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貴く翔べ  作者: 風雷
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第一章「原初の声」(6)

 明くる日の朝、集団の人数が増えていた。どうやらアカアが奴隷を二人買ったらしい。(うつ)ろな目で大きな荷を背負う彼らを見たとき、ユマは薄ら寒い何かを感じた。

 村を発つと、険しい山登りを強いられた。斜面を馬車で進むのはこんなにも無謀なのかと思うほどに重労働で、馬車を押していた奴隷が倒れて足を()かれた。


「何ちゅう光景だ……」


 奴隷は足の骨を折ったのか、(うめ)き声を上げながら苦しんでいる。ユマはアカアと同乗していたが、奴隷を見たアカアがこともなげに(すさ)まじいことを言ったので戦慄した。


「歩けそう?」


 と、アカアが黒服を統べる男に訊くと、男はかぶりを振った。


「そう、では置いてゆきましょう」


 ユマは最初、彼女の台詞を理解できなかった。まさかとは思うが、反芻(はんすう)してみても信じられない。


「置いていくのか。山道のど真ん中で?」


 ユマの口からこぼれる様に吐かれた台詞に、アカアは首を傾げた。


――それが何か?


 と言いたげである。


(やっぱり螺子(ねじ)が一本抜けてんじゃないのか。この女は……)


 眼下では黒服の長が配下に指図をしていた。


「一日分の水と食料をここに置いてゆく。旅人に助けを請えば無事に山も下りられよう」


 まるでそれが最大限の厚意であるような口調だった。奴隷の表情は見る見る青ざめ、共に買われた奴隷が仲間の助命を懇願するために、黒服の長の足にしがみついた。


「それはあんまりです。このままでは山を下りる前に山犬に襲われて死んでしまいます」


 黒服の長が睨みつけると、奴隷はひるんだ様子だったが、同郷の者を守ろうとする意識が強いのだろう。震える声を振り絞った。


「せめて、共に下山させて下さい」


 目を潤ませて懇願する奴隷だったが、強引に腕を振り払われて地に伏した。


「仕事もせぬ。役にも立たぬ。その上で主に命令するのか!」


 鈍い音が聞こえた。一瞬、目を伏せたユマだったが、再び彼らを見ると、奴隷の一人が鼻から血を噴いてもがいてた。周囲には黒服の男たちの他にアカアが元から連れていた奴隷もおり、彼らはおびえたり、目をそむけたりしながら眼前の光景が早く過ぎ去ることを祈っているようにも見えた。

 アカアはというと、もはや彼らのやり取りには興味がないらしく、


「先生、しばしお待ちくださいませ」


 といって、退屈そうに本を開いた。


「――っ!」


 ユマはアカアを突き放すように車外へ飛び出すと、黒服の長の肩をつかんだ。


「やめろ」


 黒服の長は驚いたようにユマの顔を見た。だが、すぐに口元が緩んだ。


(俺はこいつになめられているのか?)


 ユマは直感した。


「これはこれは、先生。見苦しいところをお見せしました」


 黒服の長は大仰に言った。慇懃(いんぎん)な態度が腹立たしかったが、ユマは耐えた。


(この(ひげ)(つら)の名前は何だったかな?)


 と、アカアが黒服の長のことを何と呼んでいたかを思い出そうとした。


「ヌル?」


 飛び出したユマを目で追ったアカアが、男の名を呼んだ。


(そう、ヌルだ。いかにも悪人っぽい名前しやがって……)


 顎鬚(あごひげ)のたくましい、長身の男だ。()せているように見えるが、無駄な脂肪をすべてそぎ落とした様な強さが体貌(たいぼう)から滲み出てくるようでもある。歳は三十の半ばあたりだろう。

 目を見れば気圧されるのは分かっていたから、ユマはヌルの目を見ずに言った。


「こいつは金を出して雇ったんだろう? 雇い主なら最後まで面倒を見ろ」


 ユマの口調に(とげ)があったためか、ヌルは思わず反論した。


「雇ったのではない。買ったのだ!」


 ヌルの言葉を聞き流したユマは、地に伏せた奴隷たちの前まで歩いてゆくと、屈んで顔を覗き込んだ。


(若い……)


