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貴く翔べ  作者: 風雷
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第五章「貴人チルーク・ティエル」(18)

 突然、異世界に飛ばされては荒野を流浪し、貴族の娘アカアに拾われたと思えば、フェペス家の奴隷となった悪友のキダを救うために闘技場の闘士クゥに竜機戦を挑むはめになり、更にはローファン伯の陰謀に巻き込まれてシェンビィ公に囚われ過酷な拷問を受け、なんとか脱出してクゥに勝利したと思えば、ローファンの若い跡継ぎと一悶着起こしたユマにとって、オロ王国での生活はほとんどといってよいほど、安息とは無縁の日々だった。いかに楽観的な思考の持ち主とはいえ、常に悩み、苦しみ、人知れず泣いた。

 だが、今自分を悩ませている問題は、あるいはこれらの困難を凌駕するのではないか――とユマは思ってしまう。

 これまでのユマの受難は、たとえ外的な要因だったり、自らの愚かな振舞いに端を発するものであっても、それらを解決する方法は困難から抜け出すという一つの方向に定まっていた。ユマが選ぶべきは解決のための手段であって、自分から新たな問題を提起する必要はなかったのだ。

 だから今、ユマが頭を掻き毟って悩んでいる事柄は、自らの命に関わるような危機感もなく、今までと比べれば実に暢気(のんき)な問題でもあった。それなのに、ユマの迷いは深刻だ。キダの救出に自らの保身という方向性さえ保っていれば良かった以前と違い、それはユマの歩むべき未来を真っ二つに分けた。陳腐な言い方をすれば、人生の岐路というものに、彼は立たされたのだ。

 大して広くもないガオリ侯の屋敷を見回った後、午後は庭を散策するなどして時間を潰したユマは、ガオリ侯と会食した。その席で、全く予期せぬ事実を知らされた。


「し、子爵ぅ?」


 葡萄酒を吐き出してしまいそうになりながら、ユマはガオリ侯の顔を見た。


「うむ、光王はユマ殿に子爵位を与え、ティエレンの地に封じることを決められた」

「私は値上げを狙ったわけではないのですが……」


 先に男爵位を与えられそうになったのを、ユマはにべもなく断った。今となればその判断は早急とも言えなくないが、それにしても光王のユマに対する気に入りようはどうだろう。


「ユマ殿が寡欲の人であることは、私も光王も十分に承知している。だから、これは政治的な配慮だ」

「ティエレンというのがそれですか?」


 ガオリ侯が杯に注がれた葡萄酒を飲み干すと、傍に控えていた下僕が白い布で口元を拭った。


「そうだ。君もある程度は知っているだろうが、ローファン伯爵家とフェペス家は実に仲が悪い。その最大の原因はフェペス家発祥の地であるティエレンをローファン伯が所有していることにある。今回、フェペス家の令嬢がローファン伯爵家の奴隷になったことで、ティエレンの民が殺気立っている」


 ガオリ侯の言っていることに嘘は無いが、ユマは自分をティエレンの主に任命する理由としては弱いと思った。彼自身、未だにローファン伯爵家の保護下にあり、外からどう見ても家人であるからだ。ローファン伯が統治しようが、その手先――と思われている――ユマが統治しようが、ティエレンの民にとってはどちらも同じことだろう。


「それだけでティエレンが鎮まるとは思えません。何か裏があるのでしょう?」


 ガオリ侯の口元が小さく笑った。


――もう少し、雅味のある言葉を選びたまえ。


 とでも言いたそうだ。


「実のところ、ユマ殿をティエレンに――というのはシェンビィ公の提案なのだ。領地を失うローファン伯は代わりに光王の直轄地が与えられる。分かるかね? これは良い落とし所なのだよ」


 ユマは頭が混乱してきた。何故、ここでシェンビィ公が出てくる。しかも、ユマに激しい憎悪を向けているはずの彼が、フェペス家の故地であるティエレンをわざわざ差し出すような真似をする意味が分からない。


「妥協の間違いでは?」

「はは、(けい)は少々舌先が鋭いな。光王の御前では勘弁願おう」


 ガオリ侯は今までユマがあった中で、最も威風を感じさせる男であることには違いない。だが、それでもユマは、この男にローファン伯やシェンビィ公に対して感じたのと同じ、陰謀家の臭いを嗅ぎ取ったことに、少なからぬ失望を覚えた。


「ユマ殿、今の卿は自分の保身だけ考えればよい身分ではない。卿がいなくなれば、明日の生活にすら困る者達がいるのだ。そのあたりを良く考えて行動して欲しい。無駄に命を縮めるような行為は、分別を知らぬ若者の特権だ。卿はもう、そうではあるまい」


 クララヤーナも同じようなことをユマに言ったが、ガオリ侯は彼女ほど感情的ではない。自分が彼の駒のように扱われるのは不愉快だが、ガオリ侯の言う「落とし所」というのは、事実だろう。それに子爵ともなれば、いかにロイオーセンとて気軽に手を出せる相手ではなくなる。光王直々の任命とあればなおさらだ。

