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貴く翔べ  作者: 風雷
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第六章「鉄の荊」(7)

 ウォレス・ローファンの廃嫡から数えて二ヶ月後、それは明らかになった。

 最初に気づいたのは、ティエリア・ザリの侍女だった。

 屋敷に幽閉同然となっていたティエリア・ザリは中庭の散歩くらいしか気分を紛らわす手段はなかったが、その最中に突然倒れたのだ。

 その後も気分の不調を訴える彼女を見て、侍女はティエリア・ザリの懐妊を確信する。

 侍女がこの事実を知らせた先は、フェペス子爵夫人だった。子爵に知られれば彼がどんなに怒り狂うかを知っている侍女は、夫人の冷静な判断に期待した。発覚が遅れたために、もはや中絶を行うには危険すぎる。何処かで匿って生ませるしかない。


「どうにか理由を取り繕って、屋敷を出るしかありません。キリヤ様を頼ってはいかがでしょう?」


 機転のきかない夫人をよく知っている侍女は、ティエリア・ザリが子を産むに安全な環境を得るためには、彼女に強い同情を示しているフェペス子爵の弟キリヤにティエリア・ザリを保護してもらうことを考え付いた。ちなみに、キリヤ・フェペスはクララヤーナの父である。


「キリヤはいけません。王都のバトゥに知らせるべきだわ」


 侍女は夫人の判断を危ぶんだ。バトゥは何をするにしても他人の判断を仰ぐ性質で、この前などは、


――王都では『花の夜会』というのがあるらしいのですが、私もこれに参加すべきでしょうか?


 と、若い貴族の夜遊びについて、子爵夫人に手紙をよこしたことがある。そのような男が父に隠れてティエリア・ザリを保護できるわけがない。夫人もそれくらいはわかっていようが、彼女がバトゥを選ぶ理由がわからない。

 そういえば――と侍女が思い当たったのは、昔、夫人がフェペス子爵に嫁いで間もない頃、彼を祝いに来たキリヤ・フェペスが夫人の機知のなさを馬鹿にしたことがあった。今でも彼女はそのことを根に持っているのだろう。


(自分の事ばかり考えて……)


 侍女はティエリア・ザリに心底同情した。彼女の味方は多いようで、実際に彼女を助けようとする人はひとりもいない。

 ティエリア・ザリは甥のバトゥに会いに行くという名目で、王都に向かうことになった。だが、やはり侍女の悪い予感は当たった。

 子爵夫人が軽率にも、バトゥに義理の妹の懐妊を打ち明けてしまい、それを知ったバトゥが父に急報したのだった。


――ザリ叔母様は身重であると聞きましたが、それは本当なのでしょうか? もしそうであれば、私に会いに来てくださるのはとても嬉しいのですが、ティエレンでご静養なさるように、父上から言っていただけないでしょうか。きっと彼女は花の王都が見たい一心に、このような急な旅行を言い出されたのかと思います。いずれ、私が必ずご案内いたしますと、お伝えください。


 当時はティエリア・ザリと同じ二十歳だったバトゥ・フェペスは、若い叔母の懐妊という事実がもたらす影響の大きさには気づかず、彼女を襲った悲劇に同情し、せめてこれ以後は穏やかに暮らして欲しいと祈るような男だった。謀略の才能に乏しいという点では、彼は十分に母に()た。

 息子からの手紙を読んだフェペス子爵は、心臓の止まる思いだった。

 彼はその足でティエリア・ザリを軟禁していた屋敷に向かい、彼女の寝室に乗り込んだ。

 ティエリア・ザリの小さく盛り上がった腹を見て、フェペス子爵は愕然となった。



 当然のことながら、子爵夫人は夫の尋問を受ける。

 普段からティエリア・ザリに脅迫されていた子爵夫人は、ここで彼女に復讐することを思いついた。夫人の浮気相手である若い料理人は、ティエリア・ザリ誘拐事件の時に彼女の口から漏れるのを恐れて解雇している。

 子爵夫人はティエリア・ザリの懐妊に加え、彼女が黒男爵であるという事実をも夫に打ち明けた。証人として、いつか山道で男に襲われていたところを黒男爵に助けられたという少女を連れてきた。夫人が以前からティエリア・ザリの復讐を決意していたからだが、フェペス子爵は目の前の動かぬ事実から目を離せぬ自分が悲しかった。

 フェペス子爵のティエリア・ザリに対する愛情の深さは、偽りではなかった。

 この後、彼は十日以上も政務につかずに無為に過ごした。いや、無為にというのは誤りがある。彼にとってのこの期間は地獄でしかなかった。

 愛憎ほどに表裏の返りやすいものも、この世にないだろう。

 この後、フェペス子爵が行った残虐な行為は、十日と経たずにオロ王国全土に知れ渡った。

 父の逆鱗に触れたウォレス・ローファンは、彼の望むとおりローファンのはずれに小さな屋敷を賜り、隠遁していた。そこで、ティエリア・ザリの悲報に触れた。

 妹の懐妊に激怒したフェペス子爵は、本来はウォレス・ローファンに味わわせるはずだった酷刑に妹を処した。

 鉄の荊の刑とも呼ばれるそれは、二十五平方メートルにも及ぶ空間に有刺鉄線のような拷問器具をずらりと敷き詰め、その上に全裸にした罪人を投げ落とす刑罰である。

 痛みにのたうち回るほどに鉄の棘が皮膚に食い込み、やがて罪人が挽肉(ひきにく)のようになったところでようやく終わる。罪人が死を恐れて動かぬ場合は、周囲から矢が放たれる。瞬時に殺してしまわぬように、射手も急所を外すという徹底ぶりだ。

