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貴く翔べ  作者: 風雷
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第五章「貴人チルーク・ティエル」(8)

 闘花冠(とうかかん)がただのリボンに過ぎないと思うのは、異世界から来たユマとキダだけで、オロ王国の人々にとって、それは不敗の女闘士クゥの象徴であり、年頃の娘達が彼女を真似て初めて、女ものの装飾に変化した、いわばオロの最新流行だ。だが、これはクゥの敗北とともに急速に廃れ始めている。

 奴隷身分に落ちたクゥは、着衣ひとつとっても、リンや他の下女と同じ衣装を着ているが、それに対して最後の反抗を試みるかのように、本来は黒いカチューシャをつけるべきところを、闘技場のときにつけていたのと同じ赤い闘花冠で髪をまとめている。


(中々、往生際が悪い)


 と、憔悴したクゥの姿など見たくもなかったユマは安堵したが、それも一瞬のことだった。彼女の視線にただ諦観だけが漂っているのを感じ取ったからだ。


(……いや、これはローファン伯の好みかな。あるいは俺へのあてつけか)


 未だにローファン伯の保護下でぬくぬくと暮らしている自分が、クゥの立場になって考えること自体がすでに不可能に近いが、彼女にとって闘花と呼ばれた栄光は一時の敗北で粉砕され、今や犬とまで蔑んでいたヤム家の人間に顎で使われるだけの存在に落ちた。闘花冠(リボン)はクゥにとっても勝利と栄光のシンボルであったはずだ。それを奴隷になってまでつけるということは、もはや栄光が思い出に変わったとはいえ彼女の誇りが許さないのではないか。自分がクゥであったなら、闘花冠は二度とつけない。闘士である自分と奴隷である自分を連続してとらえると、そこに見えるのは破滅だけだ。二つを完全に分かたなければ、何を活力にして生きて行けるというのだろうか。

 ユマは、恐らく生まれて初めて他人の人生を粉々に打ち砕いた。

 自らの身の安全と、キダを奴隷身分から開放するためとはいえ、フェペスとローファンのつまらぬ抗争に首を突っ込み、その結果、二十歳にもならない若い女の人生を破滅に導いたのだ。クゥが奴隷身分に落ちることの理に屈しても、これで何食わぬ顔を出来るほどには、ユマは冷徹ではない。しかも今、本人を前にしている。


「まあ、かわいらしい!」


 と、気鬱になっていたユマが不快に思うほどの歓声を上げたのは、やはりアカアだった。アカアがクゥの大ファンであることを、ユマは知っている。フェペス家当主との会席でのやりとりから、今回の勝利に対する彼女の心のあり方が、自分とは遥かにかけ離れていることが、ユマには不快だった。当然のことかも知れないが、ローファン伯爵邸に出入りする人間で、クゥの獲得を喜んでいないのはユマだけである。


――あんなに若いのに……


 といった、彼女の不幸に同情する人間など皆無だ。同じ奴隷身分であるリュウもホウも、クゥの落魄については一切同情しない。ローファン伯は領地であるティエレンを賭け、フェペス家当主は妹のクゥを賭けた。光王が臨席するほどに注目された試合の結果、ローファン伯が勝利し、クゥを得た。これは正当な賭けであり、水面下で陰謀が渦巻いていたとしても、表面は飽くまでそうだった。


(この子は良心の置き所が俺とは随分違う)


 異文明にあるが故の苦悩だろう。ユマがアカアの非情を罵ったところで、何の解決にもならない。この国ではアカアの方が正統でユマが異端であることには何の変わりもないからだ。それに抗うということは、古今の人類の歴史が物語るように、ユマは王国という巨大な構造に対して単身で戦わなければならない。

 アカアに人並みの優しさを期待することの虚しさを感じ、半ば諦観すら持っていたユマも、次の瞬間に彼女がとった行動に戦慄した。


「まあ、まあ、何て可愛らしいの」


 そう言って、席を立ったアカアはクゥの元に歩み寄ると、彼女が頭につけていた闘花冠をするりと抜き取った。青く透き通った髪がとけ、クゥの肩にかかった。

 ユマは一瞬、驚きで言葉を失ったが、我に返ると同時にクゥの顔を見た。闘技場での好戦的な印象が強く残っているせいか、クゥがアカアを張り倒すくらいのことを期待したのだが、彼女の顔を見ると同時にそれも霧散した。


(見なきゃよかった……)


 クゥは、その薄い唇を噛み締めて怒りを押し殺すでもなく、拳を握り締めるでもなく、ただ呆然とそこに立ち尽くしていた。顔に生気は無く、ただ虚ろだった。


「……アカア。席に戻りなさい」

「はーい」


 ローファン伯はアカアを咎めたが、それもクゥに対する非道をなじったわけではなく、家長の話を遮ったことに対するものだった。


(クゥ……)


 見ていられない――とは、今の彼女のことだろう。ふと、ユマは対面に座っているロイオーセンを見た。アカアと違って一見すましたような顔をしているが、口元から淡い笑みがこぼれている。