 どちらも十四、五の少年である。ユマは自分の腹の底で、何かが沸々(ふつふつ)と煮えてくるのを感じた。


「先生?」


 アカアが幌をめくって車内から出てきた。


(あの世間知らずを説得したほうが早いか。いや、この髭に軽く見られると後が怖い)


 ただでさえ素性の怪しい男がアカアの客として迎えられたのだ。この先、ユマが何かの失態をおかしてアカアから疑われた場合、ヌルという男は真っ先にユマを放逐(ほうちく)するだろう。ここは是が非でもアカアに先生(・・)と呼ばれる者らしく振舞わねばならない。


「その子を馬車に乗せろ。俺が歩く」


 ユマが奴隷少年を起こそうとすると、少年は驚いたような顔でユマを見た。


「何も先生がそんなことをなさらなくても……」


 やはり、アカアには理解できていない――と、ユマが軽く失望を覚えたとき、今度はヌルがユマの肩に手をかけた。


――やめよ。


 と、目で言っている。刺すような視線に敬意などは微塵も込められていなかったが、このことが逆にユマを挑戦的な気分にさせた。

 このままでは少年は死ぬ。旅人が通るといっていたが、それも何日に一回の話だろう。もし、現れなければという想像をアカアはしないのか。それに旅人が彼らを助けるという保証もない。金目の物など持っていないから、追い()ぎには遭わないだろうが。

 ユマは誰を見るでもなく、声を張って言った。


「このままではこの子は死ぬ。それがわかっていながら、何故捨てて行くんだ? さっきヌルは旅人に助けてもらえと言ったが、旅人が現れなければどうする」


 ヌルに対して言ったようでもあるが、これはやはりアカアを非難する声だろう。それに気づいたのか、アカアは先生の不機嫌をなだめたいがために、ヌルの方を見た。彼はやれやれ、といった口調で言った。


「運がよければ、必ず助かる」


 この言葉を聴いた瞬間、ユマの脳裏に、(まぶた)に落ちてくるような蒼穹と、荒涼の大地が広がった。たった二晩だけであるが、ユマは闇の中ですすり泣く様な旅を行ったのだ。他の誰かが自分と似たような境遇に陥ることが、耐えられなかった。かわいそうなのではない。絶望的な状況から自分を救ってくれたアカアという少女が、実に酷薄な人であったことが、残念でならないのだ。九死に一生を得るという言葉があるが、ユマはアカアが現れたことで、十死ぬ(・・・)はずだった命を拾ったのだ。あの時の喜びに泥をかけられたような気分は、他の誰かと共有できるようなものではない。


(俺を助けたのに、この子は助けようとしない。いつか、俺も捨てられるかもしれない)


 ユマが激昂した理由は義侠心によるものだったが、彼が行動したのは、実は己が身の危うさに気づいたからであるかもしれない。だから、ユマの憤りは嘆きにも似て、風が空吹いているような気分があった。

「運がよければ助かるというのは、ほとんど死ぬってことだ。つい昨日まで畑を耕して安穏に暮らしていた少年を、自分の都合で連れ出して、使えなくなったから捨てるっていうのはどういう了見だ?」

 ヌルの胸倉をつかみそうな勢いだった。ヌルの目は冷ややかだったが、これにはアカアが焦った。


――斬ってもよろしいか?


