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貴く翔べ  作者: 風雷
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第五章「貴人チルーク・ティエル」(14)

 クゥとの決闘が終わってから六日目、クゥに揺り起こされることもなく、ユマは起床した。


(うな)されていたな。熱は出てないか?」


 といって、朝食を運んできたクゥの額に触れた。新入りにしては随分と家事に手馴れた女は、わずかに視線を下げた以外は、全くの無表情を保っていた。


「驚いて目をぱちくりさせるくらいの可愛気があってもいいだろうに……」


 ユマがふざけて言うと、青い瞳が刺す様な視線を浴びせてきた。


「なるほど、クララは君に似たようだ」


 にっこりと笑顔を作ってみたユマだったが、クゥが全くの無反応で返したので道化にも似ていた。

 朝食を追え、昼も近くなった頃、ユマはクゥを同伴して外出する許可を、不在のローファン伯に代わって伯爵夫人に求めた。


「ヌルもいれば、クゥを取り返そうと企む不届きな輩がいても安心でしょう。それとユマ殿、たまにはアカアも外に連れて行ってくださいまし。あの子は日も高い内から家に篭って本ばかり読んで、年頃の女の子であるのにお茶会にも参加しませんのよ」

「はは、いずれ良い機会があれば……」


 教養はあっても高飛車な貴族の小娘が集うお茶会など御免被りたいユマは、月並みな返事をしながらも、クゥに対して温情を与えた夫人に感謝した。

 クゥにはヌルとホウへの使いを頼んだユマが中広間で時間をつぶしていると、背後から声をかけられた。


「先生、考え直して頂けましたか?」


 ユマも長身だが、ロイオーセンは巨体である。頭一つ分は自分より大きい男に背後に立たれたユマは、振り向かずに不機嫌そのものといった口調で返した。


「考え直すも何も、最初から無理な相談です。ローファン伯には話されましたか? まあ、一蹴されたからこそ、再び私に頼んできたのでしょうが」

「リンを差し上げましょう。他にも先生がお好みの侍女を何人でもつけます。ティエレンの郊外にある別荘もつけましょう。それならば、私の裁量でどうにかなります」


(この野郎…)


 つい今まで、しつこい店の呼び込みを払うような気分だったユマは、にわかに自分の血が沸騰するのを感じた。


「ああ、リンはロイ殿の所有でしたか。昨夜は彼女にクゥの代わりをさせましたか?」


 ロイオーセンが今、どんな表情をしているのかユマには分かる。それが分かっていても、彼を罵らなくては気がすまない。

 ユマは首だけで振り向くと、片目でローファンの大男を()めつけた。


「残念だが、坊や。俺はお前のパパじゃあないんだ。おねだりがしたいだけなら、さっさとローファンに帰んな」


 ユマとロイオーセンの歳はほとんど変わらない。ロイオーセンは父に代わってローファンを治めるほどに実務に優れており、軍事にも並ならぬ才能を発揮している。どちらかといえば、歳のわりに思慮の浅い言動の多いユマの方が坊やと呼ばれる資格があるのかも知れないが、それだけにかえって、ユマの台詞はロイオーセンを激怒させるに十分だった。

 巨大な影に自分の全身がすっぽりと包まれたような気がした。

 気がつけば、ローファン男の大きな手に首をつかまれていた。

 ロイオーセンは、わなわなと身を震わせながらも、どすのきいた低い声で言った。


「おい、もやし野郎。人が下手に出ているからといって調子に乗るなよ。俺がその気になれば、お前の首は小枝よりも簡単にへし折れるぜ。アカアにおべっかをつかって、物乞いをする寄生虫如きが……」


 擬態を脱ぎ捨てた。ユマはそれを、意外に早いとも思い、バトゥ・フェペスに聞かされた噂話を信じるならばよくもった方かとも思った。

 恫喝の甲斐もなく、ユマが余裕のある表情をしていることが癇に障ったのか、ロイオーセンは怪力でユマの首根っこを引っ張り、勢い良く壁に押し付けた。投げ飛ばされたような感覚に、ユマは一瞬呼吸を忘れた。


(この、馬鹿力め!)


