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貴く翔べ  作者: 風雷
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第六章「鉄の荊」(1)

■五章までの主な登場人物

・ユマ

 本編の主人公。突然、異世界に迷い込むも、ローファン伯爵の娘アカアによって保護される。女闘士クゥとの闘技試合に勝利し、光王によってフェペス家の故地ティエレンにユマ・チルーク・ティエル子爵として封じられる。


・クゥ・フェペス

 闘花とあだ名されるフェペス家の女闘士。闘技試合にてユマに敗れ、奴隷の身分に落ちる。


・アカア・ヤム・ローファン

 ローファン伯の娘。礼儀正しく、穏やかな性格だが、時々、貴族特有の酷薄な一面を見せる。


・ヌル

 アカアの護衛。ユマを目の敵にしている。


・ローファン伯

 ヤム家の当主でアカアの父。近年、勢力を拡張しているガオリ侯に接近している。


・シェンビィ公

 三大貴族の一、シェンビィ公爵家の当主でフェペス家のかたを持ち、ガオリ侯と対立する。


・ガオリ侯

 シェンビィ公と対立する新興貴族。ローファン伯と交誼がある。


・クララヤーナ・シェンビィ

 クゥの従姉妹でシェンビィ公の養女。精霊台における術法研究の天才。


・ファルケ・ファルケオロ

 シェンビィ、トグスと並び称されるファルケオロ家当主の孫娘。オロ王国でも屈指の実力者で、魔術全般に通じる。


・バトゥ・フェペス

 クゥの兄でフェペス家の当主。


・ホルオース

 フェペス家の重臣。敵対しているはずのローファン伯と通じ、暗躍する。


・光王

 オロ王国を統べる少年王。

 フェペス家は百五十年ほど前に、ティエレンの地で興った。

 当時、オロ王国は王位継承のこじれに端を発した内乱の末に、二国に分かれていた。

 東部を支配する東オロ王国はティエレンに首都を置き、血統だけでいえば嫡流だが、君主が病弱で宰相が実権を握っていた。対して先代光王の庶子が治める西オロ王国は代々の王都であったリヴォンを首都にすえ、君主が英邁だった。

 西オロ王は軍事に優れ、劣勢に立たされた東オロ王国は西オロ王国のさらに西の大国、当時は王政だったペイルの王を頼った。東オロ王家はペイル王への恩を忘れず、その二十年後に王国を追放されたペイル王族を庇護する。

 凄惨な戦いの果てに、東オロ王国は嫡流を守り抜き、再び正統に返り咲いた。新光王はリヴォンに戻ったが、かつての王都の守りを将軍だったフェペスに任せた。これが、クゥの家の始まりだった。光王の片腕であるフェペス将軍の隣には、彼の補佐を行うヤムという姓の男がいた。ヤムは低位の騎士爵を持つ下級貴族であり、フェペスに至っては素性すら定かではない。二人とも、乱世のおかげで陽光を浴びるには至ったということでは共通していた。

 フェペス家は新参でありながら、光王の信頼があつかったため、幾人かの高官を輩出したが、ついに広大な領土を授けられることはなかった。西オロ王についた側で最大の勢力を誇っていたシェンビィ公爵家と、かつての東オロ王を援けた宰相の家であるトグス公爵家が、この頃もこれ以後も歴史の大舞台で活躍し続けた。

 アカアの属するヤム家(ローファン伯爵家)は、かつてはフェペス将軍家を援ける立場にあったが、権勢のふるわぬ主人を見限って強大なトグス公爵家と結んだことで、フェペス家との間に亀裂が入った。


――裏切り者のヤムの犬。


 自尊心ばかりは強いフェペス家の者が、かつての臣下の家を罵るのは、もはや伝統にさえなった。

 ヤム家は低迷を続けたフェペス家とは違って、偉器が数代にわたって連続した。フェペス家が独立不羈を保ち、爵位も子爵に留まったのに対し、ヤム家は名門のトグス公爵家に取り入り、伯爵にまで昇格した。勿論、それに見合うローファンという領土も手に入れた。

 フェペス家はトグス公爵家とはそりが合わず、彼らと敵対していたシェンビィ公爵家と手を結んだのが、両家の交誼の始まりだった。そしてフェペス家がゆっくりと衰退してゆくうちに、両者の関係ははっきりと主従のそれへと変わった。



 そしてユマがオロ王国を訪れる十三年前、フェペス、ローファンともに一つ前の代になるその頃、ぶくぶくと肥え太ったヤム家は、かつての主に牙を剥いた。

 ティエレンの地は、確かに防衛に適した地形ではあるが、その分交通が不便で、かつての東オロ王は王都の恋しさあまりにわずか百公里しか離れない田舎じみた土地に腰をすえたとしか思えないような都だった。産業もほとんどなく、土も石が混じってごつごつしているから、農耕にも適さない。それに、オロ王国統一後は光王もリヴォンに戻り、ティエレンは急速に衰退していった。フェペス家のまずい統治もあいまって、城壁と寂れた宮殿以外は、この街にはほとんど何も残らなかった。

 先代のローファン伯は別に赤錆がこびりついたようなティエレン欲しさにフェペス家当主を殺したわけではなく、直接の原因は、常人なら思わずため息をついてしまうような、そして貴族連中にはありがちな、女への恋情に端を発した悲劇だった。



 当時はまだ子爵だったフェペス家当主には、ザリという美しい妹がいた。クゥから見れば叔母にあたる。

 ザリは、ティエレンの住民が代々の領主の娘にそうしたように、ティエリアと呼ばれていた。小柄で、冬空のように深く青い髪は、パーティーですれ違う青年達を思わず振り向かせた。顔立ちはクゥと似ていて、気品と、意志の強さと、それを薄っすらと包み込むような穏やかさがあった。

