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貴く翔べ  作者: 風雷
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第五章「貴人チルーク・ティエル」(19)

 次の日の朝、ガオリ侯が用意した馬車に乗せられたユマが侯爵邸を出ると、正面に白い馬車が止まっていた。

 馬車から降りてきたのは、ユマの予想通りローファン伯だった。彼よりも早くに馬車を降りていたガオリ侯は、ローファン伯の顔を見るや近づき、握手を交わした。何やら楽しそうに話しているが、車中のユマには聞き取れない。

 二人が話しながら、こちらを見て来た。


(降りて来いってことか……)


 ユマは鼻を鳴らして馬車を降りた。


――ユマ殿、先日は馬鹿息子が迷惑をかけたようだな。


 ローファン伯がこうでも言ってくれれば少しは気分が晴れたに違いないが、彼はロイオーセンの暴虐など知らぬ素振りで話を続けた。


「ユマ殿、決心はついたかな?」


 と、ガオリ侯。


「それは、王宮にて……」

「まさか、ユマ殿。光王の御前まで足を運んでおいて、否と返すなどとは申すまいな」


 ローファン伯が豪快に笑った。二人の会話を聞いていると、どうにも光王の勅令はローファン伯も納得の上でのことらしい。


(おかしい。こいつらしくない)


 と思ってみたが、今のユマにはそれ以上、深い情報を得る術がない。

 少々長話をした後で、出発ということになった。

 ユマは自分の馬車に戻ろうとするローファン伯に駆け寄った。


「ロイ殿があんな乱暴をなされるとは思いませんでした」


 確かめるつもりでそう言った。だが、ローファン伯はあからさまに迷惑気な顔つきで返した。


「今のクゥの主はそなただ。自分の奴隷の面倒は、自分で見るものだ」

「左様ですか。では、彼女は私の自由にさせていただきます」


 あまりにも無下に返されたユマが腹を立ててそういうと、ローファン伯はかつて、ホルオースと密談していた時のものと同じ声で言った。低く、狼が唸る様が浮かんでくるような、恫喝だった。


「……ユマ殿。今、自分の命をつなぎとめているのは何か。もっとよく考えてみることだ。若者は若さというものを、思慮を伴わぬ強さと勘違いしがちだが、本質を見ようとせずに逃避に走りやすいのが、若者が愚かな由縁だ」


 馬車に戻ったユマは、リュウやホウが見れば驚くに違いないほど、目が釣りあがり、怒りに腹が沸騰していた。


(あのクソ爺、知った風に……餓鬼かよ、俺は?)


 こうやってすぐに頭に血が上り本質を見失うのが愚かなのだと自分でも分かっていながら、ユマはローファン伯にそれを指摘されたことだけが気に入らぬ風に、馬車の中では彼への軽蔑の言葉を投げかけることに終始した。

 同乗したクゥは哀れにも、王宮に至るまでの間、ユマの愚痴を聞かされ続けた。



 数百年の歴史を誇る王都リヴォン。その中でも一際高くそびえ立つのが、オロ王国の栄華の中心、光王宮である。

 王都はリとヴォンの二つの市街に分かれているが、光王宮はその間に横たわる丘陵地に陣取り、規模でも他の建築物の比ではない。間近で見た大陸の最高学府である精霊台も大きかったが、光王宮はその三倍はあるのではないか。

 リの街に近い西殿は、神殿を思わせる荘厳な列柱が立ち並び、宰相が議長を勤める文官会議が月に四度ほど開かれる。勿論、光王不在の日であっても、文官達が政務に忙殺されている。反対にヴォン寄りにある東殿は完全に王の私邸で、広大な庭地や別邸が光王一人のためだけに存在している。北には近衛兵の詰め所と後宮がある。光王はまだ幼いので、主な住民は先王の妃や娘達だ。それらの中央に位置する高い四階建ての宮殿は、謁見、儀礼などに用いられる。ユマが足を踏み入れるのもここだった。

 実のところ、ユマにとって王宮は初体験ではない。彼の故郷にはたとえ観光地という形ではあっても、これよりも麗美で広大な城や宮殿が腐るほどある。

 ただ、かつての盛者の夢の跡に過ぎないそれらの宮殿にいたのは、ユマと同じように観光を目的として訪れたおびただしい数の人々に過ぎなかった。

 高さ五メートルはあろう巨大な門が開いたとき、ユマは自分でも予想外なことに、身震いした。


――きゃはは……


 女の笑い声が聞こえたような気がした。クゥは他の従者達と同じように馬車で待っており、他の従者に女はいない。


(久々にあいつか……)


