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貴く翔べ  作者: 風雷
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第五章「貴人チルーク・ティエル」(10)

 オルベル邸から帰る途上、ユマはぼんやりと夕暮れの町並みを眺めていた。


「あーあ、帰りたくねぇな……」


 ホウに聞き取られないような声で呟いたのだが、風に向かって愚痴をこぼしたユマの視界に、奇妙な現象が飛び込んできた。

 路傍を一人の女が歩いている。

 赤紫のガーブが夕日を受けて黒く滲んだ様な色を帯びている。深くかぶったフードの隙間から、小さくあどけない口元が見える。少女のようにも見えるのだが、腕輪や首飾りの装飾が眩しく、どこかけばけばしい。ユマが彼女に視線を移したのは、ただ単に見慣れない服装だったからだ。

 夕日を向こうに長く伸びた影が、急にユマに向かって伸びてきた。

 それは意志を持ったように深く暗い色をたたえながら、馬車の窓から景色を眺めるユマの手に触れた。驚いたユマは思わず影を振り払った。

 影が、飛んだ。

 そう思った時、女は小石にでも(つまづ)いたのだろうか、石畳の地面に倒れた。


「ホウ、止めろ」


 とユマが言う前に馬車が急停車していたのは、転んだ拍子に女の手元から転げ落ちた球状のものに、馬車馬が驚いたからだった。ユマが天井に頭をぶつけずにすんだのも、ホウの技量によるものだろう。


(気のせいかな。一瞬影が……)


 そう思いながらも、ユマは馬車を降りると、馬をなだめるホウを尻目に路傍でうずくまる女に声をかけた。


「大丈夫ですか?」

「えっ?」


 女は驚いているらしかった。それもそうだろう。ユマが乗っているのは王都の一般市民が乗るような馬車ではない。白塗りされて小奇麗な、いかにも貴族と言わんばかりに上品なつくりであるから、女が驚くのも無理はなかった。貴族が今のユマのように下民に対して情けをかけることはあるが、普通、こういったやり取りは従者を介して行われる。だが、ユマは従者を連れず、いるとすれば御者のホウだけだから、女は誰に返答してよいのか困ったのだ。


「あ、はい」


 と――これはユマが手を差し出したまま相手の反応を待ったからだが――女は答えた。


「ありがとうございます。でも、小石に躓いただけなんですよ」

「あ、そうですか。私のせいかと思って、驚いて飛び出してしまいました」

「はぁ、貴族様のせいですか?」


 ユマが意味不明なことを言ったせいもあって、女は軽く混乱しているらしかった。だがユマはそれについて一切の説明をすることなく、女を引き起こすと、路上に転がった球体を拾った。