 クゥは、長い間、祖母が自分のことを「ザリ、ザリ……」と呼ぶのを訝ったものだった。美貌においてクゥやザリよりも有名になるクララヤーナは、まだ生まれて間もない。

 事件の当時、ティエリア・ザリは二十歳だった。

 クゥの実父でもある当時のフェペス子爵は、自分の妻より遥かに美しく輝く妹を溺愛した。貴族の娘は十五歳にもなればどこかの家に嫁ぐのが普通であるのに、フェペス子爵は日に日に美しさを増す彼女を決して手放そうとはしなかった。

 ティエリア・ザリは知的で、謙虚で、人望もあり、何をしても他の貴族の娘達では及ばないほどに優れた女だった。フェペス子爵が滅多に外出を許さないおかげで、彼女は病弱であるという噂が巷間に飛び交い、遥かに離れた東辺の田舎青年ですら、この深窓の麗人にあこがれていた。

 しかし実際のティエリア・ザリは、確かに知的で優雅な女だったが、他の若い娘とは比較できないほどに軽薄でもあった。

 彼女は自分に憧れる領民達にも、大好きな兄上にも秘密の趣味を持っていた。

 ある日、いつものように妹の顔を見てから政務に就こうと、フェペス子爵が彼女の部屋の戸を叩く。すると、枯れた声で咳き込みながら中から返事が聞こえる。


「御機嫌よう、お兄様。残念ながら、顔をお見せできませんの。風邪がうつったりしたら大変ですから。どうか今日も健やかにお過ごしください」


 いつの間にやら、噂に過ぎなかった病弱の妹というものが家内にも持ち込まれるようになった。フェペス子爵は自分が病弱だと思い込んでいる妹をさとそうともせず、ただ優しく声をかけた。愚かにも下民達の噂を真に受けてしまった彼女の純粋さを愛したのだ。

 それでいて、彼女が本当の病人になってしまわないように、時には領民に隠れて彼女を連れて出かけたりもした。

 ティエリア・ザリは兄が屋敷を後にしたことを確認すると、すぐさま侍女を呼びつけて着替えを持ってこさせた。きびきびと動くように指図する彼女は、普段の穏やかさとは程遠いところにあった。

 真っ黒な袖の長い衣服が持ち込まれた。後にフェペス家を継ぐことになる甥が、十五歳の頃に着ていたものだ。

 地味でいながらどこか気品の漂う、武門の家に相応しい長袖に袖を通すと、侍女が後ろに回りこみ、長い髪をぴっちりと短く結い上げた。その上に、これも漆黒色の帽子がかぶせられた。子爵の家の子女がかぶる三位冠に大きなつばをつけたような帽子だった。

 立派に男装を終えると、ティエリア・ザリは窓から綱を垂らして部屋から抜け出し、慣れた足取りで馬小屋に向かった。間もなく、蹄の音があたりに響き、遠くへ消えていった。

 彼女は、女に生まれてしまったとはいえ、ある種の先祖がえりだった。

 魔術の素養がないわけでもないのに、ティエレンやその近隣の街に現れては、いさかいを起こしている任侠やゴロツキ連中に紛れて剣をふるった。武名は廃れても、武技は磨き続けたフェペス家の剣技の前ではどれも赤子に等しかった。人々からは「黒男爵」の相性で呼ばれるようになった頃のティエリア・ザリは、東オロ王を援けた祖先が見たら顔をしかめるくらいには、自分の黒い手袋を返り血で濡らしていた。

 フェペス子爵や王都に留学している長男がいなくとも、ティエリアの屋敷には子爵夫人がいたし、家臣もいた。彼ら全ての目を欺いて屋敷を抜け出すことなど不可能である。

 子爵夫人は早々とティエリア・ザリの火遊びを知り、彼女を自室に呼び出した。だが、夫人は歳若いティエリア・ザリと比べても、遥かにお嬢様気分が抜けていなかった。逆に恫喝されたのだ。


「いいですわよ、わたくしのことを兄上に告げても。兄上が王都にいらっしゃる間、あの若い料理人が夜な夜な義姉様の部屋に入り浸っていることを、誰も知らないとお思いでしたら、どうぞ……」


 子爵夫人は顔面を蒼白にして退き下がるしかなかった。

 夫は最近、王都で新しく妾にした女を愛していて、自分には見向きもしないから、寂しさを紛らわそうと、純粋な少年に目をつけたのだが、まさか陰密に行っていると確信していた行為が、いとも容易く暴かれていたことに恐怖を感じたのだ。

 子爵夫人はもう、何も言わなかった。彼女の沈黙は、フェペス家全体のそれを意味していた。ティエリア・ザリは、あなたがわたしの秘密を守ろうとしないのならば、ばれた時にあなたを道連れにする――と言ってきたからだ。泣く泣く義理の妹の火消しをする羽目になった子爵夫人は、しかしティエリア・ザリの口を封じるという発想を押し殺した。フェペス子爵は妹のザリを除けば身内にも容赦なく、ザリと同い年の長男が他家で無礼をはたらいた時には鞭打ちで半殺しの目にあわせたことがある。例え本妻であろうとも、ティエリア・ザリを殺したとあっては、どのような目にあわされるかわからない。そして、子爵夫人は、陰謀によって生意気な義理の妹を葬るに足る度胸も、知恵も、人脈も持っていなかった。

 こうしてティエリア・ザリは、意気揚々と馬を走らせることができたのだ。



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