口上を述べるシャナアークスを見て、ユマはあっけにとられた。
「てっきり、叱られるのかと思ったんだが……」
男爵位を蹴っておきながら子爵位を与えられそうだと知ればそれに食いつくとは、何というあさましい男か――と一喝されると思っていたのだが、違った。わずか一日で自分より高位の貴族になってしまったユマに対して、シャナアークスは一切礼をはずすことはなかった。
(なるほど、これからはそうなるのか……)
どうやらシャナアークスは、貴族としての自覚の無いユマを、彼女なりに戒めているようにも見えた。いつものように女とは思えない怪力で背中を叩いては「少しは自覚を持て!」と、怒鳴るよりも、実に効果的だった。
「オルベル卿よ。貴方がいなければ、私は今頃闘技場の死体置き場に転がっていたでしょう。貴方と出会えたことが、私にとって最大の幸運でした。ファルケ様にも、そうお伝え下さい」
ユマは心からそう言った。シャナアークスの内面を見抜いたのはキダが随分早かったが、彼女と直接触れる機会がキダよりはずっと多いユマも、自分より若く猛々しいシャナアークスという女がいなければ、多くの困難を前にして心が折れていただろう。良き友人に巡り合えたと思えるのは、人として最大の幸福である。
対してローファン伯も、伯爵夫人も、ユマのティエレン行きをきわめて淡白に見送った。見送りにリンの姿が見えないことに気づいたユマは、胸のどこかが苦しくもなり、安らぎもした。
さて、ティエレンを前にしたユマの話に戻ろう。
古都と呼ぶには、ティエレンの栄華は長くない。王都リヴォンからわずか百公里の距離にありながら、伝説期にリヴォン周辺の蛮族の本拠だった意外はほとんど歴史に顔を見せないこの都が一躍にしてオロ王国全土に有名になったのは、王国が内乱によって東西に分裂した際に今のチルーク光王の祖先でもある当時の光王が臨時の王都に定めたからだ。その時に王を援けた将軍の名をフェペスといった。
内乱が終息し、光王が王都に戻った後は、フェペス将軍家がティエレンの主となった。王都では新興貴族のファルケオロ公爵家と、既存の大勢力であったシェンビィ、トグス公爵家が主導権を握っており、内乱終結後のフェペス家は彼らの影で小さな栄華を楽しむに過ぎなくなっていた。
ローファン伯爵家やガオリ侯爵家――先代までは子爵――などの新興勢力が台頭してくる中、フェペス家も遂に没落の時を迎える。
その最後の止めを刺したのが王都を訪れて日も浅い異邦人だったのは、なにやらフェペス家が哀れでもある。
長い道である。
王都からティエレンまで、ユマは車上の旅ながら四日をかけた。彼以外の多くは徒歩で行き、その上急ぐ旅でもないのだからのんびりしたものだった。オロ王国の特に王都近郊の街道網は完全に整備されていて、駅舎で早馬を乗りついで駆れば一日半の旅程である。アカアに拾われる前のユマが経験したような茫々たる荒野を行く必要は無く、整備された街道を旅するのだから、快適といえるだろう。ユマも馬車に慣れてきたのか、車中でエイミーと雑談を楽しむくらいの余裕はあった。
王都近郊の都市はリヴォンをモデルとしているのか、これらの小さな王都を過ぎる度に、ユマはオロ文明の素晴らしさを改めて実感した。
そして、突然現れた城砦が如きティエレンである。ユマにしてみれば、のどかな田舎に軍事基地を発見したような気分だったろう。王都近郊の治安は高い水準で安定しており、通過した街のひとつとして、これほどの規模の城壁を有していなかった。ユマは守りを固めたティエレンを攻めあぐねた先代のローファン伯が、詐術を用いてフェペス子爵を暗殺した理由が分かった気がした。
高い――方形の煉瓦で固めた長大な城壁と、天然の防壁が街全体を包み込んでいる。やや山岳部が近いためか、斜面が続き、上りきったところで、初めて城門を目にする。ティエレンがどれほどの大都市かと思ってアカアに聞いたことがあるが、
「寂れた田舎町だそうですよ。治安は悪く、見るべきものはかつての光王宮くらいでしょうね。それでもシェンビィ公やファルケオロ公の別邸にすら劣る規模だとか」
と、残念な答えが返ってきただけだった。
鋼鉄の扉が開いた。長い間閉じていたわけでもないだろうに、上部から錆くずが落ちてきた。
ユマには、この街そのものが錆びた鉄に見えた。
門を潜る一瞬、虎狼の口間に飛び込んだように、背筋に粟が立った。
ローファンとフェペスの因縁を未だに引きずるこの街のことを、ユマは十分に理解しているつもりだったが、人の想像は常に現実との乖離を好むものである。
(寒い街だ……)
季節は夏、オロ王国は熱帯に近い地域にあるのか、蒸し風呂に篭ったように暑い日もある。ユマが感じた寒さとは、街の温度といってもよかった。
門を潜ってすぐに、城壁沿いにある馬小屋が見えた。厩舎は大きいのに、馬がほとんどいない。世話をする馬丁も見えず、何より新たに赴任する領主を迎える人の姿すらない。
いや、いた。一人、古びた家屋の立ち並ぶ通りの中心に立っている。傍らでは驢馬がこちらに尻を向けている。
深い紫色の帽子――恐らく五位冠だろう――と、同じ色のゆったりとした衣服に身を包んだ老人がいる。衣服はくたびれているわけではないが、老人の持つ空気がどこかどんよりと湿っていて、一言であらわせば埃臭い。
「お待ちしておりました、ユマ様。私は長老会議の議長を務めておりますデアと申します」
ティエレンは、表向きはローファン伯から自治を認められていた。長老会議というのは、その名の通り、民衆から募った有力者の集まりである。ユマの感覚で言えば、市長といったところなのだろうが、ローファン伯は徴税や兵役でも彼らの意向を平気で無視するところがあり、名だけの存在といってよかった。
ユマはこの老人のことを知らないわけではない。これからの自分の補佐役として、ローファン伯から名だけは知らされていたからだ。
ユマが馬車から降りようとすると、何故かデアは手で制した。
「さ、短い旅とはいえ、お疲れでしょう。宮殿に御案内いたします」
デアが驢馬の背に乗ろうとすると、驢馬の尻から糞が落ちた。