「水晶……じゃないな。鉄球?」


 占い師が使うような水晶球を連想させる大きさだが、どう見ても金属で出来ている。


「いえ、真鍮(しんちゅう)です」


 女は砂で汚れた裾を丁寧にはたきながら言った。


「真鍮……ですか。これはただの好奇心なんですが、銅錫(どうすず)の塊なんか、何に使うんですか?」


 ユマの問いに、女は驚いたようだった。その反応だけで、真鍮の球体がこの国の住人ならば誰でも知っているような代物であることがわかる。


「あ、実は私は数日前に王都に着たばかりでして……」

「まあ、異国の方でしたか。私はペイルから参りました。占い師のポヌティフと申します」


 ポヌティフは慎ましく頭を下げた。振る舞いだけを見ると、この女が外貌より遥かに年長であることがわかるが、さすがのユマも彼女の年齢について口にしようとは思わない。


「やはり、占い師でしたか。私の名前はユマ・カケルです。王都の道は広いですが、転ぶと危ないから気をつけてください」


 それだけ言って去ろうとするユマを、ポヌティフが呼び止めた。


「あの、お待ち下さい!」

「うん、何でしょう?」


 ユマが振り返ると、呼び止めたはずのポヌティフが慌てた。


「あ、いえ、その……申し訳ありません。商売癖とでも言いましょうか。ユマ様にただならぬ相が出ていましたので」

「ソウ? ああ、相ね」


 ユマが苦笑いしたのは、こすい占い師が客を引き止めるような台詞に聞こえたからだ。ただ、特に占ってもいないのに相が出ているという彼女の言葉に興味を持ったのは確かだ。


「顔に変な皺でもあったかな?」


 ユマは占いを軽蔑している。別に占いそのものを否定するわけではない。ただ、ユマの中での占いとは、人間が直面している事象の吉凶を判断するためのもので、自分の人生の選択を任せる類のものではない。だから、ユマが軽蔑しているのは占いそのものというより、それに群がることで安息を得ている人々である。


「いえ、お顔ではなく、影です」

「影占い?」

「はい、そのようなものです。少しお待ちを……」


 ポヌティフは先ほどユマが拾って与えた真鍮の球を取り出すと、ユマの足元にことりと置いた。


「真鍮は精霊の影響を受けませんから、占いに適しているのです。強力な魔力は時に人の運勢を変えますが、真鍮はその歪みの影響を受けず、その人が本来とるべき道を指し示します」


 ポヌティフは律儀にも先ほどのユマの質問に答えた。

 真鍮の球は、地面が平行でないせいだろうが、ユマの影をなぞるようにころころと転がっていき、やがて止まった。


(意味がわからん。こんなので何を占うんだ?)


 ユマが退屈を感じ始めた頃、ポヌティフは口を開いた。


「ユマ様は最近、大きな事故に遭われましたね。海難事故でしょうか……多くの人々と生き別れています」

「事故? ああ、まあ事故みたいなものかな」


 この世界に迷い込んだことを指しているのだろう。これくらいのことを言い当てられた程度ではユマは驚かない。


「あとは、女難の相が出ております」


 と、ポヌティフが言ったのだから、ユマはふきだしそうになった。


「くくっ、ポヌティフさん。それは酷い……」

「続けます。ユマ様は何者かに招かれてこの国にいらっしゃいました。ですが、ユマ様はまだその御方の招待を受けておられません」

「意味がわからないことを言いますね」

「すみません。こういう相が出ているのです。私も初めてです。物事には必ず吉凶があるのですが、これについてはそのどちらとも取れません」


 吉凶と聞いてユマの中で閃いたものがあった。


「ポヌティフさん。是非とも見て欲しいものがある。実は最近、新しい部下が下につきましてね。その人のことを占って欲しい」

「部下ですか。相には奴隷と出ているのですが」

「じゃあ、奴隷でいいです」


 そう言いながら、ユマはこの女の占いの鋭さに舌を巻きそうになった。クゥがユマ直属の奴隷になったことは、ローファン伯爵家の者以外はシャナアークスしか知らないはずだからだ。


「三人おりますね。二人は男性で一人は女性です。二人の男性はユマ様の股肱の臣となるでしょう。特に一人はユマ様の子の代まで忠義を尽くします。最後の女性は、これは大凶です。今すぐにでも遠ざけるべきです」


 あまりにもはっきりと大凶と断じられたので、ユマは面食らってしまった。吉だと言ったり、凶だと言ったり、はっきりしないのが占いだと思っていたからだが。


「大凶ですか」

「はい。この女性はユマ様に不幸をもたらします。そういう(さが)にあるのです。ただし、この女性にとってのユマ様は大吉です。女性はユマ様の傍にいる限り、災厄に見舞われることはあっても、横死はしないでしょう。このままユマ様のお傍に仕えた場合、一子を儲けますが、それは貴方の御子ではありません」


 ポヌティフが言い終わるや否や、馬車の後方から怒声が上がった。後続の馬車が通る道をあけろと言ってきたからだ。通りは広いというのに、貴族同士ともなれば格順で道を譲る方が決まる。同格の場合はつまらぬ争いに発展することも時々ある。