 ユマは、クゥとの決闘の後、すっかり聞こえなくなった頭の中の声であると確信した。

 門を潜り、壮大な列柱回廊を通り抜け、宮殿の中に達した。

 金縁の編みこまれた赤い敷物が階上まで続いている。壁にかけられた膨大な数の燭台は全て金製で、宮殿の所々が光を放っているようでもある。

 ユマから見た正面に、大理石に刻み込まれた彫刻があった。

 川辺と思える場所で、一人の女が髪を洗っている。驚いて何かを見つめているような表情をしている。その先には、荘厳な衣装に身を包んだ老人が、三つの大きな宝石のついた王冠のようなものを手にたたずんでいる。


「あれは?」


 と、小姓であるようにも見えるのに何故か同行しているエイミーに訊くと、


「初代光王さま」


 と、短く答えた。

 ユマはこの光景を知っている。確かシャナアークスとの戦いの中で、これと同じ場面を見た記憶がある。

 大理石の彫像画の上にかけられた巨大な銅版に、何やら文字が刻まれている。遠くにいるときは分からなかったが、近づくに連れて、それは明らかになった。

 ガオリ侯も、ローファン伯も、突然笑い出したユマを驚いて見つめた。


「如何した?」


 王宮における突然の無作法に眉をひそめたガオリ侯が問うと、


「いえ、大したことではありません。私事です……くくっ……」


 ユマが見上げた銅版には、きっと彼にしか理解できないであろう文字でこう刻まれていた。


――ようこそ、私の王国へ。かつての私と同じ戸惑いの中にある同胞(はらから)よ。存分にくつろいでくれたまえ。


 ユマは、自分の中にある大きな疑問の一つがたちどころに溶解した事実に、笑い出さずにはいられなかった。


「おいおい、婆さん。くつろぐどころか、散々な目に遭ったよ」


 皮肉ってはみたものの、どうにも心の底から安堵したらしい自分を、ユマは当然のように受け入れた。



 光王への謁見の席で、ユマはあっけないほど簡単にティエレン子爵位を受けた。

 相変わらず、根暗で貧弱そうな少年王である。床も、王座も、王位も、冠までも全て白一色というのは、王宮というより神殿での祭儀を思わせる。

 ローファン伯はともかく、ガオリ侯はこれが意外だったようだが、彼の想定通りに事が運んだことに満足してもいるように見えた。


「この時より、汝にティエレン子爵の位を授ける。天の矢の落つ都の主にして、光の泉の御子の名において命ず。汝は、我が名に代わり、地に生く蒙昧な民を導き、その高潔な心は、雲雀(ひばり)が空を翔けるが如くたかきにあれ。名を()けよ。汝、ユマ・チルーク・ティエル――」


 厳かな雰囲気の中、行われるはずの儀式は、幼い王の真横に何故かエイミーが侍っていたせいで、ユマにとっては緊張感に欠けるものになった。ただし、謁見の間に集まった人数はかなり多い。ちらりと後方を見やっただけでも二、三百人はいる。

 エイミーは次に話す言葉を光王に耳打ちし、今度はユマに駆け寄っては次の段取りを指図するといった具合である。


(おいおい、リハーサルも無しで一発本番かよ)


 とはいえ、儀礼とはこれくらいがちょうど良いのかも知れないとも思い直した。いちいち無作法に目くじらを立てていては、儀礼尽くしの幼い光王は圧死してしまうだろう。


「宣誓して。エイミーの言うとおりに……」


 今のユマは光王に対して肩膝をついた状態にある。そこに、エイミーが耳元に口を近づけて、ユマが紡ぐべき言葉を囁く。ローファン伯もガオリ侯もユマから十歩ほど離れた所で跪いており、彼らに並んで、三大貴族が一であるシェンビィ公と、ファルケオロ公の孫娘ファルケもいた。子爵という肩書きを考えれば、人数でも面子でも大げさなくらいに豪華だった。


「私、ユマ・ティエルは、チルーク光王陛下より賜りし名において、ティエレンと王国の繁栄に己が全てを捧げることをここに誓います」


 ユマが宣誓を終えると、背後から歓声が上がった。


「ユマ・チルーク・ティエル子爵万歳! ティエレン万歳! 光王陛下万歳!」


 湯山翔という人間は、この時完全に消えた。オロ王国に籍を持った彼は、これ以後はティエレン子爵ユマ・チルーク・ティエルと呼ばれることになる。チルーク光王によりティエレンに封じられたユマという意味だ。


――ようこそ。


 ふと、誰かに呼ばれた気がした。

 振り返った先には、既に後にした光王宮があり、前を向きなおすと、馬車を降りて主人を待つクゥの姿があった。


「ふぅ……」


 一息ついてはみた。何かが変わったという実感はない。自分が何故、ここにいるのかを考えた時、


(招かれはしたが、俺は俺の意志でここにいる)


 と、強く感じた。




五章「貴人チルーク・ティエル」了

六章「鉄の(いばら)」へ続く


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