 何故だろう。この場でロイオーセンに殺されないことが分かっているから自分は恐怖しないのだろうか。いや、どうみてもこの大男はローファン伯ほどには自制に長けていない。その証拠でもないが、明らかに殺意を押し殺しているようにも見える。もう一押しすれば、自分はこの場で殺されることを、ユマは確信していた。

 だというのに、怖くない。

 激怒したシャナアークスとの竜機戦、シェンビィ公による拷問、そしてクゥとの一騎討ち、そのいずれでも死に掛けた経験が、ユマという人間を成長させたのだろうか。


(違うな)


 頬が熱気を帯び、腹の底が煮えくり返るのを感じた。ユマは今、激怒している。温和な仮面を脱ぎ捨て、暴力に訴えてきたロイオーセンよりも、ユマの憤りは(はげ)しい。


俺でも(・・・)クゥを殴らなかった。蹴らなかった。殺さなかった)


 死ぬ思いをして、愚か者どもの罵声を乗り越えて、クゥを傷つけずに勝利するという芸当をやってのけたことが、先のロイオーセンの軽挙によって台無しになった。ユマはクゥの処遇について猛烈に後悔しているから、これは彼の本心と完全に矛盾している。だからこそ、ロイオーセンの態度が、ユマの行動の無意味さをあざ笑っているようで、耐えられなかったのだ。


「坊やが。ローファン伯がこれを知れば激怒するぞ……」


 首をつかまれ、窒息しそうになったユマの顔に苦悶の表情が浮かぶと、大男の顔が醜く歪んだ。


「お前のようなペテン師を幾年も飼っておくほど、父上は御人好しじゃあない。ひとつ、良いことを教えてやろう。昨晩、確かに俺は父上にクゥを譲ってくれるように頼み、断られた。だがな、父上はこうも言われた。『もう少し、待て』とな。どういうことか、狡賢(ずるがしこ)いお前なら分かるだろう?」


 握力が増し、首の骨がみしみしと音を立てるのが、鼓膜の内側から聞こえた。

 ユマは必死に壁に手を這わせた。玄関口の大広間といえば、昼でもそれなりに人通りが多いというのに、先ほどから誰も通らない。

 いや、気配はする。恐らく、掃除でも仰せつかった下僕達だろう。彼らが沈黙を保っている理由は、ロイオーセンへの畏怖以外にありえない。それにしても、すぐ上階にいる伯爵夫人にでも知らせるくらいの労はとってくれてもよさそうなのに――と、ユマは恨めしげに思った。

 刹那――階上の一隅に視線を贈った先に、淡い赤色の髪が見えた。ユマの視線に気づいたのか、それはすぐに姿を消した。


(アカアか? いや、違う。彼女なら真っ先に声を上げるはずだ……)


 だとすると、今階上から自分を見下ろしていた人物はひとりしかいない。自分の想像が当たっていれば、他の下僕がこの場を静観するのも頷ける。

 壁を這っていた指先が硬い何かに触れた。ユマはそれが銀燭であることを確認すると、力任せに取り外し、ロイオーセンに向かって振り下ろした。


「あぁ――!」


 耳元で絶叫が聞こえた。頭蓋を砕くつもりで振りおろした燭台だったが、狙いが外れてロイオーセンの左肩に落ちた。ユマはロイオーセンを突き飛ばし、扉に向かって走り出した。


「貴様!」


 耳元で轟音が聞こえた。ロイオーセンが怒り任せに豪腕を振り払ったのだ。


(阿呆か。あんなの喰らったら顔が吹っ飛ぶ!)


 振り返る余裕などもなく、ユマは庭に飛び出すと、正門前に止めてあった馬車に向かって走った。

 ちょうど、ユマを呼びに来ようとしていたクゥの手をとり、押し込めるようにして馬車に乗った。


「よし。ホウ、出せ! 出せ!」


 ローファン伯爵邸から、純白の馬車が矢のように飛び出した。あまりにも急いだので、開きかけの門の端に車輪がぶつかった。


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