 ユマはこの場にいないクゥのことを考えた。どういうつもりなのか、ローファン伯はクゥをユマ直属の奴隷にした。息子のロイオーセンが彼女を欲しても首を縦に振らず、ユマの元に置き続けるつもりのようだ。これが一時的な措置に過ぎないようなことをロイオーセンは言っていたが、それは目を血走らせて美女をくれとせがむ息子を煙にまくための方便ではないのか。

 ローファン伯に代わってユマがティエレンの統治を行うとしても、クゥを連れてゆくとなると意味が違ってくる。恐らく、ガオリ侯はユマがクゥをただの奴隷として扱わないことを確信している。


(馬鹿か俺は。ティエレンの住民が大人しくなるだけで、こいつらが満足するか? そもそも、ローファン伯やシェンビィ公が欲しがったのは「(めしい)のエメラルド」のはずだ。いや、待てよ……)


 何かが浮かびそうなのだが、中々それが形にならない。沈黙の中で皿の上の果実を口に放り込むと、強烈な酸味と共に舌が痺れた。


(なるほど、口封じは既に済んでいるか……)


 ティエレンの主となったユマは、ローファン伯との関係を完全に切ることは出来ないだろうが、シェンビィ公と通じることもありえない話ではない。そうなると、ガオリ侯とシェンビィ公の代理戦争と思われているローファンとフェペスの対立も、シェンビィ公の勝利で終わることになる。だが、ユマは自分にかけられた呪いを解かなければ、シェンビィ公に家臣暗殺事件の真犯人を告げることは出来ない。魔方陣であるリンが死ねば、呪いが解けるが、そのつもりは毛頭ない。


「随分とシェンビィ公に譲歩されましたね」


 ガオリ侯の眉が上がった。


――ほう、少しは話の分かる奴だ。


 とでも思っているのだろうか。


「言っただろう。これが落とし所だ」

「そうですか。ですがまだ、お受けすると決まったわけではありません」

「良い。一晩よく考えてみてくれ。明朝、光王との謁見に参列してもらう。今日は我が家に泊まるといい」


(随分、準備の良いことで……)


 晩餐が終わり、ガオリ侯が席を立とうとするところで、ユマは危うく忘れていたことを思い出した。


「お待ちください。キダのことです。彼は今、何処にいるのですか?」


 ここに来て、初めてガオリ侯は不愉快そうな表情を見せた。


「いずれ、ユマ殿の前に現れるだろう。それまでは忘れたふりをしておくことだ」


 どうやらあまり公にしたくはないことらしい。

 


 部屋に戻ったユマを、クゥが出迎えた。


「(ローファンの)屋敷と同じように振舞えと、侯が仰いました」


 そう言ってユマの寝具を整えるクゥは、どう見ても数日前まで闘技場で戦っていた闘士には見えない。


「それでか、君に部屋があてがわれなかったのは……」


 ユマは苦笑した。クゥを自室で一緒に寝るようにしたのは、ロイオーセンから彼女を守るためで、添い寝をしてもらうためではないことくらい、クゥ自身も知っているはずだからだ。恐らく、こうでもしないと、この屋敷の奴隷達と同じ部屋に詰め込まれるとでも思ったのだろう。ちなみに、ヌルとホウはローファン伯爵家に戻った。

 ユマは寝台に腰を下ろした。


(どう考えても、受けるべきだろう)


 アカアに保護されてからこのかた、ずっと求め続けた安住。子爵位とティエレンの領主ともなれば、最上ともいえる形で望みが満たされるはずだ。だというのに、ユマの気分は酷く晴れない。

 自分では気づかなかったが、長い間そのままでいたのだろう。


「如何なされました?」


 いつの間にか、自分の目の前で膝を突いた姿勢で、クゥが顔をのぞきこんでいた。


――クゥ、ティエレンに戻りたいか?


 思わず喉元まででかかった言葉を、ユマは懸命にこらえた。

 奴隷の身分に落ちたとはいえ、クゥがそれを望まぬはずがない。

 闘技場での激しくも熱狂に彩られた日々。精霊台で学友達とおしゃべりをする些細なひと時。落魄したとはいえ彼女をいつも暖かく迎えてくれた我が家。そして亡き父の無念でもある故地ティエレン。そのいずれも、クゥは一瞬で失った。彼女の所有権を得たからといって、犬に餌を放るようにそれをクゥに問いかけるには、ユマはクゥを間近で見過ぎた。

 ユマはふと、ローファン伯とホルオースの密談を盗み聞きしたことを思い出した。あの時、ローファン伯がクゥを消すと勘違いしたユマは、彼女を助けるかどうかの二択を迫られた。ユマは自分で決断したつもりだが、夜中に自室を訪れたリンという女の全身を突き抜けた先に、その答えがあったに過ぎない。あるいはリンが、耳元でそう囁いてくれたのではないか。


(はは、今度はクゥに決めてもらうつもりだ)


 自らの愚かさに気づきはしても、ユマは奮い立つことが出来ない。あるいは、このままクゥを押し倒し、かつてリンにそうしたように彼女の体を(もてあそ)んだその先に答えを見出すとしたら、自分はロイオーセンと何も変わらない。

 突然、手に温もりを覚えた。クゥの両手が、ユマの拳を包み込んでいた。

 ユマが口を開く前に、クゥは自分の寝台まで戻ると、蝋燭に息を吹きかけた。


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