「ありがとう、ポヌティフさん。気が向いたら参考にします」


 そう言って、ユマは馬車に飛び乗った。ホウが応対に追われているが彼一人に任せるのは酷だろう。振り向き間際に気づいたが、後ろの馬車に乗っていたのはクララヤーナだった。名門貴族の最高峰であるシェンビィ公爵家の公女ともなれば、相手の方から避けて通るだろう。


「早くどけ、このヤム犬め――!」


 窓から顔を出したクララヤーナに罵られ、顔をひきつらせたホウが御者席に飛び乗った。


「クララヤーナ、その歳から顔に皺を作るなよ!」

「ユマ、手前ぇ!」


 ユマの乗る馬車は軽快に疾走した。クララヤーナの怒号が後からついてきたのは言うまでも無い。



 ユマとクララヤーナが去った後、真鍮の球を拾い上げたポヌティフは、リの街を歩き進んでいった。

 やがて日没とともに、寂れた屋敷の前に彼女はいた。オルベル邸やシェンビィ公爵邸とは違って、どこかじめじめとした湿気の漂う三等地。そこは、昨今の王都の噂話の主役でもあったフェペス家の邸宅だった。

 門前は閑散としていて、鉄の扉も錆び付いている。

 ポヌティフは正門を通り過ぎると、こじんまりとした屋敷を裏周り、今の経済状況では数少ないであろう奴隷達が立ち話をしている裏門へと行き着いた。


「ポヌティフです。当主様にお目通りを……」


 奴隷が屋敷内に戻ってから、一分足らずで貧相な木製の扉が開けられた。

 ポヌティフが案内された邸内は酷く明かりが少なく、にもかかわらず床に敷かれた絨毯の染みが目立った。

 階上の一室に、フェペス家当主バトゥがいた。


「ようこそいらっしゃいました。ポヌティフ様」


 騎士爵とはいえ貴門の当主の部屋とは思えない簡素な構造をしている。部屋内にあるのはベッドと小さな机のみで、印を押す書類にすら事欠くのか、あるいは決済することが少なすぎるのか、どこか空虚な臭いのする部屋だ。


「こちらこそ、遅れまして申し訳ありません」


 ポヌティフはバトゥ・フェペスがすすめるがまま、小さな椅子に腰掛けた。老木がきしんだ様な音が鳴った。


「貴女に助けられました」


 と、バトゥ・フェペスが唐突に頭を下げた。


「いえ、私はただ占っただけです。その人がどう選択するかは自由です」


 聞く人によっては無責任ともとられかねない台詞を吐いたポヌティフだったが、バトゥ・フェペスはそんな感想など微塵も持たなかったらしく、繰り返し彼女に謝した。


「料金の件ですが……」


 ポヌティフが申し訳なさそうに口を開く。とはいえ、商売で占いをやっている以上、切り出さねば始まらない。


「はい、用意できております」


 そう言うと、バトゥ・フェペスは机上にあった金貨入りの袋をポヌティフに手渡した。ポヌティフは袋を紐解いて中身を確認すると、すぐさま懐にそれをしまった。


「夜中に大金を持って出歩くのは危険です。今夜は我が家にお泊まりください。晩餐の準備は出来ております」


 立ち上がったバトゥ・フェペスはポヌティフの元まで歩み寄ると、左手を腰の裏に回して優雅にお辞儀した。残った右手はポヌティフに向かって差し出されている。


「ふふ、お言葉に甘えさせていただきますわ」


 ポヌティフはバトゥ・フェペスの手をとったが、突然、思い出したように呟いた。


「ところで、例の人物は、もしかしてユマという名前でしょうか?」

「御存知でしたか」

「いえ、先ほどお会いしました。影がフェペス卿と薄く繋がっておりましたので、もしやと思ったのです」

「不思議な男だったでしょう?」


 バトゥ・フェペスは微笑みながら言った。どこか暗い雰囲気の漂う男だが、まじまじと顔を見つめてみると、整った顔立ちをしており、美男であることに気づく。


「ええ、貴方と同じくらいに……」


 ポヌティフはそう言ったが、深くかぶったフードの中の表情が、バトゥ・フェペスに見えていたかどうかはわからない。


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