 フェペス子爵は眼下でのたうち回る妹を、二時間に及んで、身じろぎもせずに見ていたという。

 白薔薇のティエリアのなれの果て――真っ赤な肉の塊にしか見えないそれは、埋葬を許されなかった。死体はティエレンの市内に一週間以上放置された。

 ちょうど同じ頃、恐らく子爵夫人が流したであろう、黒男爵=ティエリア・ザリの噂がティエレンの内外で飛び交った。

 フェペス子爵は何を思ったのか、この直後に息子のバトゥと、ローファン伯の孫娘であるアカアの婚約破棄を、ローファン伯に宣告した。シェンビィ公の仲介を受け付けぬ彼をなだめる術はもうなかったが、ティエリア・ザリの処刑はこれまでフェペス家に集まっていた同情を一気に失うことになった。

 これを好機とみたローファン伯は、既にシェンビィ公への歩み寄りをやめたといわんばかりに、フェペス家の領地を侵食し始めた。最初はほんの小競り合い程度だったが、やがて痺れを切らしたフェペス家が本格的な軍事行動に出る。

 ティエレン郊外で行われたフェペス・ローファン紛争の第一戦は、フェペス家側の圧勝に終わった。たった三百人のフェペス勢は三倍のローファン伯爵軍を退けた。勢いづいたフェペス子爵はこれを機にローファン伯を叩き潰すつもりだったらしく、少ない兵力でローファン伯の領地を侵し始めた。

 ローファン伯は分散させていた軍を個別に動かして、フェペス子爵に悟られぬように包囲網を完成する。そして行われた第二戦は、フェペス子爵軍の壊滅で終わった。

 フェペス子爵はティエレンにこもり、激しい抵抗を続けた。

 さすがのローファン伯も、決死の抗戦には手を焼いた。彼は、シェンビィ公がフェペス家の支援に乗り出す前に決着をつける必要に迫られていた。

 ローファン伯はフェペス子爵に講和の使者を送る。子爵はそれに応じた。ローファン伯爵軍は退去し、敗戦したフェペス子爵側が賠償金を払うことで講和は成ったかのように見えた。

 どうにも惨敗を予想していなかったらしいフェペス子爵は相当に落ち込んでいて、ローファン伯爵軍の一隊が別行動をとっていることに気づかなかった。彼らが夜中にティエレンに忍び込み、フェペス子爵を暗殺したことでフェペス・ローファン紛争は決着となった。

 ローファン伯爵軍はこの後、ティエレンを占拠し、そこの主となった。王都に留学していたバトゥの元に、クゥや子爵夫人などの辛うじてティエレンを脱出したフェペス家の血族が集まった。

 フェペス家の壊滅を座視するはずのないシェンビィ公は、この時はトグス公によって動きを封じられており、彼もまた、ローファン伯爵家によるティエレンの領有を追認するしかなかった。光王や宰相であるファルケオロ公がローファン伯の方に正義を認めたからだった。フェペス家側は、やはりティエリア・ザリへの酷刑が最後まで尾を引いた。



 ウォレス・ローファンは彼自身が事件の発端であるにも関わらず、これらの一切と無関係にすごした。ただ、ティエリア・ザリの死は父の誤判断によると信じて疑わぬ彼は、この二年後に訪れた好機を無駄にしなかった。

 急病を患ったローファン伯を見舞ったウォレス・ローファンは、妻を通じて名門トグス家の支援を密かに受けていた。

 ウォレス・ローファンは彼の後に嫡子となった弟を拘束し、首を()ねた。

 何食わぬ顔で病室に現れたウォレス・ローファンは、弟が急死したことを父に告げた。それだけで全てを悟ったローファン伯は、しかし今の自分では何も出来ぬことを痛感していた。


「アカアはどうした? アカアの顔を見せてくれ」

「父上、今はそのようなことをおっしゃっている時ではありません。後継のいない家がどうして滅ばずにいられるのでしょうか?」


 孫娘の名を呼ぶローファン伯を、ウォレス・ローファンは無視した。彼が望んだのは父の快復ではなく、遺言である。

 もはや自分の死期を十分に悟っていたローファン伯は、ついに折れてウォレス・ローファンを後継者として認めた。彼の発言は直ちに文書化され、光王と、三公のもとに知らされた。

 欲しいものは手に入れたといわんばかりに、ウォレス・ローファンは父の病室から去り、給仕を含む全ての者にローファン伯への接触を禁じた。

 数日後にローファン伯が病死したが、餓死であったともいわれる。

 新たにローファン伯として立ったウォレス・ローファンの最初の障害は、ローファン伯爵家が新たに手に入れた領地であるティエレンだった。フェペス家のアンチ・ローファン感情に住民も染められていたのか、彼らは代替わりの時を狙って叛乱を起こした。

 ウォレス・ローファンは徹底的な武力鎮圧でこれに臨んだ。

 フェペス家を想って武装蜂起した男達は五百人にも及んだが、彼らはずぶの素人である。

 ローファン伯と一戦して破れた男達は、それでも散り散りにならず、山にこもって抗戦したが、包囲を突破することは出来ず、最後には突撃して全滅した。

 ウォレス・ローファンはフェペス遺民のために懐柔らしきことは何一つしなかった。ただひとつの例外は、ティエレンの一角に、新たにティエリア・ザリの墓を造ったことだけだった。




六章「鉄の(いばら)」了

七章「決闘の街」へ続く

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