 と、ヌルが目で問うてきたからだ。今、ユマに死なれると退屈な旅の話し相手がいなくなってしまう。


「先生。わかりました。馬車に乗せましょう」


 アカアがそう言った事で、場はおさまった。ヌルはすれ違いざまに、


「連れ出したのではない。買ったのだ……」


 と、呟いた。ユマの怒りはまだおさまっていないが、これ以上ヌルと話をしたいとは思わなかった。


「大丈夫か?」


 そういってユマは足を折った少年に手を差し伸べた。


「馬車に乗せる。手伝ってくれ。他に治療の出来る奴はいるか?」


 とユマが言うと、二人が少年を抱えて馬車に運んだ。鼻血を出していた方の少年はどこからか棒切れを拾ってきて、車輪に轢かれた少年の足にそえ、軽い治療を行った。ユマはポケットから携帯ティッシュを取り出して少年の鼻を拭いてやり、足を折った方には消毒薬を持ってきて車輪に擦られた傷口を拭いた。二人は不思議そうな顔をし、辺りにいた者もそうであった。


「ありがとうございます」


 一人は地に額を擦りつけ、もう一人は車上から会釈をしてユマに謝した。


「なに。困ったときはお互い様だ」


 月並みな台詞を吐いたユマだが、悪い気はしなかった。



 この後、集団におけるユマを見る目が変わった。

 奴隷たちから見られるとき、敬意にも似た清々(すがすが)しい何かを感じるようになった。逆に、黒服の男たちからは一層毛嫌いされたようだ。とはいえ、彼らの全てがヌルと同調している様子でもなく、ヌルより年配の男は食事時にユマの傍に寄ってきて、話しかけてきたりした。


「貴族のお嬢様をしかりつけるとは、あんたは本当に仙人なのか?」


 水筒を片手に干し肉を(かじ)りながら聞いてくる。どうやら、黒服たちの間ではユマはそのように見られているらしい。


「災難に遭って他人に助けを請う人は、他人が災難に遭ったときに助けをよこすとは限らない。どうしてだろうな?」


 まるで自分に問いかけるような言葉だった。自らの正しさをほのかに主張してもいる。

 鼻血を噴いた方の少年は、誰に命じられるわけでもなくユマの世話をするようになった。アカアはこれにも無頓着だったが、時々幌をめくっては、奴隷少年と共に歩くユマを見下ろした。

 少年の名はリュウといった。ぼさぼさの髪に土色の衣を着ている。目が大きく、一種の愛らしさがある。もう一人はホウと言い、リュウより背が高く、目が細い。


「竜か。強そうな名だ……」


 ユマがそう言った時、少年の目が輝いた。


「俺の故郷ではそういう意味を持つんだ」


 おそらくユマがリュウという音に竜を想起したがために、源精が竜という言葉を少年に伝えたのだろう。後でアカアに訊いたところ、どうやら竜は存在するらしい。滅多に人前に現れず、巨大な力を持つという。ユマの脳内で描かれる竜の像とあまり変わりがないように思えた。


「先生の故郷では、ホウはどのような意味でしょうか?」


 リュウがついでに友人の名のことを問うた。


(ほう)は王者の鳥だ。つがい(・・・)で、(おう)という鳥とあわせて呼ぶことが多い」


 足が痛むのか、ホウは苦しそうな顔をしていたが、一瞬だけ口元が緩んだ。

 多少なりともつまらぬ知識を仕入れておくものだと、ユマは自分に対して感心したが、車上からそれを見ていたアカアがユマを招きよせ、


「わたくしは何という意味ですの?」


 と聞いてきたために、先の争いのことなど頭からすっ飛んでしまった。


「さあ、どうだろう……」


 ユマは山間から眩しくもれてくる夕光に気づくと、指でアカアの視線を誘うようにして言った。


「……赤いという意味じゃあ、駄目かな?」


 そう言われたアカアは少しの間、感じいったように夕空を見ていたが、何を考えたのか、今度は近くを歩いていたヌルの方を指差して、


「彼は?」


 と、小さな声で言った。

 ユマは一瞬嫌な顔をしたが、アカアに当たるのも理不尽だろうと思い、表情を戻した。


「よくわからない」

「そうですか……」


 アカアが少しだけ残念そうな顔をするので、ユマは付け足した。


「いや、『よくわからない』という意味だ」


 少女の口から小さな笑みが漏れた。無骨で普段何を考えているかわからないヌルだから、アカアもおかしみを感じたのだろう。

 ヌルは一部始終を見ていたらしく、軽く舌打つと、険しい顔つきで黙々と歩き続けた。


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