 ユマは嫌な予感がした。バトゥ・フェペスやシャナアークスが話していたロイオーセンの黒い噂を思い出したからだ。

 アカアが席に戻った頃、ローファン伯は食卓を囲む家族と、客人のユマに向かって言った。


「百五十年前、我々の先祖はフェペス将軍家に仕えていた。だが時代が変じ、様々な勢力が浮沈する中、我がヤム家はフェペス家と対立することになった。つい先日、客人のユマ殿が、因縁の歴史に幕を閉じた。フェペスはかつての部下が反旗を翻したと我々をなじるだろうが、時代の変節を見定めることなく、つまらぬ意地を張り続ける彼らに負い目を感じる必要は無い。かつての王都ティエレンは、今やフェペスの帰還を望んでいない。ティエレンの住民は知っているのだ。時代の正統は光王を援けるガオリ侯にこそあり、密かに王位を狙うシェンビィ公には無いということを。そして、そのシェンビィ公におもねるフェペス家を見限ったのだ。今、我らは勝利の証であるクゥを手にした。不毛でしかない争いは終結したのだ。そして何より、ヤム家のために最大の労をとってくれたユマ殿に感謝の言葉をささげたい」


 言い終えると、ローファン伯は立ち上がった。彼はユマの方へと歩み寄ると、手に持っていた杯に酒を注いだ。


「ヤム家と、東国の戦士の勝利に乾杯!」


 伯爵夫人やアカア、ロイオーセンは勿論のこと、その場にいた給仕や奴隷達でさえも歓声を上げた。ユマは今になって気づいたが、この場はローファン伯爵家内だけでの祝賀会だったのだ。


「いやいや、めでたい」


 そういって杯が割れそうなほどにあわせてくるロイオーセンに、ユマは思わず応じてしまった。アカアはクゥから取り上げた闘花冠をリンに言いつけて自分につけさせている。

 クゥはというと、他の給仕の指図を受けて、伯爵夫人の杯に酒を注いでいた。特に危なげのない手つきだったが、伯爵夫人は冷めた目でそれを見ている。


――(ねや)で夫に妙なことをしないように。


 と、念を押しているようにも見える。とにかくユマが感じたのは、クゥにとってのこの場が地獄であるということだけだった。これから永遠に続く地獄である。

 ユマは、壁の端のほうで立っているリュウに声をかけた。ホウがこの場にいないのは、どうせ馬小屋で馬の世話でもまかされているからだろう。


「御用でしょうか?」


 リュウが走り寄ってきた。彼も他の給仕たちと似たような黒衣を着ている。


「リュウ、お前はローファン伯の祝辞についてどう思う?」


 突然の質問の意味が分からないリュウは首を傾げた。


「他意はない。今、どんな気分かを聞きたいんだ」

「祝うべきことではないでしょうか。先生のご活躍でフェペス家との抗争が終結したのですから。それに……」

「それに、何だ?」


 リュウの声が急に小さくなった。ユマが耳を近づけると、


「今日は、御馳走が食べられます」


 と、囁いてきたので、ユマは笑ってしまった。


「はは、分かった。腹一杯食べろ」

「はい、後でホウも呼んできます」


 リュウや他の給仕達は食事には参加していないが、ユマの眼前にあるものほど豪華でなくても、後でそれなりのものが振る舞われるのだろう。


「それで、クゥは誰につけるのです?」


 と、爽やかに声を上げたのはロイオーセンである。彼がどのような視線をクゥに送っていたのかを知っている給仕の幾人かは、小さく笑って互いにささやきあった。それを見たロイオーセンも別に咎めるわけでもなく、にっこりと彼女達に返した。

 アカアもこの話題には興味があったようで、当然だろうが彼女もクゥを自分つきの侍女にしたい。

 ローファン伯はクゥの処遇について言及することを、別に忘れていた風でもなく、あえて他から声が上がるのを待っていたようだ。


「そうだな。しばらくの間は、ユマ殿についてもらう」

「えっ……ユマ殿?」


 ロイオーセンが驚いてローファン伯を見つめた。ローファン伯が頷くのを見た彼は、今度はユマの方を振り返った。


「……は?」


 ユマがとぼけた声を上げたのも当然だ。それほど、予想だにしない事態だった。アカアが横で不満そうに声を上げたが、ローファン伯が咳払いするとすぐに黙った。


「リンには元の仕事に戻ってもらう。皆、依存は無いな?」

「……はい」


 ロイオーセンもアカアも表情から不満を隠しきれていなかったが、誰でもない家長の命令とならば、抗う術もない。


「全く、馬車を急がせて帰ってきてみれば……」


 と、若いローファンの跡取りが呟いたのをユマだけが聞いていた。


(何の嫌がらせだよ……)


 ユマにはローファン伯の申し出を断ることが出来ない。それをすれば眼前にいるロイオーセンが嬉々としてクゥを(さら)って行くだろう。先のやりとりを見ても、アカアの下につけるのは、それはそれで気の毒である。クゥの立場になって考えればこれでよいのかもしれない。ただ、ユマとしては彼女にどう接してよいのかわからない。



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